第八話 政虎という男


「ほう……これも躱したか」

 二撃目の横薙ぎを護摩堂の外へ飛び退りながら躱した瞬間、鬼の面を被った男はややくぐもった声でそう呟く。


「……一体、どういうおつもりですか?」

「自分の胸に聞くのだな」

 それだけを返すなり、眼前の人物は再び太刀を振りかぶる。

 そして間髪をいれること無く、袈裟斬りの一撃を僕目掛けて放たれた。


「と言われても、品行方正に生きているつもりでして!」

 僕はそう口にすると共に、腰に差した三日月宗近を抜き放つ。


 交差する二振りの太刀。

 そしてほぼ同時に、二人共が後方へと飛び退った。


「品行方正だと……では、聞こう。なぜあの悪党の手伝いなどを行うのかと」

「それは北条のことですか?」

「伊勢のことだ!」

 僕の発言を修正する形で、男はそう口にするとともに、更なる剣撃を放つ。

 それをギリギリの間合いですかしたところで、僕は彼目掛けて大きく一歩踏み込んだ。


「何れも同じだと思いますがね!」

 そう口にするとともに、僕は彼の刀だけを狙い剣撃を放つ。

 狙いは純然たる刀の破壊。

 もちろんそれは、この借り物の刀と、師匠に叩き込まれた自らの技を信じるがゆえの一撃であった。


「小癪なことを!」

 僕の言葉に対してか、それとも剣撃に対してか。

 その意図は読み取れなかったものの、男はこの間合と剣撃を嫌い大きく後方へと飛び退った。


「ふう……ともかく先程の答えは極めて単純です。北条のなしようをこの目で見たかったからに他なりません」

「ほう、では悪の成すことを見てどうだった?」

「あの人は、氏康殿は民に対しては極めて誠実です。そのことを痛いほど学びましたよ」

 そう口にした瞬間、再び鬼の面の男は僕目掛けて突きを放つ。


「表面だけの偽善に惑わされる愚か者め!」

「表面だけでも取り繕える国主が、今のこの日ノ本にどれだけいますかね」

 男の突きを体を半身にしながらやり過ごし、僕はその手を蹴り上げる。

 そう、太刀を手にしていた彼の手を。


「ぐっ!」

 くぐもった声とともに、男が太刀を落としかかる。

 だが次の瞬間、彼は落ちていく太刀に目もくれず、僕目掛けて体当たりを仕掛けてきた。


「な……!?」

 完全に予想外の行動に、僕は体格差のまま軽く吹き飛ばされた。

 そしてどうにか受け身を取りながら、すぐに目の前の男に向き直る。

 すると、男もほぼ同時に地に落ちた太刀を構えなおしていた。


「やりますね。型にはまらぬ対応……まさに戦場で磨かれた技ですか」

 太刀を落とした状態で、太刀を持つ男に向かい体当たりを仕掛ける。

 咄嗟にそんな無謀な行為を行い、そしてこうして自らの不利を帳消しにした事実。

 そのことに、僕は心から敬意を評する。


 しかし逆に言えば、彼のそんな行動は一つのことを示していた。

 つまりそこまでのリスクを負わなければ、溝が埋まらないということを。 


 そう、僕と彼との間に存在する、技量という名の溝を。


「貴方のことは把握しました。だからここまでです」

 僕はそう告げるなり、再び前へと加速する。


 途端、男によって放たれる横薙ぎの一撃。

 それは僕の首元目掛けて振るわれた。


 しかしその太刀は、僕の首を捉えることはなく空を切る。

 なぜならば、僕が地面に着くかのような勢いで体を沈め、更に前へと加速したが故に。


 はっきりと伝わった。

 鬼の面の下に隠された男の動揺が。


 彼のそんな動揺を飲み込み、僕は自らの太刀を振るう。


「貴方の戦場の剣は素晴らしい。ですが、この程度の腕で僕を、鹿島新当流を相手にしようというのは些か短慮でしたね」

「なるほど、見事なものです。ですが、真に短慮だったのは果たしてどなたでしょうか?」

 その声はまさに僕の真後ろから発せられた。

 そして次の瞬間、僕は喉元に冷たい金属の感触を覚える。


「なっ……!?」

 驚きとともに、僕は自らを恥じる。


 いつの間にか完全に失念していた。

 この場には、もう一人の人間がいたということを。


「柿崎、ご苦労。そして天海くん、申し訳ないが、彼へ刀を向けるのはやめてもらえないかな」

 僕の背後に立つ男は、案内をしていた時とは打って変わり、極めて冷たい口調でそう告げてくる。


「……何者ですか、貴方は?」

「さて、君には何者に見えるかな?」

 僕の問いかけに対し、青年は問いかけで返してきた。

 途端、僕は気づいた。


 目の前の男が柿崎と呼ばれたが故に。

 そしてこのような問いかけがなされたが故に。


「そうですね。おそらくは毘沙門天の化身……でしょうか」

 僕がそう回答した瞬間、首元から冷たい金属の間隔が消失した。

 そして僕がゆっくりと後ろを振り返ると、悠然とそこに立っていた青年は、狐目をさらに細めながら微笑身を見せる。


「ふふ、正解です。この僕が関東管領上杉政虎さ。改めて初めまして、天海秀一くん」




上杉政虎(上杉謙信)

享禄三年(一五三〇年)生まれ。幼名は虎千代、その後は長尾景虎、上杉政虎、上杉輝虎、上杉謙信と名を変遷させる。

 越後の守護代を務めた長尾家に生まれ、後に関東管領となる。自らを毘沙門天の化身と称し、兵を率いて無数の戦いを重ねたことで知られるが、内政面においても青苧などの栽培を奨励し、物流統制を行い莫大な財源となすなど、その功績は数知れないとされる。


柿崎景家

永正十年(一五一三年)生まれ。上杉家随一の勇将とも称され、先陣を駆け抜け続けた男。しかしながら、織田信長との内通していたとされる俗説が盛んに唱えられた時期があり、数々の功績にもかかわらず、おそらくは現代において上杉家内でも最も不当な扱いを受けている人物の一人とも目される。


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