第七話 護摩堂
「立派なお宅ですね」
「ふふ、そうかね」
僕の言葉に、目の前の老人は不敵に笑う。
その笑みはもちろん、僕の言葉がおかしかったから故ではない。
僕らの間に存在する盤面が、明らかに老人優位で進んでいたからだ。
「ええ。どこかの誰かが組んでいる囲い方と同じで、実にしっかりとしたお宅ですよ」
「まあ年寄りというのは、引きこもりたがるものだからな。色々と細工を凝らしてみたようだが、どうにも面倒で食いつく気にならん」
この地についてから重ねてきた僕の戦法に対し、宇佐美定満どのはあっさりとそう言ってのける。
他方、甲斐である男に敗れた事を受け、その手をそっくりそのまま使用したにも関わらず完敗を喫した僕は、深い溜め息を吐き出した。
「参りますね。少しくらいは慌てて、悪手を打って下さるかと期待していたのですが」
「そうはいかんさ。確か何処かの軍旗にこう書かれておるだろう。『不動如山』と」
「動かざること山の如し……ですか。そう言えば、孫子の旗を使っておられる軍もあるようですな」
宇佐美どのの発言に対し、僕はあっさりとした口調でそう受け流す。
途端、目の前の老人は笑みを浮かべたまま僕の顔を覗き込んできた。
「して、甲斐はこの越後と比べ如何でしたかな。天海どの」
「そうですね。軍のことはわかりませんが、貧しき土地かと思いますな」
「ほう……貧しいですか」
僕の発言を受け、宇佐美どのはわずかに身を乗り出し、そう口にされる。
「ええ。元々土地が痩せていて、多くを食わせるのはなかなか困難かと思います。だからこそ、その視線は常に遠くを見つめているのでしょうが」
「ふふ、見つめられている方にはいい迷惑ですがな」
そう口にしたところで、宇佐美どのはカラカラと笑った。
すると、そのタイミングで廊下からドタドタとした足音が近づいてくる。
「隊長、怪しげな男を一人捕まえてきたぜ」
「怪しげな男?」
「ああ。おい、小次郎」
慶次郎は後ろを振り返りながらそう口にする。
すると、小次郎によって後手に手首の関節を決められた青年が、僕たちの前へと突き出された。
「少し離れた木の影から、二人のことを盗み見ていたのでね。怪しいので捕まえさせてもらったよ」
「お前も員数外の客なんだから、人のことを怪しいなんて言う権利は無い気がするがな」
小次郎の物言いを受け、慶次郎はすかさず揚げ足を取る。
だがそんな二人のやり取りの合間にも、突き飛ばされた糸目の青年はわずかに呻き声を上げる。
「うう……」
微かにうめき声を口から漏らした青年。
まるで常に閉じられているかのような狐目の彼を前にして、宇佐美どのは小さく溜め息を吐き出すと、僕たち一同に向かって言葉を発した。
「これはこれは……いやはや、お二方ともお手数をかけさせましたな。ですが、こちらの者は我が上杉の人間にて、天海さま方をお迎えに来ただけですのでご安心を」
「お迎えですか?」
宇佐美どのの言葉を受け、僕はそう問い返す。
すると、眼前の老人は一つ頷き、そしてその後に青年のもとへ歩み寄っていった。
「盗み見たりなどせず、堂々と入られれば良かったものを」
「いや、あの……二人の対局を見たかったのだけど、気を使わせたらダメかと思って、その……」
青年はわずかに視線をそらせながら、そこで口ごもる。
それに対し宇佐美どのは小さく頭を振る。
「相変わらずですな。ともかく、準備が整ったので向かうとしますか。我らが城、春日山城へ」
「なるほど。この山自体が一つの城域と言うわけなのですね」
春日山城の本丸までたどり着いた僕は、わずかに息を切らせながらそう口にする。
「ええ。自分だけが助かれば良いなどという考え方は、我が主にはない。だからこそ、家臣たちの居住区も含め全てを守るという考えのもと、普請を命じられたのです」
「へぇ……しかし銭を持ってる大名は、やることが違うな」
宇佐美どのの発言を受け、慶次郎は苦笑を浮かべながらそんな感想を漏らす。
失礼と言えば失礼極まりない発言であったが、正直言って僕もまったくもって同意見であった。
この春日山城の本丸を中心として、数キロに渡り城域としては無数の掘割がなされている。そして当然のことながら、宇佐美どのの本宅を含め、家臣たちの屋敷もその中にきれいに収められていた。
これは言うなれば、まさにこの山それ自体が一つの城であり街とも言える。
そしてその堅牢さと用心深さは、まさにあの躑躅ヶ崎館と対照的とも考えられた。
「お金なんていくら溜め込んでも、それ自体は役に立ちませんでな。でしたら、必要な分だけ使った方が良いものです」
「使えば使うほど、民にも銭が降りていきますしね」
「その通り。銭は回してこそ意味がある。しかし流石は今井家の商人。実に話が早い」
僕の返答を受け、宇佐美どのはニコリと微笑まれる。
一方、そんな宇佐美どのの考えに対し、小次郎が僅かに揶揄するような口を開いた。
「銭は回してこそ……ね。ですがそれは、海の要所を押さえているからこその言葉ですな。青芋と塩の専売で金策に困ることは無いでしょうから」
「小田原もこまめに検知を行って、懐を潤わせていると聞きますがのう」
「懐が寂しいから、あの手この手を使っているだけの話ですよ。あぐらをかいていても、銭は回りも入りもしませんからね」
宇佐美どのの指摘に対し、小次郎は軽く肩をすくめながらそう言い返す。
そんな二人の会話に苦笑を浮かべながら、僕は脳内でこの上杉家の持つ力を上方修正せねばならぬと、慌ててそろばんを弾き直していた。
そうして、やや上の空まま本丸の中を歩いていくと、狐目の青年が前に進み出て、僕たちに向かって恐る恐るその口を開く。
「申し訳ありませんが、その……ここより先は天海さまのみお通しせよとのことです。すみませんが、他の同行者の皆様はしばしこの場にてお待ちいただけますでしょうか」
「おいおい、俺達がいるとなにかまずいってのか?」
「そ、そういうわけではありませんが……あの……お二方は織田と北条に縁あると伺っております。ど、どうかご了承の程を」
ややおどおどした様子ではありながらも、青年の言葉からは譲れないという強い思いが透けて見えた。
それを受けて、小次郎は早々と諦めると小さな溜め息を吐き出す。
「……仕方ありませんね。天海さん、もし何かありましたら、すぐに駆けつけますので」
「ありがとう。それじゃあ慶次郎、ちょっと行ってくるからさ、ちょっとの間くらいはおとなしくしていてね」
僕がそう口にすると、不満隠しきれぬ慶次郎はそっぽを向く。
そんな彼に苦笑しながらも、僕は本丸から続く小道を、青年に続いて歩み出す。
そしてわずか間の後に、こじんまりとした建物がその視界のうちに入った。
「あれは?」
「
青年はそう口にすると、ここが目的地だとばかりにその足を止める。
「護摩堂ですか。ではこの中に?」
青年の意図を察した僕は、端的にそう問いかける。
すると、彼は返答代わりにコクリと頷いた。
なるほど、やはりここが目的地らしい。
そう理解した僕は、静止されなかったこともあり、そのまま護摩堂の入口となる障子戸を開く。
途端、中にこもっていた熱気が一気に外へと吹き出した。
「な……」
僕は思わずその場に固まる。
そこで目にしたもの。
それは完全に締め切られ薄暗かった部屋の内でもうもうと燃える炎、そしてその前で座禅を組みお経を唱え続ける一人の男の背であった。
「オンベイシラマナヤソワカ、オンベイシラマナヤソワカ」
ひたすらに毘沙門天の真言を唱え続ける男。
それは前世のテレビなどで見たことのある、護摩行のまさにそれであった。
僕はわずかに後ろを振り返る。
すると先程の青年が、戸惑いながらも僕に向かって小さく首を縦に振った。
それ故に、僕は意を決して声を発する。
「……お務めの最中失礼致します。天海秀一、罷り越しました」
恐る恐ると言った体で発した僕の声。
それを耳にした護摩業を行う男は、真言を唱えることを中断すると、傍らに置かれた太刀を手にする。
そして突然後ろを振り返るなり、僕目掛けて太刀を一閃した。
「な、何を!」
ギリギリのタイミングでその一撃を回避した僕は、目の前の男に向かいそう問いかける。
しかしその声の先。
そこには僕目掛けて追撃を行わんとする、鬼の面を被った一人の男の姿があった。
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