第五章 信濃編

第一話 相模の獅子


人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり

―武田信玄



 永禄4年、1561年6月。

 相模国に存在する堅固な城の一角に僕はいた。


「ふふ、ようやく諦めおったか」

「そのようですね。これで皆、一息つけるかと」

 顔に刀傷の目立つ壮年に向かい、僕は大きく一つ頷くとともにそう告げる。


「まあな。しかし流石は毘沙門天の化身と自称する男だ。実に諦めが悪かった」

「大義名分を掲げている以上、引き返すに引き返せなかったのかもしれません。如何にこの小田原城が堅固だと理解していても」

 後世に渡って何人たりとも力攻めでは落とすことの叶わなかった名城、小田原城。

 その城主であり、そしてこの関東の実質的支配者である北条氏康に向かい、僕は敵のことをそう述べる。

 そう、たった今まで対峙していた敵、上杉謙信こと上杉政虎のことを。


「おそらくはその方の考えるとおりであろう。何れにせよ、野戦ならばあの天才には叶わぬとしても、我慢比べならばやりようがあったということだ。お主も良き働きをしてくれたしな」

「僕はただ、彼等の土台から石を一つ抜き出してきたに過ぎませんよ」

「ふふふ、不安定な関東武士たちを瓦解させるに足る要石の一つをな」

 僕の発言に対し、氏康どのは愉快そうに高らかと笑う。

 一方、そんな彼に向かい、僕はその内心を推察してみせた。


「あまり多くの石を抜き出しては、後が大変でしょうから。何しろこの後に、関東の掃除をなされるおつもりでしょう?」

「流石だな。そうだ、あまりに調略がすぎると後の掃除に支障が出るからな」

 氏康どのはそう口にしながら苦笑を浮かべる。

 面倒事を嫌うかの様な口ぶりであったものの、彼の本心はその明るい表情に表れていた。

 そしてその本音を見きった僕は、苦笑交じりに問いかける。


「何れにせよ、成田長泰どのにはご配慮をお願い致します」

「わかっているさ。あの老人こそ、此度の勝利の立役者。その心の傷を埋めるだけのことは十分にしてやるとする」

 僕が調略に成功した老人に対し、氏康はここにその所領安堵を言外に保証する。

 それを受けて、僕は深々と頭を下げた。


「ありがとうございます」

「いやいや、勝ったからと言って、あまり欲張ってはろくなことがないものだ。一歩一歩着実に歩みを進める。これが我ら北条のやり方なのでな」

「なるほど……いやはや、そのあたりも含め、この度は勉強させて頂きました」

 まさに北条家のあり方をそのまま表すかのような氏康どのの物言いを受け、僕は改めて目の前の男のことを深く尊敬する。


 北条氏康。

 北条早雲などとも後世で呼ばれることとなる伊勢新九郎の孫にして、後北条家の三代目。


 検地、四公六民などの税制改革、貨幣制度の導入や目安箱の設置など戦国時代随一の民政家として知られているが、十倍近い敵を打ち倒した河越夜戦などの数々の武勇伝も有する猛将でもある。

 尾張を出た後にたどり着いたこの地で、籠城戦の中であったとは言えそんな名将とともに過ごすことができたことは、僕に取ってかけがえの無い時間であった。


 一方、僕がそんな感慨にふけっているタイミングで、もう一人の訪問者が意気揚々とこちらに向かって歩み寄ってくる。


「おう、奴ら逃げちまったのか隊長」

「うん……って、その格好……もしかしてまた手合わせしていたんですか?」

 無数の打撲痕を見せつけるかのように、上半身裸のままやってきた慶次郎に向かって、僕は呆れ混じりにそう問いかける。

 すると、眼前の青年が答えるより早く、彼の後に続く形で姿を表した巨漢が、豪快に笑いながら言葉を返してきた。


「はっはっは、まあお勤めのようなものだからな。それで御館様、連中は帰り申したか?」

「たった今、お引き取り頂いたところだ。それよりも綱成、どうやらいい汗をかけたようだな」

「然り。外に敵がおるというに、槍が振るえぬこの憤り。こちらの慶次郎が今日も晴らさせてくれました故な」

 そう口にすると、見るからに筋骨隆々の壮年はニンマリと笑いながら自らの力こぶを誇示する。

 一方、そんな彼に触発されたかのように、慶次郎も自らの胸筋をピクピクと動かしながら、満足げな笑みを北条綱成へと向けた。


「へへ、しかしこの俺と互角に打ち合ってくれるとは、おっさんたち坂東武士はすげぇもんだな」

「いや、綱成は例外故、坂東武士の基準としてもらっては、些か困るが……」

 坂東こと関東武士の基準として、北条綱成を用いる発言に対し、氏康どのは思わず横から言葉を差し挟む。

 そんな彼の心境を深く理解し、僕も思わず本音をこぼさずにはいられなかった。


「まあ慶次郎もたいがい例外的な存在ですけどね」

「隊長、ひでえことを平然というなぁ」

「然り然り。大体あなた達は、いつも裏でコソコソ物事を考えてばかりだからそのような悪意ある言葉が出てくるのだ。御館様、むしろこれを機に久々に拙者と手合わせでも如何ですかな?」

 無精髭を軽くなでつけながら、綱成は氏康に向かい突然そんな提案を切り出す。

 だが彼の主は、困った表情を浮かべながら小さく首を左右に振った。


「勘弁してくれ綱成。お主と手合わせすると、例え木刀を使おうとも、命がいくつあっても足らぬわ」

「むむう、実に残念。ならば、剣聖どののお弟子さまに明日はお手合わせ願うとしますか」

 主人に拒否された綱成は、今度はその矛先を僕へと向けてくる。


 正直、それは僕にとって魅力的な提案ではあった。

 しかしながら残念なことに、たった今、その提案を受けることが困難な状況となってしまった。


「はは、本来ならば私ももう一度、稽古を付けていただきたいのですが」

「何か問題でもありますかな?」

「ええ、残念ながらすぐにでもこの地を発たねばなりませんで」

 僕は本当に残念な思いのまま、綱成に向かいそう告げる。

 途端、隣に立っていた氏康どのが驚きの声を上げた。


「おや、天海どの。もう発たれるおつもりですか」

「すみません。あの方の命令故、些か融通がきかぬのですよ」

 別にそこまで強権的な指示がなされているわけではないのだが、様々な状況を省みて、僕は氏康どのに向かいそう返事をする。

 途端、彼は僅かに肩を落とし、そして小さく息を吐き出した。


「つまりは、大樹のご指示というわけですか……やむを得ませんな」

「申し訳ありません。というわけで、私どもは早速この地を離れる支度をしてまいります……あ、そうだ、氏康どの」

 ふと、念を押しておくべきことを思い出した僕は、氏康殿に向かい視線を向け直す。


「なんですかな?」

「例のお約束はお守り頂けますでしょうか?」

 僕のその確認の言葉。

 それを受けて氏康殿はわずかに沈黙する。


 だがそれは本当に僅かなものであり、彼は苦笑を浮かべられると、僕に向かい小さく首を縦に振った。


「……先日の成田の件で賭けに負けた分ですな。わかっておりますよ。こう見えても、あきらめは比較的良い方ですので」

「氏康どのが諦めをですか。これは新たな辞書が必要になりそうですね。でも、改めてその折はよろしくお願いいたします。それじゃあ行くよ、慶次郎」






「本当に行かせてよろしいんですかねぇ?」

 秀一たちが部屋から立ち去っていった瞬間、綱成は目の前に主に向かいそう問いかける。


「……どういう意味だ、綱成」

「奴らは実に危険ですな。越後の力を借りねば何もできぬ関東の国衆などよりは遥かにです」

「そんなことははなからわかっている。あの剣豪将軍が直々に書をしたためて送り込んでくるほどの者たちだ。何より北条一の武勇を誇るお前と五分に打ち合えるのがその証拠だな」

 綱成の体に刻み込まれた無数の打撲痕へ視線を向けながら、先程までとは異なり、氏康は淡々と冷静な声でそう評する。

 一方、そんな本来の氏康の姿を前にして、綱成は顔から笑みを消し去ると、すぐに賛意を示した。


「ええ。どちらも実にいい手練でした。ですが、その中でも小僧の方は知恵も実によく回りそうだ。あの成田調略の手腕はあまりに見事でしたからな」

「そうだ。だからこそ、しばらくは奴らに監視をつけるとしよう。案内役という建前でも設けてな」

 その氏康の提案。

 それを耳にして、綱成は興味深そうに問いかける。


「ほう、して何者をもって監視といたしますか?」

「小次郎だ」

 その答えは短く、そして綱成をして驚きを感じずに入られぬものであった。


「それはそれは……なるほど、御館様がこのわしよりも彼らを警戒されていること、実によくわかりました」

「ああ。奴らは実に危険だ。だが同時に、実に魅力的でもある。ならば、縁は繋いでおくほうが良い。何れこの北条に取り込めるなら、迷わず一飲みできるように……な」



北条氏康

永正12年(1515年)産まれ。関東における北条家の地位を確立した後北条氏の三代目。甲斐の虎、越後の龍に対し、『相模の獅子』などとも呼ばれる。

生涯三十六度の合戦に於いて、一度たりとも敵に背を見せたことがなく、顔や身体の前面にのみ傷を負い、『氏康の向疵』などと呼ばれその猛将としての一面が見て取れる。

他方、戦国一の民政家としても知られ、領内の検地や小田原衆所領役帳と呼ばれる分限帳の作成、目安箱の設置や貨幣制度の整備なども行い、まさに後北条氏の最盛期を担った文武両道の傑物であった。


成田長泰

明応4年(1495年)産まれ。のぼう様として知られる成田長親は彼の甥に当たる。永禄4年(1561年)に上杉政虎(謙信)が関東出兵を行った際、当初は上杉方についていた。しかし鶴岡八幡宮で政虎の関東管領就任式を行った際、他のの諸将下馬して挨拶しているにも関わらず、成田氏は藤原北家の流れをくむ名家であり、源氏の中興の祖である源義家に対してもかつては下馬せずの挨拶を認められていたため、ただ一人だけ乗馬したまま挨拶を行った。このため、政虎によって馬から引きずり降ろされた上、烏帽子を打ち落とされるという恥辱を受け、彼が北条方につく契機となったと言う説がある。

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