第二話 賭場にて

「まったく甲斐ってのは、本当に野蛮な国だなぁ、おい!」

 そう口にしながら、慶次郎は目の前の大男の顔面をぶん殴る。

 すると、がら空きとなった彼の背中目掛け、別の男が飛びかかってきた。


「素直に負けてあげれば、こんなことにならなかったのに。ともかく、背中がお留守ですよ」

 僕は呆れたようにそう呟くと同時に、慶次郎に飛びかかろうとした男の腹に蹴りを放った。


 腹部を押さえながら地面に転がる男。

 そんな彼を目にしながら、僕は思わず眉間に手を当てた。


 周りを見回せば、十人以上のいきり立った博徒たちの姿。

 彼らの向けてくる殺気混じりの視線は、僕達を素直に帰らせてくれるつもりがないことが明白だった。


 もともと鬱陶しい監視役を撒くためにと、慶次郎が突然飛び込んだ賭場で、彼か四一半と呼ばれるさいころ博打に熱を上げたのが原因である。


 もちろんただ賭けるだけならば問題など起こらない。

 しかしながら天運に愛された目の前の男は、博打においてあまりに引きが強すぎた。


 そう、追い込まれた博徒たちが、勝負をなかったことにするため、暴力に訴える手段を取らざるを得なくなるほどに。


「おう、ありがとよ。まあ長旅で体がなまっているし、隊長にとっても良い機会だろ?」

「これを良い機会とは言いたくないですね、まったく」

「はは、まあ諦めな。幸運の女神ってのは、いつだって俺に微笑んでるんだ。男なんかどうでもいいが、女に恥をかかすわけにはいかねえからな!」

 慶次郎はそう口にするとともに、手前にいた博徒の一人を捕まえると、その強靭な腕力で賭場の奥に向かって放り投げた。

 そこに立っていた数名の博徒たちは、その男の体を受け止めながら、派手に転がる羽目となる。


 まるで台風の如き圧倒的な暴力。

 それを撒き散らし立っている博徒たちの数が半数以下となった頃には、誰一人僕達へと突っかかってくるものがいなくなった。


「な、何者だ、てめえら!」

 博徒たちの中でリーダー格に見える髭面の男が、怯えをどうにか押し殺しながら僕たちに向かいそう問いかける。


「いや、ただの旅の者でして、決して怪しい――」

「俺の名は、前田慶次郎利益。天下一の傾奇者だ。お前ら、俺の名をようく覚えておけ!」

 無駄だと思いつつ穏便に話をまとめようとした僕の言葉を遮り、慶次郎は意気揚々と名乗りを上げる。

 途端、僕は疲れたように首を左右に振った。


「本来は静かに甲斐に入り込む予定だったはずなんですけど、なぜこんなことに……」

「ほんとほんと。人が苦労して他国の間者がいない地域を縫いながら案内してきたっていうのに、馬鹿につける薬が無いというのは本当みたいだね」

 僕の言葉を引き取る形で突然発せられたその言葉。

 それを耳にした賭場内の者たちは、一斉に入り口に立つ衆目美麗な優男へとその視線を向けた。


「ちっ、見つかったか」

「見つかったかじゃないよ、ほんと。人が目を放す度に、これなんだから……天海さんも、しっかりとその人の手綱を握っていてくれないと困ります」

「残念ながら、小次郎さん。慶次郎を抑えられるような手綱には心当たりがなくてですね」

 僕は苦笑を浮かべながら、正直な感想を述べる。


 小次郎。

 華奢な女性の如く細身で、極めて中性的で整った顔貌を持つ青年。

 そんな彼は、道案内と称してここまで僕たちの旅路に同行していた。


 そう、あの北条氏康どののご手配によって。


「まあ、気持ちはわかりますけどね。ともかく、皆さんそろそろお開きの時間です」

 小次郎はパンパンと軽く手をたたくと、軽い口調でその場にいる皆々に向かいそう言い放った。

 途端、リーダー格の髭面の男が怒りと苛立ちを露わにする。


「て、てめえ、何勝手なことを言ってやがる。こいつらを見逃すわけにいくか!」

「このまま馬鹿騒ぎしても、あなた達が怪我するだけでしょ。まあいいです。僕が言っても無駄だというのなら、あなた方が話を聞いてくださる方に代わってもらいましょう」

 小次郎はそう口にすると、ゆっくりと入口の前から体をずらす。

 そうして彼と入れ替わる形で、一人の男がその姿を現した。


「すまぬが、賭場の主どの。ここは拙者に免じて、手を引いては貰えぬかな。なに、悪いようにはせんぞ」

「なんだてめえは……って、あんたはまさか!?」

 髭面の男は、驚きのあまりそれ以上言葉を発すること無く、ただただ口をパクパク開ける。


 そんな彼に向かい、一瞬で場の空気を掌握した隻眼の男は、軽い笑い声を上げた。

 そして僕と慶次郎を見据えながら、男は高らかと自らを名乗る。



「ふふ、天海殿に前田殿ですな。某は武田家が家臣、山本菅助にござる」


山本菅助(山本勘助)

明応九年(一五〇〇年)産まれ(他説あり)。甲陽軍鑑などにおいて「山本勘介」ともされる。

武田二十四将、そして武田五名臣の一人ともされ、講談などでは名軍師として語られる人物。しかし信憑性の高い史料に於いてその存在が確認できず、実在人物であるのか疑念が持たれていた時期が存在した。しかし近年において、複数の資料から「山本菅助」なる人物の存在が確認され、再検証が進められつつある。


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