第二十話 旅は道連れ
「では、天海隊はおまかせ下さい」
前田利家は強い口調で、僕に向かってそう告げる。
尾張を離れる今日、この地で手伝ってくれた彼らは、僕を見送りに来てくれていた。
そして告げられた言葉が、これである。
「天海隊って……だから帰れないかもしれないから、もっとそれらしい適当な名前にしてくれていいのに」
「いえ、この名前にせよと御館様からの御指示です。貴方との繋がりを絶たぬためにと」
利家は信長どのを盾にして、僕の発言を拒絶する。
一方、そんな彼の理屈に対し、僕は自ら疑問を呈してみせた。
「別に名前だけ残しても、それが繋がりになるとは限らないでしょうに」
「どうでしょうか。貴方は案外義理堅そうですから」
「……はぁ、分かりました。もう好きにして下さい」
名前くらい別にかまわないかと思い、僕はここで折れる。
そしてすぐに表情を引き締め直すと、最も心配されうることを彼へと告げた。
「ともかく、天海隊か何かは知りませんが、せめて慶次郎との喧嘩は程々にして置いて下さい。これからは美濃との戦いが忙しくなるでしょうし」
「美濃との戦いが忙しくなるのは、おそらく間違いないでしょう。ですが、喧嘩を程々にと言うのは些か困難ですな」
「仲が悪いのは知っていますが、身内同士でいがみ合っている限り――」
「はは、違いますよ。天海どの」
突然僕の言葉を遮った利家は、意味ありげな笑みを浮かべてみせる。
途端に、僕はその表情に違和感を覚えた。
「違う……ですか」
「ええ。何しろ私と仲が悪い男は、この尾張を離れることになりますので」
「えっ……どういうことですか?」
その利家の言葉に、僕は虚を突かれた格好となる。
すると、突然背後から強い力で右肩が叩かれた。
「よう、隊長」
「け、慶次郎!? 確か見送りには来ないって……」
桶狭間の戦い以降女遊びにかまけ、めったに顔を合わすことさえなかった男。
それが突然姿を表したことに、僕は更なる驚きを覚える。
すると、眼前のもう一人の前田は、その叔父同様の表情を浮かべてみせた。
「へへ、確かにそんなことも言ったな。まあ、見送りではなく、付き添いに来たんだから、間違いではないだろ?」
「は?」
慶次郎の言葉の意味が理解できず、僕はその場で固まってしまう。
一方、そんな僕の様子がおかしかったのか、利家が僅かに口元を緩めながら、その理由を口にした。
「ふふ、御館様の御命令です。貴方との繋がりを絶やさぬように、お付きの者を送り込んでおけと」
「で、ですが、そんな……」
「なんだ? 俺と一緒じゃ不満ってのか?」
戸惑いを隠せぬ僕に向かい、慶次郎はわずかにすねた素振りを見せ、そう言ってくる。
「いえ、そういう問題ではなく、織田家として……いやそれ以前に前田家としてそれでよろしいのですか?」
「ふん、構わねえよ。第一だ、親父から預かるはずの家督はそいつにくれてやったからな」
「くれてやったって、ええ……」
確かに現在前田家の当主は慶次郎の義父である前田利久である。
その家督をどうするかで、利家と慶次郎の間で仲違いが起こったとする説もあるほど、本来は根深い問題のはずであった。
にも関わらず、慶次郎はあっさり放棄すると言い切ったのである。
「いや、貴方が呆れるのも無理はないですよ。慶次郎でもない限り、そんな軽く扱うものでは無いですしね」
「ちげぇよ。まあ軽重の差ってやつだ。家督なんかよりも、隊長に付いていった方が、織田家の為になりそうだろ。第一、そっちの方が遥かに面白そうだしな」
「本音は後者ですね。まったく、お前は」
慶次郎の物言いを聞き、利家は小さく頭を振る。
一方、完全に取り残された形の僕は、ようやくここに至り彼らに向かいもっとも重要な点を指摘した。
「その、家督に関しては二人が納得されているのなら別にかまわないのですが、その……僕の意思は?」
「あん。嫌がっても勝手に付いていくだけだぜ。だったら、聞くだけ時間の無駄だと思わねえか」
付き添いの対象たる僕に向かい、慶次郎は堂々とそんなことを言ってのける。
それを受け僕は、もはや観念する以外に道はなかった。
「……はぁ、分かりました。無茶だけは控えてくださいね」
「わかった。後ろ向きに検討しておくぜ」
ニンマリとした笑みを浮かべ、慶次郎は上機嫌にそう言ってくる。
他方、彼のそんな発言を受け、利家はやや呆れた表情を浮かべてみせた。
「まったく、あまり迷惑をかけないでくださいよ。天海殿は、いずれ織田の一角を占める御方なのですから」
「おう、任せておけ」
お互いにとっての喉に刺さった棘が抜けたためか、彼らは以前より遥かに良好なやり取りをしてみせる。
ただし問題は、僕抜きに僕に関する話を進めていることではあるが……
「……まあ、いいか。なるようにしかならなそうだしね」
そう、既に歴史の外側へと大きく足を踏み出した。
おそらくこれまでとは次元が異なるくらい、後世の歴史に対して僕の取った選択は影響を与えているだろう。
なら、ここで慶次郎を連れて行こうとも、もはや今更である。
僕はその心境へと至り、軽く息を吐き出す。
すると、そのタイミングで利家の後ろに控えていた男が恐る恐る声をかけてきてくれた。
「あの……天海どの、此度のこと色々と勉強になり申した」
「いえ、藤吉郎さん。僕の方こそ、貴方のお陰で色々と助かりました。ありがとうございます」
「そ、そんな別に大したことはしておりませぬ。頭を上げてくだされ」
僕が彼に向かって頭を下げた瞬間、藤吉郎は慌ててそう言ってくる。
「はは、でも貴方には本当に感謝しているんです」
「そんなもったいないお言葉……こちらこそ、天海様のお陰で、御館様付きに加え、この部隊の一部まで任せていただくこととなったのです。もう今後は、天海様には足を向けて寝られませぬ」
そう、藤吉郎は此度の戦での下働きが認められ、異例の出世を果たしていた。それ故に、先日からずっと彼は僕に向かい感謝の言葉を口にし続けてくれている。
一方、僕としてはこれだけ好意を向けられ続けるのは、正直照れくささを覚えずにはいられなかった。だからこそ、この会話の流れを断ち切るため、彼へと一つの依頼を行うこととする。
「藤吉郎さん、感謝の代わりと言っては何ですが、一つだけお願いをして構わないでしょうか?」
「お願いですか。もちろん私のできることでしたらなんでもゆってくだせえ」
「今後、織田が美濃へと軍を進めるに当たり、一人だけ必ず取り込んでおいて欲しい人物がいるです。それを貴方にお願いしたくて」
「取り込んでおきたい人物……ですか。それは何者でしょうか?」
「竹中……竹中重治という青年です。歳はたぶん僕より二つくらい上でしょうか」
「竹中重治……聞かぬ名ですな」
僕の依頼を横で耳にして、利家が眉間に皺を寄せながらそう口にする。
確かに彼の言い分も当然であろう。
既に初陣を経て幾つかの功績を上げているとは言え、彼の名を轟かせる稲葉山城乗っ取り事件は、普通ならば今より四年後に起こるはずなのだから。
「うん、まあね。でも、何れその名を知ることになると思う」
「……分かりました、天海どの。この藤吉郎、しっかりと心に留めておきます」
僕の言葉に僅かな引っ掛かりを覚えた様子であったものの、彼ははっきりと僕に向かってそう宣言してくれた。
もし……もし仮に播州で牙を研いでいるはずの彼と対峙するというのなら、必ずその力が必要になる。
僕はそう確信していた。
そう、後に両兵衛と称されるもう片割れ、竹中半兵衛の力が必要となると。
「さて、隊長。そろそろ行くとしようか」
そろそろ立ち話に飽きてきたのか、慶次郎が僕に向かってそう声をかけてくる。
それを耳にして、利家はすぐさま呆れたように苦言を呈した。
「なんでお前が仕切っているんだ、まったく。ともかく天海どの、本当にお気をつけて」
「ああ、利家さんも藤吉郎も元気でね。それじゃあ行ってくるよ」
僕はそう口にして、そのまま踵を返す。
そしてゆっくりと前に向かい歩き始めた。
「で、隊長。どっちに向かうんだ。甲斐か?」
「いや」
背後から向けられた問いかけに対し、僕は軽く否定の言葉を返す。
すると、慶次郎は納得したようにその口を開いた。
「ふぅん、じゃあ越後ってわけか」
「さしあたっては、越後にも行くつもりはないかな」
慶次郎の発言に対し、僕はすぐに否定の言葉を返してみせる。
途端、彼はまっすぐに僕へと疑念をぶつけてきた。
「おいおい、細川殿からは武田と上杉を抑えて来いって言われたんだろ?」
「うん。だからこそどちらにも行かないよ。少なくとも今はね」
「じゃあ、一体どこへ向かうつもりなんだ」
僅かに困惑混じりの慶次郎の問いかけ。
それに対し、僕は目指すべき目的地をはっきりと告げる。
「相模さ」
「相模……だと。ってことは、まさか!?」
行き先を耳にした慶次郎は、そこで初めて驚きの声を上げる。
そんな彼に向かい、僕ははっきりとこれから邂逅すべき人物の名をその口にした。
「うん、龍でも虎でもなく、相模の獅子に挨拶しに行こうと思うんだ。つまりあの北条氏康どのの所へね」
それだけ口にすると、僕は軽い足取りで一歩先を歩き出す。
梅雨が明け、前を行く僕の視界には濃緑に染まり始めていた山々がはっきりと映った。
暑い季節の訪れ。
僕は額の汗を軽く拭いながら、まっすぐに東へと足を向ける。
きっと、先の見えぬこの険しい道のりこそが、目指すべき天の頂きへ続くものだと、そう信じながら。
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