第十一話 蠢動

「慶次郎、こんなところで何をしておるのだ!」

 信長殿から貸し与えられているこの小さな家屋中に響き渡るほどの声。

 それが発せられたのは、まさに正午になろうかといった頃合いのことであった。

 その声を向けられた大きな図体の青年は、寝転がった姿勢のまま僅かに視線だけを上げてその口を開く。


「あん? なんだ、利家か……」

「なんだとは何だ! この忙しい時に、何をしてるのかと言っておるのだ」

 慶次郎の反応に怒りをつのらせた前田利家は、一層苛立たしげな表情となる。

 一方、そんな彼と対峙する大男は口元に苦笑を浮かべつつ、変わらぬ姿勢のまま悠々と言葉を返した。


「休んでるんだよ。見りゃわかるだろ」

「だからどうしてそんな堂々といえるのだ。今は織田家の一大事なのだぞ!」

 もはや怒気を一切隠すことなく、利家は目の前の義理の甥を叱責する。

 しかしながらそんな彼の隣に立っていた顎髭の男は、穏やかな笑みを浮かべながら二人の間に割って入った。


「まあまあ利家殿も落ち着きなされ。そして慶次どの、久しぶりですな」

簗田やなだか。久しぶりだな」

「ええ、お久しぶりです。そしてそちらの方は初めましてですね」

 簗田と呼ばれた若い顎髭の男は慶次郎に微笑みかけると、その後に部屋の奥で書物を手にしながら一連のやり取りを見守っていた僕へと声をかけてきた。


「ああ、はじめまして。天海秀一と申します」

「噂の足利のお人ですな、お名前はかねがね。私は簗田やなだ政綱まさつなと申します」

 穏やかな表情を浮かべたまま、政綱は僕に向かって深々と頭を下げる。

 それに対し僕は頭を下げ返すと、すぐさま目の前の男に向かい問いかけた。


「それで簗田どの、この度はどうされましたか?」

「実は御館様から利家どのとともに貴方の下へと迎えと言われまして。それ故、こうして足を運んだ次第です」

 政綱のその言葉。

 そこから僕はすぐに一つの事実を理解する。


「ということは、正式に利家どのの謹慎は解けたのですね」

 そう、謹慎中であった前田利家が信長殿に命を与えられた事実。

 その意味するところは、僕と信長殿との間でかわされた口約束が、正式に認められたことを意味していた。


「全ては天海さまの手回しと、森さまおかげです」

 利家は頭を下げながら、僕に向かってそう告げる。

 途端、僕はそこに含まれていた思わぬ人物の名前に驚きを覚えた。


「森さま?」

「ええ、森可成よしなりさまがお口添えされたのです。利家殿が貴方のもとで働きたいと言われているのを、どこかで耳にされたようで」

 その政綱の説明を受けて、僕は思わず苦笑を浮かべる。

 すると、利家たちは僕のその反応に怪訝そうな表情を浮かべた。


 なるほど……たしかに冷静に考えれば、やはり彼らのそんな反応も已む無きことなのだろう。

 本当にあの鬼武蔵の父なのかと疑ってしまいそうになるのは、この僕だけなのだ。


 なぜならば、戦国時代における最大の問題児の一人としてとして知られることになる鬼武蔵、つまり森可成の息子である森長可ながよしは、今の時点ではまだ三歳の幼児なのだから。


「コホン……ともかく、森さまには感謝を申し上げないといけませんね。で、私のもとに向かわされたその理由とは一体なんだったのでしょうか?」

 僕は慌てて咳払いを一度すると、話題を僅かにずらす。

 それを受け政綱はやや釈然としない表情を浮かべながら、僕に向かって一つの書状を手渡してきた。


「こちらはお館様からあなたにとお預かりしてきたものとなります」

「……なるほど。ついにですか」

 その書状を目にした僕は、そこまで口にしたところで一つ息を吐き出す。


 そう、そこに記されていた内容はただ一つ、今川が駿府すんぷを発ったということだけであった。


「然り。しかし思った以上に落ち着いておられますな」

「まあ覚悟はしていましたので」


 そう、覚悟はしていた。

 ずっと以前から、言ってしまえばこの時代に産み落とされたその日から、この時が来ることを。

 だがもちろん、その時点では当事者の一人になる可能性は高くないと思っていた。僕は播州で生まれたのだから。


 しかし僕は今ここにいる。

 ならば、僕は……


「少しばかり……時計の針を進めなければならないかもしれませんね」

「時計の針?」

 古くから存在する水時計や、専念この国にもたらされたばかりの西洋式機械時計は存在するも、まだこの時代に『時計』という言葉はない。

 だからこそ僕はすぐに自らの失言を流すと、話を再び本題へと戻した。


「いえ、こちらの話です。それよりも、どれくらいで今川はこちらにたどり着きそうですか」

「そうですね。詳細までは伺えませんでしたが、かなりの大軍であることは間違いありませんし、少なくとも数日は掛かるかと」

 顎に手を当てながら、利家が僕に向かってそう告げてくる。

 それを受けて、僕は頭の中で来るべきあの日のことを想定すると、その場から立ち上がろうとした。


「なるほど。たしかにそれくらいがギリギリですか。となれば――」

「天海どの、天海どの」

 立ち上がろうとした僕の機先を制する形で、突然家屋の中へと飛び込んできた小男。

 それは荒い息をした藤吉郎だった。


「藤吉郎どの。いかがされましたか?」

「こちらを、こちらをご覧ください」

 利家や政綱、そして依然として横になったままの慶次郎には目もくれず、藤吉郎は僕に向かって一つの文を手渡してくる。

 そのあまりに流麗な文字で記された文を広げると、僕はその場で大きく頷いてみせた。


「ふふ、なるほど。やはりそうですか」

「なんですか、それは?」

 僕の反応に興味を抱いたのか、政綱が横から文を覗いてきつつ祖疎いかけてくる。

 それに対して僕はニコリと微笑むと、はっきり一つの事実を告げた。


「いえ、ちょっとした調べ物の結果ですよ。今度の今川との戦いにおいて、確実な勝利を得るために必要な調べ物の」

 僕がそう口にした瞬間、利家もそして政綱も大きく目を見開く。

 そんな驚いた表情を浮かべながら僕を見つめてくる彼らに対し、僕は敢えて穏やかに微笑んでみせた。



もり可成よしなり

大永三年(1523年)生まれ。通称三左衛門など。

土岐氏、後に織田氏の家臣となった人物であり、森蘭丸そして森長可の父としてよく知られる。信長の家督相続や尾張国統一に際してその槍となって功を上げ、攻めの三左などとも呼ばれる武辺者であるが、政務などの多くにも参加しており、織田家において欠かすことのできなかった人物の一人であった。



もり長可ながよし

永禄元年(1558年)生まれ。通称は勝蔵や勝三など。

鬼武蔵などとも称される戦国最大の問題児の一人。森可成の次男であったが、兄である可隆が戦死し、彼が森家の家督を継ぐ。武田攻略の功から信濃川中島四郡と海津城20万石を与えられた戦働きに定評のある武将ではあるが、どちらかと言えばそのあまりに血なまぐさい日常の逸話が現代にも多く伝わっていることで知られる。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る