第九話 文化人として

「本当に化物ですね、貴方は」

 僕はやや呆れた視線を眼前の男へと向ける。

 そこには、先程の戦いにてまだ体中に切り傷が残る大男が、愉快そうに酒と食事を楽しんでいた。


「へへ、喧嘩や女ほどではないが、酒も食い物も人生の彩りだ。せっかく頼んだものを楽しまないのは損だと思わねえか?」

「いや、気持ちはわかりますが、正直全身が痛くて食欲がわかないですよ」

 そう、正直言って全身のあちこちが痛い。

 もちろん急所だけは一撃も食らうことはなかったが、体中に目の前の男の棒撃の痕は残っている。これはたぶん明日以降も、しばらく痛みが引きそうだと僕は考えていた。

 一方、僕が痛む体をどうにか我慢しながら溜め息を吐き出すと、手にした酒をぐいっと飲み干した慶次郎は、口元を歪めながら豪快に笑ってみせた。


「はっ、なんだ案外ひ弱なんだな。そんなことじゃ、今川に一杯食わせることなんてできねえぜ」

「今川には貴方みたいな化物はいないでしょうから、こんな心配はいりませんよ」

 最も圧倒的多数に囲まれたら別だろうけどと、僕は胸の内で付け足す。

 すると、慶次郎はニンマリと微笑んできた。


「まあな。とは言えだ、実際どうするつもりなんだ? 俺が十人いれば今川に勝てるかも知れねえが、残念ながら俺は一人しかいねえんでな」

「十人いればですか。なんというか貴方が言うと、本当にそんな気がしてくるから不思議ですね」

 どこまで本気なのかわからない慶次郎の発言ではあるが、僕は何故か奇妙にその発言を信じられそうな感覚を覚えていた。

 もちろん冷静に考えれば、決してありえない話ではあるのだが。


「はは、てめえもいるから実質あと八人てところか。まあそういうわけで、足りない八人分をここで補うつもりなんだろ」

 慶次郎はわずかに人差し指で軽く自らの頭を差しながら、僕に向かってそう告げてくる。

 それに対して、僕は苦笑を浮かべながら一つ頷いた。


「基本的にはですね」

「基本的には……か。で、具体的にどうするつもりだ?」

 好奇心を隠せぬ慶次郎の瞳は、真正面から僕を見据えていた。

 僕はそんな彼に向かい、順を追って説明を口にする。


「八人分というか、二万人以上の不利を埋めるためにも、ある場所で彼らを迎え撃ちます。その為の準備をこれから行うわけですよ」

「ほう、迎え撃つわけか。ってことは、基本的には野戦を考えてるってわけだ」

 僕の発言からその意味するところを理解した慶次郎は、再び酒を口にしながら満足そうにそう言い放つ。

 

「籠城も悪くはありませんが、それでは次がなくなりますから」

「違いねえな。今回限りはよくとも、絶対に次はなくなる。だとすれば、余力のあるうちに賭けに出るしかねえか」

 その彼の発言を耳して、慶次郎がただの脳筋ではないということを改めた再確認する。

 そしてだからこそ、僕が今考えている策を実行するために彼の力を、そう、文化人である前田利益の力を借りることをここに決断した。


「ええ。ただどうせ賭けるなら、割のいい賭けをしたいと思っていましてね。というわけで、少し手伝ってもらえませんか?」

「ふむ、俺と引き分けるだけのてめえの頼みだ。とりあえず話は聞いてやる。そして面白そうなら受けてやるぞ」

「やっていただきたいことは極めて単純なのです。ただちょっとばかり傾いて頂くことにはなりますが」

 慶次郎の物言いに対し、僕は敢えて挑発じみた文言を交えてそう告げる。

 途端、慶次郎は値踏みするような視線を僕へと向けてきた。


「それは俺を煽るための発言かい?」

「いえ、ただの本心です。それに見た目は地味なことをお願いするので、予めこれくらい言っておいたほうが良いかと思いまして」

「地味なこと。具体的には?」

「貴方にやっていただきたいことは一つ。それは書をしたためて頂きたいということでして」

 僕は眼前の男性に向かい、はっきりと依頼内容を口にする。

 それに対し慶次郎は、やや警戒する口調で確認の問いを放ってきた。


「……書をしたためるか。俺じゃないと駄目なのかい?」

「ええ。利家さんはあまり字がうまくありませんし、藤吉郎はまだ十分に手紙が書けませんので」

 僕が考えた第一の策。

 それを実行する上での最大の問題は、書をしたためる上での字の綺麗さであった。



「利家のおいちゃんは確かに字が汚ねえからな。しかしだ、てめえが自分で書くってのは駄目なのか?」

「はは、実は僕も字はあまりうまくないのです。なので、貴方にお願いできればと」

 この戦国の世に生まれ落ちる以前から、金釘流かなくぎりゅうなどと揶揄されるほどに僕の字はあまり他人が読めたものではなかった。


 もちろん現在では、大旦那様などのご指導もあり多少改善が見られてはいる。

 実際に伊勢にいた頃にとある案件で十河さんに文を送った時は、呆れ混じりであったものの内容を理解したとの返書があった。


 だが当然ながらその程度のレベルでは、今回必要な水準にはとてもではないが及びはしない。


 しかしながら、それでも別に問題はなかった。

 なぜならば、僕の眼前にはまさに文武に秀でた教養人がいるのだから。


「字の綺麗さねぇ。それだけ聞くと、あんまり面白くなさそうな案件の気がするが……じゃあ、送る相手が面白いってとこか。信長の旦那宛か、それとも柴田のとっつあんか?」

「いえ、どちら宛でもありません。此度の書は織田の重臣の皆様にお見せしたく思ってまして」

「はあ? じゃあ何通書けば良いんだよ」

「一通で結構です」

 そう、必要となるものはあくまで一通。

 別に個人宛のものではなく、皆へと見せるためのものなのだから。


「つまり重臣たちが集まる場で、書を見せるってわけだ。しかし、なんでそんな面倒なことを。口で言ったほうが早いだろ」

「それはそうなんですが、今回は書であることに意味がありまして」

 慶次郎の疑念は当然のものと僕も思った。

 しかしながら、それでもなお今回の計画を第二段階へとすすめるには、僕の考えている書が必要なのである。

 一方、そんな僕の発言に対し、慶次郎は眉間にしわを寄せながら問いを口にしてきた。


「書であることに意味だと?」

「ええ、この内容を書いて頂きたいのです」

 僕はそう口にすると、懐から一通の書を提示した。

 そこには自分の手ではこの計画を実行できないと確信するに至った達筆ならざる僕の字で、今回彼に書いて欲しい内容が記してある。

 するとその内容を目にした慶次郎は、途端にその表情を一変させた。


「これは……おい、秀一!」

「はは、目つきが怖いですよ。そうそう、一つ忘れていました。そのまま貴方に書いてもらってもかまわないのですが、出来ましたらこの文字を参考に書いて頂けましたら、なお幸いかと」

 そう告げるなり、僕は彼に向かい二冊の本を手渡す。

 途端、慶次郎は口元を吊り上げるとこらえきれないと言った表情で笑いだした。


「くっくっく、ははは。おもしれえ、いや、本当におもしれえよ。そこまでして、この場所で戦いたいってわけなんだな」

 書の内容を既に目を通し終えた慶次郎は、僕に向かって意味ありげな視線を向けてくる。

 そんな彼に向かい、僕は迷うことなく大きく一つ頷いた。


「はい。他の場所では不可能な戦いかもしれませんが、この地でなら不可能も可能になるかと」

「……いいぜ、つきあってやる。これは傾き甲斐がありそうだ。何しろ今川だけでなく、旦那やとっつあんたちも嵌めるってわけだからな」

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