第八話 天性の力

「さて、ここでいいか」

 慶次郎の背を追う形で連れてこられた場所。

 それは彼の入り浸る桶け屋から僅かに離れた開けた河原であった。


 目の前で対峙する大柄な青年を一瞥した後、僕は周囲をぐるりと見回す。


「なんか呼んでもいない人達が結構いるんですが?」

 僕が目にしたものは、野次馬とも呼ぶべき清須の街の人々だった。

 ここに来るまで僅かな距離であったにも関わらず、目の前の青年が街の人達に愛想よく会話しながらここまで来たために、いつの間にか短時間に噂が出回りこのような状況に陥ってしまっている。


「はは、どうせ喧嘩をするなら派手にやりたいだろ。見たいやつには見させてやれよ」

「なんていう、貴方らしいですよね。で、得物はそれでいいんですか?」

 溜め息を一つ吐き出した後、僕は視線を彼の右手に握った物へと移す。

 ただの鉄の棒、それ以外に形容しようがないシンプル極まりない武器を彼はその手にしていた。


「おうよ。便利なんだぜ、こいつ。何しろ全力で振るっても折れねえからな」

「なるほど」

 僕は彼の言葉が嘘偽りでないことをすぐに理解する。


 おそらく彼の筋力では、中途半端な槍などでは簡単に折れてしまうのだろう。そして彼の筋力があってこその、シンプルな一品物の鉄の棒なのだ。

 そう理解した僕は、改めて一切の油断を覚えることなくその場に正眼に構える。


 すると、そんな僕の構えを目にした慶次郎は、嬉しそうに右の口角を吊り上げた。


「良い目だ。そして隙のない構え……あの塚原卜伝の弟子っていうのは本当みたいだな」

「……貴方は構えないのですか?」

「ああ。俺はこれでいい。いつでも来な」

 僕の問いかけに対し、まったく躊躇することなくそう答える。


 あまりに不敵。

 だがおそらくはその自信と力が彼には備わっているのだろう。


 ならば僕が行うだけは、全力でこの刀を振るうのみ。


「では!」

 そう口にした瞬間、一気に彼との距離を詰めていく。

 そして自らの間合いへと入った瞬間、横薙ぎの一線を放つ。

 だが僕の刀は、完全に空を切る形となった。


「はえぇ……な。こいつは予想以上だ。その歳でありえねえな」

 軽いバックステップで、僕の横薙ぎをやり過ごした慶次郎。

 そんな彼は何度も頷きながら笑みを消してそう呟く。


「ですが、それに反応する貴方は何なのですかね?」

「そりゃあ、俺のほうが歳食ってるからな。兄ちゃんよりもう少し動けても不思議じゃねえだろ。例えばこんな風にな」

 脳内にアラーム音が鳴り響く感覚。

 僕はその悪寒の如き直感に従い、慌てて後方へと飛び退る。

 その瞬間、先程まで僕が立っていた場所に慶次郎の鉄の棒がフリ終え押されていた。


「なっ!?」

 それはまさにほぼノーモーションに近い形の一撃だった。

 少なくとも、彼の動きを確認してから動いていたならば、間に合わなかったことは確実である。


 背中に冷たいものが走るのを僕は感じていた。

 なぜならば、僕の剣速より早い一撃をあの重い鉄の棒で繰り出して来たことが明らかである。


「へぇ、アレを躱すかね。はは、おもしれえな」

「……なるほど。後世に名前が残るわけだ」

 僕は思わずそう呟く。


 正直言って、この瞬間までは半信半疑な部分もあった。

 生まれ変わる前に耳にした前田慶次郎像は、一定の文化教養人ではあったものの、資料の少なさから主に江戸時代以降に講談などで作り上げられた像と言われていたからである。


 しかしながら先日の津島に於ける彼の暴れっぷり、そして今目の前で見せつけられたその力。これらを目の当たりにした僕は、やはり彼に声をかけるという自分の直感が正しかったことをここに理解した。


 一方、目の前の青年は僕の呟きを耳にして眉間にしわを寄せる。


「名前?」

「いや、こちらのことです。では、改めて行かせてもらいます」

 余計なことを呟いたと自覚しながら、僕は改めて刀を握り直す。

 それを受け慶次郎は、すぐに興味を僕自身へと移した。


「おお、まだ向かってくるか。いいね、いつでも来な!」

「正攻法では難しい。となれば……っつ!」

 僕は先ほどと同じように横薙ぎを放つ。

 そして予想通り刀は空を切った。


 だがこれは避けさせるための一撃。

 本命は続け様に放つ蹴撃!


 僕が確信を持って放った後ろ回し蹴り。

 それが彼の側頭部に届く直前、急に僕の体はその場に静止した。


「おっと、見た目によらず意外と足癖が悪いな」

 苦笑を浮かべながら慶次郎はそう言い放つ。

 そう、空いた右手で僕の右足首を掴みながら。


「……今のを読んでいたのですか?」

「んなわきゃねえよ。ただ兄ちゃんがやっている剣術とは違い、俺がやってるのは喧嘩だからな。相手が何をやってこようとこうやってただぶちのめすのみさ」

 彼がそう口にした瞬間、尋常ならぬ力によって反対側へとぶん投げられる。


 一瞬の加速と高速で迫りくる大地。

 僕はぎりぎりのところで自らの状況を理解すると、地面を転がりながらもどうにか受け身を取りきった。


「おお、やるなあ。全力でぶん投げたつもりだったんだが」

「ギリギリですよ。というか、僕の裏技が裏技たり得ないみたいですね。力と反応があの人以上か。まいったな」

 先程の僕の蹴りを受け止めた際の反応や、軽々と僕を放り投げたその力は、明らかにあの僕の弟弟子以上のものがあった。

 それ故に、目の前の青年が想像以上の化物であることは、もはや自明の理ともいえる。


 だからこそ、僕は大きな溜め息を吐き出さずにはいられなかった。


「へへ、どうした降参するかい?」

「正直、今のを体験してしまうと、思わずそうしたくなりますね」

 僕はそう口にしながら、再びその場に構え直す。

 そんな僕の反応をその目にして、慶次郎はすぐさま口元に笑みを浮かべた。


「だが止めねえつもりなわけだ」

「ええ。まだ負けると決まったわけではありませんから」

 小さく息を吐き出したあと、僕ははっきりとそう告げる。

 途端、慶次郎の目尻が僅かに吊り上がった。


「おもしれえ。良いだろう、じゃあ今度はこっちから行くぜ」

 そう口にした瞬間、慶次郎は真正面からまっすぐに突っ込んでくる。

 そして間断なく放たれる鉄の棒による突き。


「確かにめちゃくちゃ速く、そして強い。だけど……」

 彼の突きは早い。そして込められた力も尋常ならぬものではなかった。

 だが躱せなくはない。


「当たらねえだと!?」

「残念ながら、力に対抗するための技。そしてその為の剣術であり、その為の鹿島新当流」

 確かに慶次郎の一撃一撃はおそろしい威力を誇る。

 しかしながらあまりに単調。そしてあまりに素直な槍。

 だからこそあの人を超えるものではなかった。


 そう、我が弟弟子である十河一存を。


「……信じられねえな。こうも当たらねえとは」

「さて、降参されますか?」

 先程の彼のセリフを僕はそっくりそのまま返す。

 それに対する返答は、当然のことながら予期されたものであった。


「いや、残念ながら負けやるつもりはないんでね。そしてわかったぜ、てめえが本物だってことがな。となればだ、綺麗な喧嘩じゃ勝てねえよ……な!」

 慶次郎の口がそこで閉じられた瞬間、彼の体が再び僕めがけて急加速する。

 そして再び彼は槍の連撃を放ってくる。

 但しそれは先程よりもう一歩僕の間合いの中に踏み込んだ上でのことであった。


「オラオラオラ!」

 彼の口から発せられる気合とともに、その突きはますます速度を上げていく。


 いや、冷静に考えれば槍の速度自体は先程と変わらない。

 だが彼は鉄の棒を先ほどより短く握り直していた。そしてそれ故の、攻撃の間の短縮。


 それはもちろん諸刃の剣とも言えた。

 なぜならば短くなった彼の間合いは、僕の刀の間合いとほぼ重なったからだ。


「刀を相手によくもまあ」

 彼の槍を躱しながら、僕もその合間に剣撃を放つ。

 だが目の前の彼は一切引くことはなかった。


 そうしてたちどころに、お互いの体には打撲痕と切り傷が次々と刻まれていく。



「命を失う覚悟がなくて、喧嘩ができるかよ」

「……確かにそうですね。それにこのままでは埒が明かなそうだ」

 僕はそう呟くと、大きく後方へと飛び退り改めて構え直す。


「へぇ、てめえも覚悟が決まったみたいだな」

「ええ。貴方のことを十分自分以上の化物だと理解できましたので」

「てめえに言われたくはないわな。ま、これ以上は無粋だ。行くぜ!」

 その言葉と同時に、再び慶次郎は前へと出る。


 突き出され、そして僕の顔めがけて迫りくる鉄の棒。

 あの一撃を受ければ怪我などではすまないことは明らかだった。


 激しく拍動する心臓の鼓動。


 イメージするのはあの人の姿。

 僕の手にしていた左文字に向かい振るわれたあの剣閃を脳内で再生しながら、僕は刀を一閃させる。


 そして……目的としたものを僕は切断してみせた。

 つまり僕へと迫っていた鉄の棒を。


「な!?」

 驚愕の表情を浮かべる慶次郎。

 そんな彼に向かい、僕は止めの一撃を振るう。


 勝利の確信を持って彼の首元で手にした刀を寸止めする。

 そう、手にしていた三日月宗近を。


「化物だな……お前」

「貴方には言われたくないですよ、本当に」

 僕は本心からそう告げる。


 なぜならば僕が慶次郎の首元で寸止めしているのと同じように、切断し短くなった鉄の棒の先端を彼は僕の喉元に突きつけていたからだ。


 完全に静止したお互いの剣と槍。


 そして次の瞬間、僕たちは顔を見合わせるとどちらからともなくその場で笑いだした。

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