第七話 女と喧嘩
「聞いた話だと、確かここなんだよな」
僕はそう口にしながら、改めて目の前の建物へとその視線を向ける。
明らかに一般的な清須の街並みとは一風変わったその地区でも、特に目を引くその建築物。
中から漂ってくる香の匂いは、これまで僕とは無縁の香りであった。
それ故に僅かな躊躇を僕は覚える。
しかし今でなければいけない。
誰もが彼に手を焼き、あの人以外に評価を与えていない今しか。
そう思い直した僕は、意を決して建物の中へと脚を踏み込んだ。
「ごめんください」
「あらやだ、可愛いお客さんね」
入り口の側に立っていたのは、妖艶な気配を漂わせる妙齢の女性。
彼女はニコリと微笑むと、そっと僕の手を取る。
途端、僕は慌てて首を左右に振った。
「あ、いえ、自分はそうではなくて」
「ふふ。そんな恥ずかしがらないで、大丈夫よ」
僕の反応を見て口元を緩めた女性は、そのまま僕の手を引いて奥の間へと案内しようとする。
意外に強いその力に戸惑いながらも、僕はすぐに彼女の勘違いを正しにかかった。
「いや、だから僕は人に会いにここに来たわけでして……」
「あら、私ではダメというの。仕方ないわね、じゃあ、どの子がいいのかしら」
「ち、違います。そういう意味ではなくて僕はただ――」
「おや、こないだの兄ちゃんじゃねえか。若えのに好き者なんだな、あんた」
戸惑いを隠せずにいた僕に向かい突然発せられたその声。
その方向へと視線を向けると、二人の美女を両隣に侍らせた先日の男の姿がそこにあった。
「へぇ、人を探してここに来たと」
離れの一室へと通された眼前の男は、まるで自らの自宅であるかのようにくつろぐと、僕に向かって愉快そうに笑いかけてくる。
そんな彼に向かい僕は、極めてシンプルに用件を告げた。
「はい。穀蔵院飄戸斎……いや前田慶次郎どのを探してです」
「はぁ、バレちまってるのね。しかし一体何の用件かな。あいにくと俺はこの後、少しばかりお楽しみのつもりだったんだが」
やれやれとも言うべき口調で、軽く肩をすくめながら慶次郎はそう愚痴をこぼす。
それに対し僕は苦笑を浮かべながら、小さく首を左右に振った。
「いや、それは別にご自由になさって頂いてかまわないのです。後日にでも、少しばかりお力を借りたいと思っておりまして」
「後日……か。それは例の今川の件に関してかい」
その僕の胸の内を見透かしたかのよな慶次郎の言葉に、僕は思わず息を呑む。
「……どうしてそれを?」
「はは、女街ほど情報が出回る場所はないさ。だから自然と色々耳に入ってくるものでね。例えば、その腰に下がっているのが、あの三日月宗近ってことなんかもさ」
それだけを口にすると、慶次郎は右の口角を僅かに吊り上げる。
僕はそんな彼の発言に、肩をすくめずにはいられなかった。
「なるほど。あなたがただ桶け屋に入り浸っているわけでないことは、これでよくわかりましたよ」
「おいおい、勘違いしてくれるなよ。確かに俺は元々忍びの出だから、色々と耳に入れるようにはしている。だが別に情報が欲しくてここにいるわけではないさ。ここにいる目的は一つなのでね」
「つまり本当に遊びに来ているだけだと」
「遊郭にそれ以外の目的で来るやつがいるかね。いや、ここに一人いたな! あっはっは!」
豪快に笑い声を上げながら、慶次郎はガシガシと僕の肩叩く。
彼のそんな反応に対し、僕は苦笑せずにはいられなかった。
「確かに、少しばかり無粋だとは理解していますよ」
「へぇ、そうかい。まあ何ていうか、変わってるが基本的には真面目な兄ちゃんなんだなぁ。でも、若いうちからそうだと人生楽しめねえぜ。別に働くために生きるわけじゃないだろ」
そう口にすると、慶次郎は意味ありげな視線をこちらへと向けてくる。
僕は一瞬返答に困るも、すぐに彼に向かって問い返した。
「それはまあ……では、慶次郎どのの生きる意味は何でしょうか」
「わからねえか? 女と喧嘩にきまってるだろ」
何を当たり前のことをと言わんばかりの口調で、慶次郎はそう断言してみせる。
それを受けて僕は、迷う事なく本題を彼へと切り出した。
「ならば、そのうちの片方はご提供できるかと思いますよ。ですので、来るべき戦いにおいて、この僕を手伝ってもらえませんか?」
「ふむ、剣豪将軍に三日月宗近を預けられる男の頼みだ。悪くはない。だが……」
「だが?」
顎に手を当てながら途中で言葉を途切れさせた慶次郎に向かい、僕はその先を促す。
それに対し慶次郎は、やや挑戦的な視線を僕へと向けてきた。
「残念ながら、森のおっちゃんを退けたというあんたの剣、それを俺は直接見せてもらってない。だからこの場では返答しかねるな」
彼が欲するものは女性と喧嘩。
その一方を求めるのならば、同じものを差し出せと彼の瞳は僕に向かって告げていた。
だからこそ、僕は彼の求めるものを自らの言葉にしてみせる。
「つまり直接技量を見せろというわけですか」
「ああ。果たしてあんたに俺と槍を並べるに足るだけのものがあるのか、それを教えてくれないか」
もはや僕に対する戦意を隠すことさえせず、彼はまっすぐにそう口にする。
それに対し僕は、周囲をぐるりと見回した後、確認するように問いかけた。
「……今からでも?」
「この店にはいつでも来れるしな。だがあんたとの楽しい手合わせは、もう俺がこれ以上我慢できねえ。さあ外に出な。楽しい喧嘩の時間だ」
前田(慶次郎)利益
天文10年生まれ(他説あり)。通名として宗兵衛や慶次郎などとも呼ばれる。また道号として、穀蔵院飄戸斎や穀蔵院忽之斎、龍砕軒不便斎などとも。
滝川一族の出身とされ、前田利家の兄である前田利久の養子として育つが、信長の命令により家督は彼ではなく利家に引き継がれることとなる。
慶次郎に関しては虚飾入り混じった様々なエピソードが語り継がれてはいるが、和歌や俳句、茶道などにも通じた教養人であり、彼が残した『前田慶次道中日記』からその一端はうかがい知ることができる。
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