第六話 任せるもの任されるもの


「奴らが来るというのならば、打って出る。これが結論だ」

 重臣たちが並んだその場で、信長ははっきりとそう宣言した。

 途端、慎重派の林秀貞は慌てて声を差し挟む。


「御館様、お待ち下さい」

「待たぬ。既に決めたことだ。その上でどう戦うか、各人策を考えておくように」

 伝達事項があると集められた重臣たちにとって、その宣言はまさに有無を言わさぬ命令そのものであった。

 そしてその意味するところは、自軍の十倍近い敵に対し、勝つための策を用意せよというものである。

 あまりに唐突かつ、行き過ぎた要求故に、誰一人言葉を発することができなかった。


 そうしてわずかばかりの沈黙が場を包み込んだところで、ようやく無精髭の男が信長に向かい声を発する。


「……御館様、一つお伺いしてもよろしいでしょうか?」

「なんだ、権六」

 信長は涼しい表情を浮かべたまま、勝家の発言を許可する。

 すると、彼は信長の予期せぬ問いかけをその口にした。


「先日の小僧……もとい、あの足利の少年はどこへ行かれたのですか?」

「ほう……気になるか、権六」

 今回の戦いに対する愚痴か忠告。

 そのいずれかだと考えていた信長は、わずかに気を良くした表情を浮かべる。

 だがそんな彼の反応に、勝家はやや不満そうな表情を浮かべると、ぶっきらぼうの言葉を放った。


「いえ、気になるというよりも、ただ確認しただけです」

「ふふ、まあいい。あやつには、最善を尽くすための準備をするよう、既に伝えている。その上でこの場におらんということは、早くも動き出したということであろう」

 軽く顎をさすりながら、信長は嬉しそうにそう言葉を紡ぐ。

 一方、そんな信長の発言に対し、滝川一益は眉間にしわを寄せながら、苦い口調で一つの忠告をその口にした。

 

「将軍家から送り込まれた者であり、そしてあの技量からお気持ちはわかります。ですが、まだまだ子供。あまり過度の期待は禁物かと。それに他の家臣への示しもございます」

「ふむ、確かにそうだな。だからこそ、あやつ以上にお主達に期待しておるよ。あくまで保険というやつだからな。もっともこの兵力差を前にしながら、保険も何もあったものではないが」

 そう口にすると、信長はカラカラと笑い声を上げる。

 うつけ者と呼ばれていた主のその姿に、重臣たちは此度の戦に対し深い懸念を抱かずにはいられなかった。







「猿の案内でどなたが来られたかと思えば、まさか貴方だとは。謹慎中の身であるこの私のところに、はてさてどのようなご用向きですかな?」

「はは、実は貴方にお願いがございまして。前田利家殿」

 突然の僕の訪問に未だ戸惑いを見せる男性、前田利家。

 信長殿の護衛を務めながら尾張へ帰還後、彼は笄斬りと呼ばれる事件を起こし、現在謹慎中の身にあった。


「お願い……か。京で世話になった貴方にならばもちろん協力は惜しみたくはない。しかしこの状況では何ら役に立つことが……」

「いえ、それは私の方でうまくやります。何しろ、今にも起こりかねない今川との戦いにおいて、利家殿のお力は必要不可欠と考えておりますので」

 僕は利家に向かい、はっきりとそう告げる。

 途端、利家はその場から立ち上がると、驚きの声を上げた。


「今川……だと。やはり奴らが来るというのか!」

「はい。それもそれほど時を経ぬうちに」

「なんということだ……」

 愕然とした表情を浮かべながら、利家はぺたんとその場に座り込む。

 僕はそんな彼に向かい、敢えて力強く語りかける。


「その上で、私は信長殿から一つの依頼を承りました。その依頼を成す為には、前田様のお力が欠かせぬと考え、藤吉郎にお願いしここに連れてきていただいたのです」

 僕はそう口にすると、後ろに控えていた藤吉郎に向かい軽く頭を下げる。

 すると彼はブンブンと首を振り、慌てて頭を下げてみせた。

 一方、僕の言葉を真正面から受け止める形となった利家は、ゆっくりとその顔をあげると、僕に向かって問いかけてくる。


「私の力……か。具体的に何をすればよい」

「人を集めていただきたいのです」

「人を? しかし謹慎中の私に、手伝ってくれるものなど……」

「そちらに一人おられます」

 僕はそう告げると、再び視線を藤吉郎へと向ける。


「猿……か。しかし」

「利家様。御館様の命にてこの藤吉郎、天海殿を手伝うよう言われております」

 利家の躊躇に気づいた藤吉郎は、すぐさま言葉を差し挟む。

 それを受けて僕も、一つの事実を彼へと口にした。


「そして貴方を借り受けることは、一応信長殿に了承を頂いております。手柄の前渡しとのことでしたが」

 僕が信長殿に出した条件の一つ。

 それがこの二人を借り受けることであった。

 それに対し信長殿は、苦笑交じりに同意を頂いている。

 もちろん十分以上な成果を示すことが必要ではあるが。


「天海殿……お話は承りました。となればこの利家、誠心誠意あなたのために奮闘したく存じ上げます。しかしです、既に戦いを前にして、今から人集めは至難の業ではありませんか?」

「もちろんわかっております。ですので、必要なものは存分に使うとしましょう」

 僕はそう口にすると、懐に隠していたものを二人の前に差し出す。


「これは……な、なんだと!?」

「天海どの、この金子はなんですか?」

 僕が彼らに見せたもの。

 それはとても普通の一個人が手にしている範囲を超えた金子であった。

 そう、それは堺での南蛮貿易、そして伊勢での商いを通して得たものである。


「これは少しばかり商いで得たものにて、怪しい金ではありませんよ。というわけで、こいつを用いて人を集めては貰えませんかね?」

「こ、これだけあれば不可能ではありませんが……よろしいのですか?」

 震える手つきで金子を触りながら、藤吉郎はそう確認してくる。

 それに対し僕は、すぐに首を縦に振った。


「もちろんです。いわゆる一つの先行投資ですから」

「つまりそれほどまでに足利家は織田を買ってくださっていると、そういうことですか?」

「利家殿、それは違います。もちろん足利家が織田家を大事に考えているのは事実ですが、ただこの金子に関しては少し違う家のためのものでして」

 利家の問いかけに対し、僕ははっきりとそう告げる。

 すると間髪入れることなく、藤吉郎がその意味するところに感づいた。


「違う家のため。つまり今井家の為と?」

「さすが藤吉郎殿。その通りです」

「……ということは、天海殿の真の狙いは、津島と堺の交易にある。そういうわけですな」

 僕の回答を受け、藤吉郎はたちどころに全ての意図を察してみせる。

 流石、豊臣秀吉。

 僕は思わずそう感じずにはいられなかった。


「もちろん出向先として、織田の勝利が何より肝心。ですがその上で、信長殿のご期待に答えつつ、我が今井家と津島商人が良い関係を築く切っ掛けに成ればと、そう考えている次第です」

「ふふ、ははは。なるほど」

 僕の回答を耳にした瞬間、利家は突然笑い声を上げる。

 そんな彼に向かい、僕はわずかに首を傾げる。


「どうかされましたか、利家殿」

「いや、これは失礼。御館様が貴方を気にされていたわけがはっきりと理解できただけです」

「気にされていた……ですか」

「ええ。上京の際に、貴方が既に京に来ておられるか、常に気にされておられましたから」

 利家はそう口にすると、先程までの険しい表情が嘘のように、険の取れた表情となる。

 一方、僕はその事実を聞かされ、思わず頭を掻いた。


「それは、えっと恐縮の限りですね」

「何れにせよ、これだけの金子があればやりようはあります。この事案、この藤吉郎におまかせくだされ」

 僕らのやり取りよりも、目の前の金子に視線が釘付けとなっていた藤吉郎は、強い口調でそう宣言する。

 黄金を好む一端が早くも現れているなと思いながら、僕は迷うことなく彼に任せることを告げた。


「もちろんです。期待していますよ、藤吉郎殿」

「では、善は急げ。早速三人で兵を集めにまいりましょう」

 藤吉郎殿は危機とした表情で、すぐにそう提案してくる。

 しかしながら、僕は申し訳ないと思いつつも、首を左右に振った。

「ああ、申し訳ありません。僕は申し訳ありませんが、別にやることがありまして」

「やること?」

 僕の言葉を受け、利家は眉間にしわを寄せる。

 そんな彼に向かい、僕ははっきりと自らの成すべきことを告げた。


「はい。個人的に一人ばかり、どうしても私たちの仲間に引き込んでおきたい人物がいるもので」

「一人……ですか。一体、どなたです?」

 興味を引かれたのか、藤吉郎は僕に向かいそう尋ねてくる。

 それに対し僕は、指を一本つきたててみせた。


「とある傾奇者を、一人ばかり誘っておきたく思ってまして」

「傾奇者……ま、まさか!」

 何かに感づいたのか、利家殿は途端にその表情を歪められる。

 それを目にした僕は、その通りだとばかりにはっきりとその人物の名を口にした。


「ええ、貴方の甥。前田慶次郎利益どのです」


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