第四話 学びしもの


 清州城から僅かに離れた小さな広場。

 そこで僕は借り受けた木刀を握りしめ、一人の男と対峙していた。


「先程の言葉、自信があるようだな」

 眼前の三十代後半といった様相の武人は、落ち着いた声でそう問いかけてくる。

 それに対し僕は、わずかに迷ったあと小さく一つ頷いた。


「そう……ですね」

「そうか」

 僕の言葉に対し、森可成は静かに頷く。

 その沈黙に何か言葉を補ったほうが良いかと思った僕は、苦笑混じりに自らの口を開いた。


「と言うより、自信がないなどというと、剣を授けて下さった方々に失礼な気がしますので」

「授けて下さった方……か。ならばこの戦場の槍で、その程を見極めさせてもらおう」

 そう口にした瞬間、森可成は一気に僕に向けて槍を振るう。

 まさにその速度、そしてその迷いのない一撃。


 それを目の当たりにして、僕はここに理解した。

 いま目の前に居るのは、あの攻めの三左と呼ばれた男なのだと。


「様子見は無しですか」

「御館様が私に対峙せよと命ずるにたる男だ。様子見の必要など果たしてあろうか」

 反射的に振るわれた森可成の槍を受け止めた僕に対し、彼は一切の躊躇なく再び槍を振るう。

 その佇まいと異なり荒々しいその連撃に、僕は彼の実力の一端を感じずにはいられなかった。


「後世に名を残すということがどういうことか、ここのところ痛いほど感じますね。貴方もやはり本物ですね」

「後世? どういうことだ」

 槍を引きつつ、眉間にしわを寄せながら森可成はそう口にする。

 だがその言葉に、応じてあげる義務は僕にはなかった。


「いえ、こちらの話です。それよりも、今度は僕の番です」

 森可成の引く槍に合わせる形で、僕は彼の懐に飛び込む。

 その僕の飛び込みに、眼前の男はわずかに目を見開いた。


「たった二度見せただけで、完璧に間合いを計りおったか」

「ここのところ、少しばかり厄介なお坊さんと手合わせを繰り返していたもので」

 わざわざ伊勢に出稽古に来ていた胤栄という名の壮年の槍筋を思い出しながら、僕はそのまま連撃を放ちにかかる。


 一撃目は受けさせるための剣、そして二撃目は本命となる勝負を決めるための剣。


 だがそんな僕の連撃は、森可成に通用することはなかった。

 なぜならば、受けさせるための一撃を放った瞬間、僕は彼によって体ごと弾き飛ばされたからである。


「いつつ、なるほど。その体は飾りではないということですね」

 慌てて立ち上がり構え直した僕は、森可成の筋骨隆々の体をその目にしながら、苦笑交じりにそう呟く。

 すると、返答代わりに森可成は口元を僅かに吊り上げた。

 そして次の瞬間、彼の槍が振るわれる。

 先程よりも力強く、そしてまっすぐ僕に向けて。


「これは……お返しということですか!」

 明らかに力を込めて振るわれたその一撃。

 それを僕は、後ろに飛び退ることでどうにか回避する。


 そう、その槍は明らかに受け止めさせることを意図したものであった。


 但しその目的は異なる。

 僕は素早く連撃を放つことを意図していたのに対し、彼のものは受けをそのまま崩すことを意図されていた。


「今のもかわすか。流石、御館様が目を掛けし者だ」

「流石……ですか。それはこちらの言葉ですよ。さすが鬼の父」


「鬼の?」

「いえ、あくまでこちらの話です」

 僕はそう口にすると、正眼に木刀を構え直す。

 すると再び、森可成は一気呵成に攻め込んできた。


 一撃、二撃、三撃。

 突きを主体としたその槍は、明らかに先程よりその速度を上げていた。

 その事実に僅かないらだちを覚えるも、タイミングを図った僕は再び彼がやりを引くのに合わせ、一気に間合いを詰める。

 しかしながらそんな僕を待っていたのは、彼の肘打ちであった。


 通常ならば考えられぬその一撃。

 それはまさに戦場の技とも呼ぶべきものであった。


 槍に固執せず、戦いに際して千変万化するそのやり口。

 少なくとも初見であれば、僕は完全に虚を突かれ、そのまま肘の直撃で昏倒していたかもしれない。


 しかしながら、僕は千変万化する戦場の戦い方を既に経験していた。

 そう、僕の兄弟子を自称する弟弟子の槍をもって。


「……世の中は広いですね。あの方と同じような槍筋を見せられる方がいるとは。ですが!」

 僕はその肘打ちを、頬をかすめる形ですり抜ける。

 そしてそのまま彼の懐まで飛び込むと、木刀の柄をそのまま彼のみぞおちへと叩き込んだ。


「なっ、ぐぅっ!」

 息がつまったためか、その場に崩れる森可成。

 一方、先程の交錯で頬を切った僕は、そっと手で血液を拭いながら、その場にて小さなため息を吐き出した。


 そうして僅かに静まり返った空間。

 その沈黙を最初に破ったのは、微小を浮かべる若き国主であった。


「勝負あり、だな。実に見事」

「お、御館様。三左を倒すとは、その者は一体?」

「こやつか? そうだな、剣聖塚原卜伝の弟子といったところか」

 信長殿が苦笑交じりにそう口にされると、詰め寄った柴田勝家は思わずその目を大きく見開く。


「な、なんですと!?」

「弟子と言っても、他の兄弟子がバケモノ揃いですからね。僕なんて正直まだまだですよ」

 伊勢で会ったあの人といい、都におられるあの方といい、この戦国の世にはバケモノが溢れかえっている。

 そのことを僕は、この時代に産み落とされてから痛いほど知らされ続けてきた。

 しかしそんな僕に向かい、信長殿は笑いながらその口を開かれる。


「そう、謙遜するな。この俺の目で見ても、明らかに腕を上げたのはわかる」

「この一年、良き環境に恵まれましたので」

 伊勢の兄弟子に、興福寺の槍使い、そして新陰流とまだ出会ってはいないものの次元の違う剣技を使う柳生の男。

 彼らと日々剣を交わす事ができるあの空間は、僕にとって無二の環境であったことは間違いなかった。


「ふふ、そうか。ともあれ、託されていたこいつを振るうに、もはや支障はないだろう。受け取れ、秀一」

「これは?」

 突然手渡された一振りの太刀に、僕は思わず戸惑う。

 すると信長殿は、僕に向かって一つの事実を告げた。


「あの方からの預かりものだ。ふさわしければ、渡せとな」

「え……こ、これは!」

 鞘から刀身を抜き放った瞬間、僕は思わず息を呑む。

 すると、信長殿の側でこの太刀を目にした柴田殿が、驚きを隠すことなく目を大きく見開いた。


「小乱れの刃紋に、三日月形の打除け……だと……」

「ふふ、権六。おまえも流石にわかるか。こやつの雇い主から預かったまさに本物だ」

 ニヤリとした笑みを浮かべながら、信長殿は柴田勝家に向かいはっきりとそう告げた。

 途端、柴田勝家はまさかという表情を浮かべながら僕へとその視線を向けてくる。


「お待ち下さい、御館様。雇い主と先程言われましたか? では、この小僧……いや、この者はまさか……」

「そう、こやつは大樹の……つまり将軍足利家の家臣に当たる。で、権六。将軍から三日月宗近を預けられるだけの男を、我が織田家の客将として遇するのは不満か?」

「い、いえ、決してそのようなことは……」

 慌てて首を左右に振ると、柴田勝家はそれだけをどうにか口にする。

 それを受けて信長殿は上機嫌で頷かれると、そのまま彼は僕の肩をポンと叩いた。


「で、あるか。では、足利家の天海殿。我が家にて、どうぞごゆるりと過ごしてくれたまえ」

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