第二話 色を好む男
「ちっ、つまんねえ連中」
取り囲んでいた男たちを瞬く間に蹴散らした大柄な青年。
彼は逃げ出していく男たちの背中を見つめながら、心の底から物足りなそうな口調でそうこぼす。
するとそんな彼に向かい、側で呆然と立ち尽くしていた少女が頭を下げながら突然礼を口にした。
「あ、あの……ありがとうございます!」
「ふむ……まだ蕾といったところか」
顎に手を当てながら、青年はしみじみとした口調でそう口にする。
だが少女には話が見えず、彼女は思わず首をかしげた。
「は?」
「いや、なんでもないさ。それよりも、連中のことは俺が上手く処理しといてやるから、今日はそのままうちに帰んな」
「え、でも……」
突然の青年の言葉に、少女は戸惑いを見せる。
だが青年は人好きのする柔らかな笑みを見せると、彼女の肩をポンと叩いた。
「心配いらねえよ、嬢ちゃん」
「は、はい。本当にありがとうございました」
少女は何度も何度も振り返り頭を下げながら、その場から駆け出していく。
そうしてそれを見送った青年は、何かを思い出したかのような調子で、僕へと視線を向けてきた。
「おっと、そういえばあんたもいたんだったな。さっきはあいつらの気をそらせてくれて助かったぜ」
目の前の青年はニンマリとした笑みを浮かべつつ僕に向かってそう告げる。
しかしそれに対し、僕は正直な評価を口にしてみせた。
「いえ、特に気をそらせたつもりは……それにあのお手前を見るに、気をそらさなかったとしても大差はなかったでしょう?」
「まあそうだけどな。真正面からやり合うよりも、あいつらの気がそれた方があの子が怖がらずに済むだろ」
「それは確かに」
男の言いたいことを理解した僕は、納得したとばかりに一つ頷く。
確かに彼らに隙が生まれたことで極短時間に、しかも一方的に戦闘は終了した。これがもし包囲された状態で真正面からやり合っていたのならば、負けはしなくとも未だケリはついていなかったかも知れない。
そう考えると、少女を気遣っていた青年にとっては望ましい出来事だったのだろう。
「ふふ、つまりはそういうことだ。だから、あの子にとってあんたは良い仕事をしてくれたわけ。で、さっき見せてた面白い技は我流かい?」
「いえ、昔師匠に教わったことを少し応用しただけです」
僕が迷わずそう答えると、眼前の青年の目が一瞬だけ光ったように感じる。
しかしそれはあくまでほんのわずかの出来事であり、彼はすぐに笑みを浮かべ直すと、僕に向かって一つの問いかけを口にした。
「師匠ね……ふぅん。まあ良いや。で、清須に用があるんだっけ?」
「ええ、そうなんですよ」
「そうか。なら、これから俺が案内してやるよ。ついでだしな」
僕が歩いてきた道と反対方向を親指で指し示しながら、青年は僕に向かって思わぬ提案を口にする。
「ついで? えっと、清須に御用があるんですか?」
「まああるって言えばあるし、ないって言えばないってところだが、細かいことは気にするな」
「はぁ……」
いまいちピンとこない回答のため、僕はわずかに首をかしげる。
しかしそんな僕の反応を目にした青年は、口元をわずかに歪ませながら、先ほど指し示した方向に向かい歩き始めた。
「というわけでだ、ついて来な」
「は、はい。ありがとう……ございます」
なんとなく純粋な好意による申し出と感じた僕は、一応警戒を行いながらも、慌てて彼に続く。
すると彼は足を緩めることなく、僕に向かって問いを口にした。
「しかし畿内の人間が、一体清須に何のようなんだ?」
「あれ、どうして畿内から来たとわかったんですか?」
「あん? お前さんの身なりを見ればわかるさ。そんな仕立ての良い身なりをしているとなると、堺か都の人間ってとこだろ」
そう口にしながら、僕の頭の上から足元までさらりと青年は視線を走らせる。
それに対し僕は、なるほどと思いながら詳細を口にした。
「ええ、まあ堺にも京にもいたことはあります。元々は播州の出ではありますが」
「そうかい。しかし京の都か。いいなあ、俺ももう一度上京してみたいぜ」
「へぇ、行かれたことがあるんですか?」
このご時世に用も無く尾張から畿内へ行く事は、やや珍しいことと言えた。
だからこそ興味が引かれた僕は、青年に向かいそう問いかける。
すると、青年は意味ありげな眼差しを向けながら、ゆっくりとその口を開いた
「去年、ちょっとした野暮用でな。いや、本当にいい街だった。まさに傾国の街ってやつだな」
「はぁ……」
青年の口にしたことの意味を理解した僕は、やや引きながら生返事を返す。
その反応に対し、青年は眉間にしわを寄せながら、呆れた口調で言葉を返して来た。
「なんだぁ。もしかして都にいながら、傾城街に行ったことがなかったってのか?」
「まあそうですが……」
「はぁ、ダメだぜ兄さん。この世の中、何のためにあるか分かってるかい?」
「何のためですか? そうですね、出世とか」
僕がそう口走った瞬間、青年の口から大きな大きな溜め息が吐き出された。
「はぁ……ダメだぜ、つまんねえ生き方だよ。いいかい、一度しかない人生だ。いい女と、心躍る喧嘩、そして面白おかしく生きること。これ以上の目的があるかっていうんだ」
「わかるような分からないような」
「ふむ。まあまだわかんねえか、兄さんにはさ」
僕の体をゆっくりと眺めやりながら、青年はそう口にする。
明らかに子供だと思われた事は明らかだった。
もちろん青年ほど身長は高くはないが、しかしこの一年でこれでもだいぶ伸びたのである。だからこそ、僕はほんの少しだけ胸の内にもやっとした感情を覚えた。
すると、そんな僕の内心が顔に出ていたのか、青年はバシバシと僕の背中を叩いてくる。
「はっはっは、気にしてるようなら悪かったな。ともあれ、まだ背丈は伸びるだろうし、細かい事は気にすんなって」
その物言いを受け、僕は先ほどの女性に向けていた気遣いとのギャップを正直感じずにはいられなかった。
だが毒気が抜かれたことも事実であり、僕は小さく息を吐き出すと、青年に向かい一つの問いを口にする。
「まあそれは良いです。それよりもお名前を伺っても?」
「俺の名かい……そうだな、
「はぁ……穀蔵院さんですか」
「ま、わかってると思うが、偽名だけどな」
青年はそう口にすると、僕に向かってカラカラと笑い声をあげた。
自ら偽名と明かして来たことに戸惑いと困惑を覚えながら、僕は青年の身なりと先ほどの戦いぶりから、頭の中でとある一つの仮説が浮かび上がる。
しかしそれを確かめようと口にするより早く、青年は改めてその口を開いた。
「いいか、ようするにこうやって市中で面白おかしく生きるのに必要なものは、肩書や名前じゃねえってことだ。だから俺が何者だろうと、お前さんが大樹の部下だろうとそんな事はどうでもいいことさ」
「え……」
突然青年の口から発せられたその言葉。
それは僕の歩みを止めるには十分だった。
すると、青年は右の口角をわずかに吊り上げながら、僕に向かって口を開く。
「繰り返しておくが、この市中では名前なんてただの飾りだ。結局モノを言うのは人を見る目と、こいつだけ。覚えておきな」
青年はそう口にすると、右の拳を握りしめ力こぶを誇示して見せる。
そして突然のその両目を大きく見開くと、突然これまでと反対方向に向かって駆け出した。
「え、ちょ、ちょっとどうしたんですか?」
「いや、良い女を見かけたから道案内はここまでだ。今歩いて来た道をまっすぐ行くだけで清洲には着くから、また会おうや。というわけで、信長の旦那によろしくな、兄ちゃん」
「え?」
そんな彼の発言に驚く間も無く、青年はあっという間に通りを通りがかった女性に向かって駆け出して行く。
その後ろ姿をその目にしながら、僕は思わず頰をひきつらせると、思わず首を左右に振った。
「穀蔵院……飄戸斎……そしてあの派手な身なりに無類の女性好き……か」
小さくなって行く青年の背中を目にしつつ、前田という名字を持つ一人の英傑の名が、僕の脳裏にはっきりと浮かび上がっていた。
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