第四章 尾張編
第一話 二人の邂逅
たとえ万戸候たりとも、心にまかせぬ事あれば匹夫に同じ、出奔せん
―前田慶次郎利益
尾張の国において有数の街とされる津島。
その街外れの通りを、まだ大人になりきれていない年頃の少女が必死の形相で駆けていた。
そう、無数の男たちに追われる形で。
「待て!」
彼女を追う男たちの手には光り物が握られ、その距離はみるみるうちに縮まっていく。
そして瞬く間に、少女は男たちに囲まれる形となった。
「さて、どうやって落とし前付けてくれるんだ、このアマ」
「俺達を舐めるとどういう目に合うのか、その体で理解してもらうぜ」
明らかに人相も装いも悪い男たちは、いやらしい笑みを浮かべながらジリジリと少女に向かいにじり寄っていく。
そんな彼らを前にして、十代前半の年頃の少女は、首を左右に振りながら泣きそうな声を上げた。
「約束の借金は全額お持ちしたはずです。なのにどうして……」
「馬鹿野郎。借りていた分の金を返せば終わりってわけじゃねえんだ。おまえの父親が借りた金は、一晩経てば倍増える約束だったんでな」
男たちの中でリーダー格らしき大柄な男が、ニヤニヤした笑みを浮かべながら、十代前半のその少女に向かいそう告げる。
途端、少女は精一杯強気の口調で反論を口にした。
「夕方返しに行くって約束だったのに、あなた達が居留守を使って受け取らなかっただけじゃないですか」
「知らねえな。どっちにしても、俺たちのところに金は戻らなかった。となればだ、代わりのものを頂くしかねえな」
大柄な男はそう口にすると、途端に舌なめずりをしてみせた。
それを目にした少女は下唇を噛みながら、怯える視線を男たちへと向ける。
少女の心は今にも折れてしまいそうであった。
だが突然その場に、男たちを小馬鹿にしたような声が響き渡る。
「醜いな。ああ、醜い。モテない男ってのは、どうしてこんなゲスなのかねぇ」
「誰だ? 姿を現せ!」
突然響き渡ったその声を耳にして、男たちは周囲をぐるりと見回す。
周りに存在するのは、ボロボロの家屋に、男たちを恐れて遠巻きに見ている街の者たちのみ。
少なくとも、彼らに向かい挑発的な声を発するものなど見当たらなかった。
しかし次の瞬間、円を囲んでいた男たちの内側、つまり少女の直ぐ側に、派手で綺羅びやかな身なりの男が、突如空から降ってきた。
「な、何だお前は!?」
突然、姿を現したその男は、明らかに異様で異質な人物であった。
女性が好むような色鮮やかな衣服を纏っていること、突然上から降ってくるように姿を表したこと、刀を持ったこの人数の中へ飛び込みながら不敵な笑みを浮かべていること、そして何より大柄なその男の顔が整いすぎていると言ってよいほど美男子であること。
いずれをとっても異様と呼べるそれらが相まって、男たちは思わずお互いの顔を見合わせる。
一方、そんなある種異様極まりない男は、薄く笑いながら自分が飛び立った家屋の天井を悠々と指差してみせた。
「そこから見ていたけどさ、恥ずかしくないのかねえ、おっさんたち。まあどいつもこいつも欲にかられた不細工ヅラをしてやがるから、無理もないだろうけどな」
見目麗しいその青年はそう口にしながら端正な口元を僅かに歪ませる。
途端、周りを囲む男たちの表情は怒りに満ち、彼の最も近くにいた頬に傷のある男が、迷わず青年に向かって飛びかかった。
「ふざけるなよ、てめ――」
「だからやり口が醜いんだって、おっさん」
青年は男をサラリと躱すと、彼の言葉を遮る形でそのみぞおちに深々と右の拳を叩き込む。
そしてそのまま、殴りかかってきた男は地面へとうずくまった。
「……何者だ、てめえ!」
「俺か? そうだな、とりあえずは
リーダー格の男から名を問われた青年は、軽く首に手を当てながら明らかに偽名とわかる名を口にする。
途端、男たちは一層いきり立つと、一斉に腰に差していた刀を抜き放った。
「ちっ、調子に乗りやがって。構わん、こんな奴殺してしまえ」
「はぁ……刀を抜けばなんとかなると思っているあたりが、見事に三下だな」
背後の少女が明らかに怯えている事に気づいた青年は、全く動揺した素振りを見せず溜め息混じりにそう告げる。
途端、リーダー格の男は明らかに青筋を浮き上がらせると、怒声を放った。
「ふざけるなよ。色男を気取っているつもりかしらねえが、てめえみたいな――」
「あの……すいません。お取り込み中申し訳ないのですが、ちょっとよろしいですか?」
男の声を遮るタイミングで発せられた、場の空気に合わぬのんびりした声。
それを耳にしたその場の者たちは、声の主である囲みの外の青年を一斉に睨みつけた。
中性的な顔立ちのまだ少年の幼さを残したやや身なりの良い青年。
そんな彼の最も近くにいた頭を丸めた男は、眉間にしわを寄せながら不機嫌さを隠さずにその口を開く。
「……なんだてめえは?」
「いや、あの……あなた方以外に誰も人が見当たらず、その……清州へ向かいたいのですが、どちらへ行けば良いか伺いたくて」
男たちは刀を抜き放った瞬間、近くにいた街の人々は一斉にその場から離れ、周りからは人の姿が存在しなくなっていた。
それ故に街にたどり着いたばかりの青年は、やや迷った表情を浮かべつつ、男たちに声をかけたのである。
だがそんな青年の態度が気に食わなかったのか、頭を丸めている男は苛立ち混じりに口を開きつつ、手にした刀を青年に突きつけかける。
「てめえのような田舎もんの相手をしてる場合じゃねえんだ、少し空気を読みやが――」
「ちょ、危ないじゃないですか」
それはまさに一瞬のことであった。
青年の喉元めがけて付きだした男の刀が、一瞬の間の後に青年の手の中に収まったのである。
何が怒ったのかわからず、呆然とする頭を丸めた男。
そんな彼を目の当たりにして、リーダー格の男はすぐさま怒声を発する。
「今、何をしやがった!」
「いや、その危なかったので、ちょっと預からせてもらっただけなのですが……」
「貴様、ふざけてんのか?」
先程までの見下すような表情を消し去り、リーダー格の男は眉間にしわを寄せながら中性的な青年に向かいそう口にする。
すると、青年は頭を掻きながら慌てて弁明を口にした。
「いや、えっと、そんなつもりではなく、ただ道を聞いているだけでして」
「おい……面倒だからこいつもやってしまえ。旅の途中と言うなら、多少は金も持っているだろうしな」
「いいんですかい、頭?」
「おう、ただどうにも胡散臭い。一応、油断はするなよ」
部下からの確認の問いかけに対し、リーダー格の男は先程のやり取りを踏まえ念のため警戒を喚起する。
一方、そんな一方的な発言を受け、中性的な青年は困った表情を浮かべた。
「ただ道を聞いただけなのに、勘弁して下さいよ」
「ふん、あそこにいる女や勘違い男とまとめて同じ目に合いたくなければ、金を出すことだな」
「金……ですか。というか、もしかして皆さん危なくないですか?」
脅しをかけられた青年は、その場を改めて見回しながらそう口にする。
途端、彼の発言に気を良くしたリーダー格の男は、くぐもった笑い声を上げた。
「くっくっく、今頃わかりやがったか。島地一家といえば、このあたりの顔よ」
「いや、たぶん僕が言っている意味とはそうじゃなくてですね……」
「は? 何をごちゃごちゃ言っていやがる」
「いや、だから、あの……危ないと思うのです。あなた方が」
「何?」
青年のその言葉を耳にした瞬間、リーダー格の男は怪訝そうな表情を浮かべる。
そして次の瞬間、彼は思わぬ音を耳にした。
そう、多数の男たちのうめき声と、叫び声を。
「危ないと思いますよ。あなた方全員より、そちらのお兄さんのほうが遥かにお強そうですから」
青年が口にしたその言葉。
それがリーダー格の男の耳に入ることはなかった。
なぜならば取り囲んでいたはずの穀蔵院飄戸斎と名乗った青年が、男たちの気がそれたそのタイミングで、一気に男たちを叩き潰し始めていたからである。
永禄3年、1560年4月。
天の頂を目指す青年と、そして後の天下一の傾奇者はここに出会った。
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