第十五話 兄弟子として

 本覚寺にあるとある縁側。

 そこに一人の青年と一人の老人が、茶を片手に腰掛けていた。


「しかし、このわしがおらんときに面白いことがあったようじゃのう」

「じっちゃんが悪いんだぜ。祭りの時に居合わせなかったわけだからさ」

 老人の言葉を受け、青年はニヤリと口元を歪める。

 それに対し、老人はおかしげに笑った。


「かっかっか、確かにな。まさに間が悪かったというべきじゃろうて」

「で、どうだった?」

 単純極まりない青年の問いかけ。

 その意味するところを理解した卜伝は、苦笑を浮かべながら敢えて皮肉を口にする。


「何を期待しておるかわからんが、ちょっとばかり剣を披露してきただけだよ。この日ノ本の実質的支配者に求められたのでな」

「実質的……か。確かに否定出来ないのが悩ましいところだが、よくもまあこの俺相手に堂々と言ったものだ」

「お主はまどろっこしい物言いが嫌いじゃろう? まあ、わし自身も嫌いなわけじゃがな」

 まったく悪びれる様子を見せることなく、卜伝は再び愉快そうに笑う。

 それを受けて義輝は軽く肩をすくめると、やや苦い表情を浮かべながら言葉を返した。


「知っているさ。じっちゃんとは短い付き合いでもないしな」

「そうじゃな。まあ敢えて一つ言っておくならば、思った以上に家宰の力が強まっておるようじゃのう。お主にとっては、決して歓迎できることじゃなかろうが」

 卜伝はそう口にすると、意味ありげな視線を義輝へと向ける。

 途端、義輝は顎をさすりながら、険しい口調で言葉を紡ぎだした。


「……やはりか。いや、三好の本質が長慶と残りの三兄弟とするならば、こちらのやり方は実に明快だ。上総介や景虎のような者たちを糾合し、少しずつ奴らを掣肘していくことも考えられるだろう。しかし……」

「しかしあの男が、久秀が居る限り、そう一筋縄ではいかん。確実にな」

 卜伝が告げたことは、まさに義輝の懸念そのものである。


 三好四兄弟の力はもちろん恐るべきものがあった。

 阿波国をその根拠地として、兄弟が一丸となってそれぞれの持ち味を活かしながら、畿内全域へその支配領域を広げたのは事実である。


 しかしながら、眩いばかりの四兄弟の背後に、闇に溶け込むかのような黒き影が常につきまとっていた。

 そう、その全貌を決して見通すことのできぬ闇が。

 


「目に見えて厄介な連中より、闇で蠢いている者の方が厄介なのは事実さ。何より、あいつの頭ン中は壊れてやがるしな」

「してどうするつもりかね?」

「少なくとも、今はこのままさ。今回のような程度の低いものから、より悪質な朝廷を巻き込むような陰謀まで、その全てを白日のものにして排除していくしかねえ。連中に表立って対抗出来る力を、この手に取り戻すその日まではな」

 強く拳を握りしめて見せながら、義輝ははっきりとそう宣言する。

 それを受けて卜伝はニコリと微笑むと、一つ頷いた。


「その意気は良し。となればだ、残る問題はあやつのことじゃな」

「うちの金の卵か」

 先日、ある男が使用した表現を、義輝はそのまま口にする。

 すると、卜伝は口元の笑みを消失させ、一つの事実を口にした。


「昨日、あやつの店を覗きに行ったが、周りに怪しげな者たちが市中に溶けこむ形で潜んでいた。おそらくはあの男に警戒されたんじゃろうて」

「なるほど、じっちゃんも気づいたか」

 その義輝の物言いに、卜伝はピクリと眉を吊り上げる。


「ほう、お主も把握しておったわけだ」

「俺というより、与一郎のやつがだがな」

 卜伝や今井彦八郎の肝いりであるとはいえ、どうにも不可解な人物。

 それがあの少年である。


 だからこそ道場での一件以降、与一郎はそれとなく秀一の身辺を探り続けていた。

 そんな監視網に、引っかかった存在。

 それは秀一に対する全く別の監視者の存在である。


「そうか。で、どうするかね?」

「正直言って、まだうちの金の卵を割られるわけにはいかねえ。となればだ、あいつが十分な力を身につけるその時まで、あの男の手の届かぬところへ出してしまうのも手だとは思ってる」

「良いのかね? 今の幕府は猫の手でも借りたいところだと思うが?」

 義輝の言葉を耳にするなり、卜伝はやや意外そうな表情を浮かべながら確認するかのようにそう問いただす。

 すると、義輝はあっさりとその首を二度左右に振った。


「あいつの手は猫なんかじゃねえよ。正直言えば決して出したくはねえさ。だが、まだ今のあいつじゃあ、頭は回っても体が追いついてねえ。となればだ、兄弟子としては時間をやるのも役目と思わねえか?」

 そう口にし終えた瞬間、義輝は薄く笑う。

 その意味するところを理解した卜伝は、敢えて別の選択肢を提示してみせた。


「ふふ、言い心がけじゃのう。となれば、伊勢にでも出してみるかね?」

 伊勢。

 その地名を耳にした瞬間、義輝は一瞬考えこむ素振りを見せる。


 彼の地には、剣において一人の傑物が存在することを彼は知っていた。

 そう、彼と同じく、目の前の人物の門下生である、伊勢国司北畠具教の存在を。


「伊勢か……それも悪く無い。だがどちらかと言うと、その選択を行うなら伊勢経由で、上総介に預けるといったところだな」

「なかなか気に入っておるようだな、あの若者のことを」

 上総介の名前が出たところで、卜伝はやや意外そうな表情を浮かべると、興味深気な様子を見せる。

 それに対し義輝は、右の口角を僅かに吊り上げながら、大きく一つ頷いてみせた。


「ああ。俺達に全ての企みがバレても、最後まで堂々としていやがった。アレは傑物だな。おそらく近いうちに化けるぜ」

「そこまでの評価か。しかし、尾張のう」

 卜伝は顎に手を当てながらそう呟く。

 それに対し義輝は、軽く両腕を広げると、目の前の師に向かい再びその口を開いた。


「ま、いずれにせよだ、その前にやっておかねばならねえことがある。話はその後だな」

「やっておかねば……か。ふふ、お主の目を見れば、何を意図しているか一目瞭然だが、本気かね?」

 義輝の瞳がぎらりと光ったのを見逃さなかった卜伝は、確認するようにそう問いかける。

 すると義輝は、心底嬉しそうにニコリと微笑んでみせた。


「もちろん本気さ。兄弟子として、一度弟弟子に稽古をつけてやるのは、使命みたいなものだと思わねえか?」

「たとえその兄弟子が、この日ノ本の頂点にいる者だとしてもか?」

「大丈夫だ。誰かが言うには、実質的には頂点にはいないそうだからな」

 先ほどの卜伝の言葉を引用して、義輝は冗談めかしながらそれ以上の反論を封じる。

 そしてこの場にはいない少年へと向けるかのように虚空へとその視線を転じると、彼は口元を歪めながら再びその口を開いた。


「いずれにせよ、一度手合わせをしておきたい。あいつが目指しているであろう場所を、垣間見せてやるためにも……な」



北畠具教

享禄元年(1528年)生まれ。塚原卜伝の高弟にして伊勢国司北畠家の第八代当主。

塚原卜伝だけではなく上泉信綱からも指導を受け、国司としてだけではなく一流の剣豪としても知られる。史実においては、隣に存在する振興勢力の増大化に直面し、伊勢を乗っ取られる最後を迎える。

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