第十四話 疑念

 三好長慶の居城である芥川山城の一室。

 とある宴の後に、一人の男が渋い表情を浮かべながら戻ってきた。


「久秀様、お疲れ様でした」

 部屋の主があぐらをかきながら座したところで、突然天井からねぎらいの声が発せられる。

 すると、その反応に対し当然とばかりに、久秀も言葉を返した。


「ああ、疲れたよ。いくら剣の腕が冴えるとはいえ、爺一人歓待するのにあの騒ぎだ。全く我が主には、物事の優先順位というものをもう少し考えてもらいたいものだな」

「全く同感です」

「で、例の件はどうだった?」

 屋根裏の男の追従はそこそこに、久秀は本題を切り出す。

 それに対し返された言葉は短く、そして決して望ましいものではなかった。


「残念ながら……」

「そうか。やはり連中は失敗したというわけか」

 軽く顎に手を当てながら、久秀は特に残念そうな口ぶりを見せることなくそう述べる。


「はい。それどころか、大樹自ら刀を振るい、今川の手の者たちを排除したとの由」

「あの厄介な男を甘く見るからだ。奴に恥をかかせたら儲けもの程度で賛意は示してやったが、これではただ大樹に名を挙げさせたのみではないか」

「全くです。あとは此度の今川の動き、どうやら織田の者達に筒抜けであった様子」

 その報告が天井からなされると、久秀は初めて興味深そうな反応を示す。


「ほう……織田がか。尾張の田舎侍もなかなかやるではないか」

「はい。ただ此度はそれだけではなく……」

「それだけではなく?」

 天井の男が言いよどんだことに疑念を持ち、久秀は早く先を促すようそう問いかける。

 すると、僅かな迷いの後に、その報告はなされることとなった。


「実は織田が京に入って以降、常に細川の影が彼らの背後に存在しました」

「藤孝の奴か」

「はい。彼がなぜ最初からそのような行動に出ていたのかに疑念は残りますが、いずれにせよ結果から見てみれば、全ては大樹の手のひらの内であったということが示唆されます」

 そう、結果から見れば、今川の行動とその動きを利用せんとする織田の両方を、当初から完全に御し得ていたと取れる細川藤孝の行動。

 それを耳にした途端、久秀は思わず小さなうめき声を上げると、眉間の皺を深くした。


「むぅ……確かに細川も大樹も一筋縄では行かぬ男たちではある。しかしながら、そこまで全てを御し得る程かとなると些か疑問が残るな」

「はい。その上で一つ気になったことがあり、ご報告させて頂きたく……実は最近、変わった小僧を大樹が取り立てられたとのことなのですが、その者も現場にも同席していた模様でして」

「変わった小僧?」

 意外な報告を耳にしたが故、久秀はそのまま天井に向かい問いなおす。

 するとすぐに、久秀に向かって更なる詳細が告げられた。


「はい。もともとは堺の今井彦八郎の下で働いていた小僧とのことですが、どうやら京に暖簾分けを許され、この度大樹に取り入ったとのこと」

「彦八郎……か。ふむ……」

 懐かしき人物の名を耳にして、久秀は思わずそのまま黙りこむ。

 一方、天井裏に控えていた男は、そんな久秀の反応に疑念を覚えた。


「なにか気になることでも?」

「いや、茶の友である彦八郎の下にいたということもあるが、堺から来たというのが引っかかってな」

 そう口にすると、久秀は腕組みをしながら再びその口を閉じる。

 それに対し天井の男は、その久秀の懸念を恐る恐る尋ねてみせた。


「堺……ですか」

「先日、堺で煮え湯を飲まされた一件があった。覚えているか?」

 それは昨年の年末に起こった事件。

 堺において、彼が行っていた和奴隷の密貿易を阻止された一件であり、その際に久秀は一つの命令を天井の男に与えていた。


「はい。四男どのに関する調査の件でございますな。ですが、あの直後に堺の四男どのの周りを調べましたが、何も怪しげな人物がそばに付いたとの報告はございませんでした」

「ああ、それは報告を受けた。だが、あの調査を命じた直後に、その人物が堺を離れていたとすればどう考える?」

「ま、まさか!?」

 その久秀の仮定を耳にした瞬間、天井裏の男は思わず声を上ずらせる。

 そう、彼らが調査を始める前に、調べられるべき人物が堺を離れていたら当然、網に引っかかるはずがない。

 ましてやその人物が京に向かい、大樹のもとで奉公していたとすれば……


「もちろん何ら確証はない。しかしだ、疑念はすぐに振り払うべきであろう。というわけでだ、わかるな?」

「はっ。至急、その小僧の調査を行います」

 久秀の言わんとする所を理解し、天井裏の男はすぐさまその求めている回答を口にする。


「結構。あの彦八郎がただの子供に暖簾分けを果たしてするとも思えん。一連の案件に関係がなかったとしても、一度調査を行っておくべきだろう。これ以上、大樹に力をもたせるわけには行かんのでな」

「分かりました。それでは、失礼致します」

 天井裏の男はそう返事を返すと、一瞬でその気配を消失させた。

 そうして再び沈黙が訪れた部屋において、久秀は顎をさすりながら改めて虚空に向かい呟く。


「ただの懸念であれば良い。しかしそうでなければ、ただ死んでもらうだけだ。この久秀の邪魔と成るのであればな」



三好長慶

大永2年(1522年)生まれ。幼名は千熊丸。通称は孫次郎。畿内をほぼ掌握し信長より早く事実上の天下人となった人物。

三好義賢、安宅冬康、十河一存という優れた弟たちを有し、三好家は支配領域を増大させてゆき、足利将軍家を事実上の傀儡にしてみせるところまでその力を増大させた。しかしながら惜しむべくは、その優れた弟達がいずれも短命であったということ。そして比類なき有能な部下であったとある男が、主人以上の野心を胸に秘めていたことにあった。

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