第十三話 思惑と思惑
本覚寺の仮の御所に用意されていた昼間と同じ一室。
下京からようやく戻ってきた僕たちを、気品と知性に溢れるあの方が、涼やかな笑みを浮かべながら出迎えてくれた。
「おかえりなさいませ、大樹」
「うむ。ご苦労」
大樹はそれだけを答えると、彼の方を軽く叩いた後に上座へとその立ち位置を移す。
そしてそのままあぐらをかきながら座ると、他の者達にも着座するよう彼は勧めた。
「あの……大樹。こちらの方は?」
「名前はお主も知っているはずだ。ある意味、この部屋の主でもあるからな」
大樹はそう口にすると、意味ありげに笑う。
途端、彼を窘める声が、あの方の口から発せられた。
「面会用のお部屋なればこそ、最低限のしつらえを行っただけ。それだけの話です。それとも隣のお部屋でお歯黒様方とご面談なさるおつもりですか?」
「あの部屋に入れば、公家の連中も無駄口をたたかなくなるだろうが……いや、冗談だ。そんな顔をするなよ、与一郎」
やや困った表情を見せる細川様に向かい、大樹は軽く笑いながらそう告げる。
一方、そんな大樹の発言を耳にして、信長殿はようやく目の前の人物のことを理解した。
「なるほど。つまりはこちらがあの細川殿ですか。お初にお目にかかります、織田上総介信長と申します」
「これはご丁寧にどうも。細川与一郎藤孝です。貴方のことは……いえ、貴方がたのことはその目にしておりましたが、言葉をかわすのは初めてとなりますな」
「その目にしていた……ですか」
細川様の発言の意図がわからなかった信長殿は、軽く首を傾げられると、その意図を問う。
「いえ、勝手に私が皆様のお顔を確認させて頂いただけの話です。特に今日は、そちらの藤吉郎どのが非常にお忙しくされていた所、しっかりと拝見させて頂きました。上総介殿は、実に良い部下を持っておられるようですな」
「……なるほど。これで全てが納得しました。要するに、我々の行動は全て筒抜けであったと、そういうわけですが」
信長殿は一本取られたとばかりに薄く笑うと、大樹はそんな彼に向かい全てを凝縮した一つの問いを発した。
「で、やはり今川か」
大樹の口から発せられたその名。
それを受けて、信長殿はもはや隠すこと無く深々と頭を下げた。
「はっ、その通りにございます。どうやら内々に三好と手を結び、東西を切り分ける密約を結んでいる由」
「なるほどな。それを知らしめるために、わざと我が御所の前で連中に暗躍させたってわけだ。で、これは確認だがその方の真意はどこにあるのかな?」
敢えて襲撃を受けやすいように護衛の数を絞りっていたことと、そして残りの部下には事が起こるや否や暗殺者の追跡を開始できるよう準備されていたこと。
これらは事前からほぼ予期されていたことであり、また全て事実であったことも細川様の沈黙から容易に伺い知れた。
つまり予期された事象とのズレがほぼ存在しなかったからこそ、細川様は大樹に向かい何らの報告の必要性がないからである。
そしてだからこそ、今この場において大樹がもとめられるものは、信長殿自身の考えそのものであった。
「暗躍させたとは異なことを。あくまで私がしたことはただ――」
「両家が手を結んでいる一端を、幕府に知らしめたかっただけ。やはりそういうわけですね」
大樹の側に控えていた僕は、今回の信長殿の真の意図を踏まえてそう告げる。
途端、信長殿は苦笑を浮かべられた。
「その通りだ。しかし、もう少し自然にお伝えできればと思っていたのだが、こうまで裏を取られきっていると、些か発言に困るな」
「茶屋四郎次郎殿を送り込まれてきたのは、流石に示唆が過剰だった気がします。もちろん、あの方が気を利かせた過ぎただけかもしれませんが」
僕はそう口にすると、信長殿同様に苦笑を浮かべてみせる。
「なるほど。清信が少ししゃべりすぎたか」
「ええ、今川から三好家の家宰殿が茶器を譲られたと伺いました」
「ふむ、両家の関係を強調して置きたかったのだろうが、相手が悪かったな。どうせお前のことだ、清延自体に疑念を持って我が家にたどり着いたのだろう?」
「ご明察、恐れいります」
僕はそう口にすると、深々と頭を下げる。
今川と三好の関係を示唆して置いた上で、将軍の耳に入る形で彼らのつながりを示唆するような事件を引き起こすこと。
それが今川から暗殺者が送り込まれていることを察知した時点で、信長殿が描いた計画であったと僕は考えていた。
「全く堺の際といい、本当に驚かされてばかりだ。秀一、お前のその少年の姿の下に、実は全く別の人間が潜んでいるのではないか?」
「はは……まさかそんな」
突然の信長殿の指摘を、僕は軽く笑って否定する。
しかしながら、何気なく発せられたその信長殿の言葉。
意図せずであろうが、事実の一端を何気ない言葉のうちに含んでみせたことに、まさに目の前の男の才覚の一端を垣間見た思いであった。
実際のところ、僕が行った推察は間違いなく、この後の日ノ本の歴史を知っているからこそ、組み立てることができたものである。
今回の件に関しても、この翌年に未来の中学生の歴史教科書にさえ記され、織田信長の名を日ノ本に轟かせることになるあの戦いが起こることを僕は知っている。
そしてその織田家の敵対者が今川家であり、その際に京の実権を握っていたのが三好家であることも。
だからこそ、僕は二つの仮説を立てることができた。
来年に起こるあの戦いにおいて、今川家は最初から上洛などするつもりはなく、ただ織田家が支配する尾張のみを切り取るために軍を動かしたと言う一つの仮説。
そして当初から今川と三好家の間に何らかの密約がかわされており、上洛の手はずが畿内においても整っていたというもう一つの仮説である。
前者であれば話は単純であり、来年に起こるのは今川と織田の戦いというだけであり、後世の今川のあの戦いに対する動機は誇大に吹聴されたものだったといえるだろう。実際に僕も、そのような見解を示す書籍などを前世において見た記憶がある。
しかしながらもし後者であったとするならば、歴史に残るあの戦いの意味はその全てが大きく異なってくる。
そう、桶狭間という名の地にて行われた、一つの合戦の意味が。
「大樹……本日おっしゃられた提案に関して、今ここで回答を行わせていただいてよろしいでしょうか?」
「あん? 一体、何の件だ?」
突然、大樹に向かい真剣な表情で言葉を切り出した信長殿。
そんな彼に対し、大樹は興味深そうな表情を浮かべつつ、話の先を促す。
「確か本日、この場にて大樹はこうおっしゃられました。上洛の記念に何か欲しいものはあるかと」
「ああ、確かに言ったな。それでお前は尾張における地位の追認を求めたはずだと思うが」
「ええ、そのとおりです。ですが、そのお願いを変えていただくことはできませんでしょうか?」
それは僕にとっても意外以外の何物でもない発言であった。
今回の信長殿の上洛自体、今川への牽制と尾張内の支配体制の追認がその目的。だからこそ、それ以外のものを信長殿が求めるなどとは思いもしなかったからだ。
しかしながら、この後に大樹から促される形で信長殿が紡いだ言葉は、まさに僕にとっては予想外極まるものであった。
「……良いだろう、言ってみな。内容次第なら考えてやる」
「は、では差し出がましいながら述べさせていただきます。どうか我が織田家に、足利家が手にされたばかりの金の卵を一時的にでもよろしいのでお貸し頂けませんでしょうか?」
その信長殿の言葉が意味するところ。
それに気づいた大樹は、それまでの薄い笑みを表情から消し去ると、信長殿に向かい鋭い視線を向ける。
「金の卵……か。して、その見返りは?」
「我が全ての忠誠心と、そして三好と繋がりを持つ今川を、弱小たる我が家が全霊を持って抑えるということ。この二点で如何でしょうか」
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