第八話 正体

 僕が目の前の人物の正体を口にした瞬間、場は一瞬で凍りつく。

 そんな中、最初に反応してみせたのは、当然のことながら当人たる大樹であった。


「面白い、いつ気づいた?」

「最初から違和感はありましたし、その可能性は考えていました。ですが確信したのは、つい先ほどです」

 足田様……いや、大樹のその意味ありげな笑みをその目にしながら、僕ははっきりとそう告げる。

 途端、目の前のややラフに衣服を着崩した男は、興味深げに問い返してきた。


「先ほど?」

「はい。干し柿を投げられた時、間違いなく貴方が大樹であると」

「面白いことを言うな。実に興味深いところだが、説明はしてもらえるか? あ、別にそんな恐縮して喋らなくていい。今の俺は、あくまで今日の見回り衆をしている足田菊堂なのでな」

 そうくちにして軽く笑いながら、大樹は僕に向かって理由を開示するよう求めてくる。

 それに対し、僕は極めてシンプルにその理由を告げた。


「……そうですね、わかりやすく言えば、貴方の隣りに居られたのが憲法様だったということでしょうか」

「ほう、憲法が隣りにいたから……か。なるほど、確かにそれは迂闊だった」

 僕の言葉から、その理由を察せられたのか大樹は苦笑を浮かべられた。

 すると僕は、その視線を憲法殿へと向けながら、改めて言葉を補足していく。


「最初に居られた位置から投じておられていたら、さすがに確信にまでは至らなかったでしょう。ですが、吉岡の道場での手合わせの最中に、干し柿を外から投げ込むという行為。そんなことを、果たして道場主の憲法殿が見過ごすでしょうか?」

「つまり、私が静止しない理由があったとそう考えたわけだ。なるほどね」

 憲法殿は納得したとばかりに、一つうなずかれる。

 それを確認した僕は、改めてその視線を大樹へと向け直した。


「あとはもちろん、お名乗りになられていた名前から気づきを得たことも理由ではあります。そして貴方の技量が高すぎたことも」

 二度にわたって僕に存在を気づかせず、さらに足田菊堂などと名乗る青年。

 これらのことを合算すると、他に考えられる人物などまさに皆無に等しかった。


「ふむ、少しばかりの悪戯心が仇となったな。で、与一郎。どうだった?」

「負けた私が言うのも何ですが、剣に関してはまだまだ向上の余地はあるかと。もっとも、それが故に、卜伝翁がここまで手放さず連れてこられたのでしょうが」

 小さく頭を振りながら、細川様は軽く肩をすくめつつそう告げられる。

 すると、そんな彼の言葉を耳にした一人の老人が、笑いながらその口を開いた。


「かっかっか、まあな。しかしそれを言うなら、お主にもまだまだ向上の余地はある。ここの所どんな鍛錬を積んでおったかは知らんが、些か小さくまとまりすぎたな。お主の剣はそんな小さいものではなかっただろうに」

「面目もありません」

 かつての剣の師に向かい、細川様はそれだけを口にされると、ペコリと頭を下げられる。

 それを受けて、大樹が師匠に向かい間髪入れずその口を挟んだ。


「実際の所、それは与一郎に代わる人材を見つけられなかった俺のせいでもある。そう責めないでやってくれ」

「諸事に忙殺される中、剣は振るってはおられたようですからな。これ以上は言いますまい。で、本題ですが、いかがですかな?」

 そう口にすると、師匠はニコリと意味ありげに笑いかける。

 それを受けて大樹は、軽く肩をすくめてみせた。


「答えが見えている問い掛けを、わざわざ本人がいる前で聞くかい? そういうのは書状で済ましたかったんだけどな……まあ俺的にはほぼ合格だ。この結果を見せられれば、それ以外に答えようがないさ」

「ほう、剣の腕だけで判断してしまっても良いと?」

「おいおい、今井の腹黒商人に暖簾分けされた男だろ。剣の腕だけなわけがあるか。その程度には、あの腹黒の見る目を信じてはいるさ」

 師匠の追求に対し、大樹は軽く頭を掻きながらサラリとそう応える。

 それを受けて師匠は思わず苦笑をこぼした。


「ふふ、彦八郎殿もひどい言われようですな。して、合格ではなくほぼというのはどういう意味ですかな?」

「言葉通りさ。後一つだけ、評価すべき空白の部分が残っている。力もそして実務能力も折り紙つき。となればだ、あとは未来を描ける器量を持っているかだ」

「未来を描ける器量……ですか」

 大樹の言葉を耳にして、僕はそのまま繰り返すようにそう呟く。

 すると、眼前の掴みどころのない青年は、小さく一つ頷いた。


「天海秀一だったな。一つ問わせて貰おう。この俺は誰と組むべきだと思う?」

「それはいまの幕府が、誰と組むべきなのかという意味で受け取ってよろしいですか?」

「そうだ。既に知っているだろうが、今の時代将軍なんてただのお飾り。実権を握っているのは三好家だ」

 自らのことながら、あまりに大胆な発言。

 それを耳にした僕は、思わず喉が渇く感覚を覚える。

 しかしながら、大樹は不敵に笑いながら、まったく気にした様子も見せず言葉を続けた。


「そんな驚くことではないだろう。この都の人間だけではなく、日ノ本に居る者なら誰でもが知っている事実だ。で、改めて尋ねる。その上でお前ならば、俺は誰と組んでいくべきだと思う?」

「大胆な、本当に大胆な問いかけですね」

 即答を避けるための僅かな時間稼ぎではあったが、この言葉は僕の本音であった。

 すると、大樹は笑いながら僕の事情をきちんと把握しているというカードを示してくる。


「今更旗色を変えようもないからな。お前は三好の四男と仲がいいみたいだが、仮に三好の傀儡であるべきと思うなら、それを答えにしてもいい。俺が受け入れるかどうかは別にしてな。で、どうだ。六角か、上杉か、今川か。それとも――」

「織田……そう、織田家は如何でしょうか」

 僅かな迷いの後に、それが僕の出した答だった。

 正直言って、僕はこの回答を口にすると鼻で笑われると考えていた。


 尾張を統一したとはいえ、未だ弱小のそしりを免れぬ小大名。

 その名を、すでに天下に名の轟いている者たちを押しのけて口にしたからだ。

 しかしながら、そんな僕の予想は外れていた。

 先程もまで薄い笑みを浮かべていた大樹は、突然その表情を真剣なものとしたからだ。


「……何処で知った?」

 大樹の口から発せられた短い問いかけ。

 その意味を僕は理解することが出来なかった。

 だから戸惑いを隠せない口調で、僕は問い返す。


「何をですか?」

「その名は普通ならば出るはずがない。あいつが極秘裏に上洛することを知っているのは、俺とそこにいる与一郎、あとは京極ぐらいだ。なぜお前が知っている」

「いえ、知りません。本人もそのことは教えて下さいませんでしたし」

 そう、僕はその事実を知らない。

 少なくとも知らないことになっている。

 尾張を統一した織田信長が、義輝と面会するために百名余りの手勢を率いて上京するというその歴史的事実を。


 第一、今回の僕の回答は、歴史的な事実を知っているからのものではない。

 だがいずれにしても、不要な懸念を生む必要はなかった。


 それ故に僕は、あの出来事を強調した。

 つまり信長当人と、邂逅したという事実を。


「あのうつけと会ったことがあるというわけか。そういえば、以前の書状に堺に行ったと書いてあったな。ちっ、なるほど。やはり奴のうつけというのは擬態か」

 軽く舌打ちをしながら、大樹は自らの顎に手を当てて考えこむ。

 するとそんな彼に向かい、一人の老人が嬉しそうに笑った。


「かっかっか、なかなかに懐広い御仁ではありましたな。尾張の上総介殿は」

「じっちゃんまでそう評するか……これは楽しみになってきたな。よし、秀一。お前の出仕は十日後だ。それまでは好きにしていていい」

「十日後……ですか」

「ああ、十日後。その日に奴が来る。その際に、奴を迎える役をお前に任せる。それが、お前の初めての職務だ」

 そう口にしたと同時に浮かび上がる大樹のいたずらっ子のような笑み。

 それを目にした瞬間、僕は一つの直感を覚えずにはいられなかった。


「奴というのはやはり……」

「そうだ。まさに貴様が口にした人物。先日、斯波義銀を追放し、尾張の国主に居座った大うつけ。織田上総介信長だ」


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