第七話 鬼から受け継いだもの

「なかなか粘りますね。ですが、いつまでそれが続くでしょうか」

 細川様はそう口にすると、手にした木刀を握り直した。

 同時に、再びその動きは水鏡のように一点の乱れなく静止する。

 そして次の瞬間には、流れる水のごとく一切の無駄なく僕へと剣が迫ってくる。


 美しい。

 戦いの最中にもかかわらず、そして必死に細川様の剣を受けている状況にもかかわらず、僕はそんな感情を抱いてしまう。

 それほどまでに細川様の剣は洗練されきったものであった。

 

 このままでは何もしないまま終わる。

 そんな結末を僕は自分の肌で感じていた。


 しかし、それは嫌だ。

 何もなさぬまま負け去るというのなら、僕は師匠のもとで一体何をやっていたというのか。

 そして何より、あの弟弟子にそんな結果を伝えたらなんとからかわれ……弟弟子!?


「急に笑みなんて浮かべてどうかしましたか? 自らの敗北を覚悟したということでしょうか」

「いえ、このまま負けると弟弟子に笑われると気づきまして」

 僕はそのまま小さく息を吐き出す。

 覚悟は決めた。ならばあとは実行するのみ。

 そして僕は、目の前の青年に向かい踊りかかった。


「ほう、前に出てきますか!」

 これまで防戦一方だった僕が加速したのを目にして、細川様は僅かに驚いた表情を見せた。

 しかしながら、それはほんの一瞬のこと。

 彼はすぐにいつもの涼やかな表情になると、あっさりと僕の剣撃を受け止める。


 ここまでは予想通り。

 定石通り真正面から攻めこみ、そして定石通り剣を振るうならば、この結果は当然。


 同じ師を先に持った細川様ならば、他の結果となるはずがない。

 だがもし、塚原卜伝直伝である新当流の枠の外の行動に及ぶならばどうか?

 そう、あの弟弟子のように。


「な、何!?」

 目の前の男の整った顔が苦痛でゆがむ。

 そう、前世で言うローキックに近い僕の蹴りが、彼の左足を確実に捉えたがために。


「すいません。足癖の悪さは弟弟子譲りなもので」

 全ての原因をあの十河そごう一存かずまさに押し付けながら、僕は再び木刀を振るう。

 その剣撃自体は先ほどと変わらない。

 だが、僕の足技に気が行っていた細川様は、わずかに反応が遅れた。


「……やりますね。なるほど、あの鬼十河のやり口を学んだというわけですか」

 反応が遅れから手にした木刀で受けることを断念した細川様は、大きく後ろに飛び退って僕の上段からの攻撃を回避する。そして間合いを撮り直したところで、彼は僅かに息を荒くしながらそう口にした。


「どうも悪い癖は伝染るもののようです。苦情はそれを放置していた師匠と、十河様に言って下さい」

 僕はそう口にしながら、一気に間合いを詰めにかかる。


 認めよう。


 細川様の方が剣の技量は遥か上。

 それを受け入れた上で、僕は目の前の人を乗り越える!







「ふむ、面白いものを見せてくれるな。まあ道場での手合わせに相応しいかって言えば疑問は残るが、悪くはない」

 二人の戦いの推移を目にしていた足田は、ニンマリとした笑みを浮かべながらそう呟く。

 すると、隣に立っていた憲法は、顎に手を当てながら苦笑を浮かべた。


「私はあまり好みませんが、丸目まるめ長恵ながよしあたりは気に入りそうな戦い方ですな」

「あの上泉かみいずみ信綱のぶつなの弟子という肥後の兵法者か。確かにな。しかしじっちゃんの奴、たぶんわかっていてあいつと十河の手合わせを続けさせていたな」

 憲法の発言に頷きながら、嬉々としながら二人の戦いを最も間近で目にしている老人へと、足田は視線を移す。


「十河一存様が振るうはまさに戦場の槍。それと日々剣を重ねていたとなれば、如何に細川様といえども苦労なされるでしょうな」

「ある意味、与一郎が最も相性の悪いやり口だ。それ故に拮抗した戦いになり始めているわけだが、このまま続けさすとどちらかが怪我するのがオチか」

「お止めになられますか?」

 足田の言葉を受けて、憲法はそう問いかける。

 すると、隣に立つ若き青年はまるでいたずらっ子のような笑みを浮かべてみせた。


「今、与一郎に休んでもらうわけにはいかんのは事実だ。となれば答えは一つなわけだが、どうせならもう一つだけ試させてもらった上でといこう。というわけで、少し無粋をさせてもらうぜ」

 青年はそう口にした瞬間、眼前の二人の男達に向かい、手にしていたもの一気に投じた。







 僕は必死に逸る心を押さえながら、細川様に向かっていく。

 通用する。

 もちろんまっとうな剣技だけでは難しいけど、それでも僕がこの世界に生まれ変わり、積み上げてきたものを全てつぎ込めば届く。


 そんな手応えを、僕は明らかに感じていた。

 だからこそ、決して手を緩めない。


 細川様の予測にない動きをしなければ、すぐに捉えられることは明らかだったからだ。

 だから――


 そうして更なる一歩を前へと踏み出そうとした瞬間、僕は前方からではない殺気を一瞬感じ取る。

 同時に何かが僕めがけて飛来してくる。


 ほんの一瞬の迷い。

 それは前方の人物からも伺うことができた。


 細川様は彼めがけて飛来する物体を回避しようと、間髪入れること無く、ほんの僅かに顔をそらそうと動きを止める。

 途端に、僕は決断した。


「勝負!」

 僕は前へと踏み出す。

 そう、飛来する物体が顔に直撃する前方に。


 顔面に走る痛覚。

 そしてほんの僅かな甘い香気。


 僕にはそれが何かわかっていた。

 闘いの直前に、あの人の懐にはまだ僅かな膨らみが存在していたが故に。


 だからこそ、僕はその痛みに気を取られることはなかった。

 そして更に前へと進む。

 刹那、僕は驚きの表情を浮かべる細川様の喉元に、木刀を突きつけた。


「見事」

 その言葉は、僕らの最もそばに居た一人の老人の口から発せられた。

 同時に、細川様は一瞬だけ渋い顔をされるも小さく溜め息を吐き出し、木刀を下げられる。


 一方、僕はまったく異なる方へと視線を向けた。

 そう、手合わせの最中出会ったにもかかわらず、手にしていた干し柿を投じられたあの方へと。


「満足して頂けましたか、足田様。いえ……大樹」

 僕のその言葉が発せられた瞬間、大樹こと室町幕府第13代征夷大将軍である足利義輝の表情には、ニヤリとした笑みが浮かび上がった。




あとがき


丸目まるめ長恵ながよし

天文9年(1540年)生まれ。通称は蔵人佐くらんどのすけや石見守ともされるが、講談等で用いられたこともあり、丸目蔵人の名で広く知られている。肥後国の出であり、剣聖・上泉信綱のもとで新陰流を学び、柳生やぎゅう宗厳むねよしらを含む上泉四天王の一人と数えられる。後にタイ捨流を創始し、蹴り技や投げ技、関節技などを交えた実戦剣術を伝えていくこととなる。



上泉かみいずみ信綱のぶつな

永正5年(1508年)生まれ。上州の長野ながの業正なりまさに仕え、「長野十六槍」と賞賛された後、永禄6年(1563)より諸国を放浪。新陰流を創始し、塚原卜伝とともに剣聖と称される。主な弟子には柳生新陰流の柳生宗厳や宝蔵院流の胤栄いんえい、タイ捨流の丸目長恵などがおり、足利義輝にも剣術を指南したといわれる。

(現在の研究においては、彼が放浪を開始したのは永禄9年(1566)という説が出ている。いずれにせよ当作中では、東国の諸事情により放浪開始時期が些か前倒しとはなっている)


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