第五話 細川

 都の一角に存在する細川家の屋敷。

 その一室へ案内された僕たちは、まさに場違いという言葉の意味をその身を持って体感していた。


「さて、どうぞ楽にしてくれたまえ」

 涼やかな笑みを浮かべながら、藤孝殿はそう告げる。

 しかし決して華美ではないものの、この風情あふれる部屋の中にその身をおいて、くつろぐという言葉はあまりに困難なことであった。


 応仁の乱以降、京都のあらゆる場所は戦乱の渦に巻き込まれ、それは室町殿と呼ばれた足利将軍家の邸宅とて同様である。実際に第三代将軍である足利義満が作り上げた花の御所は、既にこの街から消失して久しい。


 もちろんそんな時代であるからこそ、確かにこの細川家の屋敷は、規模自体は非常に慎ましいと言えるものであった。

 しかし、目の前にいる当代随一の文化教養人にかかれば、戦乱の世に存在するただの武家屋敷でさえ、畳や調度品一つとっても完璧に洗練された品が使用されており、根が水飲み百姓である僕などはとても気後れせずにはいられなかった。


「いえ、楽にしてくれと言われましても……はは……」

 やや引きつった笑みを浮かべながら、助け舟を求め重秀へと視線を移した僕は、挙動不審以外の言葉が思い当たらぬ男を目にすることとなった。

 そんな二人の様相を目にした藤孝殿は、思わず苦笑いを浮かべる。


「はは、まあそう固くならないでくれるかな。別に礼儀作法などは、求めていないからさ」

「はぁ、そう言われましても、このようなお屋敷に来たことがありませんもので、作法などわからず……」

 堺の今井家の屋敷は確かに大きく、そして珍しい品々は多かったものの、これほど緊張感を覚える空間は存在しなかった。


 もちろん、旦那様である今井宗久は高名な茶人であり、最低限の礼節は僕も学ばせていただいている。しかしながら、目の前のいる人物の物腰や振る舞いを目の当たりにすれば、そんな自信などたちどころに吹き飛んでしまっていた。


 一方、そんな僕の極度の緊張に気づいたのか、細川様は軽く手を顎に当てると、それまでの振る舞いが嘘のように、敢えてその場に足を投げ出される。

 その行為に驚いた僕たちを尻目に、彼はニコリと微笑みながらその口を開いた。


「では、私も楽にさせてもらうとしよう。これで君たちも、私を真似てくれないかね?」

「……えっと、それではお言葉に甘えさせていただきまして」

 僕は重秀と示し合わせるような形で、そっとその場に足を崩す。

 途端、ようやく細川様の表情に、明るい笑みが戻った。


「結構。実際さ、作法というものは相手を不快にさせない技術でね、それは時と場所、そして場面に応じて必要とされるものさ。まあ実際、あまり口うるさく言っていると、あの方がへそを曲げられるしね」

「あの方と言われますと?」

 ほんの僅かに危険な予感を覚えつつ、僕はそう問いかける。

 すると、細川様は顎に手を当てながら、その端正な顔にいたずらっ子のような笑みを浮かべられた。


「はは、非常に手のかかるお人のことさ。まあ、それはともかく茶でも飲むかい」

「いえ、そこまでは」

 流石にこれ以上の歓待をされたら、思わず逃げ出したくなりそうだった。だからこそ、僕は慌てて首を左右に振る。


「そうか、ふむ」

「あの……それでこの度のお招きは、どのような理由でしょうか?」

 どうにもこの空気に耐え切れなくなった僕は、目の前の美青年に向かいそう問いかける。


「いや、なに。面白い少年が二人も、この都にやってきたと聞いたからね。ただ単純に会ってみたいと思ったのが一つの理由さ」

「面白い少年が二人……ですか。いえ、秀一のことは、まあわかります。ですが、どうして自分のことも……それに――」

「更に、なぜ孫一の名を継いだことも知っているのかってことかな?」

 これまで沈黙を保っていた重秀の言葉を遮る形で、細川様は逆にそう問いかける。

 たった今二人の間でかわされた会話の意味。それは僕も完全に初耳のことであり、口をぽかんと開けながら二人のやり取りを見つめる。


「そうです。基本的には、まだ雑賀の外に出していない話のはずです。にも関わらず、都におられる細川様がご存知だとは、いかなることかと?」

 重秀は険しい表情を浮かべながら、目の前の人物を油断なく見つめる。

 一方、細川様は顔に張り付かせたさわやかな笑みをそのままに、彼の視線にまったく動じることはなかった。


「あえて言うなら、私は大樹の耳だから。これでは説明として不十分かな?」

「……つまり将軍家は、都から遠く離れた雑賀のことも監視しているぞと、そう警告される為に私を呼ばれたわけですか」

「はは、それではまるで、私が君を虐めようとしているみたいだね。勘違いしてほしくないけど、あくまで君たちに興味を持っているから、話をしてみたいと思っただけだよ」

 重秀の視線を真正面から受け止めながら、細川様は軽く首を左右に振られる。

 しかしそんな彼の言葉を、重秀がそのまま受け止めることはなかった。


「それは言質を取らせるつもりはないというわけでしょうか」

「疑り深いですね。君を孫一の名で呼んだのは、私なりの誠意を示したつもりなのだけど。考えて見給え、別にとぼけることも十分出来たわけだから」

「確かに、そういう解釈も成り立ちますか……なるほど。噂通り、大樹の懐刀は食えないお人のようですね」

 僅かに頬を歪めながら、重秀は意味ありげな笑みをその表情にうかべてみせる。

 細川様は、そんな彼の言葉を軽く笑い飛ばすと、今度はその視線を僕へと向けた。


「ふふふ、結構。雑賀の棟梁にそう評されたことは、褒め言葉だと受け取っておくよ。さて、天海くん。君のことは彼から聞いていたよ」

「旦那様からでしょうか?」

 細川様と接点を有してそうな心当たりは二人存在した。

 当然その一人は、剣の師である卜伝師匠である。しかしながら、師匠に対して目の前の御仁が『彼』などという表現をするとは思えず、僕は敢えてもう一人の可能性を第一に考えた。

 すると、その笑みを崩すことなく細川様は小さく首を左右に振る。


「ふむ……彦八郎は彼の義父である武野たけの紹鴎じょうおう殿の下で、共に茶を学んだ仲ではある。だけど残念ながら、そんな彼ではないんだ」

「え……では、一体どなたが?」

「ふふ、天海くん。君は播州の出と聞くが間違いないかな?」

「はい、播州は姫路の出となります」

 どうして僕の出身のことを知っているのか疑問に思ったものの、僕は素直に頷く。

 その瞬間、目の前の青年はニコリと意味ありげに微笑んだ。


「実は昨年末に、和田わだ惟政これまさ殿が面白い少年を連れて来てね。その少年も播州の出だと言っていたんけど、心当たりはないかな?」

「……まさか!?」

 僕の脳裏を一人の少年の横顔が通り過ぎた。

 そう、誰よりも優しく、誰よりも優れていた盟友の横顔が。

 そしてそんな僕の予想を肯定するように、細川様はその名を告げた。


「ああ、多分そのまさかさ。小寺萬吉……実に興味深い少年だった」

「萬吉が京都に?」

「やはり彼のことが気になるかい」

「ええ、もちろんです」

 僕は迷うことなく首を縦に振る。

 すると細川様は、納得したように再びその口を開いた。


「なるほどね。確かに彼はここに来たよ。都に滞在していたのは十日あまりだったけど、正直言って、播州においておくには些か惜しい人材かな」

「知り合いなのか、秀一」

 この場で唯一萬吉を知らぬ重秀は、悩ましげな表情を浮かべながら、僕に向かってそう問いかける。


「ああ、姫路にいた頃の城主様の子供でね。幼なじみなんだ」

「そうみたいだね。彼は言っていたよ。いつか無二の親友が、この街に来るだろうと。でも、まさか一年も経たぬ内に君が上京してくるとは、流石に彼も思っていなかっただろうけどね」

 細川様はそう口にされると楽しそうに微笑む。

 そうして場の空気がようやく弛緩したタイミングで、細川様の部下と思われる一人の青年が、報告の為に部屋へ訪れた。


「藤孝様。卜伝殿がお見えになられました」

「ほう、参られましたか」

「え、師匠が来られたのですか?」

 青年の報告を耳に挟んだ僕は、少しばかり驚きながらそう口にする。


「ああ、君たちと併せてお招きしていたものでね」

「それでは、お呼びしてまいります」

 部下の青年はそう告げると、そそくさと部屋から立ち去っていく。

 そしてまもなく、一人の老人が部屋の中へとその姿を現した。


「久しぶりじゃの、与一郎殿」

「ご無沙汰いたしております、御師様。しかし、ご壮健のようで何より」

「なんのなんの、日に日に天へのお迎えが近づくばかりじゃよ。ところで、此度の招きは如何な理由によるものかのう? 見れば我が弟子も招かれておるようじゃが」

 チラリと僕に視線を向け、師匠は細川様に向かいそう問いかける。

 すると、細川様は思いもよらぬことを言い出された。


「ええ、実は北白川の戦いの後、些か剣を手にする機会が無くなっておりまして。そこで少しばかり、手合わせをお願いしたく思った次第です」

「ほう、手合わせをか」

 細川様の言葉を受けて、師匠は値踏みするような視線を彼へと向ける。

 しかし、細川様はかわらぬ涼しげな表情を浮かべたまま、その視線を突然僕へと向けた。


「ええ。それも出来ましたら、我が弟弟子と一度剣を交わさせて頂ければと」

「私と……ですか」

 思わぬ指名に、僕は即答することが出来ず戸惑いを隠せなかった。

 しかしそんな僕を更に混乱させる言葉を、細川様は口にされる。


「ああ、君とさ。あの三好家の十河一益に引けを取らないという天才、天海秀一くんとね」

 そう口にした美青年の顔には、怪しげな笑みがはっきりと浮かび上がっていた。

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