第四話 腹の内は

「ふぅん。しかし面白いね。卜伝翁の弟子になっていたのは知っているけど、まさかあの吉岡に勝ってくるとはさ」

 僕が預かる形となった京都の今井家内にて、慌ただしい帳簿の確認を終えた午後。

 この店の番頭を務めることとなった重秀は、少し遅くなった昼餉をともにしながら、昨日の僕の話を興味深げに聞いてきた。


「いや、でも僕の方が年上だったし、何より腕は向こうの方が上だったさ。多分歳が同じなら勝負にもならなかったよ」

「歳の差ねぇ……だけど、相手は次代の吉岡憲法だぜ。自分の言っていることが本当にわかっているかい?」

 僕に向かって軽く肩をすくめながら、重秀は苦笑交じりにそう告げる。

 そんな彼の言葉に、僕は困ったように頭を掻いた。


「いや、言いたいことはわかるけどさ」

「わかっているなら結構。しかし、少し見ないうちに逞しくなったものだ。男子三日会わざれば刮目してみよとはいうけど、まさか実例を見させられるとはね」

「あまり変わってはいないよ。堺で一緒に下積みをしていた頃のままさ。むしろそんなものを持ち歩いている、君のほうが変わったと思うけどね」

 僕はそう口にすると、常に重秀が手近なところに起き続けている種子島へと視線を向けた。


「君のように、俺は刀なんて振るえないからね。何しろ根が臆病者だからさ。だからこいつがお似合いなんだよ」

「臆病者って君がかい? いつも真っ先に上の人に逆らっていたと思うけど」

 僕ら二人がまだ一番下の丁稚だった頃、気に食わない年配の手代相手にしばしば食って掛かったのが眼前の重秀であった。

 その為、一緒にいることが多かった僕までとばっちりを受けたことは、一度や二度ではない。正直その点に関しては、今も少しばかり根に持っていたりする。


「はは、そんなこともあったかな。でも、ちゃんと相手は選んでいたさ。何しろ臆病者のもので、負けることが怖いからね」

「そう言いながら、父親と喧嘩してきたんだろ?」

「ああ、そうだよ。どうせあの人の下で負け続けるくらいなら、喧嘩して逃げてきたほうが賢いと思わないか?」

 ああ言えばこう言う。

 昔から抜群に立ち回りがうまかったが、どうやらそれは今も変わっていないらしい。


「なんというか、臆病者の意味を考えなおさないといけなそうだよ」

「それはそれは、光栄の至り」

「ともかく、そいつを持っている限り、君が恐れるものなんてないんじゃないかな。そこまで手入れが行き届いていれば、飾りってわけじゃなさそうだしね」

 僕はそう口にすると、重秀が背後の壁に立てかけた種子島へとその視線を向ける。

 その視線に気づいた重秀は、ニコリと微笑みながらその口を開いた。


「紀伊では根来寺ねごろじの連中が、こいつを大量に作り始めたからね。うちとしても、それを眺めているだけという訳にはいかないのさ」

「根来寺というと、津田つだ監物けんもつ殿かな」

「おやおや、あの腹黒親父を知っているのかい?」

「南蛮貿易の絡みで少しだけね」

 津田監物。

 種子島に伝来した鉄砲を畿内へと持ち込み、後に戦国の戦い方までも変革させることとなった、紀伊の国の根来寺の僧兵長である。


 旦那様と共にではあるが、これまで二度ほど商いを行った事があった。その際の印象はまさに食えない無精髭の親父というものである。それ故に、重秀の言う腹黒親父と言う表現は、僕としてもまったくもって頷くところであった。

 しかし、そんな僕の共感を無視するかのように、目の前の男は承服しがたいことを口にする。


「そういえば、誰かさんが硝石を独占しようとしているんだったか。まったくどこかにいる腹黒少年は、やろうとすることが子供とは思えんね」

「腹黒少年っていうのが誰を指しているのかわからないけどさ、少なくともその少年と君とは、歳もやっていることもそんなに変わらないと思うよ」

「はてさて何のことやら。ともかく、目の前にいる君より、僕の方が二つ歳上さ。いやいや、気を使って敬語で話せなんて言わないよ。もちろん主人である君が望むなら別だけど」

 ニンマリとした笑みを浮かべながら、重秀は僕に向かってそう告げる。


 昔と全く変わらぬ僅かに毒を含んだやり取り。

 それを久々に味わうこととなった僕は、一度大きく溜め息を吐き出した。


「そういうところ変わらないよね」

「なにを指摘しているのかわからないけど、ともかくおれから言えることは一つだけさ。うちにも硝石を、お友達価格で回してくれってね」

 全く悪びれる素振りも見せず、重秀はあっさりとした口調でそう言ってくる。


「あのさ、君って今井の人間として番頭を努めに来たんじゃなかったのかい?」

「もちろん、そのつもりだよ。だけどさ、同時に雑賀の商人として動いてダメなんて、そんなことは言われてないからね」

「そりゃあ、雑賀衆のことを優先するなんて思わないからね。しかし、繰り返すけど、そういうところ本当に変わらないよね」

 僕は頭を振りながら、疲れたようにそう口にする。

 するとそのタイミングで、突然僕らのもとに、一人の若い丁稚が駆けつけてきた。


「旦那様方、お話中のところ申し訳ないのですが、今よろしいでしょうか?」

「どうしたんだい、田助」

 旦那様の下から派遣されてきた、ほぼ同年代に当たる田助の言葉を受け、僕は軽く首を傾げながらそう問いかける。


「実は旦那様を尋ねて、お客様が見えられているのですが」

「お客さん? このまだ店は準備中のはずなんだけどね」

「それは承知しているのだがね。そこを曲げて、なんとかお目通り頂けぬかな?」

 凛と透き通るような若い男性の声が僕の鼓膜を震わせた。


 慌てて視線を声の方向へと向ける。

 すると、非常に整った容姿を有する涼やかな美青年がそこに立っていた。


「えっと、貴方はどなた様でしょうか?」

「ふむ、君との関係で言うならば、兄弟子というのが最も近いか」

 そう口にすると、目の前の切れ長の瞳を有する美青年は、薄い笑みを浮かべる。

 一方、彼の言葉を耳にして、彼が口にした兄弟子という言葉がなにを意味しているのか、当然の事ながら即座に理解した。


「兄弟子……ですか。つまり師匠の――」

「ああ、卜伝様の弟子さ。私の名は細川ほそかわ藤孝ふじたかという」

 僕の言葉を軽く遮る形で、微笑みながら発せられた青年の言葉。

 それを耳にした瞬間、僕だけではなく目の前の重秀も思わず驚きの声を発した。


「細川……まさかあの!」

「あのと言うのがなにを指しているのかわからないが、多分その細川だ。すまないが、今から少し時間を頂けないかな。弟弟子であり今井の店を預かる天海秀一くんと、そしてなぜかここにいる雑賀の孫一くんの時間をね」



あとがき


細川幽斎ほそかわゆうさい細川藤孝ほそかわふじたか

天文3年(1534年)生まれ。幼名は万吉。通称は与一郎。

異母兄弟との説もある室町幕府13代将軍の足利義輝を始め、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康など時の権力者に重用されていった武将であり、彼の系譜は第79代内閣総理大臣である細川護熙ほそかわもりひろ子氏へと連なる。

戦国武将でありながら、当代随一の文化教養人でもあったとされ、これを示すエピソードとして、三条西さんじょうにし実枝さねきから御所伝授とも呼ばれる古今伝授を受けた幽斎は、関ヶ原の戦い時点において唯一の伝承者となっており、圧倒的多数の兵に囲まれた彼を、古今伝授の喪失を恐れた後陽成天皇が勅命によって助けるに至った。もちろん文化人としてだけではなく、剣技も塚原卜伝の弟子であり、まさに文武両道を極めた男と言えよう。


津田つだ算長かずなが津田つだ監物けんもつ

明応八年(1499年)頃の生まれか。津田流砲術の祖として知られ、通称の津田監物は代々世襲されている。

種子島へと自ら渡り、鉄砲製造法と砲術を学び、後に堺の芝辻清右衛門に種子島を複製させた。この経緯から、紀伊及び堺は当時の種子島の大量生産を行うこととなった。

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