第三話 力と技
「このままじゃ……まずい」
自ら目掛けて振るわれる木刀。
それは寸分違うことなく、人体における急所という急所目掛けて放たれた。
明らかに怒気を撒き散らしながらも、一切狂うところのないその剣筋を前にして、僕は目の前の少年がただならぬ使い手であることを理解する。
だからこそ、無手のままではいられないことを瞬時に悟った。
「勝手に借りさせてもらうよ!」
道場の縁に立てかけてあった木刀を勝手に手に取ると、自らの頭部めがけて振り下ろされる少年の剣を、瞬時に受け止める。
「お前、剣を!」
「多少……ねっ」
短い言葉の中に、少年の驚きを感じ取った僕は、それだけを口にする。そして同時に僕は、間合いを取り直そうと大きく後ろに飛び退った。
「……生意気な。だが田舎者の剣など、吉岡の敵ではない!」
少年は一度大きく息を吐き出すなり、再び木刀を握り直すと、そのまま僕目掛けて加速した。
一撃、二撃、三撃。
次々と少年の木刀が僕目掛けて振るわれていく。
その剣筋は極めて洗練されたものであり、僕より幼い彼がこの連撃を繰り出しているという事実に、僕は衝撃を覚えずにはいられなかった。
「これが吉岡……すごい」
初めての手を合わす吉岡の剣に対し、僕はただ受けることだけに専念していた。
それは少年の剣を受け止めて、すぐに一つの事実を理解したためである。そう、少年の剣の技量は僕を大きく上回っているという事実を。
だがそんな守勢に徹した僕の対応は、目の前の血気盛んな少年の闘志に油を注ぐ結果となった。
「くそ、亀のように縮こまりやがって。オイラの剣を舐めるなよ!」
その苛立ち混じりの言葉が発せられると同時に、少年の木刀を振るう速度はますます加速していく。
それはまさに、振るわれる剣閃の無駄を可能な限り省き、まるで純粋な回転体として存在するかのような連撃であった。
「このままではいつか崩される。ならば!」
自らより少年の技量は高みにある。
それは明白であった。
だからこそ、僕は純粋な技対技の戦いでは、勝ち目がないことを理解する。
それ故に、僕は別の選択肢を選んだ。つまり少年と僕との間にある、唯一のアドバンテージを活かすために。
「ごめんね」
ギリギリのところで、新たな少年の剣撃を受け止めた瞬間、僕は少年に向かいそう口にする。そして同時に、そのままの姿勢でタックルを行った。
途端、華奢な少年の体は大きく後方へ弾かれる。
「な、なに!?」
予想外の僕の行動に対し、少年は驚きを隠せず大きく目を見開く。
初めて見せた彼の動揺。
技量で劣る僕が、それを見逃すわけにはいかなかった。
「十河さんにやられたことを、まさか僕がすることになるとはね」
師匠の下で十河さんと手合わせをした際、技量はもちろんであったが、それ以上にどうしてもかないようのなかったものが一つ存在した。
そう、それは体格差である。
僕とあの人との間に存在したそれは、僕と目の前の少年との間にも確実に存在した。
だからこそ、僕は速さよりも力を、そして鋭さよりも重さを意識して強く剣を振るう。
結果は一つ。
少年の木刀が宙に弾かれ、そして僕の木刀の鋒が、少年の眼前で静止した。
「かっかっか、腕を上げたのう秀一」
静寂に包まれていた道場の中に、突然響き渡った笑い声。
驚いた僕と少年が視線を向けたその先、そこにはいつの間にか一人の老人が白髪交じりの壮年の男と共に立っていた。
「し、師匠」
「お、親父」
ほぼ同時に二人の口から発せられた言葉。
それを耳にした二人の男たちは、顔を見合わせながら笑いあった。
「手合わせをしてくれるだけではなく、折檻までしてくれるとはね。いやはや感謝するよ、天海くん」
「いえ、これはその……」
憲法殿のそんな言葉に対し、僕はこの状況をどう話していいかわからず、結局ただただ苦笑を浮かべることしかできなかった。
道場に併設された吉岡家の一室。
そこでは一人の老人と、白髪交じりの壮年が、盃を交わしながら互いの再会を喜び合っていた。
「しかし、堺に向かわれた後は鹿島へ戻られると思っておりました。また再開できるとは嬉しい限りですよ」
「なに、野暮用で少し寄っただけじゃて」
卜伝はそう口にすると、笑いながら盃を口元へと運ぶ。
一方、そんな老人の言葉をそのまま受け取らなかった憲法は、敢えてもう一歩老人に向かい踏み込んだ。
「少しと言われる割には、かなり気に入られているご様子ですが」
「ふふ、まあのう。なかなかに見どころがあるのは事実じゃ」
その卜伝の言葉を受け、憲法は苦笑を浮かべると、小さく頭を振る。
「しかし直賢がああも見事に敗れるとは。いやはや正直言って、あのようなお弟子さんを持てることは羨ましい限りですよ」
「さて、それはどうかのう。技量という意味では、お主の息子の域に届いておらんかったと思うが」
「確かにそうかもしれませんが、しかし彼は剣を重ねる中でそのことに気づき、三津からの戦い方を変化させた。その柔軟さこそを賞賛するべきでしょう。普通ならば、年下の少年に劣ることを受け入れることはなかなかに用意ではありませんから」
その憲法の言葉は、まさに彼の本心であった。
だからこそ、卜伝は自らの弟子が持つ最大の資質をあっさりと口にする。
「腕はまだまだじゃが、頭は柔軟な上、実に切れるでな」
「頭が切れる……ですか。つまりは、それも踏まえてのご推挙だと考えてよろしいのですね?」
この問い掛けこそが、憲法が卜伝を自室へと招いた最大の理由であった。
そして、その問いかけに対し、彼の目の前の老人は迷うことなく首を縦に振る。
「まあのう。で、お主はどう見るかね」
「そうですね。正直なことを言いますと、わかりません」
「ほう、わからん……か」
憲法の回答を耳にして、卜伝は目の前の男を探るかのような視線を向ける。
するとそんな彼に向かい、憲法は苦笑を浮かべてみせた。
「ええ。残念ながら、この憲法の目は節穴のようで、多少言葉を交わせた程度では、残念ながら彼の底が見えませんでした」
「なるほどのう。どうやら大樹の兵法指南係殿の興味は引けたようじゃな」
卜伝はそう口にすると、満足そうに二度頷く。
一方、そんな彼に向かい、憲法は僅かに右の口角を吊り上げると笑い声を上げた。
「ははは、少なくとも私自身が手合わせしてみたいと思ったのは、全くもって事実ですよ」
一見すると、剣を持って秀一自身のことを理解したいと受け取れるその発言。
しかし、そこに込められた本音を、卜伝はあっさりと看破してみせた。
「してその本心は、戦場で大樹の足を引っ張らぬかどうか、そこを第一に確認しておきたいというところかな」
「……もちろん否定はしません。それに今の大樹の状況を考えれば、至極当然のことかと」
僅かに含みをもたせながら発せられた憲法の言葉に、思わず卜伝は眉間にしわを寄せる。
「それほどに芳しくないのかね?」
「応仁以降、足利家が芳しかったことなどありませんよ。その中でも、特に芳しくないというのは事実ではありますが」
「三好の当主殿はそこまで苛烈とは思わんがな」
「当主殿は確かにその通りです。自らは表に出ず、あくまで実権のみに切れば良いとのお考えのようですから。ですが、家宰殿は些か違うようで」
三好家の家宰。
その存在のことを耳にした瞬間、卜伝は僅かに苦い表情を浮かべた。
「家宰殿か。堺にでも、少しばかりあの男のしっぽを踏んだところでのう。しかし、まだあの男と対峙するのは早計じゃろうて」
「おやおや。ということは、いずれ彼は家宰殿と対峙すると?」
卜伝の発言にきな臭さを感じ取ったのか、憲法は眉をひそめながらそう問いかける。
だがその問いに対し、卜伝は敢えて詳細を語ることはなかった。
「さて、どうじゃろうかのう。じゃが、万が一の事を常に考えておくのは、愚かなことではなかろうて」
「卜伝殿はいつも含みのあることを口にされますからな。敢えて確認しますが、それは本当に万が一のことだとお思いですか?」
「ふむ……はてさて、誰かと同じでわからんのう。何しろこの卜伝の目も節穴のようで、多少言葉を交わせた程度では、家宰殿の底が見え無かったからのう」
先ほど憲法が秀一に関して語った言葉を、そのまま写したかのような言い回し。
それを受けて、思わず白髪交じりの壮年は苦笑を浮かべずに入られなかった。
「はは、なるほど。ですが裏を返せば、あの危険な男に比肩するとお考えなわけですな」
「否定はせん。だが、あくまで可能性の話じゃて。あの男はまだまだ秀一の遥か先を歩んでおるからのう」
「これまでの歩んできた道のりが異なりますから。しかし貴方がそこまで弟子に気をかけられるとは、まさに大樹以来のことですな」
「そうかのう。わしとしては、細川の小僧にも期待はしておるがの」
自らの表情を伺いながら、自らを試すかのように放たれた問いかけに対し、卜伝はあっさりとその内容を否定してみせる。
しかしながら、続けて放たれた彼の言葉に、憲法はその表情を一変させることとなった。
「憲法よ。いずれにしても楽しみにしておるが良い。何しろあの男、天海秀一は久方ぶりに我が秘儀を授けるにたる人物ではあるのだからな」
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