第一章 立志編
第一話 石合戦
天下に最も多きは人なり。最も少なきも人なり。
─黒田官兵衛
「目薬屋! よくもまあ、のこのことやって来たな」
背後に控えた子供たちよりも明らかに身なりの良い少年。
彼は僕達の姿を認めるなり、上から目線でそう告げる。
齢十一歳になる
僕の隣に立つ萬吉はそんな彼の言葉に軽く肩をすくめると、少年らしからぬ薄ら笑いを浮かべてみせた。
「やって来たなと言われても、俺をここに呼び出したのはお前たちじゃなかったのか?」
「……相変わらずガキのくせに口の減らないやつだ。ともかくだ、あの山は俺たち山脇のものだ。お前たちは出て行け」
山脇はそう口にすると、直ぐ側に見える小高い沈石山を指差す。
最近まであの山より向こう側は山脇家の領地、そしてこちら側は黒田家の領地とされていた。
それ故に、山自体の領有権は曖昧なままとなっていたのである。
それを小寺のお殿様が、黒田家に自らの一族の証である小寺の苗字を名乗ることを認め、併せて曖昧となっていた山の所有権を明確に黒田家のものだと裁定されたのである。
これに怒ったのは山脇家であった。
彼の家はこの地に長く根付き、小寺のお殿様にも協力を惜しんでこなかった。
それがこの地にやってきて日の浅い黒田の者たちに、なすがままにされるなどとても許すことが出来なかったのである。
そのような経緯故に、当然山脇家に連なる多くの者がその怒りを露わにした。
だが当主である山脇職吉自身は、決して取り乱したりはしなかった。
今の段階で小寺のお殿様に逆らうことは決して利口ではないこと、そしてもし逆らうなら小寺家以上の力を持った時と考えていたためである。
だが当主である彼の考えを、理解できない者のほうが圧倒的に多かった。
そんな一人に、彼の三男の山脇重信がいる。
元々彼の山を遊び場としていた重信は、我慢ならぬとばかりに、こうして子どもたちを引き連れて正面からけんかを売ってきたのである。
「出て行けと言われても、すでに小寺のお殿様が姫路村のものだってご裁定されただろ。正直言って、お前たちは馬鹿なんじゃないか?」
「うるさい。そんな大人たちが勝手に決めたことは関係ない。あの山は絶対に俺たちのものなんだ」
淡々と事実を告げる萬吉に対し、重信は感情を露わにして、食って掛かる。
すると、萬吉は頭を振りながら、大きな溜め息を吐き出した。
「勝手にそんなことしたらどうなるか、少しぐらいは考えたらどうだ? 父親が泣くぞ」
「が、ガキのくせに生意気な。今日こそ目に物を見せてやる!」
その言葉が重信の口から発せられるのを合図として、重信の背後に控えていた少年たちは、一斉に河原に落ちている
一方、その光景を前にして、僕たちの仲間の中では最年長となる齢十一の二兵衛が不安げな声を発した。
「こ、小寺様。本当に大丈夫ですか。山脇の奴らの方が、人数が多そうです。このままでは……」
「確かに
重信たちの行動をその目にしながら、萬吉はニヤリと笑みを浮かべると、僕に向かって話を振ってくる。
それを受けて、僕は敢えてニヤリとした笑みを返した。
「はい。基本的に戦いは数、それは事実です。ですが、今現在目の前にあるものだけが、その全てではないということです」
「……なんか秀一の言うことはいつも難しくてわからないよ。ともかく勝てるんだな?」
僕の説明はどうも二兵衛を混乱させただけのようで、困った彼は単純に勝敗のみを聞いてくる。
それに対し、僕は苦笑を浮かべながらも大きく一度頷いた。
「ええ。というか、勝てるかじゃなくて、勝ちます。そのための準備は、昨日のうちに竹蔵兄ちゃんと行いましたから」
「ああ、安心してくれ。相変わらず卑怯な秀一の作戦があれば、山脇の奴らになんか負けはしないぜ」
姫路村の子供の中では最も体格の大きく、二兵衛と並んで最年長の竹蔵。彼は自信満々に拳を握り締めると、皆に向かってはっきりとそう告げた。
そんな頼もしい彼の声を受けて、僕たちの大将は一度首を縦に振る。
そして一同を見回すと、意味ありげに微笑んだ。
「結構。それじゃあ、始めるとしようか。いくぞ重信!」
その萬吉の声がまさに戦の合図となった。
両軍は隣を流れる市川の河原に落ちている手頃な石を握り締めると、すぐさま敵に向かって投げつける。
そして瞬く間に、両軍の礫が空を飛び交いだした。
二兵衛の言っていたとおり、確かに相互の人数比は山脇の者たちが四割ほど多い。
それは空を飛び交う礫にも如実に現れ、戦いが始まってすぐ、僕達は不利な状況に陥っている事を理解した。
「か、数が違い過ぎる。このままじゃ、イタッ!」
「二兵衛! すまん、だがもう少しだ。もう少しだけ踏みとどまるんだ」
早くも敵の礫の直撃を受けて、体のあちこちを次々と腫らす仲間たち。
そんな光景を目の当たりにしながら、萬吉は皆に向かってそう告げると、下唇を噛み締めた。
一方、対峙する山脇の者たちは、自分たちが明らかに有利なことを理解すると、次第にその表情には余裕の笑みが浮かび始める。
「秀一……そろそろ構わないか?」
敵の表情の変化と、戦いに対する緊張感が薄れだしたことを見て取った萬吉は、隣に立つ僕に向かい声を掛けてくる。
「はい、これ以上踏みとどまると、きっと大怪我する奴が出てきます。十分に敵は釣り針に食いついた。潮時でしょう」
「そうだな。それでは皆の者、後退だ! 全力で川下に向かって走れ!」
萬吉のその指示は、敵味方両方の耳にはっきりと届いた。
「はっはっは、姫路の奴らは逃げだしたぞ。今だ、追え!」
川に沿って、一気に川下に向かって駆け出した僕たちに対し、山脇の者たち勝利を確信しながら追いかけてくる。
この光景をもし空から見ている者がいれば、僕たちがあっけない敗北を喫したようにしか見えなかっただろう。
何しろ数の少ない者たちが、多数の者たちに追われて逃げる、ありきたりの光景にしか過ぎなかったのだから。
しかし、ありきたりではないことが一つだけ存在した。
それは、逃げ出している者たちの表情に、敗者が浮かべるのとは異なる笑みが浮かんでいたことである。
「萬吉様、もう間もなくです」
「よし、見えた! みんな目の前に積み上げられている石を手に取れ!」
萬吉の視界に写ったのは、投擲に適する予め準備された礫の山。
そこにたどり着くや否や、僕たちは追いかけてきた山脇の者たちへと向き直った。
「まだだぞ、もう少し引きつけろ……よし今だ、一斉に投げつけてやれ!」
僅かに遅れて追いかけてきた山脇の者たちを投擲範囲内に収めると、僕たちは準備していた礫を彼ら目がけて一斉に投げつける。
途端、反撃に遭うなど予期していなかった目の前の連中は混乱に陥った。
「何だと、まだやる気か! ええい、こうなればもう一度数の違いを教えてやれ!」
「む、無理です」
その声を耳にした瞬間、情けない声で返答してきた少年に向かい、重信は怒鳴り声のまま理由を問いただす。
「無理だと、何を言っているんだ?」
「それが……重信様。石が、石がありません!」
「な、何⁉︎ どういうことだ」
思わぬ報告を受け、重信は驚きを見せる。
すると、周りの異変に気づいていた別の少年が悲鳴に近い叫び声をあげた。
「この辺りの地面から、礫になりそうな石が全て無くなっています!」
「なんだと、じゃあまさか!」
「はい。きっと奴らは、この辺りの礫を一箇所に集めて準備していたんです」
「クソ、計ったな目薬屋!」
重信は地団駄を踏みながら、怒声を発する。
しかし、次々と飛んで来る礫を前にして、彼は眉間に青筋を浮かべながらも、我れ先にとその場から逃げ出した。
「ふぅ……勝負ありましたね」
「ああ。奴らは先ほどの俺たちと違い、てんでバラバラに逃げ始めた。俺たちの勝利だ」
僕の言葉を受け、萬吉は満足そうに一つ頷く。
そして頼もしい村の少年たちへゆっくりと向き直ると、彼は微笑みながら高らかと声を張り上げた。
「さあ、勝どきを上げるぞ!」
「「エイエイオー!!」」
「いやぁ、小寺様。今日の山脇の奴らの顔ったらなかったですね」
戦利品である山に成ったアケビを頬張りながら、最も図体の大きな竹蔵は、嬉しそうにそう口にする。
「はは、まあな。数も腕っ節も奴らが上かもしれん。だが、つまるところ戦はここさ」
ニヤリとした笑みを浮かべた萬吉は、右手の人差し指で自らの頭を指差す。
すると、竹蔵は大きく頷き、そして前を歩いていた僕の背中を軽く叩いた。
「秀一もやるじゃねえか。昨日の夕方、急に市川に遊びに行こうと言われた時は何だと思ったが、まさかこんなに上手くいくとはな」
「竹蔵兄ちゃんが頑張って石を集めてくれたからさ。僕一人だと絶対に間に合わなかったよ」
「そうか、俺のおかげか。そう言われると悪い気はしないな」
僕の言葉に、竹蔵は嬉しそうな笑みを浮かべると、やや胸を張って歩き出す。
単純ながらも、人懐っこいそんな竹蔵の姿を目にして、姫路村の子どもたちは誰もが楽しそうに笑った。
そうして、一団が村の入口に差し掛かった時である。
堂々と凱旋してきた僕達に向かい、突然横手から息を切らせた老人の声が発せられた。
「萬吉さま! やっと見つけましたぞ!」
「げっ、
腰に手を当てながら、萬吉を見下ろすようにその場に立っていたのは、彼の教育係を務めている浄土宗の圓満和尚であった。
一方、そんな萬吉の反応を目にして、圓満和尚はすぐに眉をひそめると、迷うことなく彼を窘める。
「『げっ』とはなんですかのう、『げっ』とは」
「いや、深い意味はなくてだな、その……」
「皆の体の痕や怪我を見れば、だいたい何をしておられたかわかりますが……おそらく山脇の者たちですな?」
子供同士の戦いを終えた僕たちの姿。
それを目にした和尚は、溜め息を吐き出しながら、あっさりと相手のことを看破する。
「……まあ、そんなところだ」
「はぁ、あれほど
「奴らから売ってきた喧嘩だ。俺たちはただ火の粉を振り払ったに過ぎない」
父親である姫路城代の事を口に出され、萬吉は分の悪さを自覚しながらも、はっきりと自らの正当性を主張する。
「確かに、そうだったかもしれませんな。でもこれで山脇の者たちは、更に恨みを積もらせる。そしていずれ、再び萬吉様を狙ってくるかもしれません」
「その時は、また火の粉を振り払えばいい。その為にも、俺は力を手に入れるのだ」
最近の萬吉の口癖である“力を手に入れる”。
その言葉を予定通りまんまと引き出した圓満和尚は、大きく一度頷いた。そして彼は意味ありげな笑みを浮かべる。
「なるほど、なるほど。そのお覚悟があれば結構。では、更に力をつけるためにも、お勉強の時間と致しましょう。よろしいですな?」
「う、うむ……そうだな」
墓穴を掘ったことを自覚しながら、自ら力を得ると言い出した手前、萬吉はそれ以上反抗をすることができなかった。
そうして覚悟を決めた彼は、僕たちに向かって振り返る。
「では、皆の者。今日は良き働きだった。また遊ぼうぞ」
そう言い残すと、萬吉はしぶしぶといった足取りで、圓満和尚に強制的に連行されていった。
そうして、その場に残された僕たちは、お互いの顔を見つめ合う。
「行っちゃったな、小寺様」
「ああ。これからどうする?」
「そうだな、服の裾が破れちゃったし、俺もバレないうちに家に帰ろうかな」
竹蔵がそう口にすると、最年長の二兵衛が大きな溜め息を吐き出す。
「お前のとこ、親父が厳しいもんな……秀一はどうするんだ?」
「僕? そうだね、一度うちに帰って……え、あ……母さん」
みんなとともに歩きながら、いつの間にか村の中ほどまでたどり着いていた。
そしてそんな僕の目の前には、いつの間にか怒りを隠さぬ大柄な母親の姿があった。
「どこをほっつき歩いていたんだい、この馬鹿息子!」
その言葉が口から発せられると同時に、彼女の右手が閃く。
次の瞬間、頬に激しい痛みが走ると、そのままの勢いで僕は地面を転がった。
「ご、ごめんなさい」
「昨日も途中で仕事抜けだして川に遊びに行ったね。遊んでばかりの奴に食わす飯なんてうちにはないよ。今日はあんた飯抜きだからね!」
……村で一番怖いとされるお絹という大柄な女性。
それが僕のこの時代における唯一の肉親であり、そして母親だった。
あとがき
天文15年(1546年)生まれ。幼名は
現在ではもう一人の不世出の天才軍師である
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