第15話
「ごめんなさいねー。この町には貴方みたいな男の子、あまりいないものだから」
「ごほっ、ごほっ……。い、いえ」
『水差し』の魔女と呼ばれた女性にオビは謝られたが、僕としては寧ろ感謝したいくらいだった。悲しいことに、あの幸せな感触を僕は今まで味わったことがなかった。しかしながら、オビとしては何が何やら分からなかったらしい。突然不思議な感覚に包まれて、呼吸が出来ず苦しくなった。その程度の印象だ。
オビは今の僕……フリーターだった僕ではなく、高校生に戻った僕と、恐らく同じ年齢だと思う。けれども彼は、どうやら恋愛だとか、思春期特有のフラストレーションというものを知らない。考える余裕などなかったというのが理由だろう。オビの両親も、彼にそういった教育をする余裕はなかったと思う。
「私はこの町の魔女。『水差し』の魔女。貴方のお名前は?」
先程までオビを抱きしめていた女性の、艶やかで瑞々しい手が伸び、彼の手を包む。暖かで柔らかな手は、オビの体をビクリと震わせた。彼女の水色の瞳はオビの顔を見つめているが、オビはその瞳を見つめ返すことは出来そうになかった。
「お、オビです」
緊張からか、自分の名前すら口ごもる。オビにとって彼女は突然苦しい思いをさせられた怖い人であり、人生で初めて見る綺麗な女性だった。
どうしても視界に彼女を写すことが出来ず、オビは大きく目線を右側に逸らす。するとそこには、彼の手を掴む『水差し』の魔女を見守るように此方を見つめる、一人の男性の姿があった。
「……?」
正直、かなりビックリした。けれどもオビは大物なのか、男の姿を興味深く見つめる。
腕を組んで彼を見つめ返す男。肌は黒く、オビにとっては初めて見る人種であると分かる。筋肉質な体は身に纏う衣越しでも威圧感があり、金色に輝く瞳は鋭く鋭利だ。
「ほら、貴方も自己紹介よ」
『水差し』の魔女はそんな彼に怯える様子はなく、その太い腕を華奢な手で軽く叩いた。
「・・・ガーナだ」
男は一言発すると、オビに向かって一歩足を動かした。彼との距離は長かったはずだが、その一歩だけで目の前に来る。瞬間移動でもしたのかと錯覚をしそうだ。勿論、彼の足が長いだけだが。
ガーナと名乗った男は、腕を組むことを止めて右手を此方に伸ばす。大きな手を少し見つめてから、握手を求められているのだと気づき、オビもまた慌てて手を伸ばす。
「よ、よろしくお願いします」
オビの声を聞くと、ガーナは少しだけ口角をあげる。先程までの距離感であれば、きっとそれには気付かなかっただろう。それほどに小さな変化だった。
あ、この人いい人だ。そんな感想をオビは抱く。体格があまりにも違う彼は僕に恐怖を与えたが、オビは彼を心の内側に仕舞う。寧ろ新しく出会った魔女の方に怯えているようだ。
そこでふと気がつく。僕は僕であり、オビはオビなのだと。
僕はいま、オビとしてココにいる。だからあの柔らかな感触に包まれたし、ガーナと名乗った男の分厚く固い手の感覚を得た。
だが、それらに対する感想があまりにも違う。男として気持ち悪かったのは僕だけで、ビビりで情けなかったのも僕だけだ。
とは言え、全くの別人。というのも違う。
例えばいま。僕が唐突に奇声を上げて『水差し』の魔女に飛び掛かり、あの至福の頂きに触れることは出来るだろう。・・・・・・いや。勿論そんなことはしないし、彼女を守るように立つガーナがさせないだろうけど。
憑依や追体験。そんな言葉が適当だろうか。自分で思い付いた疑問だけど、すぐに違うと否定出来てしまう。
ココにいる僕は、間違いなくオビなのだ。不思議と、それを確信している。ただ、様々な出来事に対する感想が違う。それはきっとオビの過去によるものであり、僕の過去によるものだ。
「ていうか、『山羊』。この子って、もしかして?」
ガーナと手を離すタイミングで、冷めた目で此方を見ていた『雌山羊』の魔女に向かって、『水差し』の魔女は疑問を口にする。
唾を吐き捨てるような態度で、老いた魔女はその疑問に答えた。
「―――そうだよ。この餓鬼が、私の戦士さ」
聞きなれぬ単語に、オビはポカンと口を開いた。
雌山羊の魔法 うぐいす @hrtkr150
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