第14話

 その町は、想像していたよりも汚かった。水差しの魔女がいる町という言葉から、何となく美しい町をイメージしていたのだ。頭のなかにあった町の姿に比べると、どうしても見劣りしてしまう。


 ただ、僕はその町を好きになった。その町はとても、活気に溢れていたのである。


「いらっしゃーい!! 今日はいつもより安くなってるよ! 買うならうちの店だ!」

「新鮮な魚が手に入ったよー!! 数は限られてるから、早い者勝ちだぁ!」


 様々な商人が、個性豊かな商品を売っている。その光景は乱雑で統一感がなかったが、一人一人の活力が伝わってくる素敵な光景だと感じた。


「うわー」


 我ながら、情けない声が口から溢れる。しかしながらそれも仕方のないことだろう。何せオビの住んでいた村は、ここの町よりもはるかに小さかった。魔女との旅で幾つかの町を見たオビだったが、未だにあの村の住民であるという感覚は拭えない。静かに時が流れるあの村に比べて、この町はせわしなかった。


「黙って頭を下げときな」

「……はい」


 魔女に言われた通りに、僕は顔を隠すように頭を下げた。時折馬車を見る町人に見られないように。


 オビの顔が見られることを、魔女は良しとしない。一度その理由を聞いた記憶があるが、魔女はお前の顔が醜いからだと吐き捨てるように言った。当時のオビはそれを信じたようだが、帯である僕としてはそれは嘘だろうと察する。


 魔女は秘密主義だ。例えどんな情報だとしても、他者に知られたくない。旅をしてオビは魔女ことを少しは知っているが、それでも必要最低限のことのみ。それはオビが魔女の名前を知らないことからも、よく分かることであった。


 そしてオビは、魔女の所有物だ。魔女としては、オビの情報もまた知られたくないことに含まれるのだろう。


「……やけに素直じゃないか。まぁ、煩くなくて良いがね」


 もっと町を見たい。その欲求は大きかった。しかしながら、魔女の言うことには従う。その鉄則は、オビの中で既に固まっていた。


 喧騒が離れていく。賑やかで幸せに満ちた声が消えていく様は、何とも気分が落ち込む。オビの錯覚か、声が消える度に周囲の温度が下がっていくように思えた。


 魔女から顔を上げる許可が下りたのは、心が空しさで包まれたときだった。


「あらー。『山羊』じゃないの。久しぶりねぇ」


 凝り固まった首を労るようにゆっくりと顔を上げると、オビ達にそんな声が掛けられる。視界には一人の美しい女性が此方に手を振るのが写った。


「何年ぶりかしら。十年? 百年?」

「知らないよ! そんなこと、いちいち数えてられないね」


 親しげに魔女に声を掛ける女性。その姿を、僕はきっと間抜けな顔で見つめているのだろう。簡潔に言って、見惚れるほどの美しさだった。


 女性の髪は、透き通るような水色だった。そんな髪色の人間などいないはずだが、柔らかく微笑む彼女にはその色がよく似合う。自然で、引き込まれた。


「って、あら?」


 透き通るような、青の瞳。それが此方に向いた瞬間、僕は浮遊感を覚えた。身体中に波打つ何かがぶつかり、喉がグッと押されるように痺れる。


「あら、あら?」


 溺れた。そんな強い危機感が全身を覆った。青い瞳に写る自分が、波打つ海に捕らわれたようで。そう感じた瞬間、瞳の自分こそが僕であると錯覚する。


「きゃー!!」


 息をしなければ。そう念じるように口を動かそうとしたところで、今度は別の意味で呼吸が不可能になった。


「何この子! 若い! かわいい!」


 顔を包み込む柔らかな感触に、僕が本気でオビで良かったと思ったのは誰にも言えない秘密だ。

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