第12話

 機会音が部屋中に響き渡る。なんとも現実的で、夢のない音だろうか。


 机の上には無機質な機械が置かれている。目を引くのは大きなダイアル。お椀状の容器が機械の上部に設置されており、その中に入れられた物体が機会音と共に機械の内部に消えていく。


「あの、魔法は?」


 酷く現実的で目の覚めるような光景に、僕はついそう呟いていた。


「魔法で豆を挽けと? いったい今が何世紀だと思っているんだ? 機械で挽いた方が効率的だし、無駄もなく、理想的な挽き具合になる」

「あ、そうですか・・・・。なんか、すみません」

「かまわないよ。君の質問とは少し違うが、私がコーヒーを挽こうとすると、よくハンドミルを使わないのかと聞かれることがある。━━━あれは非効率的だよ。確かにあれは巧く使用すれば安物の機械で挽くより挽きムラもなく、摩擦熱による粉の劣化が少なくて済む」


 そう話しながら、彼女は木材と鉄で作られた物体を僕の前に置く。楕円形の物体には草花を表現したような彫刻が彫られており、年期は入っているものの、それが高価なものであると確信を持たせた。むしろ、歴史的な価値がありそうだ。


 上部にはスライド式の小さな扉があり、何かをそこに入れるのだと分かる。天辺は半球になっており、中心には鉄で出来た杭のようなものがある。そこから横に伸びる棒の先には、小さな取っ手が着いていた。


 彼女はそこを持ち、杭のような物を中心に円を描くように動かした。カラカラという音が機会音に混じって聞こえてくる。


「しかしながら、豆を挽くために労力が著しく使用されるのだよ。エスプレッソの飲むためにこれを使おうとすれば、冬場でも汗をかくことは想像に難くない」


 彼女がそう言い切ると、機会音が止んだ。静寂が何故だか痛く感じる。


「故に、機械があればそれを使用するべきだ。見るといい。美しいだろう?」


 気付けば彼女が金属で作られたコップのような容器を此方に差し出している。見覚えはある。機械に設置されていた容器だ。何のためにあるのか分からなかったが、僕は中に納められているものを見て、全てを理解した。


 それは、驚くほど均一の大きさに挽かれたコーヒー豆だった。砂のように小さく挽かれた豆は、虫メガネを用意しなければ大きさの違いを説明できないだろう。


 先程目を奪われた、宝石のような輝きはもうそこにはない。しかしながら、彼女の言う通り僕はそれに美しいと感想を抱く。


 それは自然界ではありえない、人工的な美しさだった。


「すまないが、観賞の時間は終わりだ。挽きたてのコーヒー豆は可憐な香りを放ち、非常に魅力的な存在だが・・・・・・・あまりにも儚い。蜻蛉のように、直ぐにその命を枯らしてしまう」


 彼女は粉となったコーヒー豆を僕の眼前から除けると、机の前にはガラス製の容器が現れていた。


 不思議な形の容器だった。一見すると瓢箪のような形だが、二つに分かれた上の部分が広く開いている。また、よく見るとその上に逆三角推型のガラスが置かれていた。二つのガラスはピッタリと寄り添いあっていて、まるで最初から一つの物体であったかのようだ。


「サイフォン? フレンチプレス? それともネルドリップ? ――――どれも魅力的だが、今日は最も有名な、ペーパーを利用したハンドドリップにしようじゃないか」


 彼女の手には三角の紙が握られている。ただ下辺にあたる部分は、楕円となっている不思議な紙だ。慣れた手つきで側面にある縫い目のような部分を折りたたむと、楕円の部分に手をいれて、紙を開いた。


 逆三角推となっているガラスに、紙が設置された。紙はガラスに張り付いたかのように、動かなくなる。そして彼女は、粉となったコーヒー豆を、設置された紙の中にサラサラと注いだ。


「さて、コーヒーは何で出来ていると思う?」

「へ? ……コーヒーは、コーヒーで出来てると思いますけども」

「うむ。実に間抜けな回答だ。―――答えは水だよ。故に、水に妥協してはならない。かといって、市販のミネラルウォーターはいけないよ。あれには余分なものが混ざりすぎている。軟水のものであれば利用は可能だが、やはり水は【水差し】が癒したものに限る」


 彼女はウンウンと頷くと、手に小型のポットを持つ。僕の家で見たことのあるポットに比べると圧倒的に注ぎ口が小さく、白鳥の首のようにクルリと弧を描いていた。


「地獄の窯のように。熱ければ熱いほどコーヒーは美味しい………という意見もある。しかしながら、沸騰直前まで温めた水はコーヒーの繊細な味わいを崩してしまう。おおよそ90℃から93℃。できれば92.5℃が好ましい。それが最も豆の魅力を引き出せる」


 ゆっくりと、ポッドが傾けられる。すると小さな注ぎ口から、糸のように細いお湯が粉となった豆の元へ動き出した。


「完璧なコーヒーを入れたい? ――――それならば、豆の準備を待たなければならない。会いに行くだけが愛ではない。待つこともまた、愛だろう?」


 水を得た豆は、翼を得たかのように、その体を空へと伸ばす。そこで、彼女はお湯を止めた。豆は尚も膨らもうとするが、行き場を失ったかのようにいつしかその動きを止める。


「生命に満ち溢れた豆は、業火にその身を焼かれても魂を芯に残す。命を恵む水を与えれば、蜘蛛の糸を求める亡者のように貪欲に。その手を一心に伸ばす。だがその渇望を、私は無常に断ち切る。それが、完璧な一杯を作るための重要な布石さ」


 それを確認した彼女は、膨らんだ豆の中央に水を注ぐことを再開した。豆は尚も膨らもうとするが、先程までの勢いはない。ガラスの容器の中に、茶色い液体が零れ始めた。


「彼らの呼吸は、豆から成分を引き出すための邪魔でしかない。見殺しにすることで初めて土台が整う。命を与える水が、命を奪う水へと変わるのさ。……なんとも、罪深いと思わないかい?」


 彼女は手を動かし、円を描くように水を落としていく。ただある程度水が溜まるとその手を止め、水が豆の成分を―――命を奪うのを待つ。そして水が減ったらまた、彼女は注ぐことを再開した。


「誰かが言った。コーヒーとは、。――――実に、的を得た言葉だ」


 容器にある程度液体が溜まると、彼女は紙と豆の入った逆三角錐のガラスを外した。そしてそれ以上容器の中に液体が落ちないように別の容器に移す。


「これ以上は、余分だ。―――恨み、憎しみ、嫉妬。醜い感情は、この一杯に必要ない」


 彼女は液体の入ったガラスの容器を持つと、愛おしく撫でるように、クルクルと回す。


「穢れを悪魔に売り、代価を得る。それが、私の魔法」






 ―――――――――――――――――――――雌山羊の、魔法さ。







 美しい彼女に似つかわしくない、可愛らしい雌山羊のカップ。その中に注がれた、深淵の如く真っ黒な液体。




 僕は、それにどうしようもないほど、魅せられていた

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