第11話

「あ、また笑った! ダメですよ会長。会長の笑顔は気持ちが悪いんですから」

「むっ。失敬な。私の笑顔は太陽のようだと両親には好評だぞ」

「それは身内贔屓だと思います!」

「むむっ。極めて失敬な」


 あの日、羊飼いの宿という店で。僕は彼女に出会った。そう、それは未来の僕の話。そしてそれが彼女との初めての会合であったはずだ。


 そんな彼女が、目の前にいる。僕の通っていた、いや、僕の通っている学校の制服を身に付けて。


 彼女の容姿は、あの衝撃的で甘美でありながら荘厳としていた一杯を淹れてくれた、記憶の姿よりも幼い。だが高校生にしては大人びた容姿で、口紅を引いてすらいないのに、どこか色気というものを感じる。━━━あの、君の悪い笑みを浮かべなければ。


「とういうか、会長。彼、お知り合いですか?」


 彼女と会話をしていた生徒が、僕を大きな瞳で見つめた。女生徒は彼女と違い、まだ幼い印象を感じさせる人物だった。


「ああ、よく知っている。実に、久しぶりの再会だよ」

「へー。そうなんですか! じゃあ私はお邪魔ですね! 先に帰りますので、お二人はゆっくり話して下さい!」

「気遣い感謝するよ」


 身長の低めな女生徒は、右手を大きく振って逃げるように僕達から離れていった。何か勘違いをしているのかもしれない。少女漫画にありがちなベタな展開でも思い描いているのだろうか。


 しかしながら、僕と彼女にはそんなものはありはしない。僕と彼女にあるのは、一杯のコーヒーだ。


「さぁ、オビ。君は私に聞きたいことがあるだろう?」


 そんなことは、当たり前だった。何から何まで訳がわからない。フリーターをやっていた帯という僕。オビという人物。今ここにいる自分。そして、あの液体。僕は全てを知りたかった。


「だが、ここで話をするわけにもいかない。着いてきてくれないか?」

「わかり、ました・・・」


 彼女の申し出に、拒否権などない。知りたいという欲求が脳髄を汚している僕には、ただ首肯くしかなかった。


「いい子だ。では、着いてきてくれ」


 彼女はまた、不気味で気味の悪い笑みを浮かべた。












 彼女が僕を連れてきたのは、生徒会室と書かれた部屋の扉の前だった。


「ようこそ。私の研究室へ」

「あの、僕の記憶ではここは応接室だったはずですが」

「なに、大したことはない」


 彼女はあっけらかんに喋るが、ここは学校の客人を迎える大切な部屋だったはずだ。前の記憶で、誰かがふざけて入って叱られていたのを見たことがある。大したことあるに決まっているじゃないか。生徒会だとしても譲れる部屋じゃない。


「ほら、入るといい」

「・・・・・・・」


 彼女に促され、僕は恐る恐る扉を開けていく。その瞬間、身体中が硬直した。全身をなで回すかのように、部屋から吹き出てきた芳香。


 煙のような、カシスのような、グループフルーツのような、熟したベリーのような、ハーブのような、ナッツのような。


 多種多様な香りの雨が、僕の体に降り注ぐ。腕を傘にしても、僕の鼻腔に雫は入り込んでいった。


 頭の中によぎる、いくつかの映像。まるでそれはノイズのように傷だらけ。しかしながら、懐かしくあたたかいのは何故だろう。


「ほら、このソファーに座るといい」


 ハッと気づくと、部屋の中に足を踏み入れていた。部屋の中央には大きな机が置かれており、周りには柔らかそうなソファーが3つ。1つが一人用のもので、残りが三人ほどが座れる作りになっている。


 僕は、倒れるように彼女が指し示した三人かけのソファーに座った。机の上には、何かの資料が乱雑に置かれていた。


「全く、また片付けを怠ったな・・・・」


 彼女は不満そうな顔を浮かべると、馴れた手つきで書類を片付けていった。近くに書類が置かれていたため、かなり距離が短くなった。


 けれども僕は、そんな彼女を見ることもできない。そんな、余裕はなかった。部屋に設置されている、1つの棚。そこに、置かれた、無数のビン。その中に納められているものは、一見すると同じに見えた。僕はそれに視線を吸い寄せられる。それらは言葉による識別では同じになろうとも、色、形、大きさ、そして恐らく香りという点で、それぞれに濃厚な個性が存在した。


「ふふふ。それに目が行くとは、さすがはオビという訳か」


 彼女はまた、気味の悪い笑みを浮かべる。とても機嫌が良さそうに。


「ならいいだろう。君に全てを語る前に、君に再び魔法を掛けてあげよう・・・!」


 そして彼女は、そう口にする。その瞬間、僕の喉は、ゴクリと大きな音を立てた。


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