第5話

 瞳を開ける。強い光が、網膜に飛び込んできた。思わず顔を顰める。周りが、何やら騒がしい。


「き、奇跡だ……ッ!」

「ああ、魔女様、感謝致します!」


 光に慣れていくと、視界に涙を流す男女の姿が目に入る。僕の頭は、自然と彼らが両親であると認識していた。


 ――――――両親?


 いや、僕の両親は彼らではない。二人ともあんな濃い顔立ちはしていないし、痩せてない。僕の両親は、二人ともふくよかだ。年齢は推測だが二十代だし、何よりも、両親は目の前の男女よりもいい顔立ちをしているとは言えない。お世辞にも。


「父さん? 母さん? ……僕は、いったい?」


 そんな思考を巡らせても、僕の口から発せられた言葉は彼らを両親と認めるに相応しいものだった。そして僕は、その瞬間に理解する。――――ああ、これは夢なのだと。


 正直、これは現実逃避なのかも知れない。僕は分かっていた。夢なら、掛けられている布団の感覚も、窓から流れてくる風の感覚も、その風が運んできた草木の香りも。全て、こんなに明確であるはずがないのだから。


「ああ、大丈夫。もう大丈夫だ…! 何も心配することはない。お前は頑張ったんだから、少し眠るといい」

「そうね。頑張ったものね…。少し、眠りなさい……」


 両親は身を起こし掛けた僕を再びベッドに寝かしつけると、僕の瞼をソッと撫で下した。とても温かく、優しい感触が僕を抱く。自然と僕は、意識を手放し始めていた。


 ――――おやすみ、オビ。


 僕は、夢の中で眠る。ココの両親の、愛情に包まれて。














 二回目の目覚めだ。僕は、それを理解した。


 ココは、とても原始的な生活をしている場所だった。といっても、あくまで科学で満ちた僕の場所と比較をするとだが。


 夢の中での二回目の目覚め。という奇妙な体験をした僕は、とりあえず体を動かすことにした。グルグルと手を回したり、飛び跳ねてみたり。そうすることで分かったことは、この体は僕の意思で動いているということ。


 つまり、非常に、非常に不可解だが。この体は、僕の体だ。


「えぇぇ……」


 気のない声が喉を抜けた。驚愕が頂点に達した結果、脳みそが一時的に機能を停止したみたいだ。けれども驚くなという方が難しい。気が付いたら、別の何かになっていたのだ。そんなことが、あるか?


「夢、だよな?」


 ああ、そうだ。その一言で全ては片付く。暴露しよう。日島帯には妄想癖があった。完治はしたが、よく頭の中で奇想天外な冒険を繰り広げたものだ。……きっと、それが再発したに違いない。だから、こんな夢をみるのだ。


 ―――喉が渇く。腹が減っている。そんな生理的欲求が、リアルに襲ってくる夢が存在するならば。


「あらオビ、もう起きたの?」


 ビクリと体を震わす。恐る恐る振り返ると、そこには眠る前に見た女性がいた。僕が、何故が母親であると認識している女性だ。


「う、うん。おはよう、母さん」

「ふふ。おはよう、オビ。――――旅立つのが楽しみで、早く起きてしまったのね………オビも、男の子ね」


 挨拶と、母という言葉。驚くほど違和感がない。


 女性は僕に近づくと、ゆっくりと僕の頭を撫でた。すごく心地が良くて、何故だか恥ずかしくなってしまった僕がいた。


「は、早くご飯が食べたいな……母さん。ゆっくりと、味わいたいんだ」


 恥ずかしさを隠すように、僕は女性にそう伝える。しかしこれは、僕の意図していない言葉だった。まるで口を機械で無理矢理動かされているような奇妙な感覚があったが、何故だかそう口を動かすのが当たり前のことだと思った。


「――――そう。分かったわ」


 女性は聖母のような美しい微笑みで、台所へと向かった。とても幸せそうで………それでいて、とても悲しそうな、笑みだった。


 ああ、この人とは今日でお別れなのだ。僕はそれを知っていた。その事実が決して揺るぎようのないものであることを知っていたし、その約束を決して破ることはできないと決意していた。


 そう、僕は今日旅立つ。生まれ育ったこの村から。


「――――邪魔するよ」


 音もなく、家の扉が開いた。扉から、一人の老婆が姿を現す。


「魔女、様」


 老婆は黒いローブに身を包んでいた。ところどころに砂埃が付いた、ボロボロのローブ。長いこと洗濯をした様子がない。


 老婆は右手に古ぼけた杖を持っていた。傷の付いた、汚らしい杖。老婆は背の丸まった体を杖で支えている。


 老婆は左手に黒い鞄を持っていた。大きな鞄。よれよれの鞄。老婆はそれを持ち運ぶ力がないのか、引きずるように鞄を運んでいた。


「逃げてはいなかったみたいだねぇ。あたしゃ、てっきり尻尾巻いて逃げているかと思ったよぅ。小さい小さい、鼠のようにねぇ」


 老婆はギヒヒと、気味の悪い笑い声をあげる。背筋が凍るような、寒気を感じた。


「まぁ、この魔女様から逃げられる訳がないがねぇ。あたしから薬を買ったんだ。しっかりと、体で返してもらうよ…!」

「……勿論です、魔女様。貴女様に救われた命、全て貴女に捧げます」


 老婆は―――魔女は、再びギヒヒと笑う。



「そうだ、いい心がけじゃないかぁ……。アンタはこれから、ずっと感謝し続けるんだよぉ…? このあたしに、『雌山羊の魔女』に、命を救われたことをねぇ……!!」


 

 僕は、旅立つ。この村から旅立つ。


 ―――――この魔女の、下僕となって。

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