第7話

 ブルーキャタピラーという名前を聞き、リュリュは一瞬何を言われたのか分からなかった。

 そもそも、ランクC相当のモンスターがルーフの近くに姿を現すということすらリュリュは聞いたことがない。

 勿論ギルドの受付嬢として、リュリュはモンスターについての情報はきちんと覚えている。

 だがそれ故に、寒さを好み、冬に活動するブルーキャタピラーが春になったルーフの近くにいるというのが信じられなかった。


「見間違い……じゃないんですよね?」


 そうであって欲しいと口にしたリュリュだったが、もし見間違いであれば、ツノーラが身体全体に負っている怪我は何なのかということになる。

 先程までの表情を一変し、ツノーラは深刻な表情でリュリュの言葉に頷く。

 トナルやその相棒は何か深刻な事態が起きているのは分かったが、それが何なのかが理解出来ない。

 いや、理解は出来るのだ。

 ランクC相当のモンスターというのをその耳で聞いたのだから。

 だが、ルーフの近くにそのような……トナルの認識では高ランクモンスターと言ってもいいようなモンスターが出たことはなかった為、それが脅威だという実感がない。

 多少大袈裟ではあるが、お伽話に出てくるドラゴンが襲ってきたというのと同じような感覚に近い。


「な、なぁ。そのブルーキャタピラーってのが来れば……ルーフはどうなるんだ?」


 トナルの口から出た疑問に答えたのは、薬師の女だった。


「良くて村の半壊……最悪の場合は、ルーフそのものが消滅するじゃろうな」

「ほ、本当か!? そんなに大事なのかよ!」


 薬師の女が若い時に冒険者をしており、ミレアーナ王国だけではなくベスティア帝国や魔導都市オゾスへも足を運んだことがあると子供の頃に聞いたことがあっただけに、その言葉が嘘であると疑うことは出来なかった。


「ブルーキャタピラーそのものはランクC相当のモンスターじゃから、強力ではあるが、そこまでという訳ではない。じゃが、村の施設が……特に周囲の壁が破壊されれば、どうなるか分かるじゃろう? 更に奴に勝てるだけの実力の持ち主がおらん」


 その言葉に、ツノーラは悔しげな表情を浮かべる。

 この村で最強と言ってもいい自分がこの有様なのだから、反論出来ない。


(もし皆で数を頼りにブルーキャタピラーに戦いを挑んで勝てたとしても、間違いなく被害が大きくなる。それこそ、村の半分が死んでもおかしくない。そうなれば、結局このルーフは立ち行かなくなる。今でさえそう余裕がある訳じゃないんだから。となると、残るのはやっぱり……)


 自らの不甲斐なさに苛立ちを覚えるツノーラだったが、それでも他に現状をどうにかする方法は一つしか思い浮かばない。

 それは、当初の予定通りでもあった。


「リュリュちゃん、この近くにある村や街で、ランクC以上の冒険者がいる場所ってどこになるか分かるか?」

「そうですね、確実なのはシュタルズでしょうか?」

「……やっぱりか」


 シュタルズというのは、この近辺を治めている領主が住んでいる街で、当然それだけに冒険者の数も多い。

 ランクAのような高ランク冒険者はいなくても、ランクCくらいなら何人かいてもおかしくはなかった。

 もしかしたらランクBもいる可能性がある。


(ただ、ランクBを雇うとなると、その分報酬も上げないといけないから難しいだろうな。確実にブルーキャタピラーを倒すなら、ランクB冒険者を雇えれば最善なんだが)


 少し考え、今自分がこうして考えていても何も始まらないと判断し、改めてリュリュへと向かって口を開く。


「リュリュちゃん、村長と相談して冒険者を雇うように説得してくれないか? 俺の方でも話してみるけど、ギルドの方からも話した方がいい。……まぁ、ランクC相当のモンスターが出たと言われれば、村長もすぐにシュタルズのギルドに連絡するように言うだろうが」

「分かりました。すぐに」


 厳しい表情を浮かべたリュリュが頷き、村の中央にある村長の家へと向かって走って行く。

 それを見送ったツノーラは、ようやく安堵の息を吐く。


(取りあえずは何とかなったか。……ギルド同士で連絡出来る手段があるって話だから、それを使ってシュタルズのギルドに緊急の依頼を出して……その冒険者がここまで来るのにどれだけ掛かる? 普通に歩いて移動すると四日。ランクC以上の冒険者なら、二日まで縮められるか?)


 そこまで考えると、ツノーラは周囲を見回す。

 門番のトナルや、その相棒。他にも弓を使えるような者は多いし、ある程度戦える者もいる。

 だが、ブルーキャタピラーが襲撃してくれば、自分を含めて全員が戦力にならないのは明らかだった。


(出来るとすれば、逃げる時間を稼ぐことくらい、か。幸いブルーキャタピラーの移動速度は決して速くはない。普通なら問題なく逃げ切れる筈だ。……もっとも、魔法を使ってくるのが最大の問題だが。ともあれ……)


 空を見上げれば、そこに広がっているのは春らしい青空。

 太陽の柔らかな光が春らしさを告げていて、その光景はとてもではないがブルーキャタピラーの脅威が存在しているようには思えないものだった。


「何とかしなきゃ……いけないだろうな」


 呟くツノーラに、トナルやその相棒が決意を込めた表情で頷く。






 この地を治める領主の館があり、グラリス伯爵の本拠地とも呼べる街、シュタルズ。

 そのシュタルズはグラリス伯爵領の中で最も栄えている街であり、色々な者達が集まっている。

 商人、鍛冶師、錬金術師……そして、冒険者。

 人の数も多く、そこかしこで賑やかな声が響き渡る。


「串焼きはどうだい、ファングボアのいい部位を特製のタレでじっくりと焼き上げた串焼きだ」

「どうだい、このネックレス。アメジストを使ってるんだぜ? これを贈れば、好きな相手も一発でお前さんに恋すること間違いなし!」

「ポーションを値引きしろ? 幾ら? ああ、無理無理。そんな値段で売ったら、私の儲けが全くないじゃない」

「てめえっ、ぶつかっておいて謝りもしねえとか何様のつもりだ!」

「新鮮な野菜だよ、野菜はどうだい!」

「この長剣の買い取り金額は……うーん、そうだね。銀貨七……いや、八枚ってところでどうだい?」


 雑多な声が聞こえてくる中を、一人の少女が歩いていた。

 周囲で話している者達のうち、殆どの男がその少女へと目を引き寄せられる。

 それこそ、視線を引き付ける磁力でも存在しているかのように。

 だが、それも無理はないだろう。その少女は、誰もが目を向けてしまうだけの魅力があったのだから。

 艶やかな紫の髪を頭の後ろで縛る、いわゆるポニーテールと呼ばれる髪型。

 それでいながらポニーテールの先端は背中の中程まであるという、かなりの長さだ。

 身体つきは、胸は大きく張り出しており、腰は細く、少女と呼ぶより女と呼ぶのが相応しい。

 出るところは出て、引っ込むところは引っ込むという、男好きのする身体。

 動きやすさを重視している為だろう、モンスターの革で作られたレザーアーマーがその男好きのする身体を包み混んでいる。

 そんな身体つきをしているのだから、当然周囲からは多くの視線が向けられる。

 男からは感嘆の視線や欲望に満ちた視線。女からは憧れるような視線や、嫉妬に満ちた視線。

 だが、そのように様々な視線を向けられても、少女の表情は殆ど変わることがなかった。

 そんな冷静さと相反するかのように、目の中にある光は意志の強さを現して鋭い。

 誰が見ても整っていると表現するだろう顔立ちだが、その冷静さの為か、どこか人形染みた印象や氷の彫像を前にしているような印象を受ける者も多い。

 美人かと尋ねられれば誰もが頷くが、気の強そうな顔立ちは、可愛いかと聞かれれば首を傾げるだろう。

 手に持つ槍は一般的な鋼で出来た槍だが、それでも上質の代物に入るのは間違いない。

 そんな色んな意味で目立つ少女は、真っ直ぐに目的地へと向かって歩いていた。


「な、なぁ。俺最近シュタルズに来たばかりなんだけど、あの女誰だ? 物凄い美人なんだけど」


 商人の一人が、シュタルズで顔馴染みの同業者へと尋ねる。


「ああ? お前、何年も前からシュタルズに出入りしてるのに、リヴのことを知らないのか?」

「リヴ? それがあの女の名前か? ……別に娼婦みたいに色っぽい格好をしてるって訳でもなくて、レザーアーマーを身につけてるだけなのに、妙に色気を感じるな」


 その言葉に、リヴのことを尋ねられた商人がさもあらんと頷く。

 シュタルズでも有名な人物の一人であり、多くの男がその肢体を一晩でいいから味わいたいと思っているのだ。

 だが……


「言っておくけど、リヴに妙なちょっかいを掛けるなよ? あの顔を見て分かったと思うが、あの女は冷静だ。……冷酷と言ってもいい。以前強引に言い寄った冒険者は、あの槍でボコボコにされたしな。穂先で刺すんじゃなくて、柄で殴るんだから……見てて色々と縮み上がったよ」

「怖っ! え? それ本当か? あんな美人が?」

「美人だからこそ、男に言い寄られるのにうんざりしてるんだろうな。しかも、噂によると元貴族だって話だから、余計に問題が起きやすい」

「元貴族? まぁ、貴族が没落するのなんて珍しくもなんともないけど」

「だろ? とにかくだ。ああいう女は離れて見る分にはいいけど、近づくと怪我をするんだよ」

「……なるほど」


 取りあえず近づけば怖い目に遭うというのは理解したのか、商人は頷く。

 そんな商人達から離れていくリヴは、自分に対してどのような噂をされているのかを知ってはいるが、特に気にした様子はない。


(噂なんて好きにすればいいわ。寧ろ、その噂のおかげで馬鹿な男達が近寄ってこなくなるのなら、私としては大歓迎だし)


 リヴも、自分が男にとって欲望の対象となるというのは理解している。

 理解はしているが、それで納得出来るかと言われれば、答えは否だった。

 そんな苛立ちを胸に、槍の穂先を覆っている鞘へと視線を向ける。

 その鞘には、赤い薔薇が彫られていた。

 最近買ったその鞘は、リヴにとっては密かなお気に入りだ。

 多少の苛立ちは、その鞘を見れば落ち着くことが出来る。

 今回もその例に漏れず、リヴは微かに心の底を波打った苛立ちを鞘を見ることによって消し去り、道を進む。

 そうしてやがて見えてきたのは、リヴの目的地でもある冒険者ギルド。

 シュタルズはこの辺の中で最も栄えている街であり、当然そこに建っているギルドも他の街や村とは比べものにならないくらいに大きい。

 そんなギルドの扉を開け、中に入った瞬間……


「あーっ! リヴさん! 丁度良いところに来てくれました!」


 顔馴染みの受付嬢が、周囲に響く大声で叫ぶ。

 そうすれば、当然ギルドにいる者達の視線はリヴへと集まる。

 その不躾な視線に微かに眉を顰めながらも、ポニーテールを揺らしながらカウンターへと向かう。


「どうしたの?」


 リヴが話し掛けたのは、二十代の女。

 ただし、その背は低く、美人ではなく可愛いと表現すべき相手。

 年下だが典型的な美人顔のリヴと並んでいると、どちらが年上なのか分からなくなる。

 それでもリヴが冒険者に登録した時からの仲であり、粗雑に出来るものでもない。


「緊急依頼、お願いしたいんだけど出来るかしら? ルーフって村でランクCモンスター相当のブルーキャタピラーが発見されたの」


 その言葉は、どこにでもある……とまではいかないが、それでもそれ程珍しいものではない。

 特に春先である今は、時々こういうことがあるのを何年かの冒険者生活でリヴは理解していたのだから。

 だが……後にリヴは思う。

 この時、この依頼を受けたのが自分が波瀾万丈の日々を送ることになる原因だったと。

 ……運命の時は近い。

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