第4話
ブルーキャタピラー。
本来は寒い場所を好むモンスターであり、春の森にいるような存在ではない。
また、冬になってもルーフ周辺やこの森に出ることは滅多になく、それこそ数年に一度姿を見せるかどうかといった程度のモンスターだ。
そして何より……
(くそっ、何だってブルーキャタピラーがこんな時期にこんな所にいやがる! ただでさえランクDモンスターで、凶暴さを考えるとランクCモンスター相当だって言われてるのに)
ツノーラの中に、少し前まで感じていた猪の親子を助けた安堵の気持ちは既にない。
今ツノーラにあるのは、どうやってこの場から離れるかということだけだ。
自分の実力で戦っても勝ち目がないのは明らかであり、更には今のツノーラには守るべき存在であるアースがいる。
「ブモオオォォ!」
その巨大な芋虫は、名前の由来ともなった青い肌を見せつけるように茂みの中から姿を現す。
そのまま周囲を見回し……視線が向けられたのは、アース……ではなく、そのすぐ近くにある首のないコボルトの死体。
(血の臭い!)
何故この森にブルーキャタピラーがいるのかは分からなかったが、それでも何故ここに姿を現したのかというのは理解したツノーラは、内心で舌打ちをする。
それでも動かなかったのは、ブルーキャタピラーの視線が真っ直ぐコボルトの死体に向けられていた為だ。
本来であれば非常に獰猛な性格をしている筈のブルーキャタピラーだが、寒さを好むだけに、今の森の中のような春の暖かさというのは獰猛さを本来の力では発揮出来ない程に厳しい環境なのだろう。
このまま、もし上手くいけばコボルトの死体だけを持って大人しく消えてくれるのでは? そんな風にツノーラが思っても、おかしくなかった。
だが……それは、長年冒険者や狩人としてこの森で過ごしてきた経験があり、突発的な問題にも何とか冷静に対処出来るだけの度胸を持ったツノーラだからこそ可能なことだ。
逆に言えば、それだけの経験や度胸がない人物が大人しく息を殺していることが出来る筈もなく……
「ひっ、くっ、来るな、来るなぁっ!」
生まれて初めての命を懸けた戦闘が終わった直後に、ランクDモンスターを目の前にしたのだ。
アースの頭は完全に混乱しており、森の中に入る前の勇ましさは既になく、ただブルーキャラピラーという死の化身にしか思えないモンスターから距離を取るべく後退るしか出来なかった。
「ポルルルッ!」
しっかり! と言いたげにアースの背中で薄い青の体毛を持つリスが鳴いていたが、今のアースにはそんな声は聞こえない。
自分が致命的なまでのミスをしてしまったのだと気が付いたのは、コボルトの死体へと牙を突き立てようとしていたブルーキャタピラーの動きが止まっているのを……そして、ブルーキャタピラーの顔が自分の方へと向けられていると気が付いてからだった。
コボルトの血の臭いにここまできたブルーキャラピラーだったが、ここで初めて目の前にコボルト以外の獲物がいるのに気が付く。
それも、見るからに新鮮な獲物。
身体は小さいが、柔らかそうな肉をしている獲物。
ブルーキャタピラーの目で見ても、とても自分と戦えるような相手ではないのは明らかであり、既に死体と化していて動けないコボルトは放って置いて、より多くの食べ物を手に入れる好機だった。
「ブモオオオォォォッ!」
聞き苦しい雄叫びを上げながら、ブルーキャタピラーはその多数ある足で一気にアースとの距離を縮めようとし……
「くそっ、させるかよっ!」
ブルーキャタピラーの狙いが完全にアースへと移ってしまったと気が付いたツノーラは、背負っていた弓を構えて矢を番える。
自分の実力でブルーキャタピラーを倒すことは、まず不可能だと理解している。
それでも気を逸らすことは出来るだろうし、その隙にアースが逃げる時間を稼げれば十分だった。
自分だけであれば、この慣れた森の中だ。ブルーキャタピラーを相手にしても、逃げるのはそう難しくない筈だった。
「逃げろ、アース! ここから離れるんだ!」
「ブモオオオォッ!」
放った矢は、ツノーラの狙い通りにブルーキャタピラーへと向かう。
空気を斬り裂くようにして放たれた矢だったが……ブルーキャタピラーの身体に当たったにも関わらず、刺さるようなこともせず、そのまま弾かれる。
「ばっ、ふざけんな、何だよそりゃあっ!」
自分が敵う相手ではないというのは知っていたが、それでもまさか放った矢が刺さりもしないというのは予想外だった。
ダメージを与えることは出来なかったが、それでも幸いだったのはブルーキャタピラーの注意を引くことが出来たことだろう。
もっとも、それが本当に幸運だったのかどうかは分からないが。
「ブモォッ!」
生意気な、とでも言いたげに鳴くと、ブルーキャタピラーは無数に生えている足を使って後ろを向く。
「ブモオオオォォッ!」
そうして高く鳴き、次の瞬間にはブルーキャタピラーの周囲に数本の鋭利に尖った氷が浮かんでいた。
その氷を見た瞬間、ツノーラは即座に身を翻してその場から走り出す。
ただし、アースを置いて逃げるのではない。
林の中に生えている木を利用し、矢を射ってブルーキャタピラーの注意を引きながら叫ぶ。
「ちぃっ、くそっ! いいか、アース。こいつは俺が引き付ける! お前は村に戻れ! いいな、絶対にだぞ! 無事に戻れよ! くそがぁっ!」
喋っている途中で氷が飛んできたことに罵声を浴びせる。
それでも木を盾にしながら、何度となく矢を射ってブルーキャタピラーの注意を自分へと引き付けた。
「来い! おら、このクソ虫が! こっちに来いってんだよ! おらぁっ! どうした、お前はその程度か!」
「ブモオオオォッ!」
ツノーラの罵声を理解出来た訳ではないだろう。
だがそれでも、モンスターとしての本能からかブルーキャタピラーは罵声と共にしつこく矢を射ってくるツノーラへと向かって突き進む。
その姿からは、既にアースという存在が全く頭の中に残っていないのが明らかだった。
そしてアースの視界からツノーラとブルーキャタピラーが消えて数分。
ようやく自分が助かったというのを理解したアースだったが、同時に自分を助けるためにツノーラがブルーキャタピラーを引き付けたというのも理解出来た。
あの戦い方から見て、明らかに自分よりも格上の存在であるブルーキャタピラーを、だ。
「あ、あああああ……どうしよう、どうしよう。ツノーラのおっちゃんが……死んじゃうよ」
アースが見た限り、ツノーラが放った矢はブルーキャタピラーには全く刺さっていなかった。
つまり、ツノーラがブルーキャタピラーにダメージを与えるとすれば、長剣での一撃しかない。
……そう、氷の魔法を使って放たれる氷柱を、どうにか回避しながら懐に飛び込んで長剣を使わなければならないのだ。
「無理だ……無理だよ……そんなの」
度重なる絶望。
基本的に前向きな性格であるアースであっても、これだけ幾度も絶望に襲われれば心が折れ掛かってもしょうがなかった。
このままであれば、恐らくアースの心は折れていただろう。
だが……
「ポルルルン!」
ブルーキャタピラーが襲ってきたにも関わらず、未だに自分の肩にいた青いリスは、アースを叱るように鳴く。
このままここにいては、ツノーラがブルーキャタピラーを引き付けた意味がないと。
その鳴き声を聞いて、アースはようやく乱れて散り散りになっていた心が少しではあるが落ち着いてくるのに気が付く。
今の自分は、ツノーラを助けに行っても意味はない。自分が出来ること、やるべきことは……
「ツノーラさんと、あのデカい虫のことを村に知らせること……」
「ポロ!」
アースの言葉に、青いリスがその通り! と鳴き声を上げる。
「よ……よし、行くぞ。俺は行く。……お前はどうするんだ?」
自分に言い聞かせながら、肩にいる青いリスへと尋ねる。
そんなアースの言葉に、リスとは思えない鳴き声を上げながら、しっかりと足でアースの肩を掴む。
自分も一緒に行く、と態度で示すリス。
明らかに普通のリスでは有り得ない行動だったが、今のアースはそんなことに気が付く余裕はない。
リスに向かって小さく頷くと、そのまま走り出そうとして、ふと気が付く。
コボルトに吹き飛ばされた短剣が手元にないことに。
慌てて周囲を見回し、少し離れた場所の地面に転がっている短剣を見つけると、それを手にして走り出す。
少しくらい茂みが邪魔をしても、全く関係なく村へと向かって走り続ける。
木の枝や尖った葉により何ヶ所も軽い傷を負うが、アースはそんなことには全く構わない。
幸い猪やコボルト、ブルーキャタピラーと遭遇した場所は、森の奥深くという訳ではない。
途中で何度か息が切れ、歩きながらも、決して立ち止まることなくアースはルーフへと向かって走り続ける。
幸いだったのは、その途中でモンスターと遭遇しなかったことだろう。
元々この森にはモンスターが殆どいないが、それでも決して皆無という訳ではない。
下手をすればゴブリンと遭遇していた可能性もあったのだが、今のアースはそんなことにも気が付かないままに走り続け……やがて森の切れ目から光が見えてくる。
(森の出口っ!)
それを見た瞬間、アースの頭の中には周囲の様子を警戒するような余裕はなく、ただひたすらに真っ直ぐ視線の先へと向かう。
「ポルッ、ポルルルルル!」
アースの肩に乗っていたリスが周囲を警戒するように必死に鳴き声を上げるも、アースの耳には全く入っていない。
今はとにかく森から出る。
ただそれだけを考えて走り続け……足に何かが当たったと思った瞬間、ふと気が付くとアースの身体は空中にあった。
浮遊感は一瞬。
次の瞬間には地面へと落ち、そのまま地面を転がる。
リスはアースの身体が空中に浮かんだ瞬間にその肩から飛び降りていたらしく、地面に寝転がって息を切らしているアースの頬を小さい手でペタペタと叩く。
起きろ、と頬を触られる感触で目を覚ましたアースは、反射的に後ろを見る。
もしかしてモンスターに襲われたのでは!? と思ったのだが、後ろにはモンスターの姿はない。
その代わり、地面に盛り上がっている木の根が存在していた。
「そっか。木の根に……痛っ!」
身体を何度も地面にぶつけた痛みに眉を顰めつつ、立ち上がる。
そうして先程までと比べると明らかに遅い速度だったが、それでも森の中から抜けることに成功する。
「村だ……村に……え!?」
ようやく村に帰れる。
春の暖かい日光を浴びながらそう思って安堵したアースだったが、次の瞬間に見たのは身体中から血を流して木の幹に身体を預けているツノーラの姿だった。
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