第2話

 春らしい暖かな天気の中、アースの姿は森の中……正確には森の入り口付近にあった。

 勿論、まだ冒険者にもなっていないアース一人ではない。

 アースの近くには、ランクE冒険者でもあるツノーラの姿もある。

 ツノーラは音が出ないようにモンスターの革で作られたレザーアーマーを身につけ、腰には長剣を、背には弓と矢筒を背負っていた。

 これは、狩りの獲物やモンスターを見つけた時は遠くから弓で攻撃し、近づかれたら長剣を武器にして立ち向かうといった戦闘スタイルの為だ。

 元々狩人として腕のいいツノーラだけに、メインの武器はあくまでも弓であり、長剣はいざという時の保険に近いのだが。


「いいか、ここからは油断すれば即座に死ぬ危険もある。決して迂闊な真似をするなよ?」


 ツノーラは、自分の側で目を輝かせて周囲を見回しているアースへと声を掛けたのだが……その言葉に対して返ってきたのは興奮して我慢が出来ないといった様子の言葉。


「うん、任せてよ! コボルトってのはランクEモンスターなんだろ? なら、俺でも何とか出来るって」

「……あのなぁ。いいか。くれぐれも、く・れ・ぐ・れ・も、自分勝手な行動を取るなよ。もしそんな真似をしたら、お前の父ちゃんに言いつけて、冒険者に登録させないように言うからな」

「なっ!? ちょっ、それ本気!?」

「当然だ。大体、武器は短剣、防具は俺から借りているお下がりの革の胸当て。そんなのでコボルトをどうにか出来ると思ってるのか?」

「それは……」


 その言葉に、アースは自分の着ている鎧へと視線を向ける。

 ツノーラが言ったように、現在アースが着ている革の胸当てはツノーラから譲って貰ったものだ。

 もっとも、かなり使い込まれているその鎧はかなり古くなっているので、防御力に多少の不安はあるのだが。

 それでも何も防具を着けていない時と比べると、大分防御力に違いが出る。


(どうせならもっと格好いい鎧が欲しかったけど)


 心の中で呟くアースだが、自分に向けられているツノーラの視線に気が付くと慌てて何でもないと首を横に振る。


「ほ、ほら。さっさと行こうよ。コボルトの討伐でしょ!」


 ツノーラは、ギルドの中にあった依頼の一つでもあるコボルトの討伐依頼を引き受けてこの森にいる。

 最近森で時々コボルトが見掛けられるようになっていたのだが、その不安を受けての討伐依頼だった。

 ランクE冒険者のツノーラは、コボルト一匹程度であれば楽に倒せる。

 本来はランクEよりも少し上の実力を持っているツノーラだったが、ランクを上げるのを面倒臭がって未だにランクEだからこそそんな状況にあった。


「はぁ、いいから約束しろ。森の中では絶対に俺の言うことを聞いて、勝手な真似をしないって」


 確認するように尋ねてくるツノーラの言葉に、アースは頷きを返す。


「ああ、勿論。大丈夫だって。俺に任せておいてよ。コボルトくらい、俺がこの短剣でやっつけてやるから! 痛ぁっ!」


 アースが自信満々に叫んだ瞬間、その頭部にツノーラの拳が落とされる。

 頭を押さえて踞るアースに、ツノーラは溜息を吐きながら口を開く。


「基本的にお前は戦闘に参加しないって、出掛ける前に言ったよな? お前は俺と一緒に行動して、冒険者ってのはどういうものなのか、そしてモンスターを相手にするのはどういうものなのかをその身で体験するだけだ」

「わ、分かってるよ。けど……少しくらい……」

「あのなぁ。俺はリュリュちゃんから、お前に傷一つ付けるなって言われてるんだぞ? もしお前が俺の言うことを聞かないってんなら、村に戻るが?」

「わーっ! 分かった、分かったから。きちんと言うことを聞く! ツノーラのおっちゃんの言うことを聞……痛ぁっ!」


 再び頭に振り下ろされる拳。

 頭を押さえて踞るアースに、ツノーラは据わった目つきで口を開く。


「おじちゃん言うな。精々お兄ちゃんだろうが」

「うー……わ、分かったよ」


 踞りながら溜息を吐くアースだったが、不意に足下に妙な感触を覚えて視線を下へと向ける。

 すると、どこから現れたのか、そこには一匹のリスがアースへと身体を擦りつけていた。

 薄らと青い体毛に包まれているそのリスは、本来であればリスにあるまじき色ではあった。

 だが、この森にやって来るのが初めてのアースは、そんなリスを見てもそういうものなのか、という認識しかない。


「……何だ、お前?」

「ポルルルゥ」


 アースが触れても、そのリスは全く逃げる様子を見せない。

 まるで自分を慰めるように身体を擦りつけてくるリスに、アースは首を傾げる。


「リス、か?」

「ポロロ」


 先程とは若干違う鳴き声だったが、アースは首を傾げる。

 リスというのはこんな鳴き声だったか? そう思った為だ。


「どうした、アース。そろそろ行くぞ」


 アースが踞っていた間に準備は整っていたのだろう。ツノーラの声に視線をそちらへと向けると、次の瞬間にはアースの手の中にあった筈の重さが消えていた。


「え? あれ?」


 慌てて掌を見るも、当然そこにはリスと思しき動物の姿は既にない。


「どうした?」

「あ、いや、今リスが……」

「リス? ……まぁ、森だしリスくらいいるだろうけど。それより、準備はいいな? 行くぞ?」


 森の入り口での会話はそれで終わり、ツノーラは森の中へと入っていく。

 アースは置いて行かれては堪らないと、慌ててツノーラの背を追う。

 本来であれば森での動きに慣れているツノーラだ。アースの足で追いつくことは難しかったのだろうが、今回はアースに森という場所を体験させるという目的がある。

 だからこそツノーラはアースが追いつく程度の速度で森の中を進む。

 ただ、それはお客さん扱いをするという意味ではない。


「ほら、アース。その木の根を踏むなよ。その木の根は固いから、下手に踏むと足を挫くぞ」

「いいか。この葉っぱは表側はいいけど、決して裏には触るな。もし触ると、数日は痒くてどうしようもなくなるからな」

「あの木の実が分かるか? あれは蛇が好んで食べる木の実だ。つまり、あの木の実がある場所の近くには蛇がいる可能性がある。それも普通の蛇ならいいけど、毒を持っている蛇も多い」

「見ろ、あの木の枝を。あの折れ方は猪の通った跡だ。この時期の猪ってのは腹が減って餌を求めて凶暴になっている。下手をすりゃあ人間にも襲い掛かってくるから注意しろ。俺が知ってる限りだと、冒険者が猪に指を食い千切られたって話もある」

「あの蔦があるだろ? 見えるか? あの蔦は一見すると普通の蔦にしか見えないが、触れると鋭い棘を突き出す。……ああ、安心しろ。モンスターって訳じゃない。普通の植物だ。ただ、その棘には返しが付いていて、一度刺さってしまうと抜く時には皮膚を切らなきゃいけないから、くれぐれも気をつけろ」

「見ろ、あのキノコ。少し触れるだけで胞子が飛んで、それを吸い込むと数日は咳が止まらなくなる。ただ、胞子を全部取った後なら普通に食えるから覚えておいた方がいい」


 様々な注意を受けながら、アースとツノーラは森の中を進む。

 アースも冒険者を希望するだけあって、ツノーラの説明を忘れないように頭に叩き込んでいく。

 ルーフで冒険者になれば、その活動範囲は基本的にこの森になる。

 護衛の依頼もない訳ではないが、商人がルーフへとやって来るのは珍しいし、基本的にルーフへと来る時に雇っている護衛の冒険者がいる以上、普通はルーフで新たに冒険者を雇ったりはしない。

 ルーフに来る途中で怪我をしたり病気になったり、滅多にないことだがルーフの人間と恋仲になったりして冒険者が抜けるような時があれば、追加で護衛として雇われる可能性はあるかもしれないが……それがどれくらい可能性の低いことかというのは、考えるまでもないだろう。

 他には村の中での依頼も多いが、ランクS冒険者のような英雄的な存在を目指しているアースが、子守りや草むしり、家畜の世話、倉庫整理、古くなった小屋の破壊といった依頼を好む訳がない。

 つまりアースが冒険者としてやっていく為には、絶対にこの森について詳しくならなければならなかった。

 それを分かっているからこそ、アース自身はあまり頭が良くないと自覚しているのだが、何とかツノーラの教えを覚えようとしていた。


「ほら、ちょうどいい。そこの茂みを斬り払ってみろ。森の中で移動するには獣道とかを見つけながら移動するってのもあるけど、それにはある程度年季が必要だ。お前のように素人の場合は茂みを斬り払って移動することになるからな」

「う、うん。分かった」


 茂みを斬り払うだけ。

 自分にそう言い聞かせながらも、アースの心臓は自分で信じられない程に高鳴っているのが分かる。

 周囲の木々のおかげで直接日光を浴びずに済んでおり、春の日射し特有の柔らからな木漏れ日にも関わらず、水を飲みたくなって唾を飲み込む。

 これまでツノーラから色々と脅されてきただけに、どうしても緊張してしまうのだろう。


(大丈夫……大丈夫。茂みを払うだけだ。そのコボルトがいる訳じゃないんだから、大丈夫)


 自分に言い聞かせるようにして、手に持った短剣を振るう。

 手に返ってきたのは、草や木を斬る感触。

 家の手伝いをしている時に何度か経験している感触だ。

 そうして開けた茂みの向こうには……


「プギィ!」

「ブルルル」

「ブギィ!」


 突然そんな声が聞こえてきて、反射的に短剣を構えるアース。

 そんなアースの様子を見ていたツノーラも、まさか茂みの向こうに何かがいるとは思っていなかったのか、慌ててアースの方へと近寄ってくるが……


「プギ、プギ!」

「えっと……あれ?」


 敵だ! と思って短剣を手にしたアースだったが、見ると足に身体を擦りつけている小さな生き物。

 茂みの向こうにはかなり大きな生き物もいるが、何故かアースに対して敵対行動を取る様子はない。


「……猪、か。けど、何だって子育て中なのにここまで警戒心がないんだ?」


 ツノーラも長剣をいつでも抜けるようにしながらも、首を傾げる。

 その視線の先にいるのは、ツノーラが口にしたように猪。

 それも、本来は子育て中で気性が荒くなっていてもおかしくないのだが、今は全くそんな様子を見せていない。

 それどころか、アースに向かって好意的な視線を向けているようにすら見える。

 いや、実際好意的なのだろう。まだ背中に縞模様が入っている、見るからに生まれてからまだそれ程経っていない猪がアースへと懐いている様子を見れば、それは明らかだった。


「アース、お前何かしたか?」


 猪の子供に懐かれているアースに尋ねるが、戻ってくる本人は戸惑った表情を浮かべて首を横に振る。


(これは……とてもじゃないけど、猪を狩るなんて出来ないな)


 アースに懐いている猪をこの状況で殺せるかと言われれば、ツノーラには無理だった。

 狩人としては失格ではあるのだが……と思ってたツノーラは、ふと自分達や猪ではない臭いが漂い、警戒したように周囲を見回す。

 そうして臭いの元へと視線を向けると、アースから少し離れた茂みに、今にもアースへと襲い掛かろうとしている犬顔のモンスターの存在があった。

 今回ツノーラが討伐依頼を受けてやって来たモンスター、コボルトだ。


「アース、コボルトだ! 退け!」


 ツノーラが叫びながら長剣を抜いて前に出るのと、コボルトが錆びた長剣を手にしてアースへと向かって走り出すのは殆ど同時の出来事だった。

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