第34話
リヴがその路地裏に現れたのは、半ば偶然ではあるが半ばリヴの能力……より正確にはその欲望に従った結果でもあった。
可愛い物好きのリヴとしては、可能な限りポロと遊びたい。
だが、自分がこの街でどんな風に思われているのかというのは当然知っているリヴとしては、アースが泊まっているような宿へと向かうわけにも行かなかった。
アースが泊まっているのは冒険者になったばかりの者達が泊まる宿であり、そんな場所に自分が顔を出せば絶対に目立つ。
ポロを愛でたい思いを何とか押し殺し、せめて街中でアースと会えないかと思って歩いていたのだ。
その時、近くの路地から殺気を感じ、何となく嫌な予感をしながら顔を出すと……そこには探していたポロとその主人であるアース、顔見知りの冒険者のビルシュに……初めて見る二人の姿があった。
奇妙だったのは、暗殺者然としている男と騎士がいたことだろう。
いや、それだけであればおかしくはないのかもしれないが、騎士と暗殺者然としている男が並んで立っているのを見れば、明らかにおかしい。
そして何より、地面には騎士と同じようなフルプレートアーマーを身につけた男が倒れているのだ。
「……さて、これはどういうことなのかしら?」
周囲を見回しながら呟くリヴの姿に、ビルシュは小さく笑みを浮かべ、逆にヴィクトルは舌打ちをする。
ヴィクトルも当然シュタルズにいる以上、リヴについては知っていた。
普段であれば口説きたいくらいの美人だったのだが、今は明らかにタイミングが悪い。
「どうする?」
レイピアを構えてリヴへと視線を向けたヴィクトルの言葉に、暗殺者風の男は即座に答える。
「退くぞ」
つい数分前まではアースとビルシュをここで殺すと、そう決めていた割りにはあっさりと前言を翻したのに、ヴィクトルは少しだけ驚きの視線を向ける。
「いいのか?」
「状況が変わった。ここでこの三人と戦っていれば、間違いなく戦いは長引く。そうであれば、これ以上の援軍が来る可能性もある」
「……まぁ、それは……」
普通であれば即座に否定してもおかしくない言葉だったが、実際にビルシュ、リヴとアースの知り合いが続けて二人もやって来ているのだ。これ以上アースの仲間がやって来ないというのは、希望的観測と言ってもよかった。
それでも相手が弱ければ、纏めて倒してしまえばいい。
だが……リヴがどれ程の技量を持っているのかは、男も知っている。
近々ランクB冒険者に上がるかもしれないという噂すら最近は流れており、ここで時間を掛けずに倒せるかどうかと言われれば、男も躊躇するしかない。
「状況は刻々と変わっている。それに対応出来なければ、いずれ死ぬだけだぞ」
「……分かったよ。良かったなアース。命が助かって。まぁ、それでもローズ……いや、ロームにはもう会えないだろうけど」
軽い挑発。
だが、その挑発を聞いたアースの脳裏を、共に街中で買い食いをしながら喜んでいたロームの笑顔が過ぎる。
喜び、驚き、笑みといった風に色々な顔を自分に見せたロームだったが、そのロームが目の前にいる者達に連れ去られたというのであれば、決してそれを許せる筈もない。
それも、ロームが信じていた人物が裏切って……となれば、どれ程の衝撃がロームを襲ったものか。
アースはそこまで信頼している人物に裏切られたことはないので、正確にロームの気持ちが分かるとは言わない。だが、それでも想像することは出来る。
瞬間的にアースの中で感情が爆発し、その爆発を糧としてアースは大地を蹴ってヴィクトルとの距離を詰める。
「うわぁっ」
まさかヴィクトルも、ここでアースがこんな行動に出るというのは思わなかったのだろう。
力の差というものは散々に思い知らせたのだから、悔しがりつつも何も行動を起こすことはないと思っていた。
ヴィクトルがやったのは、半ば八つ当たりに近い。
だが……それを聞いたアースの逆襲は、完全に予想外の攻撃だった。
アースの中にあった、人に対して攻撃を行うことの恐怖というものは、今この瞬間は存在しない。
地面を蹴って跳躍しながら振るわれた短剣は、ヴィクトルの左頬から目のすぐしたまで大きく斬り裂くことに成功し……当然攻撃はそれだけでは終わらない。
「ポルルルルルゥッ!」
ポロの声が周囲に響き渡ると同時に放たれる紫電。
その紫電は、まるで狙ったかのようにアースがヴィクトルの顔面に付けた傷へと命中して焼き焦がす。
「があああああああああああああぁぁぁっ!」
斬り裂かれた場所をそのまま雷によって焼き焦がされたのだから、ヴィクトルの口から苦痛の悲鳴が出るのは当然だった。
勿論アースの動きはその程度では止まらない。ヴィクトルの顔面を斬り裂きながら着地した瞬間、再び地面を蹴って短剣を振るう。
狙うのは、先程と同じくヴィクトルの顔面。
フルプレートアーマーを身につけているヴィクトルだけに、現在狙えるのは兜を脱いでいる顔面だけだという理由もある。
短剣を扱う技量が高ければフルプレートアーマーの関節の継ぎ目といった場所を狙うことも出来るのだろうが、現在のアースにそれだけの技量は存在しない。
そして今なら、ヴィクトルはアースの最初の一撃とポロの電撃という二重の攻撃を受けたばかりであり、混乱している。
更にそんなヴィクトルの手助けをするだろう仲間の男は、リヴとビルシュがそれぞれ武器を手に警戒していた。
衝動的に行われたアースの攻撃だったが、結果を見れば最善の行動だったとも言えるだろう。
だが……アースの追撃の一撃は真っ直ぐにヴィクトルの頭部を狙っていたというのに、狙われたヴィクトルは咄嗟に身体を反らしてその一撃を避ける。
それでも完全に回避出来たという訳ではなく、放たれた一撃はヴィクトルの右の額を斬り裂いていく。
頭部を突き刺すのを狙って放たれた一撃だった為か、右のこめかみの辺りが大きく斬り裂かれ、大量の血が流れ出る。
最初の攻撃で行われた右頬から右目の一撃は電撃で焼かれて血は流れていないが、こめかみの傷と合わせると、数秒前までは美形と称しても良かったヴィクトルの顔は、既にその面影を残してはいない。
「貴様ぁっ!」
右目の眼球そのものを傷つけられることは何とか避けたヴィクトルだったが、だからといって今の状況で戦いに支障がない訳ではない。
いや、寧ろビルシュとリヴという二人の戦力がいる分、今の時点で圧倒的に不利になったのはヴィクトル達の方だろう。
ビルシュとリヴの二人に牽制されていた男もそれは理解したのか、レイピアをアースへと突き刺そうとしているヴィクトルに向かって口を開く。
「そこまでにしろ。無駄に挑発したお前が悪い。退くぞ」
「ふざけるな! こんな奴にここまでされて、それで黙って退けって言うのか!?」
怒声と共に叫ぶが、男はそんなヴィクトルの感情など興味はないと言いたげに即座に断言する。
「知らん。今も言っただろう。お前がその子供を意味もなく挑発したのが悪い」
「だが!」
尚も何かを叫ぼうとするヴィクトルだったが、男は動揺もせず声を発する。
「どうしてもここでその子供をどうにかしたいのであれば、お前は残るといい。だが、俺がお前の私怨に付き合う必要もないだろう」
「ぐっ!」
そう言われてしまえば、ヴィクトルもこれ以上強く出ることは出来ない。
ビルシュはともかく、リヴを相手にしては万全の状態であっても勝てるとは思えないのだ。
その上顔を怪我しているとなれば、勝ち目は万に一つも存在しない。
自分の感じている苛立ちをぶつけるように何度も地面を蹴っていたヴィクトルだったが、やがてその動きを止めて憎々しげにアースを睨み付けながら口を開く。
「いいか、ここは退いてやる。けど、覚えておけ。お前は絶対に……絶対に許さない。いずれ俺のレイピアで身体中を貫いてやる。それを忘れるな!」
憎悪に満ちた視線……だが、それを受けたアースは、全く怯む様子もなく叫ぶ。
「ふざけるな! お前をここで逃がすと思ってるのか!」
「待ちなさい」
絶対にここでは逃がさないと叫んだアースだったが、冷静な声でそれを止めたのはリヴだ。
「リヴさん!? 何で止めるんだよ! ここでこいつらを逃がせば、ロームが!」
「落ち着きなさい。表通りの方から人が近づいてくるわ。ここで戦えば、間違いなく巻き込んでしまうわよ。アースも、何も関係のない人を巻き込みたくはないでしょう?」
「それは……」
リヴにそう言われ、ここで尚も強硬的に自分の意志を貫き通すことは出来なかった。
何も知らない一般人を戦いに巻き込むというのは、アースにとっても決して許される行為ではなかった為だ。
だが、このまま大人しく目の前にいる二人を逃がせば、ロームの身に危険が生じるのも事実。
どうすればいいのか、それを決めることは出来ない。
(畜生、英雄は何があってもすぐに判断出来てたのに……俺は、俺は……)
悔しげに内心で呟くアースだったが、そんなアースを嘲笑うようにしてヴィクトルとその連れの男は距離を取っていく。
追いかけてくるのであればそれはそれで構わないと言いたげに、アース達へと背中すら向けて。
「ぐっ!」
それを追いかけようにも、そんな真似をすれば間違いなく何の関係もない者達に被害が出る。
そうである以上、無理に追いかける訳にもいかない。
「落ち着きなさい」
悩むアースに、リヴがそう告げる。
「けどっ!」
「いいから落ち着けって。リヴが何の勝算もなしにああいう奴等を見逃す訳がないだろ」
何かを言い掛けたアースの頭を、ビルシュが乱暴に撫でる。
「……どうするの?」
少しではあるが落ち着いた様子で尋ねてくるアースに、リヴは全く焦った様子もなく口を開く。
「誘拐されたというのは、どういう人物?」
「ローム……いや、ローズ。ロームってのは偽名で、貴族か何かの子供だと思う」
「……貴族、ね。だとすれば狙われることにも納得出来るわ」
貴族というのは基本的には平民よりも裕福な生活を送っている。
中にはその日暮らしと呼ぶような貧乏貴族もいるが、大抵の貴族は平民と比べれば裕福だった
そして財産があればより多くの財産を求める者も多く、貴族同士で争いになるのも珍しい話ではない。
「じゃあ、行きましょうか」
「行くって……どこへ?」
あっさりと告げるリヴに、先程までの興奮も忘れて尋ねるアース。
ビルシュは何となくリヴが何を言いたいのか、どこに向かおうとしているのかを理解しい、小さく笑みを浮かべていた。
そんな二人を前に、リヴは相変わらず感情の動きを思わせない口調で口を開く。
「情報屋よ」
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