第33話

 その日、ビルシュは特に何か理由があって街中に出て来た訳ではなかった。

 ただ、昨日の依頼が無事に終わったということもあり、このままだと相棒のサニスンの買い物に付き合わされそうだったので、女の長い買い物に付き合うよりは……という思いから一人で街中を歩き回っていたのだ。

 微妙に街中が騒がしかったが、シュタルズはこの辺では最も栄えている街だ。当然それだけ人が多く集まってくると、騒動も起きる。

 そんな感じで何か適当な騒動でも起きてるのだろうと判断しながらも、ビルシュは宿に戻るつもりはなかった。

 宿に戻ればサニスンが待ち構えているだろうし、何より自分の腕に自信があった為だ。

 オークの串焼きを食べながら、自分の腰にある長剣の収まった鞘へと視線を向ける。

 これがあれば、大抵の相手と渡り合えるという自負がある。


(まぁ、リヴに勝てって言えば無理だけど)


 ビルシュの脳裏を、顔見知りの顔が過ぎる。

 アイスドールと陰口を叩かれることもある女だが、その槍の技量は非常に高い。

 まだ二十歳にもなっていない若さでありながら、既にランクC冒険者として活動している才能を考えると、将来的にはランクB……もしかしたらランクAにすら届くかもしれない。


(そう言えば妙にアースを気にしてたけど、何か進展あったか?)


 もしその言葉を本人が聞けば、アイスドールと呼ばれている顔に驚きを見せるだろう。

 リヴが気にしていたのは、アースではなくその従魔のポロなのだから。

 オークの串焼きを食い終わりながら、天から降り注ぐ真夏の日射しから逃げるように裏通りへと入ったビルシュは……そこで、つい先程思い浮かんだ人物と再会する。

 ただし、とてもではないが平穏な再会という訳ではなかったが。

 聞き覚えのある声に導かれるようにその場へ到着したビルシュの視界に入ってきたのは、短剣を手にしているアースと、レイピアを手にした騎士。

 これで二人が盗賊らしい者達と相対しているのであればまだ分かりやすかったのだが、アースと騎士が相対しているとなれば話は別だった。

 ビルシュの目から見れば、お互いに敵対しているようにしか見えない。

 事実敵対していたので、その見立ては間違っていなかったのだが。


「おいおいおいおい、一体何が起こってるんだ? 聞き覚えのある声が聞こえてきたから顔を出してみたら」

「ビルシュ!」


 アースが突然現れた人影に、喜びを溢れさせて告げる。

 自分だけであればヴィクトルには絶対に勝てないと思っていたのだが、歴戦の冒険者であるビルシュがいれば話は別だと。

 そんなアースとは裏腹に、面倒なことになったと眉を顰めるのがヴィクトルだ。

 アースとその従魔のポロだけであれば、自分だけで何とか出来ただろう。だが、そこに冒険者が……それもある程度腕の立つように見える冒険者が姿を現したのであれば、話は別だった。

 それでもヴィクトルは内心の焦りを表情に出さないように、何とか新たに現れた人物をどうにか出来ないかと口を開く。


「君は見たところ冒険者のようだけど、アースの知り合いなら少し手を貸してくれないか? 残念ながら彼は悪人に騙されてこっちと敵対してるんだ。勿論その分の報酬は払う」

「へぇ……」


 その言葉に、ビルシュは興味を持ったかのように笑みを浮かべながらヴィクトルへと近づいて行き……


「そうか、それなら俺も少しは手を貸さないと……なっ!」


 叫ぶと同時に、腰の剣を振るう。……ヴィクトルへと。

 だが、ヴィクトルもビルシュがアースの知り合いだというのは知っていた為、油断はしていなかったのだろう。ビルシュの一撃が通り過ぎた時には既にその場を跳び退っており、一撃は空を切る。

 一応ビルシュも後々のことを考えていたのか、長剣は鞘に収まったままだったが……だからこそ、今の一撃の速度が遅くなってしまったのも事実だった。


「おや、これはどういうことかな?」

「どういうことも、こういうこともないだろう。アースに比べるとお前の方が信用出来ねぇってだけだ」

「今も言ったように、彼は騙されてるんだが?」

「何度も言うが、お前の方が怪しいんだよ。……アース、こいつは敵だな?」


 確認するように尋ねてくるビルシュに、アースは即座に頷く。


「うん。もう逃がしたけど、ロームって子供を殺そうとしてたみたいだ。……そっちの人も」


 アースの視線が向けられたのは、地面の死体。

 額の穴から血と脳髄を溢しながら地面に倒れ伏している死体は、背後からの一撃で殺されたということを示していた。

 路地裏に入ってきて血の臭いがするのは理解していたビルシュだったが、それでも人が……それも騎士が死んでいるというのは予想外だったのだろう。

 レイピアで頭部を一突きにされたということも、血の臭いが少ない理由の一つだった。


「ちっ、面倒くせえ真似をしやがって。……アース、こいつは倒してもいいんだな?」


 ビルシュの問い掛けに、アースは即座に頷きを返す。

 まともに戦っていれば自分では絶対に勝てないと、そう理解しているからこそビルシュが姿を現してくれたのアースにとって幸いだった。

 ビルシュと自分が……正確にはポロがいれば、ヴィクトルを相手にしても何とかなる。

 そんな思いで短剣を構え、左肩のポロと共にヴィクトルを睨み付けていたのだが……


「おい、いつまで遊んでいるつもりだ」


 不意に周辺にそんな声が響き渡る。


「っ!?」


 突然響いた声に驚きの表情を浮かべたのはアースだったが、それはビルシュも変わらない。

 全く気配や音がしなかったのだから、当然だろう。

 だがヴィクトルはそんな声に対しても驚くような様子は見せず……それどころか、笑みすら浮かべて口を開く。


「こっちに来たってことは、もう?」

「いや」


 即座に返ってきた否定の声に、ヴィクトルの表情は微かに顰められる。


「もしかして逃がしたとか、そんな馬鹿なことは言わないよな?」

「当然だ。指示に変更があった。どうやら殺すのではなく、生かして捕らえるようにとな」

「俺があんた達に協力するようになったのは最近だから分からないけど、そういうことって良くあるのか?」


 ヴィクトルの言葉に、新たに現れた人物は首を横に振る。

 アース達から少し離れた場所にある壁に背を預け、どこか呆れたような雰囲気を発している男。


(男、だよな? ……多分)


 ターバンのような、もしくは帽子のようなものを被っており、それには顔を隠す布があった為にその人物がどのような顔をしているのかというのか、アースには正確には分からない。

 だが、それでも聞こえてくる声は男の物であるのは確実だった。


「そうあることじゃないが、前例が皆無って訳でもない」

「ふーん。……まぁ、そっちで捕らえたんならそれもいいか。それで、こいつらはどうする? このままだと確実にこっちの邪魔をしてくると思うけど」


 ビルシュの方だけを一瞥して告げるヴィクトルは、アースとポロは何をしようとも全く邪魔にはならないだろうと、そう判断していた。

 事実、それは決して間違っている訳ではない。純粋な戦闘力だけで考えれば、アースはヴィクトルの足下にも及ばないだろう。

 可能性があるとすればポロだけだったが、ポロの雷撃も来ると分かっていれヴィクトルなら対処が可能だという自信があった。


「面倒だ、消せ。実力で障害にはならなくても、目障りな羽虫は潰しておくに限る」

「へぇ……じゃあ、手伝ってくれるのかな?」

「……ふん。貸しだぞ」


 そう告げると、顔を隠した男は腰の後ろの鞘の両端から二本の短剣を取り出す。

 ヴィクトルだけを相手にしても勝てるかどうか微妙だったというのに、現在はそれにより腕が立つだろう男までもが加わった。


(ちっ、厄介だな。……けど、こいつらの話を聞く限りでは俺やアースを逃がすつもりはないみたいだし、何よりアースが逃げそうにねえ)


 ビルシュは長剣を手に、視線をアースの方へと向ける。

 そこではいきなり敵の数が増えたことに戸惑いながら、それでも逃げるような様子は見せないアースの姿があった。

 勝ち目がない敵と出会った時は、即座に逃走という手段を選ぶことも、冒険者としては必須の能力なのだが……と思うビルシュだったが、男達のやり取りから誰かが連れ去られたのだというのが分かっている以上、アースの性格を考えればここで退くとは思えなかった。


(やるしかないか。……けど、どうする?)


 ビルシュも自分の腕には自信がある。

 それでも、ヴィクトル一人だけであればまだしも、新たにヴィクトルと同等以上の力を持つ者が相手となれば、どうにか出来る自信はない。


(アースは、度胸はあっても腕が……うん?)


 そこまで考えたビルシュだったが、微妙にアースが以前と比べて腰が退けているように……どこか戦いに怯えているように感じられる。


(どうなっている?)


 何故こんなことになっているのかは分からなかったが、それでも現状でアースを戦力として数えることは出来ないというのは理解出来た。


(となると、頼れるのはポロだけか)


 アースの左肩で、いつでも雷撃を放てるように準備しているポロへと視線を向ける。

 あの電撃がどれ程の威力を持っているのかは、ルーフからの旅の途中でしっかりと見せて貰っていた。そしてブルーキャタピラーを相手にした時のことも話に聞いていた。

 だが、ポロの電撃があっても、目の前の二人に勝てるかと言われれば……


(難しい、だろうな)


 自分の実力には自信を持っているビルシュだったが、それでも無敵という訳ではない。

 シュタルズではある程度腕のいい冒険者という扱いになっているが、自分よりも強い者が多くいるというのも知っている。

 ヴィクトルと呼ばれた方の男とは何とか互角にやり合えるだけの自信はあったが、もう一人の男に対しては勝てる自信がない。


(アースが動けなくて良かったのかもしれないな。アースの性格を考えると、間違いなく敵に突っかかっていきそうだし)


 長剣を手に相手を警戒しているビルシュの視線の先で、ヴィクトルはこれ見よがしにレイピアを構える。

 そしてもう一人の男は、戦った訳ではなかったがその物腰から明らかに自分よりも強いのは確実だった。

 そもそも、自分に気が付かせずにここまで近づかれ、声を聞いてようやくその姿を認識したのだ。

 もしそのまま声を掛けずに攻撃していたとすれば、間違いなく自分達は致命的な一撃を受けただろう。

 だが……このまま戦いが始まれば間違いなくビルシュ達が不利なその場所に……もう一人、姿を現す。


「……さて、これはどういうことなのかしら?」


 槍の穂先には薔薇の紋様が目を引く鞘を漬けている人物が。

 そう呟いたのは、顔立ちが整いすぎてどこか冷たい印象すら受ける人物……


「リヴ、お前どうしてここに……」


 裏路地という場所とは全く合わないリヴが何故今場所にいるのかと、ビルシュは唖然とその人物の名を呟くのだった。

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