第29話

「これが、銀貨ですか」


 ロームは手の中にある硬貨を繁々と眺めながら呟く。

 その手の中にある銀貨は、ロームが着ていた服を売って得たものだ。

 ロームが元々着ていた服とは全く違う、古びた服……一般人が着ている服を身に纏いながら、手の中にある銀貨を飽きもせずに眺める。


「そんなに銀貨を見るのが面白いのか?」

「はい。銀貨を直接見るのは初めてですから。話には聞いていたんですけど、こういうのなんですね」

「……そうか」


 ロームの隣を歩いているアースは、それ以上は何も聞かずにただ頷くだけだ。

 ここで何かを聞けば、恐らくアースが聞いてはいけないようなことがポロリとその口から零れそうな気がした為というのもあるし、自分とロームの付き合いにいらない関係を持ち込みたくないというのもあった。


「取りあえずこれで目立つようなことはなくなったけど……どうする? 本当に目立つのが嫌なら、俺と別れて行動するのも手だぞ」

「え? 何でですか?」


 銀貨からアースの方に視線を動かして尋ねてくるロームだったが、それに対してアースは自分の左肩で小さな木の実を必死に囓っているポロへと視線を受ける。

 小さな木の実というのは、あくまでもアースの感覚でだ。

 木の実を持っているポロにとっては、自分の顔と同じくらいの大きさのその木の実へと必死に牙を突き立てていた。


(こういうのを見ると、本当にリスって感じがするよな)


 アースの好きな英雄譚でも、リスは時々出てくる。

 もっとも主役として出てくるのではなく、森や林の中を歩いている時に姿を現すといった感じでだが。


「見ての通り、俺にはこういう相棒がいる。どうしてもモンスターを連れていると目立ちやすいからな。それにポロは小さいから、妙な考えを起こすような奴も……いる」


 最後の方で言い淀んだのは、マテウスとの件を思い出したからか。

 マテウス達の狙いも、最初はポロだった。

 ギルドでも初めて見るモンスターであり、それだけに希少価値は非常に高い。

 物好きな貴族、研究者、魔法使い……それ以外にもポロを買いたいと思う者は幾らでもいるだろう。

 そしてポロを従魔としているのは、冒険者に成り立ての……それでいて自らの武器の短剣の才能がないアースだ。簡単にポロを奪えると考えても、決しておかしくはなかった。

 マテウス達も最終的にはアースの命を狙うようになったが、それはあくまでも成り行きでしかない。

 つまり、こうしてアースと一緒にいればポロを狙った者との揉めごとに巻き込んでしまう可能性もあった。

 本当に目立ちたくないのであれば、アースとは別に行動した方がいい。

 そんな思いを込めて告げたのだが、ロームは迷う様子もなく首を横に振る。


「いえ、このままアースと一緒にいさせて下さい。元々僕はそんなにこの辺に詳しい訳じゃないですし、出来れば色々と案内をしてくれると助かります。……幸い軍資金は手に入れることが出来ましたし」

「物好きだな」


 口ではそう返しながらも、アースの口元には笑みが浮かんでいる。

 色々言いつつも、やはり年下の面倒を見るというのはアースも嫌いではないのだろう。


「一応俺も冒険者だからな。依頼をする場合、報酬が必要になるぞ?」

「うーん……じゃあ、そうですね。折角銀貨があることですし、今日の行動は僕の奢りってことでどうです?」

「の……」

「ポルルルル!」


 乗った。そうアースが口にしようとしたのだが、それよりも前にポロが叫ぶ。

 人の言葉を完全に理解している訳ではないポロだったが、野生の本能で今の話題の意味を理解したのだろう。


「ま、ポロもこう言ってることだし、それでいいか。どうせ今はやることもないしな」

「……やることもない?」

「いや、何でもない。それじゃ行こうか。まず、何を見たいんだ?」


 アースの言葉に少しだけ不思議そうな表情を浮かべたロームだったが、アースが強引に話題を変えたことに気が付いたのだろう。それ以上は詮索しても口を開くことはないだろうと判断すると、話題を変えたアースの言葉に乗る。


「そうですね。まずは……」


 何かを言おうとしたロームだったが、その瞬間タレの焦げる匂いが近くの屋台から漂ってくる。

 いや、匂いだけではない。タレに漬け込んだ肉を焼く音も聞こえてきて、否が応でも食欲を掻き立てた。

 特にロームは騎士から逃げ回っていたこともあって、これまでにない程に身体を動かしていた。

 そんな状況でタレの焦げる匂いと肉を焼く音が聞こえてくれば、小さい子供の本能としてそちらに意識を奪われるのは当然のことだろう。


「えっと、その……あの料理を食べてみたいのですが、どうすればいいんでしょう?」

「どうすればって、普通に買えばいいだろ?」

「……あ、そうですね。はい、分かりました。じゃあ僕とアースの分を買ってきます」

「ポロロロ!」


 自分も忘れるな! とポロが鳴き声を上げ、それを聞いたロームは小さく笑みを浮かべる。


「ごめんごめん。えっと、ポロだったよね? 君の分もきちんと買うから安心して下さい」


 その言葉にポロは嬉しそうに喉を鳴らす。

 そのままロームは屋台の方へと向かうが、アースはそんなロームの後を追う。

 世間知らずという言葉をそのまま形にしたようなロームだ。一人で買い物をさせれば、どんな揉めごとが起きるとも限らないと判断した為だ。


「えっと、すいません。三人分お願い出来ますか?」


 屋台の店主にそう声を掛けるローム。

 店主はこんな場所ではあまり聞くことがないような丁寧な言葉使いに少し驚くも、すぐに頷く。


「あいよ。三つで銀貨一枚と銅貨二枚……って言いたいところだけど、お前さんは随分と礼儀正しいからな。銀貨一枚に負けてやるよ」


 店主の言葉に、ロームは嬉しそうに笑みを浮かべて口を開く。


「本当ですか!? じゃあ……」

「待った」


 早速銀貨を出そうとしたロームの手を、アースが止める。


「アース? 一体どうしたんですか?」

「……お前も、少しは相手の言葉を疑えよ。……おっちゃん。前は一つで銅貨一枚だったよな? それが三つで銀貨一枚と銅貨二枚? 随分と値上がりしてない?」


 アースも以前何度かこの店で買って食べたこともあるし、他の客が買っているのを見たこともある。

 これだけ食欲を掻き立てる匂いをさせ、食材を炒める音を立てているのだ。その上で一つ銅貨二枚という安さも魅力的だ。

 当然この屋台に寄る客は多く、アースもこの店の値段をしっかりと覚えていた。


「……坊主か。ったく、わーったよ。ほら、三つで銅貨五枚でいいよ」


 屋台の店主はアースの姿に苦笑を浮かべ、炒めていた肉や野菜を切れ目を入れたパンに挟んで手渡してくる。

 本来銅貨六枚のところを五枚としたのは、アースに対する詫びの意味も含まれているのだろう。

 そんな屋台の店主の言葉に、ようやく自分が騙されそうになったと理解したのか、ロームは屋台の店主を睨み付けようとし……


「ほら、いいから金を払え。今からそんなんだと、この後どうなるか分からないぞ?」


 アースにそう告げられ、不承不承ながら銀貨を一枚渡す。


「はいよ、これがお釣りだ。見たとこ、いい所の坊ちゃんらしいな。けど、ここではこれが普通だ」

「……そうですか」


 不満そうに呟きながらも、渡されたパンからはいい匂いが漂ってきて、それ以上怒ることは出来なくなる。


「坊主、しっかりとその坊ちゃんに街の流儀を教えてやれよ」


 店主の言葉に頷いたアースは、そのままパンを手にしながら屋台の前を離れる。

 そんなアースの後を追いながら、屋台から離れた場所でロームは不満そうに口を開く。


「この辺って治安が悪いんですね」

「違うな。さっきのおっちゃんも言ってたけど、この辺だとこれが普通だ。基本的に何かを買う時には高値が付けられている。で、値段交渉するのが前提になってる訳だ」

「……え? どういう意味です?」

「簡単に言えば、相手の言い値で買うと損をするから、必ず値引き交渉をしろってことだ。……それでもこの辺は悪質な程に高値を吹っ掛けてくるような店はあまりないから、まだ良心的な方だぞ」

「良心的、ですか? わざと高値を付けているのに?」


 アースの言ってることが理解出来ないと言いたげなロームだったが、そんなロームに対して溜息を吐く。


「ま、さっきのおっちゃんも言ってたけど、街の流儀って奴だな。俺も最初は驚いたよ」


 ルーフという、村人全員が顔見知りの小さな村からやって来たアースも、最初は高値に騙されたことがある。

 村では普通に定価……より正確には原価に近い値段で売られていたものが、シュタルズでは二倍、三倍近い値段で売られているのだから驚くのも当然だろう。

 最初はそれがシュタルズでは普通の値段なのかと言い値で買っていたのだが、ポロの愛らしい姿に目を奪われた親切な人がアースに教えてくれたのだ。

 その話を聞いたアースも、今のロームのように教えてくれた相手に文句を言った。

 だが、その時に言われた言葉をアースはロームに向かって口にする。


「自分の常識を押しつけるな。その場所にはその場所の決まりがある。それが嫌なら、自分のルールが通用する場所から出てくるな」

「そ、それは……」

「ま、つまりはそういうことだ。それに、考えようによってはこういうのもいいぞ? 上手く交渉出来れば、普通に買うよりも安く買えるし。それに、お前なら……あー、いや。何でもない」


 何かを言い掛けたアースだったが、途中で言葉を止める。

 それが気になったロームがじっとアースへと視線を向ける。

 その視線に気圧されたように、やがてアースは溜息を吐いて口を開く。


「貴族街の近くにある店だと、基本的に値引き交渉とかは必要ない。……いや、出来ないって言った方が正しいか」

「つまり、安いんですか?」


 その問い掛けに、アースは首を横に振る。


「いや、基本的には高い。高いけど、その分品質はいい。法外な高値で買わせるようなことはしないし、大抵の店がこの辺の店に比べると最初に提示してくる値段よりは幾らか安い。……値段交渉をすれば安くなる分、こっちの方がお得だと思うけどな」

「……難しいんですね」

「そうだな。けど、暮らしていればそのうち慣れるよ。俺みたいに」

「ポロロ!」


 いつの間にか自分のパンを食べ終わったポロが、アースに抗議するように鳴く。

 ……当然だろう。現在アースが店で何かを買う時に選んでいるのは、基本的に女が店主をやっているような店が多い。

 これは別にアースが女好きだという訳ではなく、純粋にそちらの方が可愛いもの好き……つまり、ポロを気に入っている人が多い為だ。

 ポロを可愛がりたく、その気を引く為におまけとして何かをくれたり、アースに恩を売ろうとして安くしたりと、そんな風にしてくれる人が多い。

 中には、半額にしてくれた人までいた。

 アースの口からその辺が説明されると、ロームは感心半ば、呆れ半ばといった風にアースの方を見る。


「ポロを利用してるって言いません、それ?」

「ポロの食費を考えれば、多少はしょうがないだろ。……やっぱり美味いな、これ」

「ええ、暖かい料理ってこんなに美味しいんですね」


 炒めた肉や野菜の挟まっているパンを食べながら、二人と一匹はそんな風に会話をしながら商店街を進んでいくのだった。

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