第28話

 突然出て来た少年の姿に、アースは驚愕の視線を向ける。

 落ち込んで周りに気を遣ってなかったとはいえ、それでもここまで近づかれて全く気が付かなかった為だ。

 ポロは……と自らの相棒に視線を向けるアースだったが、そのポロは特に少年の姿を気にした様子もなく呑気に欠伸をしていた。


「……ポロ、お前……気が付いていたなら教えてくれよ」


 ポロの様子から少年の姿に気が付いていたのだと悟ったアースは、少し呆れたようにポロへと告げる。


「ポルルルル?」


 そんなアースに、ポロは小さく尻尾を振って気が付かない方が悪いとでも言いたげな様子を示す。

 もしこれがアースに敵意を持った人物……それこそマテウスのような存在がいたのであれば、ポロも警戒の鳴き声を上げていただろう。

 だが、今アースの目の前に立っているのは、どこからどう見てもアースに危害を加えられるようには思えない人物だ。

 年齢としては、五歳程か。

 見た目に分かる程に高級そうな服装をしているのを見る限り、いいところの育ちなのだろうというのは簡単に予想出来た。

 また、アースに対する態度もとても五歳とは思えないような大人びた話し方と言ってもいい。

 しかし……アースはそんな少年に向かって、相手の身分を全く気にした様子もなく口を開く。


「それで、お前はあの二人から逃げてたのか?」

「はい」

「……驚いたな。まさか、そんなにはっきりと頷くとは思ってもみなかった」

「だって貴方は僕があの二人に追われてるって気が付いてましたよね? ……まぁ、あっさりと僕が逃げた方向を教えたのは少し残念でしたが」

「そう言われてもな」


 溜息を吐きながら、アースは空を見上げる。

 路地裏で、上にあるのは近くの建物の屋根が殆どだが、それでも屋根の隙間から青空はしっかりと見ることが出来た。


「どうしました?」


 そんなアースの様子を不思議に思ったのか、少年はそう尋ねてくる。


「いや、何でもない。それよりお前……年齢の割には随分と大人びてるんだな。俺がお前くらいの年齢の時には、そんな言葉遣いとか態度は出来なかったぞ?」


 自分が五歳くらいの頃……年上の友人達に率いられて悪戯を繰り返していたことを思い出したアースの口からそう告げられた瞬間、少年は見て分かる程に不機嫌になる。


「……僕のこと、何歳くらいに見えました?」

「うん? いや、五歳くらいじゃないのか?」

「こう見えて、もう十歳なんですけどね」

「は?」


 最初、アースは目の前の少年が何を言っているのか全く理解出来なかった。

 何故なら、目の前にいる少年はアースが知っている十歳くらいの相手に比べると、明らかに小さかったからだ。

 とてもではないが、自分より三歳年下には見えない。

 そんなアースの思いが顔に出ていたのだろう。少年は面白くなさそうな表情を浮かべていた。


「いやいや、何かの冗談だろ?」

「……それは、僕の存在そのものが冗談だと言いたいのですが?」

「そこまでは言ってないって。……まぁ、不愉快にさせたら謝るよ、ごめん」


 あっさりと謝ったアースに、少年は少しだけ意外そうな表情を浮かべる。

 てっきり決して自分の非を認めないのかと思った為だ。


「ま、まぁ、いいです。それよりちょっと聞きたいんですけど、そのネズミのようなモンスターは何ですか? えっと、モンスターですよね? 動物じゃなくて」

「ポロロロロ!」


 動物と間違われたポロが尻尾を大きく振って抗議の声を上げるが……傍から見れば、その姿は愛らしいと表現するのが相応しい姿にしか見えない。

 事実少年もそんなポロの様子に目尻を下げ、うっとりと眺めていた。


「……で、結局お前は誰なんだ? こうして騎士っぽい人から逃げてるんだから、何か訳ありなんだろ?」

「うん? あ、あはは。ええ、勿論訳ありですよ? そうですね、僕のことはロームとでも呼んで下さい」

「呼んで下さいって……」


 あからさまに偽名ですといった言葉で自分の名前を告げるロームに、アースは溜息を吐いてから口を開く。


「俺はアース。こっちはポロ。ま、よろしくな。……何だって俺はこんな奴に……」


 どことなく人を食ったような話し方をするロームに、何故自分はこんな奴を見て自分の将来に希望を持てたのか……と、疑問に思う。

 もっとも、ロームもそんなことを聞かれても困るだろうが。

 ただ、それでも先程ロームのおかげで多少なりとも元気の出たアースとしては、このままロームをここに残してはいさようなら……とする訳にもいかない。


「で、ロームは何だってこんな場所にいるんだ? 見ての通りここは裏路地で、お前のような育ちのいい奴が来るような場所じゃないぞ?」


 アースの問い掛けに、ロームは照れ笑いをしながら頬を掻く。


「えっと、実はですね。僕はこのシュタルズという街に昨日初めてやって来たんですけど……出来れば一人で街中を見て回りたかったんですよ」

「一人で? ……その服装でか?」


 ロームの服装は、見る者が見れば……という以前に、誰が見ても上質な代物であるというのは見て取れた。

 それこそアースの目で見ても、具体的な価値は分からないが高価な代物だというのだけは分かる。

 もしアースが悪人であれば、ロームからその服を奪って金に換えてもおかしくないだろうという程度には高価な代物だ。

 だが、ロームはアースが何を言っているのか分からないと言いたげに、小さく首を傾げていた。

 年齢ではアースと三歳しか差がないというのに、その辺をしっかりと理解していないのは育ちの良さからか。

 本来であれば、アースとは殆ど関わりがない相手なのだから、このまま放っておけばいいのだろう。

 そもそも現在のアースは未だに対人戦闘が出来ないという行為に悩んでおり、ロームに関わっているような時間はないのだから。


「はぁ、まぁ、いい。で、どこを見て回りたいんだ? 俺が案内出来るところなら案内してやるよ」


 しかし、アースの口から出たのはそんな言葉だった。

 元々ガキ大将だったアースは、口では何だかんだと文句を言っても面倒見はいい。

 特に年下の相手に対してはその面倒見の良さはよく発揮される。

 アース自身も何だかんだと年上の相手には受けがよく、面倒を見て貰っているのも影響しているのかもしれない。

 ともあれ、アースの口から出た言葉にロームは少しだけ意表を突かれた表情を浮かべた。

 元々アースに話し掛けたのも、何とかして一緒に行動しようと思っていたからというのがある。

 つまりこの展開は狙い通りでもあった。

 だが……それでも、アースがこうもあっさりと自分の思った通りに動いてくれるとは思わず、何か企んでいるのではないか? という疑問を抱く。

 まだ十歳にも関わらず、ロームは自分の生まれのことをしっかりと理解していた。

 それを狙って妙な考えを抱く者がいるというのも知っているし、もしかして目の前にいるアースもそうなのではないかと思ってしまったのだ。


「いいの? 僕金は持ってないよ?」

「金は俺もあまり持ってないな」


 正確にはマテウス達の件である程度の収入はあったが、それを使う気にはなれないというのが正しい。

 それ故、今のアースが自由に使える金は、銀貨数枚といったところだった。

 ……それでもアースのような低ランク冒険者としては、十分な額ではあるのだが。

 それもこれも、ポロという頼れる相棒がいるというのが大きい。

 ゴブリンと戦うのに、ポロという戦力はかなり大きな力を持つ。

 電撃を一撃でも食らえば、威力によってゴブリンが死ぬことも珍しくないし、最低でも痺れて動きは止まる。

 そうなってしまえば、それこそ今のアースであっても仕留めるのは難しくはない。


「アースさん?」


 急に黙り込んだアースに疑問を抱いたのだろう。視線を向けて尋ねてくるロームに、アースは慌てて首を横に振る。


「いや、何でもない。それより、その呼び方はちょっとこう……背筋が痒くなるな。別にさんづけとかはしなくてもいいから、アースでいいぞ」

「え? その、いいんですか?」

 

 ロームの常識としては、相手を呼び捨てにするというのは余程に親しい相手に対して行うことであり、会ってから一日どころか一時間も経っていない相手を呼び捨てにするというのは、常識外れと言ってもよかった。

 だがそれはあくまでもロームの常識であり、田舎にある小さな村のルーフで育ったアースにとっては、リュリュのように年上の相手から君付けされるのであればともかく年下からさんづけされるというのはどうしても馴染めない。

 そんなアースを見て絶対に自分の意見を変えるつもりはないのだと知ったロームは、小さく溜息を吐いてから口を開く。


「分かりました、アース。……これでいいんですね?」


 アースの名前を呼ぶ時に少しだけ照れた様子を見せたロームだったが、アースはそんなロームを気にした様子もなく頷く。


「ああ、それでいい。俺もロームって呼ぶからな」

「……はぁ」


 偽名ではあっても自分の名前を呼び捨てにされるのは違和感があるロームだったが、アースが呼び捨てにするようにと言ったのに自分だけがさん付けをしろなどと言う訳にもいかずにそれ以上は何も言わない。


「名前のことはこれでいいな。それより、まずはお前の服装をどうにかしないとな」

「服装、ですか? どこかおかしなところでも?」


 何について言われているのか全く理解出来ていないロームに、アースは呆れたように溜息を吐く。


「いいか? お前の服装は目立つ。とにかく目立つ。ひたすら目立つ。ロームがどういう奴なのかは詳しく聞くつもりはないけど、普通の人に紛れたかったらもっとそれらしい服装をしてこいよな。そんないい服を着てたら、どこのお坊ちゃんかって言われるぞ」

「そんなに目立ちますか? 僕が持ってる中でも一番の安物なんですけど」

「……取りあえず今のは聞かなかったことにしておく」


 ロームが今着ている服は、買おうと思えば銀貨……いや、下手をすれば金貨すら必要になるだろう。

 それだけの服が一番安いと言われれば、ロームの身分は考えるまでもなく想像出来る。

 だが、アースはすぐに頭を横に振ってその考えを振り払い、ロームへと向かって口を開く。


「ほら、取りあえずその服だと目立つから街中で適当な服を買うぞ」

「いや、でも僕はお金を持ってないといいましたよね?」

「そんなの、その服を売れば幾らでも余裕は出来るだろ」

「……ああ、なるほど!」


 アースの言葉に、その手があったかとロームは頷く。

 ロームにとっては、自分の着ている服を売るという発想自体がなかったのだろう。


「じゃあ、そろそろ行くぞ。このままここにいれば、さっきの人達が戻ってくるかもしれないし。……ポロ!」

「ポルルル?」


 アースの言葉にポロが鳴き、そのまま跳躍するといつものように左肩へと着地する。


「へー……随分と慣れてるんですね」

「ま、俺の相棒だからな」


 そう告げ、アースはロームと共に裏路地を出るのだった。

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