第19話
ランクGへのランクアップ翌日、アースは左肩に乗っているポロと共に、早速討伐依頼を受ける為にギルドへとやってきていた。 昨夜の宴会で遅くまで騒いでいた為、既にギルドの中で最も忙しい時間帯はすぎており、冒険者の数はそれ程多くはない。
「えっと、俺はランクGだからランクFの依頼も受けることが出来るんだな」
「ポルゥッ!」
アースが呟いた直後、左肩のポロが体長の半分以上を占める尻尾でアースの頬を叩く。
「痛っ! な、何だよポロ」
「ポロロォ!」
自分を威嚇するポロに何かを言い返しかけたアースだったが、ふとその瞬間脳裏をブルーキャタピラーの姿が過ぎる。
一歩間違えば……いや、半歩間違えば確実に自分は死んでいただろう戦いを。
あの時はリヴやビルシュサニスン、シャインズ、そしてツノーラといった面々がいたからこそ何とか勝利出来たが、もし自分一人でブルーキャタピラーと遭遇してしまえばどうなるのか。
考えるまでもなく、即死だろう。
そう考えると、数秒前までアースの中にあった楽観的な考えはあっという間に消滅する。
「そうだよな。初めてモンスターと戦うんだし、無理にランクの高いモンスターと戦わなくても、もう少し弱いモンスターと……」
ここで採取依頼のような、戦闘が関係ない依頼を選ばない辺り、英雄に憧れているアースならではなのだろう。
「ポル!」
良く出来ましたと鳴き声を上げるポロの青い毛をアースはそっと撫でる。
……そんなアースとポロには多くの冒険者の視線が集まっているのだが、本人には全く気が付く様子はない。
小さく愛らしいポロは、可愛いもの好きの冒険者――女が殆どだが、中には男もいる――から愛でたいといった視線が向けられている。
また、アースもまだ十三歳と幼いこともあり、年下好きの女冒険者の注目を浴びていた。
「ちょっと、あの子誰? 何だか可愛くない?」
「あんた、また……その年下趣味はどうにかならないの? 大体、前にも同じようなこと言ってて騒ぎを起こしたでしょ」
「だってあのヤンチャそうなところが可愛いでしょ」
「ヤンチャって言うか、あれは単純に生意気なだけに見えるけどね」
「何よ、見る目がないわね」
そんな風に言われているのも気が付かないまま、アースはランクGの依頼が貼られている依頼ボードの前へと移動する。
「えっと、討伐依頼、討伐依頼……えっと、討伐依頼ってのはこの字だったよな。で……」
「ポロロ?」
どれを選ぶの? と小首を傾げて尋ねるポロに、アースは返事をしない。……いや、出来ない。
討伐依頼という文字については、シュタルズに来てから何とか覚えたが、覚えたのはそれだけだった為だ。
パンの買い出しのように何度も行った依頼については大体理解出来ていたが、討伐依頼が初めてとなる今日は、その手法も使えない。
一応英雄になる自分が文字も読めないのは色々と格好が付かないと勉強はしているのだが、今はまだ冒険者としての生活に追われるばかりで、殆ど手つかずのままだった。
(ど、どうしたらいいんだ? えっと、せめて絵とかあればどんなモンスターなのかも分かるんだろうけど……このGってのは俺と同じランクなんだし、多分モンスターランクだよな? となると、この後に続いている文字がモンスターの名前だと思うんだけど)
予想外のことに混乱しつつ、どうしようか迷っていたアースだったが、不意にそんなアースに声を掛けてくる冒険者がいた。
「ねえ、僕。どうしたの? もしかして依頼書を読めないとか? だったら私が教えてあげようか?」
親切な提案。
……もし今声を掛けてきた女冒険者が、先程まで年下趣味をどうにかしろと言われていた女冒険者だと知っていれば、もしかして逃げ出したかもしれない。
だがアースは依頼書に集中していた為に全くそんなことには気が付かず、寧ろ助けてくれる相手に笑みを浮かべて頼もうとして……
「はいはい、そこまで。そこまでにしてね。スマルナはその辺にしておかないと、次にこの前みたいな問題起こしたらどうなるか分かってるわよね?」
そんな声が割り込んでくる。
「え? 問題?」
微妙に気になる単語に声の聞こえてきた方へ振り向くと、そこにいたのはギルドの受付嬢、ライリーだった。
アースがギルドに登録した時からの付き合いで、今まで色々と助けて貰っている相手だ。
ライリーにとっては、アースは弟のように見えているのだろう。
「ライリー?」
「ライリーさんでしょ。それはともかく、依頼なら私が見てあげるからこっちに来なさい」
弟分をスマルナと呼ばれた毒牙から守る為、半ば強引にライリーはアースを引っ張ってカウンターへと向かう。
そんなライリーの姿にスマルナと呼ばれた女冒険者は舌打ちをしていたのだが、突然の出来事に何が起きたのか理解出来ないまま引っ張られていくアースにその舌打ちは聞こえなかった。
……アースの左肩に乗っているポロにはしっかりと聞こえており、スマルナの方に小首を傾げながら視線を向けていたのだが。
半ば強引にカウンターまで引っ張られてきたアースは、ライリーに他の冒険者にはくれぐれも注意するようにと簡単な注意を受けてから、依頼についての話になる。
「それで、アース君はどんな依頼をやりたいの? 私はミルルの実の採取依頼を進めるけど」
ミルルの実というのは、この辺りではよく食べられている果実だ。丁度今が旬の時期で、シュタルズにある飲食店では幾つも採取依頼がギルドへと出されている。
春に旬ということもあり、料理店の材料や店の商品として多くを必要とされ、新人冒険者にとっては手頃な依頼として有名なのだが……
「ううん。俺は討伐依頼がやりたい!」
アースの口からは、当然のように討伐依頼が出てくる。
「あー……だと思ったけど、やっぱり。うん、でも出来ればまずは採取依頼とかで慣れてからの方が……」
「と・う・ば・つ・い・ら・い!」
意地でもそれ以外の依頼はやりたくないと告げるアースに、ライリーも根負けしたのだろう。溜息を吐いてから近くに何枚も置かれていた書類の山へと手を伸ばし、一枚の書類を……依頼書を取り出す。
「じゃあ、せめてこのモンスターにしない? ジャンプマウス。ランクGモンスターで、初めての討伐依頼ならお勧めよ」
「ジャンプマウス?」
聞いたことがないモンスター名だったのだろう。そう問い返すアースに、ライリーは少し考えて口を開く。
「ちょっと待ってて」
そう告げ、カウンターから少し離れた場所にある棚へと向かい、持ってきたのは一冊の本。
かなり大きな本で、ライリーも少し重そうにしてカウンターへと戻ってくる。
「えっとね。えーっと、この辺に……あ、あった。……はい、これ」
開かれたページには、絵が描かれている。
そこに描かれているのは巨大なネズミにしか見えない。
ただ、普通のネズミとは明らかに違う場所もある。
特に足だ。
ジャンプマウスという名前通り、普通のネズミに比べて明らかに後ろ足が発達しているように見えた。
「これがジャンプマウスよ。文字が読めないと説明とかも分からないでしょ?」
「あ……ありがとう」
「ふふっ、いいのよ。とにかく、いい? このジャンプマウスは、さっきも言ったけどランクGモンスターよ。低ランクモンスターだけに、攻撃手段は一つだけ。その名前の通りにジャンプしての体当たりのみ」
「……ネズミのモンスターなら、噛みついてきたりするんじゃないの?」
「普通のネズミならそうでしょうけど、このジャンプマウスは純粋に体当たりだけよ。ただ、その名前にもなってる通りジャンプ力は高いの。つまり、結構な速度で体当たりしてくるわ」
「体当たり……」
呟くアースの言葉に、左肩から頭の上へと移動していたポロが高く鳴く。
「ポルルルル!」
まるで自分に全てを任せてと言ってるような、そんな言葉。
普通であれば、リス程の大きさしか持たないポロがそんなことを言っても誰も本当に力になるとは思わないだろう。
だが、それがライリーであれば話は違った。
何故なら、ライリーはリヴからブルーキャタピラー戦の様子を詳しく聞いていた為だ。
雷を操る力を持つポロの力がなければ、自分達は全滅していた。
そう告げるリヴの言葉には嘘偽りなどないというのは、リヴと付き合いの長いライリーは理解している。
「そうね、ポロちゃんはアース君の相棒なんだから、頑張って貰わないとね」
「ポゥ!」
小さなポロが何度も小刻みに頷く姿は、ライリーの……いや、全ての受付嬢の癒やしと言ってもよかった。
現に、周囲にいる他の受付嬢達や、まだギルドの中に残っていた冒険者といった者達までもがポロを見て胸に暖かいものを感じているのだから。
そんな癒やしの感情に浸っていたいライリーだったが、受付嬢としての仕事を思い出して口を開く。
「とにかく、ジャンプマウスは脚力を活かした体当たりをしてくるから、それに気をつけて。大きさは……ちょうど私の掌を広げたくらいの大きさかな」
「……小さいんだ」
モンスターなのだから、てっきりもっと大きいのだと思っていたアースが、意外そうに呟く。
ライリーが見せている本にはきちんとジャンプマウスの大きさも書かれていたのだが、生憎今のアースにはまだその字を読むことが出来ない。
「そうよ。小さいから体当たりをしても、防具で受け止めれば殆どダメージはないわ。それこそ、アース君の革の胸当ては結構いいものだし」
アースが身につけている革の胸当てはツノーラからのお下がりだが、新人が使うには十分すぎる代物だ。
自分の革の胸当てを見て、アースは心を決める。
「分かった。じゃあ、行ってくる!」
「ポロロロ!」
ネズミは何としても倒してみせる。
そんな思いを込めてライリーに宣言する
「そう? じゃあ、このジャンプマウスの討伐依頼でいいのよね?」
「うん」
アースが頷くのを見て、ライリーは依頼書を処理しながら口を開く。
「……いい? くれぐれも気をつけてね。ジャンプマウスは弱いけど、それでもモンスターなの。最悪怪我をしてもいいから、勝てないと思ったら逃げてくること」
最初から勝てないと決めつけられるのは正直面白くないアースだったが、それでも自分を心配して言ってくれているのだということは十分に理解していたので、不承不承ながら頷く。
「よし、じゃあこれで依頼の受理は完了よ。後は討伐証明部位の尻尾を忘れずに持ってきてね。最低一匹分でいいから」
そんな声を掛けられながら、アースは左肩にポロを乗せたままギルドを出てくのだった。
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