第20話

「……えっと、あれ?」


 アースは、今目の前で起きている出来事が理解出来なかった。

 いや、正確には理解が追いつかないと言うべきか。


「ポロロ……」


 それはアースだけではなく、その左肩に乗っているポロも同様に目の前の光景に何と言えばいいのか分からないと戸惑ったように鳴く。

 本来であれば、アースはジャンプマウスというランクGモンスターの討伐に来た筈だった。

 アースも短剣を手に、モンスターを倒して英雄への第一歩を踏み出してみせる! と意気込んでいたのだが……


「キュー、キュキュ!」


 改めて、アースは自分の足下を見る。

 そこには、ライリーに見せて貰った本に描かれていたのと同じ姿をしたモンスターがいる。

 ただ、そのモンスターがアースに向かって襲い掛かってくるのではなく足に身体を擦りつけているとなると、どうしたらいいのか分からずに思わず固まってしまうのも仕方がなかった。


「キュキュ?」


 どうしたの? とでも言いたげに、円らな目でアースを見上げるジャンプマウス。

 絶対にアースから離れたくないと言いたげな様子は、どこからどうみても人と敵対するモンスターだとは思えない。

 寧ろ、自分を可愛がってくれているご主人様と一緒に遊びたい! と身体全体で表現しているような愛らしさすら漂っている。


「あれ? あれれ? えっと……あれ?」


 取りあえずどうしたらいいのか分からなくなったアースだが、こんなに懐いてるのだから攻撃はしてこないだろう。

 そう判断して短剣を鞘に戻し、しゃがんでそっと手を伸ばす。


「キュ!」


 アースが差し出した掌を見たジャンプマウスは、自分の名前にもなっているようなジャンプ力を使い、掌の上に着地する。


「キュキュ?」


 どう? 上手く出来たでしょと言いたげなジャンプマウスの様子に、アースは愛らしいものを感じてしまう。

 どうしてこうなった……というのが、今のアースの偽らざる気持ちだろう。

 本来であれば倒すべきモンスターに、こうまで懐かれるというのは完全に予想外の出来事だった。


(これも、テイマーの才能って奴か? ……けど、シュタルズに来る途中で遭遇したゴブリンを相手にした時は、俺に向かって攻撃をしようしていたし)


 ゴブリンと戦った時のことを思い出すアースだったが、どう考えてもあの時のゴブリンの行動がジャンプマウスのように自分にじゃれているとは思えない。


(ゴブリンだから頭が悪かった? いや、けど頭の悪さって意味だとジャンプマウスだってゴブリンとそう変わらないだろ? ゴブリンは一応武器を持つ頭はあるし、そう考えればジャンプマウスの方が頭が悪いだろうし……)


 幾ら考えても、今のアースでは何故ジャンプマウスがこうも自分に懐いているのかが全く分からなかった。


「なあ、何でお前は俺に懐いてるんだ? 俺とは初対面だよな?」


 ふとアースの脳裏に、以前母親から聞いた英雄譚を思い出す。

 冒険者が怪我をしていたモンスターを助けて、それを恩に感じたモンスターがその冒険者が命の危機に陥った時に命懸けで助けに来たという物語を。

 それになぞらえ、もしかして自分と前に何らかの関係があったモンスターなのではないかと思って尋ねたのだが、戻ってきたのは小首を傾げる愛らしい仕草のみ。

 アースが何を言っているのか分からないと、そう言っているようなジャンプマウスの様子に、アースは天を仰ぐ。

 そもそもアースが初めてモンスターと接したのはツノーラと一緒に森に行った時であり、それまでモンスターというものを見たことはない。それどころか、ジャンプマウスについてもシュタルズに来るまで知らなかったのだから、以前に会ったということはないと分かっていた筈だった。

 空に広がるのは、春らしい暖かな風と、太陽、白い雲。

 それを見上げながら、口を開く。


「どうしてこうなった」


 先ほども思ったことではなあったが、それでもやはり口にしてしまう。


「まぁ、それがあってもなくても、こいつを殺すなんて真似はもう出来ないだろうけど」


 ここまで自分に懐いている相手を殺せる程にアースは非常ではなかった。


「けど、この依頼に失敗すれば罰金を支払うことになるんだよな」


 金銭的に余裕のないアースにとって、罰金というのは出来れば避けたい。

 だが、その為にはこうまで自分に懐いているジャンプマウスを殺す必要があり……


「ポロロロ!」


 不意にアースの左肩に乗っていたポロが跳躍すると、ジャンプマウスの側へと着地する。……正確にはアースの掌の上だが。

 ジャンプマウスはライリーが掌を広げたくらいの大きさで、アースにとっても何とか持てている状態だった。

 そんな中でジャンプマウスより圧倒的に軽いとは言っても、ポロが跳躍した反動を付けてジャンプマウスの横に着地したのだから、アースがそれを支えきれずに落としてしまっても仕方がなかったのだろう。


「ポルルル」

「キュキュ?」

「ポロ、ポルルル?」

「キュ!」


 地面に降り立ち、明らかに会話をしている二匹のモンスターの姿に、アースは唖然とする。


(いや、ポロもリスでネズミ系のモンスターなんだし、ジャンプマウスと種族が似ているのは間違いない。なら、こうして意思疎通が出来てもおかしくない、のか?)


「ポル、ポロロロ、ポロ」

「キュー……キュ!」


 どうやら二匹の間で話は纏まったらしく、不意にジャンプマウスがどこかへと去って行く。

 そんなジャンプマウスを見送ると、ポロはアースに向かって跳躍し、いつものように左肩へと着地する。

 左肩に乗ってアースを見るポロは、どこか自慢げな様子だ。


「お前、結局あのジャンプマウスに何を言ったんだ?」

「ポロー」


 本来であれば、討伐対象のジャンプマウスを逃がしたポロを怒らなければならないのだろう。

 だが、アースには既にジャンプマウスを……少なくとも今のジャンプマウスを殺す気は完全になくなっている。

 あれだけ自分に懐いている相手を、例えモンスターであっても殺すような真似はアースには出来ない。

 人によっては甘いと言うのだろうが、それでもアースは自分がジャンプマウスを殺すことが出来ないというのを自分自身が一番理解していた。


「あー、くそ! どうしたらいいんだよ」


 苛立ちと共に言葉を吐き出すアースだったが、何故かそんなアースの頬をポロはその青い毛の生えている身体で身をすり寄せてくる。


「ポロロロ」


 大丈夫、と言っているようなポロの様子に、アースは再び溜息を吐く。


「モンスターの討伐依頼で、こんなに迷うようなことになるとは思わなかったな。……なぁ、ポロ。お前はどう思う?」

「ポルー」


 アースの言葉にポロは数秒前の態度とは違って知らないと言いたげに視線を逸らす。


「お前なぁ、もう少し俺のことを……」


 考えてくれよ。

 そう言おうとしたアースだったが、不意にその耳にキュ、という鳴き声が入ってくる。


「え? 戻ってきたのか?」


 声の聞こえてきた方へと視線を向けたアースが見たのは、自分の方へと向かって走ってくるジャンプマウスの姿。

 そのジャンプマウスが先程自分に懐いていた相手だと確信出来た理由は、アースにも分からなかった。

 敢えて理由を上げるとすれば、何となく一緒の個体ではないかと思ったというのが正しいだろう。

 そんなアースの予想は間違っていなかったのか、走ってきたジャンプマウスはアースの足下で停まると、何か口で咥えていた物をアースへと差し出す。


「何だ?」


 疑問に思いながらもそれを受け取り、じっと眺める。

 その間にもジャンプマウスは、アースの足へと身体を擦りつけていた。

 まるでそうするのがとても気持ちいいとでも言いたげに。


「これって……」


 手の中にあるのは、細長い紐のような何か。

 それが何なのかというのは、アースにもすぐに分かった。

 自分の足に身体を擦りつけているジャンプマウスの尻尾と同じものだったのだから。


「おい、お前、尻尾……って、尻尾はあるか。え? じゃあ、どこからこの尻尾を持ってきたんだ?」


 手の中にある尻尾と、自分に身体を擦りつけているジャンプマウスの尻尾を改めて見比べる。

 そこにあるのはやはり同じものであり、アースが手にしているジャンプマウスの尻尾の方が若干長い程度の違いしかない。


「なぁ、お前……本当にこれ、どこから持ってきたんだ?」

「キュ? キュッ!」


 ポロ程に頭は良くないのか、アースが何を言っているのか分からないのだろう。取りあえず何かを言われているというのは分かっているのか、アースに返事をすると身体を擦りつける。

 アースは理解していなかったが、ジャンプマウスというのはランクFモンスターに登録されているだけあって、モンスターの中でも非常に弱い種だ。

 当然そんな弱いモンスターは、より強いモンスターの餌となる。

 いや、モンスターだけではなく、肉食の動物の餌になることも珍しくはない。

 アースに懐いているジャンプマウスが持ってきた尻尾は、そんなより上位の存在に食われた仲間のものだった。

 ……何故ポロのように頭がよくないジャンプマウスが、アースの欲している物を持ってくることが出来たのかはアースにも分からなかったが、本能のようなものでアースの欲している物を察した、というところなのだろう。


「え? これ貰ってもいいのか? 本当に? お前の仲間の尻尾なんだろう?」


 そのような事情を知らなくても、ジャンプマウスがアースに対してその尻尾を渡しているというのは事実だった。

 その尻尾を貰ってもいいのかと尋ねるアースにの言葉をしっかりと理解している訳ではないのだろうが、ジャンプマウスはアースに話かけられたのに嬉しそうな声で鳴く。


「キュキュ! キュウ!」

「ポルゥ、ポロ、ポロロロロ」


 そしてポロは、そんなジャンプマウスに何かを話し掛けている。

 二匹の間で意思疎通が成立しているのは確実なのだが、アースにはそれが何を言っているのかというのは全く分からない。

 なので、取りあえず自分に懐いているジャンプマウスを撫でながら、尻尾を腰の袋へと収納する。


「これって、討伐依頼を達成したことになるのか? いや、でも倒してはいないんだし……けど、そもそも討伐依頼の条件討伐証明部位の尻尾をギルドに提出することなんだから……うーん……」


 数分悩むが、それでも結局アースが選択したのはそのまま尻尾を提出するということだった。

 既に自分に懐いているジャンプマウスを殺すことは出来そうになかったし、討伐失敗ということで罰金を支払うだけの余裕は……多少はあれど、それでも何かあればすぐになくなりかねない程度の余裕しかない。

 悪いことのようにも思ったが、それでもアースが選んだのは尻尾を提出するという選択肢だった。


「悪いな、じゃあこれは貰っていくよ」

「キュ!」


 アースの言葉にジャンプマウスは短く鳴き……そしてシュタルズへと帰ろうとしたアースを追いかけ、何度となく言い聞かせ、ようやくジャンプマウスはアースから離れて自然の中へと戻っていく。


「……俺、討伐依頼出来るのかな?」


 微妙に自信をなくしたアースは、それだけを呟いてシュタルズへと戻るのだった。

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