第2話 とんこつラーメン

 大学の授業は退屈なものであった。教授によるエンターテイメント性ゼロの淡々とした講義を聴き、それをノートに取り、心の中でカウントダウンをしながら、九十分が過ぎるのを待つ。短い休憩時間を挟み、またそれを繰り返す。

 なんの変哲もない日常。少々地味ではあるが、俺はそんな日々が嫌いではない。そして、それは帰宅してからも続くはずだった……。

 家に滞在するふたりの居候、彼女たちがいなければ。

 リビングに入ると、居候のひとり異世界の王女であるミユの姿があった。家を出る前に暇つぶし用に貸したニンテンドー3DSを慣れぬ手つきで懸命に操作している。

 やっているゲームはモンスターハンタークロス。


「おかえりなさい。成彦なるひこ様」


 ミユのおつきの人であるエレノワは俺を発見すると、礼儀正しく一礼してくれるが、ミユはゲームに夢中。ちらりとこちらを見ただけで、すぐに視線をニンテンドー3DSへと戻し、必死にボタンを連打している。

 本当に子供のように熱中している。ミユにとっては、ゲーム機は想像を超えたテクノロジーの塊、さぞ衝撃を受けたことだろう。


「どう? おもしろい?」

「すごいのう。なにがどうなっておるのか、さっぱり理解できぬが、とにかく楽しいのう。さすがは伝説に唄われるワンダースワンじゃのう」

「ワンダースワンじゃなくて、ニンテンドー3DSだけどね……」


 おそらく導術師によって携帯ゲーム機の情報も伝わっていたのだろうが……、残念ながら情報が古い。とにかくミユはワンダースワンことニンテンドー3DSが気に入ったようだ。

 ミユの操るハンターはやみくもに双剣を振り回し、暴れまわっている。

 まったく狙いを定めることなく、モンスターのいない荒野でひたすら剣を振り回し続ける。ハンターというより、ただの癇癪かんしゃくを起こしたおじさんだ。体力満タンなのにガンガン回復薬を飲んで、また大暴れ。回復薬がお酒に見える。

 もう一度、遊び方を教えた方がいいのだろうかとも思うが……。

 まあ、本人がおもしろがっているのだから、これでいいのだろう。


「ミユたちの暮らしてた世界ってこんな感じ?」

「だいたいこんな感じじゃのう。こちらの導術師もよく調べておるのう」

「導術師はいないけど……。じゃあ、こんな風に狩りもしたんだ?」

「うむ。このような、乱暴な形ではないがの」


 DSのなかでなにかに取り憑かれたかのように大暴れを続けるハンター。


「乱暴なのはミユの操作が乱暴だからだけどね」

「そもそも狩りとはもっと人数をかけて行うもの。軍事的な行事なのじゃ、私も幼き頃は、父君に従って、よく狩りの旅に出かけたものじゃ。懐かしいのう」


 モンハンやりながら、懐かしがる人ははじめてだ……。


「懐かしゅうございますね。まことに勇壮でございました。一糸乱れぬ千の大隊、それを率いる王、その姿はまことに神々しく……」


 エレノワがうっとりとした表情で同意する。


「そんなに大人数で狩るんだね」


 千人でハンティングってマルチプレイのレベルではない。


「狩りは練兵もかねておるからの。もっと大人数で取り囲んで、銅鑼を鳴らし、煙でいぶして、落とし穴へと誘導するのじゃ」

「なんか、夢がないな。巨大なモンスターに単独で挑む勇者はいないの?」

「ふむ……いたとしても、それは変わり者か、目立ちたいだけの者じゃの。人数をかければ楽にできることを、あえて危険を侵す行為など、勇者とはいえぬ」


 変わり者か……。

 異世界から来たのに、なんだかリアリストだ。向こうの世界には向こうの世界なりのリアルがあるのだろうけど。


「狩りでは、最初に捕れた獲物を王に捧げるのが決まりとなっておるのじゃ。王はそれを自ら調理し、口にすることで、日々の糧を与えてくれる山の神々に感謝をささげ、豊猟を祈る。私もよく父の次に食べたものだ」


 ミユは懐かしそうに言う。


「なんか、そういうの、いいね」


 こっちの世界では食べ物に対して感謝をすることは滅多にない。それに自分で自分の食べ物を採ることもない。日々、食べる物があることに感謝をする機会があるのはいいことだ。


「うむ、いいものである。美味しくはないのが玉にきずじゃが」


 ミユは3DSのボタンを連打しながら、ぼそりとつけ加える。


「美味しくないのかよ!」

「捕れたての肉を火であぶっただけだからの。生臭くてかなわぬ。最初に捕れた獲物がイボヅノドロ豚であったときなどは、悲惨であったのう。しかし儀式は儀式、父君はむせび泣きながら食べておられたの」


 イボがあってツノがあって、泥の豚……。ネーミングだけで不味そうだ。よくわからないが、異世界の王様も大変だな……。

 一方、3DSの画面のなかではミユの操作するハンターが生肉を焦がし、焦げ肉を作りまくっている。

 このゲームでは肉を焼くにはタイミングよくボタンを押す必要があるのだが、そんなことはお構いなしに、あぶりっぱなしなのだ。


「そんな、王族に成彦殿もならぬかの?」


 ミユの言う〝王族になる〟とは、ミユと俺が結婚するという意味だ。ミユはこちらの世界に転生するなり求婚したのだ。


「そもそも、なんで俺と結婚しようとしてるのか全然わかんないんだけど」


 ミユはエレノワに目配せする。説明せよとの指示だろう。


「いまファリーノス家は跡目争いの最中なのでございます。正当な王位後継者は姫様なのですが、姫の叔父上である、マクルズ候が王位を継ぐべきであるとの一派がおり、激しい政争に。そこで中村なかむら家のご子息である成彦さまと婚姻することで、王位争いを盤石に」

「中村家って、うちは普通の家なんだけど……」

「それについては、話せば長くなるのですが、中村家は……」


 くるるる……。

 エレノワの説明を遮るように小さくミユのお腹が鳴る。


「もしかして、お腹、空いてる?」

「ワンダースワンに夢中での。一日、なにも食べておらぬ」


 僕の問いに、ちょっと恥ずかしそうにうなずくミユ。

 あんなに下手くそなのに、ずっとやっていたのか……。

 それはさぞかしお腹もペコペコなことだろう。このタイミングで長い説明は気の毒だ。


「なにか食べたいものある?」

「そうじゃの、あれも、これも、どれも食べたい……迷うのう」


 昨日はからあげクンを食べて、大喜びだったミユ。

 こっちの世界の食べ物に興味津々なのだ。

 理屈はわからないが、導術師によって、こちらの世界の情報だけはふんだんにある。おそらくミユの頭のなかでさまざまな食べ物がぐるぐると渦巻いていることだろう。

 首を何度も左右に傾けながら、悩みに悩むミユ。ついに首のスイングが止まる。脳内で浮かんでは消えていた食べ物がついにひとつだけ残されたようだ。

 これまでにない真剣な眼差しミユ。


「……ラーメンはどうであろうか」


 普通! あんなに真剣に悩んだあげくの普通!

 しかし、このベタな選択にエレノワが心配げな顔をしている。まるで怯えているかのような眼差し。


「姫さま、本気ですか……我々はまだ異世界に来て間もない身。まだ早くはないでしょうか?」


 それに対してミユは静かに、重々しく、うなずく。


「いや、この世界に滞在するとなれば、ラーメンは決して避けられぬ運命、先日ローソンに向かう道すがら、すでに何軒か目にしておる。我々はこの世界にいる限り、いずれラーメンと向き合わねばならぬのじゃ。逃げるわけにはいかぬ」

「強敵に対峙したときに、ひるむことなく、懐に飛び込む。見事なご決心。見事な勇気。さすがファリーノス家の正当なる王位継承者でございます」


 エレノワのミユを見つめる目がキラキラとしている。どうやら、ミユの発言にいたく感激しているようだが……。

 ラーメン食べに行くだけだよね!? ラーメンを食べにいくことを決意するだけで、さすがは王位継承者なの? ハードル低くないか? もうハードルが地面に埋まってるレベルで。


「あの、ラーメンがどうかしたのかな?」


 俺の問いにエレノワが答えてくれる。


「我々は異世界転移する前に、導術によってこちらの世界について綿密に調査しております。もちろんラーメンと呼ばれる食べ物があり、こちらの民に非常に親しまれていることも存じております」

「知ってるんだったら、なんでそんなに怯える?」

「導術師は己の精神を深層へと飛ばすことで、異なる世界のビジョンを断片的に収集します。複数人の導術師が何度も交信することにより、得られたビジョンを総合して、それを吟遊詩人が異世界の詩にまとめるのです」


 エレノワはそう前置きすると、ラーメンの詩を暗唱しはじめる。


 ラーメン。おお、名高き麺類。

 その名を知らぬ者はなく、あまねく民の愛を受ける。

 しかし、店の主は猛々しく。

 ルールを守らぬ者の骨を砕く。

 ラーメン。おお、誉れ高き麺類。

 その味は変幻自在、自由奔放。 

 しかし、その調理方法はおぞましく。

 豚の骨を砕き、髄を煮込むこと幾星霜。

 おそろしき店主がおぞましき鍋を煮る姿。

 さながら地獄の釜のごとし。

 

 ……間違っちゃいない。……間違っちゃいないけど、あってるとも、言い難い!

 というか、なんか全体的に大げさ! 導術の人が大げさな人だったのか、詩人の人が大げさだったのか……。店主全員が怖いわけじゃないし! 怖いとしても骨は砕かないし!


「まあ、その詩が本当かどうか、とりあえず食べてみたらいいんじゃない?」


 俺はやれやれと頭を掻きながら言う。


「成彦さまは我々の世界の豚を知ないから、そのように気軽に言えるのです。豚を食べるなど、我々には想像もつかぬほどおぞましき行為。あのようなイボイボで、粘液まみれで、断末魔のような鳴き声を上げ、猛烈な毒を持ち、害をなしたものに七代たたると言われ、それでいて、意外と家族思い、そんな豚を食べるなど」

「俺の知ってる豚と全然違うんだけど! 半端ない豚感の相違!」

「我々の知る豚の骨を煮込んだ物など、いかな成彦さまでも絶対に尻込みすることでしょう。ミユさまはいま大変な勇気をお出しになられているのです」


 エレノワはなんだか必死だが、そう言われても、豚感の違いは埋められない。


「わかった、わかった。これは食べてみるしかないな」


 これだけ豚を恐れるふたり。

 ならば、相応しいのはラーメンのなかでもとんこつラーメンだろう。

 詩に唄われる豚の髄のスープをもっとも純粋に味わえる一品だ。


「じゃあ、行くぞ。大丈夫、俺が責任持つから」


 俺はふたりを引き連れ、近所にあるとんこつラーメンのお店へと向かう。


     ◆


「おお、これがとんこつラーメンのお店であるか。むむ、……やはり厳めしいのう」


 ミユとエレノワはお店の前で尻込みしていた。


 ――カタいっちょ!


 店員さんの威勢のいい声が店内から聞こえるたびに、びくりと身をすくめるふたり。


「姫様、もし逆鱗に触れ、店主が暴れ出したとしても、わたくしが必ずや身を挺してお守りしますので」


 もはや、戦場におもむくレベルのテンションである。


「大丈夫だから、店長は暴れないから!」


 俺はミユの手を取り、店内へと入ろうとするが、ミユは散歩の途中で気になるポイントを見つけちゃった犬のように、その場でふんばり動こうとしない。


「成彦どのっ! ルールを! とんこつラーメンは厳しいルールがあると聞く。そしてルールを知らぬ者は骨を砕かれると聞く。まずはルールを! 我々に。〝カタいっちょ〟とは、いかなる呪詛じゅそなのじゃ」

「呪詛じゃないから。とんこつラーメンでは注文するときに麺の固さを指定するの」

「姫様、それならば導術師より聞いたことがあります。とんこつラーメンでは麺の茹で加減を非常に細かく指定できるのです。それによって、店主の機嫌も変わるのだと」

「おお、そうであったか! てっきり呪いの言葉かと」


 ミユの表情がぱっと明るくなる。

 エレノワは自分の記憶を探りながら、麺の固さについての用語を、たどたどしくも順に挙げていく。


「やわ、ふつう、カタ、バリカタ、ハリガネ、そしてさっと湯をくぐらせただけの、コナ落とし……」

「ふむふむ」


 ミユはメモ帳を取り出して、わざわざメモまで取っている。


「……そして湯をくぐらせもしない、コナ落とさず、さらに、袋から出さず、製麺すらせず、小麦もぎり……」


 誤情報! 途中から完全に誤情報。なんだよ、小麦もぎりって! 生えてる小麦をちぎって、スープに入れるってことか?


「コナ落としまでね。実際にはハリガネくらいまでしか注文しないし。とにかくそんな心配しなくても大丈夫。わかんなかったら俺が教えるから。店、入るよ」


 このままでは店の前でひたすら時間がすぎていく。この方が店長に怒られてしまう。

 俺はメモのコナ落としから先を消去させると、店の扉に手をかける。その手にすがりつくミユ。怯えた目で俺を見つめている。


「信じておるぞ、成彦殿」

「大丈夫だから」


 俺は店の扉を引き、真っ先に店内に入る。

 幸い店内は空いている、三人並んで、カウンター席に座る。

 カウンター越しの壁には木札に書かれたメニュー。とんこつラーメンのお店だけあって、メニューはシンプル、とんこつラーメンを基準として、とんこつチャーシュー麺、ネギとんこつラーメンなど、あとはトッピングのバリエーションと、明太子ご飯などのサイドメニューがあるだけだ。

 しかし、とんこつラーメン初挑戦のミユとエレノワにとっては、それでも複雑に思えるのか、それとも店長に怒られたくない思いが強すぎるのか……、メニューを見る目がぐるんぐるん泳いでいる。


「成彦殿、どうすればいいかの? どうすればいいかの?」


 ミユは身体を強張らせながら、小声で「どうすればいいかの?」を繰り返している。


「ネギラーメン三つ」


 俺は迷わず注文する。初体験ならばシンプルにプレーンのとんこつラーメンという手もあるのだが、とんこつスープはかなり濃厚。ネギをトッピングした方が口当たりが爽やかになり、食べやすいだろう。それに栄養バランス的にも確実にいい。とんこつラーメンではネギ多めが俺の王道なのだ。


「固さは?」


 店員さんが間髪おかずに、麺の固さを訪ねる。

 さきほどメモを取ったばかりだ。ここはせっかくだから、その成果を披露させてやるか。


「どうする?」


 俺はミユに尋ねる。


「むむっ、なっ、き、急に……、えっと、その…………〝地獄めぐり〟で」

「メモはどうした! 地獄めぐり、固いんだか、柔らかいんだか!」


 ダメだ、ミユはすっかりとんこつラーメン店の雰囲気に飲まれてしまっている。

 仕方ない、ここは俺のおすすめの固さにさせてもらおう。


「三つともバリカタで」


 俺はとんこつラーメンの一杯目はバリカタ派だ、とんこつラーメンの麺は細麺、細麺はスープの温度で麺が伸びやすい。そこを計算するなら、バリカタが適切。いわばパスタにおけるアルデンテである。

 店員さんの威勢のいい注文の復唱が店内にこだまし、麺が鍋に投入される。

 バリカタとあって、茹であがりも早い。

 すぐに湯から引き上げられ、チャッチャッと軽快な湯切りののち、スープの注がれた三つのどんぶりに次々に麺が投入される。続いて、きくらげ、チャーシュー、そしてこれでもか大量にとトッピングされる小口ネギ。


 ――お待ちっ!


 瞬く間にネギとんこつラーメン三つがカウンターに並ぶ。


「ほほう、白いスープに埋め尽くさんばかりのネギの緑色。食欲をそそるのう。それに、匂いも、想像していたよりは……、ふむ、いや、むしろ食欲を刺激して……」


 ミユはすっかりとんこつラーメンに心を奪われていた。興味津々、キラッキラの目でラーメンを見つめている、……あれほど怯えていたのが、嘘みたいだ。


「のびちゃうから早く食べな」


 俺はそう言いながら、割り箸を割って、ミユとエレノワに手渡してあげる。


「そ、そうじゃな。いただこうかのう」


 ミユは箸を受け取ると、慣れない手つきで、麺をすくい、口へと運ぶ。小ぶりな唇をすぼめ、ちゅるちゅると懸命に麺をすする。


「おおう、これは……。美味じゃ。美味じゃのーーーーう! エレノワも食すがよい。恐れは無用ぞ」


 主人であるミユに促され、びくびくしながらもエレノワがとんこつラーメンをひと口食べる。

 すするという行為に慣れていないのか、苦心しながら麺をなんとか口に押し込み、こくんと飲み込む。


「どう?」


 俺の問いに小さくうなずくエレノワ。いまだ怯えが残っていたエレノワの顔がぱっと明るくなった。


「美味しいですっ!」

「スープもいただくがよい。美味であるぞ」


 ミユはレンゲを手に取って、ぎゅんぎゅんスープを飲んでいる。


「いままで飲んだことのないスープでございますね。なんでしょうこのコクは……、濃厚でまろやか、クセがあるのですが、それがむしろ魅力になって、しかも、この濃いスープとネギのフレッシュな食感が合わさり……、お見事です。それに豚のスープなのにえぐみがありませんし、全身が痺れる感じ、体温が急激に下がる感じもまったくありません」


 ……異世界の豚はどうなってるんだよ。

 レンゲでスープを口に運ぶごとに、目を閉じ、うっとりとした表情を浮かべるエレノワ。すっかりとんこつラーメンの虜である。

 そしてそれはミユも同様。


「天使のスープじゃの。おそらく豚というのは生半可な覚悟の者を退ける虚言であろう。本当は天使の骨髄を砕いておるのじゃ」

「怖いわ! 違うよ。豚の骨をじっくり、丁寧にアクを取りながら煮込んでるの。努力の結晶だから。それから替え玉するなら、スープを飲むのはほどほどにね」


 俺はすかさず替え玉のルールについて説明する。ラーメンの麺だけをお代わりするとんこつラーメン独特のシステム。スープを飲み干してしまっては、替え玉ができなくなってしまうこと。それから、さきほどバリカタだった麺の固さを一段階柔らかいカタへと変更すべきであること……。


「スープの温度がさっきよりも下がってるからね、スープの熱で麺が伸びるペースも落ちる」

「さすが成彦殿、考え抜いておるの、ならば勧めに従わねばなるまい」

「替え玉、麺はカタで」

「私も。麺カタ、顔ニッコリで」


 ――は、はい……、替え玉カタいっちょ、……ニッコリで。


 ミユが俺に倣って替え玉を頼むが、こっそり足される変な注文。相変わらず店長さんが怖いらしいが。

 結局、三人ともカタで替え玉を注文する。

 ほとんど待つことなく、スープに滑り込む新たなる麺。

 ならば、ここでもうひとつのルールを説明せねばなるまい。


「替え玉からは辛子高菜OKだから」


 俺は率先して、目の前にある銀のバットから辛子高菜をひとつまみしてスープに投入してみせる。そう一杯目から辛子高菜を入れる行為はスープの味がわからなくなってしまう行為。

 ミユが恐れに恐れていた頑固店主の怒りを買うことがあるとしたら、最初から辛子高菜を投入したときのみだ。


「おお、ここでこれを……、やはりの。このいかにも自由に入れてよい感じ、罠に違いない、と思っておったのじゃ」

「さすが姫様、驚くべき洞察力でございます。骨を砕かれずにすみました」


 エレノワは小さく拍手を送っているが……。

 むろん罠ではない! 仮に最初から入れても、骨を砕かれはしない。


「いいから、あんまり入れすぎないようにね。辛いから」


 俺のアドバイスに従って、ほんのひとつまみずつ辛子高菜をスープに投入するミユ。

 さっそく味わいの変わったスープを堪能する。


「おお、実に合うのう。まろやかで濃厚なスープがぴりりと辛くなって、まるで天使がケルベロスに乗ってやってきたような」


 ……たとえは一切ピンとこないが、とにかくお口に合ったらしい。

 一日、なにも食べていなかっただけに、ふたりとも食欲旺盛。

 辛子高菜投入バージョンの二杯目もぺろりと堪能する。


「はあ、お腹がはちきれそうでございます」

「実に満足であるのう」


 晴れやかな笑顔を浮かべるふたり。そこにはもはやまったくラーメン店への恐れは感じない。

 いかなる世界でも共通であろう、満腹の幸福感に満たされている。


「ね、怖くなかったでしょ?」


 店を出るとすぐに俺はそう言う。

 その言葉に大きくうなずくミユ。


「こちらの世界のことわざに、百聞は一見に如かず、という言葉があるという。まさに、それであるの」

「しかし、これも姫様の勇気があっての体験でございます。恐れを振り切り、真実を知る。お見事でございました」


 エレノワはあくまでミユをほめちぎる。さすがおつきの人だ。

 ミユも「そうであろう」と言わんばかりに胸を張る。

 そして、急に俺の方に向き直ると、まっすぐに目を見つめる。


「ならば、次は成彦殿も勇気を出す番じゃの」

「えっ? なにが?」

「決まっておる。私と結婚し、我々の世界へと移住するのじゃ」

「いやいや、勇気のスケール違いすぎだから!」


 ミユの可愛さに少し気持ちが揺らぐが、やはり異世界に移住は重い。


「百聞は一見に如かず、じゃ。来てみれば、それほどの不便はない。ワイバーンも思ったほどは襲撃せぬ」

「たまに襲撃あるのかよ!」

「本当にたまにじゃ。それに本当に恐ろしいのはワイバーンではなく、人間じゃ。ワイバーンに喰われる者など、人間同士の争いで命を落とす者に比べたら、はるかに少ない。とくに宮中ではそうじゃ。暗殺、毒殺、不審死、私も何度、命を狙われたことか」

「それこそ、そんなところに住みたくないし!」

「心配することはない。厳重に監視をつけた部屋で、ごく限られた人間にしか会わさぬゆえ」

「事実上の軟禁じゃねーか! 断る」

「王族とはそのようなものじゃ。とんこつラーメンと同じくルールを覚えれば快適ですらある。ナンいっちょであるの」

「軟禁を略されても! 断る」 


 とんこつラーメンの後味よりもはるかにしつこく、ミユは結婚を迫る。

 このしつこさはネギではさっぱりさせられないのであった。

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