いせたべ~日本大好き異世界王女、求婚からの食べ歩き~/川岸殴魚
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第1話 からあげクン
芸人さんがドッキリを仕掛けられて、大きなリアクションをする。テレビなどでよく目にする光景ではあるが、人は本当にショッキングな出来事があると、声も出せずに茫然とすると言われている。まあ普通に生きていれば、大きなリアクションも、声も出せない状況も経験することはない。
そう。そんなことは普通に生きてれば体験することはないはずだったのだ。
俺、中村成彦は自分の部屋のドアを開けたその体勢のまま茫然と立ち尽くしていた。
部屋の中から流れ出す空気の流れが成彦の前髪を吹き上げている。
茫然とする俺の視界に映ったのは目もくらむような強烈な光の氾濫だった。無数の光の粒子が床から立ち昇り、部屋中を駆け巡っている。
数分はそのまま立ち尽くしただろうか、やがて目と脳が慣れはじめ、ようやく俺の目は部屋の内部の様子を把握しはじめる。
窓は開いていないのにカーテンが激しくはためき、さかまく空気が、机の上にあったプリント、放置していたコンビニの袋、漫画などを巻き上げ、まるで洗濯機の中のように猛烈な勢いで旋回させている。
その風と光の発生源は部屋の中心であった。
床に描かれた五芒星と六芒星を組み合わせたような複雑な図形、そこから光と風が立ち上っている。
それはいわゆる魔法陣であった。もちろん俺は現実に魔法陣など目にしたことはないのだが、漫画やアニメで描かれるそれにそっくりなのだ。
魔法陣から放たれる光は徐々にその明るさが増し、ついには閃光弾がさく裂したかのように、一気に輝度を上げる。
思わず自分の身体をかばって、身をかがめる。
幸いなことに痛みはない。怪我はしていないようだ。
すでに光の爆発は収まり、さきほどまで吹き荒れていた、嵐のような空気の流れも感じない。
そっと身体を起こす。
俺が次に見たものは、ふたりの少女であった。
ひとりは黒のロングスカートのワンピース。白いフリルのついたエプロン。いわゆるメイド服にも見えるが、コスプレで着るようなものではなく、非常にクラシックな印象だ。
もうひとりはそれに反して舞踏会に出かけるかのようなドレス姿だ。美しい金髪と相まってなんともゴージャスな印象。しかしその顔にはまだ幼さを残している。十代前半だろうか。
ふたりは光の爆発の直後突然部屋に現れた。
俺は自分を冷静な性格だと自認している。
突然の出来事に茫然としながらも、部屋の中を注意深く観察していた。
たしかにそのときは部屋にふたりは存在しなかった。自分の部屋だクローゼットや押し入れの中は漫画でぎっしり、人が隠れるスペースなどないことも知っている。あの魔法陣がこのふたりを出現させたとしか思えない。
派手な衣装の少女はまっすぐに俺を見つめている。
その青い瞳は一瞬ぱっと喜びに輝いたかのように見えたが、すぐに厳粛な表情へと戻る。
少女は一歩前に出ると、俺に向かってひざまずく。
「私はミユ・カジマ・ファリーノス。結婚してほしい」
――求婚! 突然魔法陣が出現して、その中から少女が現れてからの、求婚!
あまりに急な展開にさすがについていけない。
俺は再び茫然と立ち尽くす。
「姫さま、早いです。こちらの世界では求婚は十分に親睦を深めてから行うとの習わし。いきなり求婚なされては、変な人だと思われてしまいます」
メイド風の少女がミユと名乗る少女に耳打ちする。
「そうであったか。失礼を許されよ、成彦殿。私は変な人ではない。まずは親睦を深めようではないか」
……魔法陣から現れた時点ですでに変な人で決定なのだが。
俺は改めて気がつく。このミユと名乗る少女、驚くほどの美少女だ。透き通るように白い肌、整った目鼻立ち、薄い唇。自分の先走りを認め、恥ずかしげにはにかむ表情、その可愛さには、思わず警戒心を弱めてしまう。
くそう。変な人じゃなかったら大喜びだったのに……。せめて魔法陣から出て来てなければ。最悪玄関から乱入くらいにとどめてくれていれば、求婚を前向きに検討できたのに。
俺はこんなことを悔しがれるほどには、自分の心が平常心を取り戻しつつあることに気づく。ならば現状を把握しなければならない。
「あの……、結局、誰なんです? それからなんで、僕の名前を知ってるのですか?」
「改めまして、こちらのお方は、ミユ・カジマ・ファリーノスさま、ウルカトス王国を束ねるファリーノス家のプリンセスでございます。わたくしは従者のエレノワ。成彦さまのことを知らない人間など王国中を探してもおりません」
エレノワと名乗ったメイド風の少女はそう言うと、深々と頭を下げる。
……うーむ。説明されてもさっぱりわからない。
俺の怪訝な表情を察してか、ミユが苦笑する。
「すぐに理解するのは無理であろう。また改めて説明しよう。なにせ長い滞在になるからのう」
「長い滞在?」
「そうなる。なにせ成彦殿と婚約するまでは戻れぬからのう」
「滞在って家に?」
ミユはこくりとうなずく。
「わくわくするのう。憧れの中村家への逗留。私の幼き頃よりの夢であった。頑張って日ノ本の言葉を覚えた甲斐があったというものじゃ」
改めて確認すると、いつの間にか、魔法陣のなかに、いくつものトランクケースが出現している。
……こいつら帰る気ゼロだ!
いかな美少女といえども、ちょっと困る。
中村家への滞在が憧れ? 中村家はごくごく普通の一般家庭。家も両親には悪いがごくごく一般的な一軒家である。憧れられるような要素はとくにない。
「成彦さま、滞在のご許可を」
改めて頭を下げるエレノワ。
「エレノワ、まずはつまらないものを」
「そうでした。直ちに」
エレノワは召喚した荷物をがさごそとあさりはじめる。
「このようなときに、つまらないものを渡すことがこちらの世界での習わしだと聞いておる。成彦殿、どのようなつまらないものがよろしいか? 木製のつまらないもの、金属製のつまらないもの。ただただひたすらつまらないもの。いろいろ見繕ってきたのじゃ」
ミユは真面目な顔で言う。どうやら〝つまらないもの〟を本当に言葉のままに理解しているらしい……。
ミユの背中越しにエレノワがこけしに似た変な木彫りの人形を持っているのが見える。のっぺりとして、男性か女性かさえ、判然としない。
たしかに非常につまらない造形。本気でいらない。
「おかまいなく。それから、俺ひとりでは決めかねるから、両親に……」
俺は大学二年で、実家暮らし。むしろ俺も生活の面倒を見てもらっている身分。普通に考えて勝手に同居を認めることはできない。ましてや若い女性がふたり。ましてやましてや、魔法陣から出現した怪しい輩二名である。
俺の両親は共働き、夜になるまで帰って来ない。帰って着次第、交渉してほしい。俺は許可がでないであろうことを知りつつ、そう告げる。
「それはそうであるのう。ではそうさせていただく。それはそれとして……」
ミユはそう言うと俺との距離を一歩縮める。
「な、なに?」
「観光してよろしいか? 中村家観光がしたいっ! どれほどこのときを待ち望んだことか」
ミユは俺の手を取り、両手でぎゅっと握る。
俺をまっすぐに見つめる目がキラキラと輝いている。散歩に出かける直前の犬のような、混じりっ気のない、心からの待望。
なぜそんなことをせがむの、まったく理解できないが、こんな目で見つめられたら断ることはできない。
「……別にいいけど」
「おおっ、感謝するっ! やったのう。嬉しいのう」
「姫さまっ! わたくしも胸の高ぶりが抑えられません」
手を取り合い、無邪気にぐるぐると回るふたり。
……そんなに嬉しいか? 普通の家だぞ。お見せするほどの物はなんにもないぞ。
釈然としない思いのまま、俺は自室を出て、リビングダイニングへと案内する。
俺の家のリビングダイニングはキッチンとカウンターでつながるタイプで、カウンター付近に食事をするテーブルセット。部屋の窓側にはソファーセットとテレビ。要するにごくごく普通の間取りとレイアウトである。
「成彦殿、こ、これは……」
ミユが感動に打ち震えながら指さしていたのは照明のスイッチであった。
もちろん、ごく普通のタイプのスイッチだ。
「電気のスイッチだけど」
「や、やはり、そうであるか。書物で読んだことがある。押してよろしいか?」
「どうぞ」
――パチリ。
ミユが照明のスイッチを押すと部屋に明かりが灯る。当たり前である。
しかしミユの反応は当たり前ではなかった。
「おおっ、明るい! 明るいのぅ。それでいて優しく、穏やかな光。まるで春の朝日のようなうららかさを感じる」
両手を広げ、華奢な身体にいっぱいにたしか先月ホームセンターで買って取り替えた、LEDのシーリングライトの光を浴びる。
その表情はまさに恍惚。うっとりしてしまっている。
「なに? 電気のないとこから来たの?」
「我々の世界はこのような技術はございません。灯りといえば、蝋燭とランプでございます。もちろん閃光を発する魔道の技はございますが、それは夜間の戦闘に使用するもの。日常生活で使用するほど長くは発光できません」
……電気はない、魔道?
魔法陣から現れたのだから、常軌を逸した存在であることは間違いないのだが……。
「君たちはどこから来たの?」
「はい。我々の住む世界は成彦さまの住む世界と根本から異なります。我々は成彦さまの住むこちらの世界を異世界と……」
――パチリ
突如として部屋が暗くなる。ミユが電気のスイッチをもう一度押したのだ。
三月になり日照は延びたとはいえ、時間は午後四時過ぎ、カーテンを閉めたリビングはかなり暗い。
「あの、暗いから、電気つけてもらえます?」
俺の言葉に嬉しそうにうんうんと何度もうなずくとミユは再度スイッチに触れる。
――パチリ
「明るいのう! 部屋の天井に小さな太陽が現れたかのようじゃ」
またしても恍惚の表情で照明光浴。
最初とまったく変わらぬ感動っぷりだ。
「それで、異世界というのは?」
「はい。我々はこちらの世界を異世界と呼びます。世の理が異なり魔力の存在しない世界。神は我々の世界と成彦さまの住む異世界。ふたつの世界を生み出したと……」
――パチリ。
また部屋が暗くなる。ミユがまた電気を消したのだ。
「にわかには信じがたいけど、こっちからすると、そっちが異世界から来たってこと……」
――パチリ。
「そのようになります。我々の世界では高位の魔導士はこちらの世界を観測することが……」
――パチリ。
「その魔術により観測した断片的情報が書物として……」
――パチリ。
「その中でも中村家はふたつの世界をつなぐ、ゲートのような……」
――パチリ。
――パチリ。
――パチリ。
――パチリ。
「うぉぃ! 電気パチパチやめてもらえる? 話が全然入って来ないから!」
「で、あるか? もう少し楽しませてほしいのだが。毎日パチパチしている成彦殿にはわかるまい。電気パチパチは幼き頃よりの憧れなのじゃ」
「姫さま。わたくしにも。わたくしにもパチパチをさせていただけませんか?」
「おお、忘れておった。エレノワ。そなたもパチパチするがよい」
――パチリ。
――パチリ。
――パチリ。
――パチリ。
今度はエレノワがパチパチをはじめてしまった。
異世界の説明は完全にそっちのけで照明のオンオフを繰り返す。
つけては「明るいのう」、消しては「暗いのう」。そのたびごとに、きゃっきゃと喜び合うふたり。
このはしゃぎっぷり……。
俺は異世界について聞くことをあきらめて、存分にパチパチさせてやることにする。
それに俺はこのふたりが異世界からの転移者であることをほぼ信じていた。
魔法陣で召還された場面をこの目で見たこともあるが、やはり日ごろからゲームや本でそういった存在に慣れ親しんでいたことが大きい。それに、そんな世界があったらいいな、と心のどこかで信じたい気持ちがあったのだろう。
二十分は電気をパチパチしただろうか。
ようやくふたりが満足してくれる。
その様子を見ていた俺はなんだか申し訳ない気持ちになっていた。電気のスイッチのオンオフをさせるだけでは、さすがに観光とは言えないだろう。
「家の中はいいんだけど、外は見なくていいの? 家の中よりはおもしろいものも多いと思うんだけど。どこか案内しようか」
「なんと、成彦さまの案内で、異世界を観光できるとは! なんと光栄な……。姫さま、お言葉に甘えませんか?」
こくりとうなずくミユ。
「……もしわがままを許してもらえるなら、ローソンが……。私はローソンを見てみたい」
「ローソン!?」
「そうじゃ。ローソンじゃ。魔導士たちが書き残した書物に何度もその名は刻まれておる。かの吟遊詩人、オッペンハイムもその美しさを詩にしたためておる」
ミユの言葉に大きくうなずくエレノワ。
すっと背筋を伸ばし、美しく伸びやかな声で歌いはじめる。
ローソン。
その青き社、
訪れる者のことごとくを笑顔とす。
ローソン。
その青き社。
千の民、万の民の願いをかなえる。
ローソン。
その青き社。
あらゆるものを温める。
街のほっとステーション。
お弁当のソースを外さず、大爆発。
街のほっとステーション。
……なんだこれ?
大体、合っている気もするけど……、大げさすぎないか、吟遊詩人オッペンハイム。
ありとあらゆるものは温めないぞ。
しかし、ミユはうっとりとした表情で聞き入っている。その表情だけでもローソンへの強い憧れが察せられる。
「まあ、ローソンに行きたいなら、別に構わないけどさ」
幸い、ローソンならすぐ近くにある。
俺はとりあえず近所のローソンに異世界からの訪問者を案内してやることにしたのだった。
◆
「青い、圧倒的に青い……。ローソンは青い青いと幼きころより聞かされておったが、やはりこの目で見るのは違うのう。これほどまでに青いとはのう」
「さようでございますね。姫さま。雲ひとつない空もこれほどまでは青くございません」
「青いと言っても、ちょっとは赤いかもしれない。調子の悪い日は紫かもしれない。そう思っておったのじゃが……。青いのう」
「まことに。青うございます」
ミユとエレノワは、ローソンを見つめて、涙を流さんばかりに感動していた。
何度も何度も「青い」とつぶやくミユ。
たしかに青いけれども、青さがローソンの売りではないんだが……。
「見よ、エレノワ。あれぞ、ローソンが誇るミルクのマークじゃ」
今度は看板見つめてうっとりとしているミユ。
「これが伝説のミルクのマーク。ローソンがコンビニエンスストアになる前、ローソン初代王、J・J・ローソン氏がミルク店を営んでいたことが由来だと言われております。まさかこの目で見ることができるとは思いませんでした」
エレノワもまぶしげな目で看板を見上げている。
ふたり並んで、ローソンの看板を見上げる娘さんがふたり。
ひとりはゴージャスなドレスのロリ娘とメイド服のお姉さん。しかもローソンを見たことはないのに、由来だけ勉強してきている。
なんだこのシュールな光景は……。
「入んないの?」
我慢しきれず声をかける。
このままではいつまでもローソンの看板を見たまま日没を迎えてしまいそうなのだ。
「そうじゃの。入るとしようかの」
「入りましょう。姫さま」
緊張した表情でうなずき合うふたり。
ようやく店内に向かって足を進める。
「おおっ、暖かい。まるで春の陽気じゃの。さすが異世界。〝てくのろじい〟の力じゃの」
「まことに。〝てくのろじい〟の力でございます。それに楽団もいないのに、楽し気な音楽が奏でられております。これが幾多の伝説にも記されている、ローソンCSほっとステーションの調でございましょう」
「さく裂しておるの〝てくのろじい〟が。吹きすさんでおるの〝てくのろじい〟が。まことほっとステーションであるのう」
「まさに。これがほっとステーションでないとしたら、なにがほっとステーションなのか。そう思えるほどに、実にホットで実にステーションでございます」
店内に入ったら、入ったで、感激しきりのふたり。
……こいつら意味がわかって言ってるのか? なんだ?「実にステーション」って、どういう状態を指すんだ。
しかし、異世界から訪問者にわざわざ問い詰めるのも無粋な気がする。
「それで、なにか買う? せっかく来たんだから、なにか買ったら?」
ローソンはコンビニエンスストアである。感激で涙ぐみながらも、なにも買わないというのも変な話だし、なかなかどうして、迷惑だ。
しかし、エレノワは恥ずかしそうにもじもじと身体をくねらせて、俺の問いに、なかなか答えようとしない。
「……そうしたいのですが、我々、異世界に転移したばかり、恥ずかしながらPONTAカードを持っておりません」
「別にPONTAカードはなくても大丈夫だから」
「そ、そうですか、なんと度量の広いほっとステーションなのでしょう。しかし、我々は異世界に転移したばかり、恥ずかしながら、こちらの貨幣も……」
またもじもじしてしまうエレノワ。ミユもいまにも悔しさで舌を噛み切りそうなレベルの残念顔である。
こんな顔をされたら仕方がない……。
「奢るから。なんでも好きなもの買いな」
俺の言葉にミユの顔がぱっと明るくなる。
目をキラキラ輝かせて俺の顔を見つめている。
「おお……さすが成彦殿。さすが伝説の聖地中村家の長男。やはり我が夫にふさわしい。成彦殿もまた、ほっとステーションであるの」
「ちょっと、なに言ってるかわかんないけど」
コンビニで奢るだけで、こんなに喜んでもらえるなら、悪い気はしない。
「姫さま。どうしましょうか?」
「からあげクンがよいのっ! 成彦殿、成彦殿っ、からあげクンを!」
ミユはカウンターに並ぶからあげクンを指さし、ぴょんぴょんと小さく飛び跳ねている。
見た目も幼いが、精神構造はもっと子供のようだ。
からあげクン。たしかに初ローソンで購入するにふさわしい一品ではある。
俺が小さくうなずき、OKを出すと、からあげクンの入った保温器の前へと駆けていく。
「どのからあげクンにしようかの」
からあげクンの並ぶガラスケースをのぞき込むミユ。その表情は真剣そのもの。
鶏をデザインしたカップが並ぶ。
当然ながらカップの色の違いは味の違いを示している。
黄色はからあげクンレギュラー、赤はからあげクンレッド、茶色は北海道チーズ、そして期間限定のからあげクン辛味噌味だ。
「ふむ……、からあげクン北海道チーズを……」
ミユがそう言ったとき、俺のからあげクン魂が刺激される。
俺はこう見えても、からあげクンにはうるさいのだ。
「最初はレギュラーかレッドにするべきだと思う」
俺はついつい口を挟んでしまう。
初からあげクンは定番から攻めるべきだ。長年のスタンダードであるレギュラーとレッドの味を覚えてからの、変化球であるべきだろう。
「ならば、成彦殿の意見に従おうかの」
ミユは素直さを見せる。
俺はレギュラーとレッド、それぞれふたつずつ購入することにする。
三人で味を楽しむには十分な量だろう。
◆
ローソンでの買い物を終え、部屋へと戻る。
「……青かったのう。……断然、ステーションであったのう」
ミユはいまだ初ローソンの感動から抜け出していない。
おそらく目に焼きつけたローソンの姿を思い出しているのだろう。目を閉じ、恍惚の表情を浮かべている。
これほど感動してくれるなら、案内した甲斐もあった、というところなのだが、それにしても程度問題はある。
「いい加減、食べたら? からあげクン」
僕はいまだ感動でふるふると震えているミユに声をかけ、からあげクンのカップについているつま楊枝を外して、ミユに手渡してやる。
「うむ。では、いただこうかの」
つま楊枝を握りしめたミユがからあげクンレギュラーを睨みつける。
――これまでにない鋭い眼光。
まるで画家がキャンバスに向き合ったかのような、ピッチャーがバッターボックスに強打者を向かえたような、アニオタが初回限定版ブルーレイディスクと対峙したような……。とにかくプロのオーラを感じる。
「姫さまは宮中で幼き頃より、国内最高の食材とシェフに囲まれて暮らしてきましたから、大変な美食家でございます」
エレノワがその眼光の鋭さについて、補足してくれる。
なるほど、どこの世界なのか知らないが、本当に王女なのであれば、さぞかし美味しい物を食べてきたことだろう……。
そんな人にからあげクンを奢るなんて。俺はもしかしたらかなり大それたことをしてしまったのかもしれない……。
急に不安になってくるが、時すでに遅し、ミユのつま楊枝がまっすぐに伸び、からあげクンを突いて、小さな口へと運ぶ。
ミユは薄く艶やかな唇を開き、つま楊枝の先のからあげクンを半分ほど齧った。
はむはむと小動物のように咀嚼するミユ。
「美味じゃのーーーーう! からあげクン、美味しいのうっ!」
結局、美味いのかよ!
ミユはあまりの美味しさにフローリングの床を転げまわっている。
すごいな、からあげクンのポテンシャル。
「エレノワも食すがよい。からあげクンを食すがよい」
「これは……。ジューシーでございます。噛みしめるとお肉のうま味が口いっぱいに広がります。そしてシンプルなようで奥深いスパイス。あとを引いてまたひとつ食べたくなってしまいます」
「さすが異世界じゃのう。我が国では最高級の美味とされるアカハナドラゴンの肩肉と似ているが、ドラゴンの肩肉よりも、さらにジューシーじゃ。なにより臭みが少ないと言われる、アカハナドラゴンよりも、はるかに臭みがない。驚きじゃ」
「はい。ドラゴンはどれだけ洗浄しても、硫黄臭さがどうしても抜けません。からあげクンはまったく硫黄の匂いを感じません。まるでお肉の美味しさだけを凝縮したような。やはり」
なにとからあげクンを比べているんだよ! とにかくドラゴンの肉に比べてもからあげクンは勝つらしい。すごいな、からあげクン! 臭いのかドラゴン!
なんにしろ、喜んでもらって奢り甲斐はある。
俺ものせられて、少しテンションが上がる。
「レッドも味見してみたら」
俺の言葉に、うんうんと過剰にうなずくミユ。
完全にテンション上がり過ぎである。
そのテンションのまま、今度はからあげクンレッドに手を伸ばす。
「美味じゃのーーーーう! レッドと化しても、美味じゃのーーーう!」
またしてもフローリングの上でのたうち回る。
「口に入れた瞬間はそれほどでもないのですが、あとからじんわりと辛さが……。辛いのですが、不思議なことにまた食べたくなる辛さです。ピリリとした厳しさを持ちながら、同時に包容力を感じます。さすが、レギュラーさんの母君です」
エレノワもからあげクンレッドの美味しさに感じ入っているが……。
母君!?
「レッドって、レギュラーのお母さんなの」
「はい。この鶏のキャラクターたちですが、同じように見えて、すべて違います」
よく見ると、たしかにレッドのカップに描かれている鶏のキャラはレギュラーに比べるとつぶらな瞳をしている。これは間違いなく女性だ!
「レギュラーさんは母君であるレッドさんと父君であるチーズさんのご子息、お兄様がのりしおさん、お姉さんがピザさん。そして育ての親がからあげおやじさんです」
なんだか無駄に複雑な家系、誰なんだからあげおやじ! どうして謎のおやじに預けたんだ、ご両親!
そしてなんでそんなにからあげクンの設定に詳しいんだ、エレノワ!
「いつの日かからあげクンを食べる日を夢見て、国をあげて情報収集したからのう。一流の導術士、占い師、学者にからあげクンについて調べ上げさせたのじゃ」
ミユが俺のなかに渦巻く疑問を察したのか、代わりに答える。
自慢げに言っているが、予算と権力の無駄遣いである。
俺はスマートフォンで、からあげクンのオフィシャルサイトにアクセスしてみる。
http://karaagekun.lawson.jp/page.html#products/about
たしかに国をあげて調べたからあげクン情報は間違っていなかった。
……それにしても誰なんだ、からあげおやじ。鶏たちの家系図のなかで、ひとりだけおやじ。しかもニヤニヤ笑っている。キャラでなければ、職質されるレベルの怪しい笑みだ。なぜそんな人を育ての親に……。
しかし、そんなからあげクンプチ情報などどうでもいい。俺にとってのからあげクンの楽しみは、情報ではなく、味だ。
ここは異世界女子どもにからあげクンのさらなる魅力を伝えてやらねばなるまい。
俺は、コンビニの袋から、こっそり買っておいた、あれを取り出す。
「成彦殿、それは?」
ミユが不思議そうに俺が取り出した小袋をのぞき込んでいる。
「これは別売りの焙煎胡麻ドレッシングだ」
ローソンの別売りドレッシングは美味い。そして、なかでも胡麻ドレッシングはからあげクンと合うのだ。三十円とちょっとでできるプチ贅沢である。
俺はからあげクンレギュラーにつま楊枝を刺すと、さっと胡麻ドレッシングをかけ、ミユとエレノワに手渡す。
それを恐る恐る口に運ぶミユとエレノワ。
「美味しいのおおおう! からあげクンの新しい一面じゃのう」
「はい。マイルドでコクがあります。元気で明るいからあげクンがドレスアップして、落ち着いた大人のからあげ氏へと姿を変えたかのような」
からあげ氏……。
表現はさておき、たしかに胡麻ドレッシングをちょい足しすると、からあげクンはマイルドかつ、高級感あるテイストに姿を変えるのだ。しかも別売りのドレッシングならば、低価格かつ、場所を選ばず使用できる。からあげクンのお手軽さも失わないのだ。
ちなみにおでん用の小さい辛子も入手できれば、それを少しレギュラーにつけて食べると、和風のピリ辛具合がおもしろい。
このようにレギュラーだからこそ、アレンジして食べる楽しみがある。俺がミユにからあげクンのなかでもスタンダードなレギュラーを勧めた理由のひとつがこのアレンジ力なのだ。
……ならばレッドにはなにが合うのか。
もちろんそれにも俺は一応の回答を持っている。
それはプレーンヨーグルトだ。
もちろんからあげクンを買った際に、一緒に買っておいてある。ヨーグルトはサイズの一番小さい百円のもので十分だ。
さっそくヨーグルトを開けると、プラスチックスプーンでひと匙すくい、楊枝に刺したからあげクンレッドの上にさっとトッピングする。
「ほほう。成彦殿がまた新しい趣向を……」
ミユはそれをキラキラ目を輝かせてのぞき込んでいる。
待ちきれないといった様子だ。
俺がからあげクンレッド、ヨーグルトプラスバージョンを差し出すと、そのまま、顔を寄せ、ぱくりと頬張る。
手から直接食べた! なんだか小動物が自分に懐いた感触。
「おおっ……、これは、なんと……。複雑で芳醇な……。酸味、まろやかさ、そして、ほんのりと辛い。口の中が味であふれておる」
目を閉じ小さく首を左右に振って、自分の口の中に広がった、新たなる味わいを堪能している。
どうやら気に入ってくれたようだ。
ならば……。俺はもうひとつ、からあげクンレッド、ヨーグルトプラスバージョンを作ると、エレノワに手渡す。
こちらは両手で丁寧に受け取ると、エレノワも口に運ぶ。
「なるほど……。なんともまろやか。こうなりますか……。純白のガウンに身を包んだからあげクンからは神々しい威厳を感じさせます。これは……もはやからあげ猊下です!」
なんだか高僧になっちゃったよ、からあげクン!
さっきはクンから氏にランクアップしたが、まさか猊下まで出世するとは……。
「ちなみにからあげクンレッドにはすりおろし野菜ドレッシングも合う。こっちは逆にさっぱりと食べたいときにおススメだ。時間が経って、少し硬めのからあげクンに、濃い目のトマトジュースに漬けて食べるパターンもある」
あまりのいいリアクションに、ついつい、からあげクン熱も高まりすぎてしまう。
「さすが成彦殿、さすが中村の血を引くもの。次期、からあげおやじに就任してもまったく不思議ではないのう」
「まったく不思議だわ! 誰なんだよ、からあげおやじ」
からあげクンは大好きだが、からあげおやじに就任するつもりはない。
しかし、ミユはとにかくこのアレンジをいたく気に入ったらしく、テンションが上がりっぱなしである。
「この自由奔放でありながら、基本を踏み外さない楽しみ方。やはり、見込んだ通りの殿方じゃ。結婚を!」
「だから、なんで求婚する!」
「我が国には成彦殿の力が必要なのじゃ。どうか私と夫婦となり、民に希望と喜びを与えてほしい。了承してもらえるまで、何年でもここに留まる覚悟じゃ」
なんとも面倒な覚悟があったものだ。
しかし、こんな可愛い子にこんなことを言われて、断るのも非常に心苦しい。
とはいえ、異世界から来たと称する人間からの求婚を受けるほどの勇気はもちろんない。
お断りするのは申し訳ないが、かといってOKできる案件でもない。
さて、どうしたものか……。
俺は返答に窮して、考え込んでしまう。
そんなとき、タイミングよく一階からドアが開く音が聞こえる。
どうやら母が仕事から帰ってきたようだ。
中村家では母の権力が強く、家のルールはだいたい母が決めている。ここは母に丸投げといこう。
「あ、母親が帰ってきたから、住む許可は、そっちで……」
「おお、母君であるか。ならば、ご挨拶を」
ミユはそう言うとすっくと立ち上がる。
「では、つまらないものを準備いたします」
ミユに従い、先ほどのつまらないものの準備をはじめるエレノワ。
木製のつまらないものを持って、いそいそと一階へと向かう。
俺はそんなふたりの背中を見送る。
これでお別れになると思うとちょっとだけ寂しい。
非常に怪しいふたりだったが、楽しくもあった。とくに俺のからあげクンに関するこだわりを肯定的に受け止めてくれたのは嬉しかった。それに……、まあ、なんというか、ふたりとも可愛かった。
――さらば異世界からのお客さん。
うちの母はそれなりに厳しいのだ。職場でもかなりの部下を抱え、鬼上司として知られているらしい。
「えー、これくれるの? すごい可愛いじゃん。うれしーっ! ありがとうっ!」
一階から母の歓声が聞こえる。
まさかのつまらないもの大ウケである。
母は厳しいが、センスが少し変だった。
「いいよ、いいよ、何日でも泊まってきな。部屋もひとつ空いてるから使って!」
階下から、楽し気な三人の笑い声が聞こえている。すでにすっかり打ち解けている。
……どうやら異世界からのお客さんはもう少し我が家に滞在することになりそうだ。
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