第七話 頑張れ賢祐! 運命を左右する期末テストついに始まる

「ただいま母さん」

「おかえり賢祐。聡実も喜んでくれるように、明日からの期末テスト、全力を尽くすのよ」

「うん! もちろんだよ」

 期末テスト初日前日、授業は四時限目までだったため、賢祐はお昼過ぎに帰って来た。

 昼食に母が用意してくれたカツカレーを食べたあと、自室に向かう。

「賢祐君、いよいよ明日からね」

「賢祐さん、今日は明日ある科目の最終確認をしていきましょう」

「ケンスケくん、all night studyingは逆効果だよ」

「ケンスケトン、体調は万全かな?」

「賢祐お兄ちゃん、聡実お姉ちゃんからの折檻回避を目指して極限まで頑張ろうね」

 部屋に入るといつものように、教材キャラ達が飛び出して来た。

「うん。頑張るしかないからね」

「そういえば聡実ちゃんって、賢祐君に折檻することを楽しみにしてるみたいだけど、そのわりに成績アップを阻害しようといじわるして勉強の邪魔をしてくることは一切しないわね。むしろ予想問題集作ってくれたりして応援してくれてるわね」

「それが昔からの姉ちゃんのポリシーだから。勉強の面倒見はすごくいいよ。高校受験の時もお守りプレゼントしてくれたりしたし。折檻するのはサポートしてるのに結果を出せなかった俺のふがいなさに対する戒めって言ってたよ」

「何だかんだ言って、ケンスケくんお姉ちゃんのこと好きでしょう?」

 モニカはにやけ顔で尋ねてくる。

「好きじゃないぞ」

 賢祐はやや呆れ顔で即答する。

「You are a liar.」

 モニカはにっこり微笑んだ。

「さてと、テスト勉強始めないと」

賢祐は状況を切り替えようと焦り気味に机に向かった。明日行われるのは化学基礎、保健、数学Aだ。

「ケンスケトンは保健好き? 保健って、性教育分野があるでしょ」

 雲母は興味津々な様子で問いかけてくる。

「その分野は高校ではまだだよ。今回の範囲は現代社会と健康の単元の前半部分だから」

 賢祐が素の表情で伝えると、

「なぁんだ。性教育じゃないのかぁ」

 雲母はちょっぴりがっかりした。

「雲母ちゃん、からかっちゃダメよ。保健は一部、現代社会と被る分野もあるのね」

「あいだぁーっ! からかってないのにぃー」

 州湖良に背中をパチーンッと思いっ切り叩かれ、雲母はかなり痛がる。

「これは使えるわね」

 州湖良は、賢祐が今日学校から持ち帰った体育実技副教材の剣道が載っているページから竹刀を取り出したのだ。

「あの、州湖良ちゃん。まさか、それで俺を……」

 賢祐は顔を引き攣らせながら質問した。

「もちろん。賢祐君、サボったら、これで思いっ切りパッチンするからね♪」

 州湖良は竹刀を賢祐の肩の上に乗せて、にこりと笑う。

「てっ、手加減してね」

 賢祐はびくびくしながらお願いした。

「スコランゲルハンス島に叩かれたくなかったらさっそく化学、化学。今日はサトミトコンドリアが作ってくれた直前対策予想問題集を解いていこうぜ。そういやケンスケトン、中学の頃、フレミングの左手の法則ってのを習ったでしょ? フレミングには右手の法則もあるの知ってる?」

「知らないよ」

「やっぱりか。高校物理の範囲だからな。左手の場合、中指が電流、人差し指が磁界、親指が導体にかかる力の向きなんだけど、誘導起電力の向きの場合は右手だぜ。指はそれぞれ直角にしてね」

 雲母は強引に賢祐の右手のその三本の指を反らしてくる。

「いっ、痛いよ、雲母ちゃん」

 賢祐は苦しそうな表情。

「すまんねえケンスケトン、これも学習のためだからちょっとだけ我慢してくれ。フレミングの右手の法則は、中指が起電力の向き、人差し指は磁場の向き、親指が導体の動く向きなのだ。もう少しきれいな直角に」

 雲母は構わず真剣な表情で指をいじくり続ける。

「いたたたぁっ!」

 賢祐はさらに痛がる。

 次の瞬間、ポキッ! と、乾いた音が響いた。

「いっ、てぇぇぇぇぇぇぇーっ!」

 ほとんど間を置かず、賢祐はかなり大きな叫び声を上げた。

「あっ、賢祐さんの右手指が変な形に!」

 葉月は焦りの声を上げる。

「捻挫した場合、冷やすと効果的だと保健の教科書に書かれてあるよ」

 根位比愛はそれを眺めながら冷静に説明した。

「じゃあ早急にそうしなきゃ」

「そういえば葉月ちゃん、手をかざせば怪我を治せるという治癒魔法的な設定が備わっていませんでしたっけ?」

「そんな設定もあったんだ! どうりで俺が体罰で受けた痣とか、痛みも一晩寝たらすっかり消えてたわけだ。助かるよ。葉月ちゃん、早く治して」

「あの、賢祐さん、大変申し上げにくいのですが、わらわの力で即座に治癒出来るのは打撲、切り傷、刺し傷のみで、捻挫や骨折、風邪は不可能なのです。申し訳ございません」

 葉月は賢祐に向かって深々と頭を下げた。

「そっ、そんな、いたたたぁ」

 賢祐は大変苦しそうな表情。

「すまねえ、ケンスケトン。やり過ぎた」

雲母がぺこんと頭を下げて謝罪したその直後、

 ドスドスドスドスドス――。小刻みな低い音が聞こえて来て、

「どうしたの? 賢祐ぇ。大声出して」

 母がお部屋に入って来た。賢祐のことが心配になり、急いで駆け上がって来たようだ。

教材キャラ達はすぐさま自分のテキストに隠れて見つからずに済んだ。

「母さん、俺、フレミングの法則を、確かめようとしたら、右手の指を捻挫して」

「賢祐ったら、フレミングは左手でしょ。これは、病院行った方がいいわね」

 痛がる賢祐を見て、母はにこにこ微笑む。

「うっ、うん」

 賢祐は母に連れられ、近所の外科医院へ向かったのだった。

            *

約一時間後、賢祐は右手親指、人差し指、中指に包帯が巻かれた状態で家に帰って来た。

「ごめんなさーい、ケンスケトン」

 賢祐が自室に入った瞬間、雲母は土下座姿勢で謝罪してくる。彼女はとても気にしている様子だった。

「賢祐お兄ちゃん、雲母お姉ちゃん無限大に反省してるから許してあげて」

「ウンモちゃんも悪気があってやったわけじゃないから」

 根位比愛とモニカは減刑を求めてくる。

「あの、雲母ちゃん。俺、全然怒ってないから。むしろ、新しい知識を教えてくれて、感謝してるよ」

 賢祐は、しょんぼりしてしまった雲母に優しく話しかけた。

「ほっ、本当か?」

「うん!」

「ありがとう、ケンスケトン」

 雲母は頭をくいっと上げ、立ち上がると賢祐にきゅっと抱きつく。

「ケンスケくん、toreranceだね。さすが草食系」

 モニカに感心気味に褒められ、 

「いやぁ、それは関係ないと思うけど」

 賢祐は苦笑いする。

「さあ賢祐君、テスト勉強再開よ。椅子に座りなさい!」

「わっ、分かった」

州湖良から命令されると賢祐はパブロフの犬のごとく条件反射的に椅子に座った。左手にシャーペンを持ち、やりにくそうに聡実が作った化学の予想問題集を解いていく。

「賢祐君、怪我をしているからといって、甘やかすことは一切しないからね。きっちり制限時間内に解いてもらうわよ」

「えっ、それは勘弁してくれよ。左手だと書きにくいのに」

「ダメッ! これも予期せぬ事態に陥った時の耐性を付けるためよ」

「入試当日に、賢祐さん一人が風邪を引いたり怪我をしたりしたからといって、日にちを変更することはもちろん時間延長も認めてくれないですからね」

 葉月は真剣な眼差しで忠告してくる。

「そっ、そうだね。学校のテストでもそうだもんな」

 賢祐はハッと気付かされた。

 こうして賢祐は、その後も明日ある科目を厳しく鍛え上げられていった。

         *

「賢祐、右手使えんのは不便やろ? うちが手伝ったろか?」

「けっこうだ」

 その日の夜七時頃に帰宅した聡実からにやけ顔で話しかけられると、賢祐はほとほと呆れ返ったのだった。


         ☆


迎えた翌日、期末テスト初日。

「賢祐くん、どうしたの? その手」

 朝、いつもより十分くらい早く迎えに来てくれた伸英は、心配そうに接してくる。

「その……」

「フレミングの法則を確かめようとしたら捻挫したのよ。全治一週間だって」

 母はにこにこ顔で伝える。

「そうなんですか。すごく痛そう。字はちゃんと書ける? おしりは自分で拭ける?」

「まあ、左手でなんとかね」

「賢祐ったら、フレミングなのに左手じゃなくて、右手を捻挫させたのよ」

「おば様、フレミングの法則には右手のもありますよ」

「あらま、そうなの?」

 伸英から知らされたことに、母は少し驚く。

「化学の範囲では使いませんけど」

 伸英はにこやかな表情で付け加えた。

「そっか。じゃ、いずれにせよ間違えたのね」

 母はにっこり微笑む。

「賢祐、左手じゃ書きにくいけど、ノルマは一位たりとも下げへんよ」

 聡実はにやりと笑う。

「姉ちゃん、これくらいハンディじゃないよ。昨日、左手で書く練習いっぱいしたからね。左手でも、絶対百位以内に入ってみせる! じゃあ母さん、姉ちゃん、行ってくるね」

 賢祐は強く宣言した。

「頑張れ賢祐くん。それじゃ、行って来ます、おば様、聡実ちゃん」

こうして二人は仲睦まじく学校へ。


「けんすけ、どうしたその手?」

「捻挫ではないか?」

 やはり朋哉と修作が心配して来た。この二人は中学の頃からテスト期間中だけは普段より早めに学校に来るのだ。

「右手捻挫しちゃって、左手で書かなきゃいけないから、ちょっとハンディになるな」

 賢祐は苦笑顔で呟く。

「全力を尽くせ。ドゥーユアベスト。おれも昨日は全然勉強出来ひんかった。新作アニメのチェックが忙しくて」

 朋哉はにこっと笑いながら賢祐を励ます。

「やっぱ誘惑に負けたか。俺は今回はテスト終わったあとにまとめて見ることにするよ」

「おう、けんすけ。姉ちゃんからの折檻回避のために本気モードになれたみたいやな」

「まあね。でも左手じゃ答書くのにちょっと時間がかかっちゃうよ。数Aが一番鬼門だ。図を描かなきゃいけない問題も絶対あるだろうから」

 賢祐は苦笑顔で伝え、自分の席に着く。そして一科目目化学基礎のテスト範囲の最終確認をし始めた。

時間は刻々と過ぎていき、八時半のチャイムが鳴ってまもなく、

「皆さん、出席番号順に座っていますか?」

担任の播野先生がやって来る。彼女は机の中に物が入ってないか、携帯電話の電源は切って茶封筒に入れ机の上に出すようになどの諸注意をした後、化学基礎の問題用紙と解答用紙を裏向けに配布していった。

 そして八時四〇分。チャイムが鳴り、

「それでは始めて下さい」

播野先生からのこの合図で試験開始。教室内に用紙を表に捲る音が聞こえたのち、シャープペンシルの走る音が聞こえ出す。

それから数分後、賢祐の自室。

「賢祐さん、左手でも上手くやれているようですね」

 葉月は嬉しそうに賢祐の様子をモニター画面で眺めていた。

「よかったぁ。アタシすごく心配だったぜ」

 雲母はホッと胸をなでおろした。

        *

 豊中塚高校一年五組の教室。

「賢祐くん、どうだった? ちゃんと書けた?」

 九時半過ぎ。一科目目終了後、伸英はすぐに賢祐の席へ近寄って来てくれた。

「まあ、なんとか」

賢祐が表情を緩ませて答えると、

「よかったぁー。賢祐くん、次の科目も頑張ってね」

 伸英はホッとした表情を浮かべてこう励まし、自分の席へ戻っていった。

「けんすけ、今回はおれ、四〇くらいしかないと思う」

「理系志望でさすがにそれはまずいだろ」

 楽天的な朋哉に、賢祐は呆れ顔で突っ込む。

 修作は自分の席から動かず、次の科目のテスト範囲内容の最終確認をしていた。

いよいよ始まった二科目目、数学A。

やっぱ時間がかかるなぁ。

 賢祐は慣れない左手で懸命にベン図や樹形図を描写していく。

三科目目保健も、賢祐は左手でなんとか乗り切ることが出来た。


        *


「ケンスケトン、今日あった化学のテストの問題用紙貸してぇーっ」

 午後一時前、賢祐が帰宅し昼食を取り終え自室に入るや否や、雲母が駆け寄って来た。

「もちろんいいよ」

 賢祐は快く通学鞄から取り出し、雲母に手渡した。

「今から解答速報作るね。お詫びの気持ちも示したくて」

 雲母はそう言うと、学習机の上にその答案と白紙のA4用紙を置き、椅子に座る。シャープペンシルを手に取ると、さっそく白紙用紙に問題を解き始めた。

「あたしも数Aの解答速報作るぅーっ。賢祐お兄ちゃん、テスト頂戴」

 根位比愛も雲母の真似をし始めた。

 それから十五分ほどのち、

「出来たぜケンスケトン。今回は中間より難易度少し高かったね。学年平均おそらく六〇切るぜ。アタシにとっては楽勝だったけどな」

 雲母は文字や化学式、図でビッシリになったA4用紙を賢祐に手渡す。

「……どんな答書いたかあんまり覚えてないけど、平均絶対ないよ。超えたかったけど」

 賢祐はちょっぴり落ち込んでしまった。

「賢祐お兄ちゃん、はいどうぞ」

 根位比愛からも数式でびっしり埋まったA4用紙を渡された。

「……数Aも、たぶん平均ないな」

 賢祐はますます落ち込んでしまう。

「賢祐さん、思ひくづほっちゃ駄目です」

「ケンスケくん、ネガティブシンキングは大学入試本番ではフェータルになるよ」

「予想問題で化学七三、数A七一取れたケンスケトンなら絶対平均あるぜ」

「賢祐お兄ちゃん、元気出して。成績というものは、短期間で飛躍的に上がるほど甘くは無いからね」

「賢祐君、まだ主要科目のうち二科目が終わったに過ぎないじゃない。自分は絶対百位以内に入れるんだって気持ちでいなきゃ」

 州湖良は爽やか笑顔で優しく頭をなでてくれる。

「分かってはいるけどね」

賢祐の不安はほんの少しだけ和らいだ。

二日目は古典と家庭科が組まれてある。

「ケンスケくん、Tomorrow is another day.だよ。今日のことはもう忘れて、明日頑張ればいいんだよ」

「そうですよ賢祐さん、明日に向けて古典の直前対策をしましょう」

「うん」

 モニカと葉月に励まされ、賢祐は自ら机に向かう。彼は二日目以降、テストの出来が悪くとも、ネガティブな気持ちにならないよう心掛けた。


       ☆


期末テスト四日目終了後。

「今日は現社と生物で楽だったけど、明日が一番嫌だな。数Ⅰと英語、どっちも俺の苦手科目だし」

「僕は数学は一番楽しみだけどね」

「数学が得意なやつの頭の構造は理解出来んな。おれは全科目苦手やから」

「朋哉、それはやばいぞ。俺も頑張らないと」

「今日は四日だよな。ジャ○プSQとジャ○プコミックの新刊、今日発売だから駅前の本屋までいっしょに買いに行こうぜ」

「えー、あと一日だけなんだし、終わってからでいいだろ。今日買うと、絶対気になってテスト勉強に集中出来なくなりそうだし」

 朋哉の誘いに、賢祐は眉を顰めながら意見した。

「おれは明日の試験完璧に捨ててるし。おれ目当てのやつは人気作だから明日には売り切れてるかもしれねえし」

けれども効果なし。朋哉の意思は全く変わらず。

「そういうのはたくさん入荷されるから、むしろいつでも手に入れ易いだろ」

 ほとほと呆れ果てる賢祐に、

「あのう、利川君。僕も、いち早く読みたいですしぃ、いっしょに行きましょう」

 修作も申し訳無さそうにお願いして来た。

「……修作まで。それじゃあ、行くか」

 賢祐は五秒ほど悩んだのち、こう意志を固めた。

「みんな、お目当てのもの買ったら長居はせずにまっすぐおウチに帰って、しっかりテスト勉強しなきゃダメだよ」

困惑顔で見送った伸英をよそに三人は学校を出ると、最寄り駅の方へと向かっていった。

「いけませんね、賢祐君。これでは」

「帰ったらたっぷりお仕置きが必要だね。bamboo swordでダイレクトにおしり叩き百発で良いかな?」

 あのやり取りをモニター越しに眺め、州湖良とモニカはむすぅっとなった。

「賢祐君だけじゃダメね。賢祐君の貴重な学習時間を阻害しようとしているあの朋哉君という奈良の大仏みたいなお顔の悪友と、修作君という微妙に溥儀っぽいお顔の子も懲らしめなくちゃ」

 州湖良はにやりと微笑んだ。

「さすがスコラちゃん、受講生のフレンズにもシビア」

「いよいよ聡実ちゃんのこの究極の空想アイテムを使う時が来たわね」

 州湖良はそう言うと、自分用のテキストからサランラップのようなものを取り出した。そしてそれを適当なサイズに千切り、テレビ画面にぴたりと貼り付ける。

「州湖良お姉ちゃん、それなあに?」

「スコランゲルハンス島、また妙なのを出したね」

「ひょっとして、アレかな?」

 根位比愛、雲母、モニカの三人は興味津々に観察する。

「これをテレビ画面に貼り付けるとテレビに飛び込めるようになって、映っている場所へ移動することが出来るのよ。ただし、ライブ映像に限るけどね」

 州湖良は自慢げに伝えた。

「ど○でもドアみたいなものかなぁ?」

 根位比愛はすかさず突っ込む。

「そんな感じね。ちょっとお手本を見せましょう」

 州湖良がテレビ画面に手を入れた瞬間、

「いてっ!」

「どうした、朋哉?」

「何かあったのでしょうか?」

 賢祐達のいる場所はこんな現象が起きた。

「なんか、いきなり後ろから髪の毛引っ張られたみたいなんだ」

 朋哉はそう伝えながら後ろを振り返ってみた。

「あれ? 気のせいかな?」

 しかし誰もいないことに朋哉は不思議がる。

「たぶんそうだろ」

 賢祐は素の表情で突っ込み、

「僕はおそらく、カナブン的な昆虫に衝突されたのだと思います」

 修作はほんわか顔でこう推測した。

「あー、あり得るよな、チャリ乗ってる時とかたまに顔にぶつかってくるし」

 朋哉は朗らかな気分で笑う。

「修作、さすがの推理だな」

 賢祐も感心する。しかし修作の推理は間違いだった。

州湖良が朋哉の髪の毛を後ろから引っ張ったのだ。

 三人は当然、それに気づくはずはない。

「これぞ『後ろ髪を引かれる思い』ね」

「州湖良さん、それは誤用です。後ろ髪を引かれるとは、心残りがしてなかなか思い切れないことです」

「あらまっ、そうでしたか。さすがは国語科担当ね」

 葉月に指摘され、州湖良はちょっぴり照れた。

「これもまたグレートファンシーアイテムだね」

「サトミトコンドリア、発想力すご過ぎるぜ。さすが現役阪大生だな」

 モニカと雲母はかなり絶賛していた。

「さてと、先回り地点を映して、さっそくお仕置き開始よ」

 州湖良はにこやかな表情でそう告げると、映像を別の地点に切り替えた。

続いて、賢祐が中学時代に使っていた理科の資料集のとあるページを開き、開かれた方をテレビ画面に向ける。そして背表紙をトントントンッと手で叩いた。

賢祐、朋哉、修作の三人が橋の上に差し掛かり、

「それにしてもラノベ読んでるやつって、クラスでおれらの他にあまりいないよな」

「金銭的なこともあるのでしょう。ラノベを二冊買うお金で、ジャ○プコミックが三冊買えるからね」

「でも、図書室にもいっぱい置いてあるけどなぁ。伸英ちゃんに頼んでもっと宣伝してもらおうかな」

こんなオタク的会話をしていたところ、

「あっ、あのう、利川君、寺浦君、前、前」

 突然、修作の顔が蒼ざめた。

「どうした修作?」

「ん?」

 賢祐と朋哉もまっすぐ前方を見た。

「「「……」」」

 瞬間、三人の顔が凍りつく。

彼らのいる二〇メートルくらい先に、とある野生動物が現れたのだ。

ガゥオッ! それは大きく咆哮した。

百獣の王、ライオンであった。性別は、鬣が目立つオス。

「ひええええええっ~! こっ、これは、夢でございますよね?」

「うわああああああああっ!」

「なっ、なんでこんな所にあんなアッフリカンな動物がおるねん?」

 三人は慌てて全速力で逃げ出した。五〇メートル9秒を切るくらいのペースだ。

「日本国内には野生のライオンは生息していないはずなので、王子動物園か、天王寺動物園から逃げ出したとか?」

 修作は顔を蒼ざめさせて逃げながらも、冷静に分析してみる。

 ライオンも当然のように三人を追って来た。

 三人とライオンとの距離はみるみるうちに詰められていく。

「いい気味ね。さて、そろそろ助けてあげましょっか」

「本当にそろそろ戻した方が良いぜ。ケンスケトンにはそんなに罪はないし、トモヤングの実験とシュウサクエン酸に対するお仕置きもやり過ぎだと思うぜ」

「早急に回収しないと、かなり騒ぎになっちゃいますよ。というか、賢祐さん達の身が危険に晒されます。あのう、州湖良さんがライオンさんを元に戻すのですよね?」

 葉月は深刻そうに問う。

「えっと、わたくし、怖いので、誰か、やっていただけないでしょうか?」

 州湖良はてへっと笑った。

「あたし、ライオンさんは大好きだけど、檻がなかったら、怖いよぉ」

「アタシもあいつと戦う勇気は無いぜ。犬歯が発達してて鋭い爪を持ってるからなぁ」

「I think so too.It‘s very dangerous.」

 根位比愛、雲母、モニカは苦笑いで言い張る。 

「こうなったら、助っ人を呼びましょう。またボブ君に頼もうかしら。同じ肉食系のようですし」 

「州湖良お姉ちゃん、あのおじちゃんは絶対出しちゃダメェーッ!」

 根位比愛はむすっとした表情で要求した。

「あのロリコンに頼んでも、probablyやってくれないよ」

「幼い女の子が大好きな時点で、怖がりだと思うぜ」

 モニカと雲母は自信満々に主張する。 

「確かにそうね。それじゃぁ国語便覧に載ってる連銭葦毛なるお馬さんに助けもらいましょっか」

「州湖良さん、余計大変な事態になりそうなので、絶対やめた方がいいと思います」

 葉月は困惑顔で意見した。 

「その案も却下かぁ。こうなったら強そうな人……世界史の教科書から強そうな人を召還すれば。プロイセン王のフリードリヒ2世は、鯛焼きみたいなお顔で頼りなさそう。うーん……ナポレオン1世にするか、ルイ14世にするか、カール大帝にするか、フェリペ2世にするか、スレイマン1世にするか、ボリバルにするか、トゥーサン・ルヴェルチュールにするか……でも、どのお方も日本語は通じないだろうし、それに、とても怖そうだし、とりあえず、このお方でいいかな? 日本人だから言葉も通じそう」

 州湖良は世界史の教科書をパラパラ捲って見つけたとあるカラーページを開き、手を突っ込んだ。

「やっぱり、すごく重たいわね」

 三〇秒ほどかけて、お目当ての人物をなんとか引っ張り出すことに成功した。

「きゃあっ!」

 瞬間、葉月は思わず目を覆った。

「ハヅキアズマ、褌付けてるんだしそんな反応しなくても」

 雲母は笑いながら突っ込む。

「Oh,Sumo wrestler!」

「お相撲さんだぁーっ! 勝率何割くらいかな?」

 モニカと根位比愛は興味津々に現れた人物の姿を眺める。力士であった。

「ペリーに対抗して力士が米俵を運んでいる図から取り出したの」

 州湖良は自慢げに語る。

「……どこでぇ、ここは?」

 力士は目を丸め、米俵を持ったまま周囲をぐるりと見渡す。かなり戸惑っている様子であったが当然の反応だろう。

「力士のおじちゃん、ここは二一世紀の日本だよ」

「力士君、落ち着いて聞いてね。ここはあなたがいる時代から、一六〇年くらい先の世界なの。元号は安政ではなく平成、江戸は東京って知名になってるわよ」

「ほへっ!?」

 根位比愛と州湖良からの説明に力士はさらに驚き、ひょっとこのような表情になる。

「キミに倒してもらいたいやつがいるんだ。そこに映ってる、ライオンなん……」

 雲母がそう言い切る前に、

「ひっ、ひえええええええ! はっ、箱が、しゃべったでげす。うわわわぁーっ」

 力士は顔面を蒼白させ、ドスーン、ドスーンと大きな地響きを立てながら、部屋から逃げ出してしまった。

「何の音?」

 リビングにいた母は不審に思い、廊下に出た瞬間、

「うぉっ!」

 力士とばったり出会ってしまった。

「きゃっ、きゃぁっ! 何ですか? あなたは?」

 母は驚き顔で尋ねる。

「こっ、こちとら、江戸っ子の力士でぃ。今しがたまで、船に米俵を運んでいたんでぃ! でもよぉ……」

 力士はひょっとこのような表情をして強い口調で説明する。

「はぁ? 何言ってるの? あなた。警察呼ぶわよ。ひょっとして、最近このおウチの食べ物漁ったり、光熱費を使ってる泥棒?」

 母は賢祐を叱り付ける時のように険しい表情で問い詰めた。

「こうねつひ、ってなんでぃ?」

「とぼけるんじゃありません。あっ、こらっ、待ちなさい!」

「ひいいいいい、これやるから見逃して欲しいでげすーっ」

 力士は母の様相に恐れをなし、片手に持っていた米俵を投げ捨てて玄関から外へ飛び出した。

「あらまっ、案外いい泥棒さんね」

 母はにこっと微笑んだ。

 力士は図中では米俵を両手に抱えていたが、取り出される際一つ落っことしたらしい。

賢祐の自室。

「面白いおじちゃんだったね」

「うん。あのホモサピエンス、質量百キログラムは優にありそうだったな」

「役に立たなかったね、あのスモウレスラー」

「根性が予想と全然違ってたわ。あの人も賢祐君や朋哉君、修作君と同じく草食系男子ね」

 根位比愛と雲母は笑顔、モニカと州湖良は呆れ顔でさっきの力士の印象を語る。

「まだ坪内逍遥さんすら生まれていない幕末から、いきなり二十一世紀の世界に飛ばされたのですから、あのような素っ頓狂な反応をされても無理は無いと思います」

 葉月はほんわか顔で意見する。

「幕末なら、科学もけっこう発達してたと思うけどな。あっ! ケンスケトン達、もうかなりやばい状況になってるぜ。アタシが、助けに行って来るよ」

 雲母は早口調でそう言って、テレビ画面に飛び込んだ。

「焦眉の急ですね。わらわもお手伝い致します」

 葉月もあとに続いた。

「雲母お姉ちゃんと葉月お姉ちゃん、大丈夫かな?」

「あの子達ならabsolutely無事にライオンを二次元に戻せるよ」

「雲母ちゃん、葉月ちゃん、頑張って下さいね。大怪我したら、世界史の教科書からナイチンゲールを召還するので」

 残る三人は固唾を呑んでモニター越しに見守る。

その頃、賢祐、朋哉、修作の三人は高さ二メートルくらいのブロック塀に突き当たってしまっていた。袋小路だ。すぐに引き返そうとしたが時既に遅し。ライオンはもう、三人の一メートルほど先まで迫って来ていた。

「ひえええええっ、ラッ、ライオン殿。どうか、僕達の側から離れて下さいましぇ」

「どっ、どうしよう、どうしよう。かっ、母さん、姉ちゃん。助けてーっ!」

「しゅうさく、けんすけ、死ぬ時は、いっしょだぜ」

 三人はブロック塀に背中をつけて、手を繋ぎあってカタカタ震えていた。ライオン目線からだと真ん中に修作、右に朋哉、左に賢祐という配置だった。

 グゥアゥオッ! 鋭い牙を剥き出しにしたライオンが三人の目と鼻の先まで迫り、絶体絶命のピンチに陥ったその時、

「ケンスケトン、助けに来たぜ」

「賢祐さん、助けに参りました」

 雲母と葉月が正義のヒーローのごとくタイミングよく登場した。

「哺乳綱ネコ目ネコ科ヒョウ属のライオン、アタシと勝負だぜっ!」

 ガオッ! ライオンは雲母の声に反応して彼女の方を振り向く。

「あの、皆さん、これを付けて目隠しして下さい。強い光が出るので」

 葉月は三人に長くて黒い布を手渡した。

「分かった、葉月ちゃん」

「どっ、どなたか知りませぬが、ありがとう、ございまするぅ」

「どっ、どうも。こうすれば、いいのか?」

 三人はすぐさま言われた通りにした。

「ライオンさん、やめて下さーい!」

 葉月はそう叫ぶと、顔を般若面に変化させた。

 ガゥオッ! ライオンはびくーっと反応し、あとずさる。

「二度と使わないと決めていたのですが……」

 葉月は瞬く間に元の顔の形へと戻った。

「ケンスケトン、あとは任せて」

 雲母はそう告げると姿を消した。約五秒後、再び姿を現すと、ライオンの背中に乗っていた。雲母はすぐさま理科の資料集を開き、ライオンの背中に押し付ける。

 するとライオンはあっという間に二次元の世界へと帰っていった。

 雲母と葉月もそそくさこの場から退場し、賢祐のおウチへ戻っていった。

「なあ、けんすけ、しゅうさく、さっき、二次元からそのまま飛び出したような女の子が、いたよな?」

「はい、僕の目にもしっかりと見えました。さっきの出来事は、夢ではないか?」

朋哉と修作は、ぽかんとしていた。

助かったぁ、というかあのライオン、理科の資料集から出したやつか。

 正体を知っている賢祐は冷静だった。

「そんじゃ、危機は去ったことだし、気を取り直してマンガ買いに行くか」

「そうですね。今日は非常に貴重な体験が出来て、よかったであります」

「おい、おい」

 それからすぐに何事も無かったかのように通常精神状態に戻った朋哉と修作の反応に、賢祐は笑いながら突っ込んだ。

 こうして三人は予定通り、お目当ての月刊誌とコミックスを買いに駅前の大型書店へ向かうことに。

         ☆

「申し訳ございません雲母ちゃんに葉月ちゃん、ご迷惑かけて」

 雲母と葉月が賢祐の自室に戻ってくるや、州湖良は深々と頭を下げて謝罪。

「いやいやスコランゲルハンス島、べつに謝らなくても。アタシ、ライオン退治けっこう楽しかったぜ」

 雲母は嬉しそうにしていた。

「州湖良さん、もう二度とこのようなお仕置きの仕方はやらないで下さいね」

 葉月はぷくぅっとふくれた。

「大変申し訳ない」

 州湖良はもう一度謝罪の言葉を述べて、許しを得たのだった。

「この様子じゃ、スコランゲルハンス島のお仕置きは効果なかったみたいだな」

 書店にてお目当ての本を物色する賢祐達三人の姿をモニター越しに眺め、雲母は楽しそうに微笑む。

         ☆

「賢祐君、遊びに誘惑されたでしょ。めっ!」

 賢祐が帰宅して自室に入った瞬間、いきなり州湖良に竹刀で頭をパチーンッと叩かれた。

「いってぇぇぇっ!」

 賢祐は両目を×にして両手で頭を押さえる。

「ちなみに遊びは、古語では詩歌・管弦・舞などを楽しむことをいう場合が多いですよ」

 葉月はにっこり笑顔で伝えながら手をかざし、賢祐がさっき受けた痛みを取り除いてあげた。

「ケンスケくん、明日はmost importantな英語があるんだよ。タイムロスした分、今からしっかり取り戻さないとね。シッダウン!」

「分かった、分かった」

 賢祐はモニカによって容赦なく椅子に座らされ、明日ある科目の勉強を進めていく。

「賢祐お兄ちゃん、いよいよ明日で期末テスト終わりだよ。もう一息」

 根位比愛はそんな賢祐を優しく励ましてあげたのであった。数学Ⅰの教科書と、数学IA問題集とノートを右手に抱え、コンパスの針を左手に持ったまま。

        ☆

その日の夜、利川家の夕食団欒時。

『次のニュースです。今日正午前、大阪府豊中市内の路上を褌姿で走っていたとして、公然わいせつ罪の現行犯で住所不定、自称力士、久吉容疑者を逮捕しました。調べに対し久吉容疑者は、こちとら生まれは筑後国山門郡大和村。米俵を運んでいたら、突然しゃべる箱とか、鉄で出来たイノシシとか、ペリーの黒船よりもでっけぇ建物があるべらぼうな場所に着いちまったんでぃっ! などと意味不明な供述をしており……』

「あっ、こいつ。今日ウチに入って来た泥棒だ」

 七時台のこのニュース画面を見て、母は反応する。

「泥棒に入られたの? 母さん、大丈夫だった?」

「ママ、レイプされなった?」

「怪我は無かったのか?」

賢祐と聡実と父は心配そうに尋ねた。

「当然よ。お母さんはそんなやつくらいで怯まないわ。実際すぐに逃げてっちゃったし。吉本のお笑い芸人さんかなっ? とも思ったわ」

 母は嬉しそうに、自慢げに語った。

        *

「賢祐お兄ちゃん、計算間違い多過ぎ。ケアレスミスは大学入試では命取りになるよ」

「いたっ、根位比愛ちゃん、コンパスでほっぺた突くのやめてぇ」

「だったら真面目にやって!」

夕食後も、賢祐は明日行われる科目について引き続き厳しく学習指導される。

「賢祐君、喝っ!」

「いったぁーっ、背骨折れそう」

 社会科担当の州湖良も竹刀を手に持ち、指導に加わる。彼女は賢祐が他の科目を勉強させられている時も、常に副教官として監視しているのだ。それだけ賢祐の学習指導に強い責任感を持っていることの表れだろう。

「このコーヒージェラートandココナッツジェラート、It tastes very good!」

「モニカタラーゼ、そんなに食ったら絶対太るぜ。確かに美味いけどな」

 モニカと雲母は、州湖良がチラシから取り出してあげたデザートに夢中。

「……」

 葉月は賢祐が誘惑に負け今日買ってしまった日常系萌え4コマ漫画を熱心に黙読していた。

教材キャラ達はすっかりあの力士のことを忘れてしまったようなのだ。

 同じ頃、

「べらんめぇっ!」

 そのお方は取調室で、やり切れない思いを江戸弁で、でっけぇ声で叫んだのだった。

 

         ☆  ☆  ☆


英文法、姉ちゃんが作ってくれた予想問題集と全く同じのが三分の一くらいあったな。最初のリスニングもけっこう聞き取れたし、長文問題も半分以上は解けたと思うし、七〇点くらいは取れるかも。

最終日一科目目の英語、賢祐はかなり高調だったようだ。八〇分の長丁場でも集中力がほとんど途切れなかった。最後の科目、数学Ⅰのテストが終わり回収されたあと、

「やっとテスト終わったぁ! 五日間めっちゃ長かったわ~。これで思う存分遊べるぜ。あとは授業昼までやし、もう気分は夏休みやーっ!」

 朋哉は賢祐の席を振り向き、陽気な声で話しかけてくる。

「百位、超えれるかなぁ」 

 賢祐は不安な気持ちでいっぱいだった。数学Ⅰはあまり出来なかったのだ。

「けんすけ、もう終わったことやし、気楽に行こうぜ。テイク、イット、イージー」

 朋哉は賢祐のポンッと肩を叩き、勇気付けようとしてくれた。

 

賢祐は今日の帰りに外科医院へ立ち寄り、包帯を外してもらった。テストが終わってようやく右手が自由に使えるようになったのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る