2話目

始まりと終わり

それから私は毎日、大学が終わるとルナのアトリエに通いつめた。

ルナが絵を描いているのを隣に座って見ていることが多かったけれど、私にとってそれは幸せなひとときだった。

「莉緒、毎日俺のアトリエに来てるけど、ちゃんと大学は行ってるのか?」

「大丈夫、心配しないで。でも今の私は大学に行くよりもルナの絵を見ている方が好きなの」

「莉緒は本当に絵が好きなんだな」

ルナはそう言って少し呆れたように笑う。

私はルナの絵がもちろん好きでここに来ているけれど、理由はそれだけじゃない。

ここに行けば、優しい顔をしたルナに会えるからだ。


扉を開けて、真っ先にルナの笑顔を見る。

ルナに対するこの胸のときめきは彼に伝えることはできない。

ルナ目当てにアトリエに来ていると思われたくないのだ。

私はファンで、ルナの描く「絵」に会いに来ているのだから。

私はこの想いを隠さなければならない。

私はルナの横顔を見ながら誓った。


ルナと知り合って三ヶ月後、ルナは一枚の絵を描いた。

キャンパスをイーゼルに載せ、私の方にくるっと向ける。

「素敵な絵! 真ん中にいるのはお姫様?」

「そうだよ。おとぎの国に住む女の子を描いた」

「絵本に出てくる世界みたい。綺麗だね」

私はルナの絵を見ながら思う。

やっぱり私はルナの絵がとても好きだ。

それ以上にルナのことが好きだけれど、それと絵は全く関係ない。

「そういえばルナって、家族いるの?」

ルナは絵の具を取り出しながら答えた。

「じいさんがいるよ。でも俺は一人暮らし」

「おじいさんとは一緒に住んでないの?」

「俺のじいさんは、三年前に死んだ」

ルナは立ち上がって、壁に飾ってある一枚の絵を手に取った。

私も椅子から立ち上がって絵を覗き込む。綺麗な夕焼けの絵だ。

「じいさんも俺と同じ、画家だったんだ。このアトリエも、昔じいさんが建てた」

ルナは慈しむように、おじいさんが描いた絵を指でそっと撫でる。

「学生の頃、フランスに留学して絵の勉強をしたんだ。苦労は多かったみたいだけど、個展を開けるようになって、俺も何度か観に行った。本当に尊敬できる人だった」

ルナはその絵を大切そうに壁にかけて、私の方に向き直った。

「俺も、いつかじいさんみたいな立派な画家になりたいんだ」

いつもより真剣なルナの思いは、真っ直ぐ私の心に届いた。

「応援する。ルナなら絶対、素敵な画家になれるって、私は信じてる」

私はルナの嬉しそうな顔を見て、ある決心をした。


「……ルナ、今までずっとルナに言えなかったことがあるの。聞いてくれる?」

ルナは私の真面目な表情に気づき、私を真剣な目で見つめ、大きくうなずく。

「私、美術館でルナの絵を見て、一瞬で心が奪われたの。でも、ルナと知り合って毎日ここで会ううちに、ルナに心が惹かれていくのが分かった。ルナの絵とルナ自身、どっちに会いに来ているのか、自分でも分からないくらい」

ルナの視線が私の顔から下の方、そして床へとゆっくり滑り落ちていくのが分かった。

「でも、私の気持ちにルナが気づいたら、今までのファンみたいに会えなくなる。そう思ったら怖くて、この気持ちは隠していようと思った。でも、もう無理みたい。ルナの夢を邪魔したくないから、私はもうルナに会えない」

言いながら、私の目に熱い涙が溜まっていく。

瞬きをしたら頬を伝ってしまうから、力を入れて必死で止める。

「……莉緒は俺にとって特別な存在だよ。それはこれからも変わらない」

ルナは私の涙を右手の手のひらで包み込むようにして拭いた。

「莉緒の気持ちには答えられない。俺にはまだやらなくちゃいけないことがある。莉緒を巻き込みたくない。ごめん」

ルナはそう言って私に頭を下げた。

「私はルナに想いを伝えられただけで幸せだよ。今までありがとう。バイバイ」

悲しさがまた涙となって溢れてきてしまわないうちに、私はアトリエを後にした。

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