アトリエの恋
桜田美結
出会い
真っ白な広い空間に並べられたたくさんの絵は、私を落ち着いた世界へと誘ってくれる。
ここは郊外の目立たない場所にある、小さな美術館である。
混んでいることは滅多にないが、地元の人には定評があり、私が一番好きな場所だ。
私はいつものように、展示されている絵を一枚一枚見ていく。
展示されている絵は毎回同じものだが、見ていて飽きることがなく面白い。
いつもと同じようにゆっくりと絵を見ていたが、見覚えのない一枚の絵が、私の足を止めた。
キャンパスに描かれた、目を閉じる女性。
その周りには色とりどりの小鳥がいる。まるで小鳥のさえずりを子守唄にしているかのように、女性は穏やかな表情を浮かべて眠っている。
他とは違う、初めて見た女性的で美しい一枚の絵に、私の目は釘付けになった。
それほど大きくないのに、カラフルで存在感があり、私に衝撃を与えている。
この絵には名前がなかった。
近づいて絵をよく見ると、右端に小さく「ルナ」と英語で署名があった。
私は家に帰るとすぐにパソコンを開き、ネットで「ルナ」と検索した。
もしかしたら有名な人かもしれないと思ったからだ。
残念ながら情報はほとんど得られなかったが、ルナのファンと思われる人のブログを見つけた。
試しに読んでみると、近くの街にルナのアトリエがあるということが分かった。
ルナがどんな女性なのか気になった私は、次の日の大学終わりの夕方に、早速ルナのアトリエに向かった。
思っていたより小さくひっそりと建っていた。
古いが外装はレンガ造りでオシャレである。
しかし、私は不安になった。
私はルナと知り合いでもなんでもない。
ただ、絵に惹かれて来てみただけだ。迷惑なのではないか。
私は悩み始め、しばらくアトリエの前に立ちつくした。
勇気を出して扉を叩いてみようと思った時、扉が静かに開いた。
現れたのは、私と同年代の若い男性。
絵の具で所々汚れたシャツと長ズボンを身にまとっている彼は、目を引く容姿をしていて、私は彼の色素の薄く綺麗な目に思わず言葉も出ないまま立っていた。
「あの、何か用ですか?」
彼が不思議そうに尋ねてきて、私は慌てた。
高鳴る胸を抑えて、落ち着きを取り戻す。
「突然すみません。美術館でルナさんの絵を見て、とても感動して……。ルナさんに会ってみたいと思って来ました」
「どうぞ、入って」
私の言葉を聞き、彼は私を中へと促してくれた。
私はゆっくりとアトリエに足を踏み入れる。
アトリエの中は狭く、たくさんの絵や画材でひしめき合っていた。
壁沿いに棚があり、絵の具やパレットなどの道具がたくさん置いてある。
アトリエの中にルナがいるのだろうと思っていたが、誰もいない。
……ということは今、私と彼の二人きりなのだと気づき、胸がドキドキした。
「……あの、ルナさんはどこに?」
「ルナは俺だけど」
私は驚いて何も言えず、口を開いたまま彼の目を見つめた。
彼はそんな私の表情を見てクスッと笑う。
「名前見て女だと思った? ルナは男なんだ」
彼は壁に立てかけられた椅子を持ってきて、私に座るよう勧めた。
彼はいつも座っているのだろう、いくつかの絵が散らばっているテーブルの前の椅子に腰掛ける。
まさか男性だったなんて。
名前や絵の雰囲気で、いつの間にか女性だと思いこんでいた。
「勘違いしてすみません。私、美術館でルナさんの絵を見て、こんな素敵な絵を描く人に会ってみたいって思ったら、いてもたってもいられなくて。迷惑なのにごめんなさい。会えて本当に嬉しいです」
私は恥ずかしくて彼を見ずに、床の木目を見ながら話した。
「……俺の絵の、どんな所が良いと思った?」
「神秘的な感じがしたんです。たくさんの鳥に囲まれた女性が、鳥のさえずりに耳を澄ましながら心地よく眠っている。どこか遠い国のおとぎ話のワンシーンをそのまま表した絵のように、私には思えました」
顔を上げて彼の顔を見ると、微笑んで私を見つめていて、なぜか胸の奥がキュッと鳴った。
「美術館には頼み込んで飾ってもらったんだ。見てくれて嬉しいよ、ありがとう。ここに来てくれる人は純粋に俺の絵を好きになった人ばかりじゃないから」
「……どういうことですか?」
私の質問に、彼は少し首をかしげて困ったように笑った。
「俺がアトリエに入る所を見て、ルナが俺だって知って訪ねてくる人はみんな女。本当は絵じゃなくて俺自身に興味を持って訪ねてくる。最初は俺の絵のファンだって言うけど、嘘ついてることくらい俺にはすぐ分かるから」
「私も女ですけど、ルナさんの絵が本当に好きです」
「うん。君は心の底から俺の絵に感動して来てくれたことわかってる。今までの人とは違う」
彼が私を「君」と呼んだことで、私はまだ自分の名前を言っていないことに気がついた。
「私、莉緒っていいます。林田莉緒。大学生です。趣味は美術館に行くことです」
「莉緒か、よろしく。俺の本名は仲良くなったら教えてあげるよ。きっとね」
彼はそう言ってふっと微笑んだ。
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