ep.6 恩義に報いるということ

 #1


 ジョーカーたちと少女が、背の高いビルへ入っていく。

 かつてはホテルだった十四階建てのビル。抗争の最中に経営陣が放棄した現在は、特警の本部と、円卓の拠点になっている。

 円卓の四人は、普段は各々の支配区域にいるが、顔を合わせる必要が生じると、このビルに集結していた。

 ジョーカーたちと少女が一階のホールを通ると、警備に立つ特警たちが挨拶してくる。

 今日は円卓が集まっているため、警備の人数も普段より多かった。

 ジョーカーたちも挨拶を返しながら、エレベーターに乗り込んでいく。


 円卓は、最上階の部屋に集まっていた。

 ジョーカーたちと少女が、横一列に並べられた椅子へ座り、円卓を囲む四人と向かい合う。

 フーが話し始めた。

「この少女から聞いたことを、まずはご報告します」

 傅の説明は、少女が何らかの研究施設にずっと閉じ込められ、非道なものも含む様々な研究の対象にされてきたことを皮切りに、“くするはかせ”と呼ばれる人物が関わっていたことや、少女の世話をし続けてきた男が、彼女を逃がし、自らは命を落としたことにも及んだ。

 少女の人間離れした身体能力や、セラフと呼ばれる何かに干渉かんしょうした力などにも触れていく。

 一通りの説明が終わると、円卓から離れた雷蔵らいぞうが、少女の前に屈み込んだ。

「俺は山茶花の祖父で、桐嶋雷蔵ってもんだ。まずは礼を言わせてくれ。孫娘を助けてくれて、ありがとうよ」

 雷蔵が、神妙な面持ちで頭を下げる。少女が驚いた顔になると、顔を上げた雷蔵が、にっと笑った。

「お嬢ちゃんは、孫娘の命の恩人だ。俺には、恩義に報いる用意がある。何でも言ってくんな。力になるぜ」

 雷蔵が円卓に戻ると、トーマが、眼帯の無い左目を鋭く光らせる。

「こちらからも伝えておくことがある。特警が拘留こうりゅうしていた敵部隊の素性すじょうが割れた」

 トーマが、ギャビーを見た。

「お前の予想通り、奴らは民間軍事会社の所属だった。奴らが吐いた情報から調べを進め、最終的な依頼主が特定された」

 ミケーレが、落ち着いた口調で言う。

来栖くるす生物科学研究所、通称 “来栖ラボ”」

「研究所が依頼主?」

 ギャビーが顔をしかめた。

「じゃ、例の化け物はそこで作られた奴ってことですか? 山茶花がやり合った人間辞めてた男も」

 ミケーレが苦笑する。

「詳しいことはこれからだが、まあ、そういうことなのだろう。来栖ラボは、来栖博士という人物が、個人で運営していた研究所でね。研究費を生み出すために、軍事利用出来る技術を色々と開発して、世界中の軍隊に売りさばいていたらしい」

 トーマが、性急な口調で言った。

「来栖ラボについては、現在、ウチのチームがネットに潜り、調査を進めている。まずは相手を調べ上げ、丸裸にする」

 トーマが、少女を見る。

「君にも協力してもらうぞ」

 ジョーカーたちが何か言う前に、少女が言った。

「トーマ、さん。服、ありがとう」

 今日の少女は、トーマから貰った黒いワンピースを着ている。

 思わぬ答えに、きょとんとした顔になったトーマへ、少女が言った。

「私は、協力したい。出来る限りのことをしたい」

 少女の表情に、真摯な色合いが浮かぶ。

山茶花さざんかは、私を助けに来てくれた。私を守ると言ってくれた」

 不意に自分の名前が出て、山茶花が驚いた顔になった。

 少女は、トーマに真っ直ぐ目を向けて、さらに言う。

「……恩義に、報いたいの」

 山茶花が目を見開いた。



 #2


 円卓と少女の質疑応答は長時間に及んだ。

 最初の問いは、“セラフ”とは何か? というものだった。

 少女は言った。

「セラフは、小さな小さな、“いのち”なの」

 少女によれば、セラフは頭の中にいるという。

 山茶花が戦った男の脳内にもセラフがおり、髪を操る力や再生能力などはセラフに由来する力だと考えられた。

 セラフが宿った人間のことを、ラボでは“キャリア”と呼んでいたらしい。

 ラボで少女が会ったキャリアは全部で十人。但し、山茶花が戦った男を含む六人の“いのち”は、既に消えているという。

「あと四人……」

 呟いた山茶花の顔が、鋭く引き締まる。

 また、セラフに干渉した少女の能力についても問いかけがあり、少女は「セラフに、眠ってもらった」と答えた。

 少女も、自分の能力を上手く説明することは出来なかったが、セラフの存在を感覚し、干渉する方法が何故か分かったという。

 キャリアの側も、少女の能力は把握していると考えられた。だからこそ、セラフ由来の能力ではない銃撃によって、少女を行動不能にした上で確保しようとした、という推測が成り立つ。

 一連のやり取りが終わったとき、傅が、少女に問いかけた。

「もしかすると、セラフに干渉出来る君の能力も、セラフによるものなのかな?」

 少女がうなずき、山茶花がはっとした顔になる。

 特殊な能力の発現と、一度撃ち殺されて復活した再生能力。少女の特性は、キャリアの特性に当てはまるものだ。

 山茶花が、少女へ静かに問いかける。

「君の頭の中にも、セラフがいるのか?」

 少女がもう一度頷くと、山茶花が目を伏せ、「何てことをするんだ……」とつぶやいた。

「……君は、大丈夫なのか? 頭の中にそんな生き物がいて……」

 山茶花が心配そうな顔になる。少女が山茶花を見返し、「大丈夫」と答えた。

「痛くないし、苦しくもない」

 トーマが声を発した。

「いずれにしても、その少女を捕らえるために、相手はあれだけの戦力を投入してきた。相手にとって、彼女は是が非でも取り戻す必要がある存在だということだ」

 ミケーレが、落ち着いた口調で言う。

「その少女を封鎖区域に留め置くことは、彼女を連れ戻そうとする敵の更なる襲撃を呼び込むことにもなる」

 ジョーカーたちの表情が強張ったが、ミケーレは、静かに断言した。

「だが、彼女を敵に渡す選択は、しない」

「これだけは決めてあったのよ」

 雷蔵が、凄みのある笑みを浮かべる。

「奴らはこの街が俺たちの世界だと知った上で、てめえの都合を通そうとした。ようするに喧嘩を売ってきたってわけだ」

 ローの傍らに立つ黒いチャイナドレスの女性が、羅の口許に耳を近づけてから、合成音声を発した。

「銃火によってこの地を踏み荒らした者は、銃火によって報いを受けるだろう」

 トーマが、少女を真っ直ぐ見ながら宣言する。

「そして我々は、我々の世界に救いを求めて体一つで飛び込んできた君を、決して見捨てない」

 少女が息を呑んだ。トーマは、少女に、にやっという笑みを見せてから、ジョーカーたち全員に向かって言った。

「円卓の決定を申し渡す! 少女は封鎖区域で生きることを許可する! お前たちは引き続き少女を守れ! そして来栖ラボは我々の“敵”と認定する! これより我々は敵のはらわたを暴き、喉笛のどぶえを食い千切ちぎる!」



 #3


 ジョーカーたちと少女がホテルから出たときには、午後三時を回っていた。

 一行が、拠点へ戻るために飲食街を歩いていく。

 ギャビーが、にやっと笑いながら少女に問いかけた。

「おっかない爺さん婆さんが揃ってて、びっくりしなかったかい?」

 少女が首を振り、ふと、不思議そうな顔になる。

「婆さん……?」

 傅が、笑みの貼り付いたような顔で言った。

「トーマさんは君と同じくらいの年齢に見えるけど、あれは、ああいう外見の機械化した体にしているだけでね。本当の年齢は誰も知らないんだ」

 少女が驚いた顔になる。ギャビーが、ユーリャに問いかけた。

「ユーリャは、トーマさんの歳を知ってるのかい?」

 ガシュッという音と共に、ユーリャの右前腕から折り畳み式の副腕ふくわんが飛び出し、先端のカーボンブレードが、ギャビーの鼻先に突きつけられる。

「あっ、ごめんなさい。この前久しぶりに使ったので、不具合が出ているのかもしれません」

 ユーリャが、にこにこ笑いながら言った。ギャビーが強張った笑みを返し、誰に対するでもなく、言った。

「この話は終わりにしよう」

 ユーリャの副腕が引っ込む。傅が、ユーリャから目を逸らしながら「うん、それがいいね」と答えた。少女も少し青ざめている。

 山茶花が溜め息をついてから、ユーリャに言った。

「それにしても、例の軍事車輌の話は気になるな」

 先ほど、円卓とのやり取りでも出た話だった。

 昨日、傅とユーリャが軍事車輌を調べたとき、気付いたことがあったのである。

 ユーリャが頷いた。

「車輌から出てきたのは、三十人の兵士と例のキャリアが一人。カプセルに入っていた怪物は別として、席が二つ余ってしまうんです。ただ余っていただけなら良いのですが」

 傅が溜め息をつく。

「まあ、こういうときは、一番悪い可能性を疑っておいた方がいいからね」

 そのとき、ユーリャが立ち止まった。

「……大変です!」

 彼女にしては珍しいほど緊迫した声音に、振り向いた全員の顔が一瞬で引き締まる。

 ユーリャの右目が、複雑に収縮、回転し始めていた。

 何らかの情報が彼女へ送り込まれている。

「どうした!?」

 山茶花の問いに、ユーリャが駆け出しながら答えた。

「円卓が襲撃を受けています!」



 #4


 ジョーカーたちと少女が退室した後、ミケーレがグラスにワインを注ぎ始めた。

「君らもどうかね? いいボトルが手に入ってね」

 雷蔵が、おっ、と声を漏らす。

「じゃ、ちょいといただくぜ。俺は洋酒のことはよく分からねえから、こうやって知らない酒を呑ましてもらうのが結構楽しみでな」

 トーマが呆れたような声を上げた。

「新たな戦端せんたんが開かれようとしているときに呑気なものだ」

 ミケーレがトーマにウインクする。

「昔から、戦いの前にこそ杯を交わし合うものじゃないかね」

 そして、ミケーレが羅にも声をかけた。

「羅老師もどうです?」

 羅とチャイナドレスの女性が、同時にミケーレへ顔を向けたとき、部屋の扉が開いた。

 全員の目が扉に向けられる。だが、そこには誰もいなかった。

 次の瞬間、チャイナドレスの女性が素早く羅の前に飛び出し、何かを振り払うような動きをした。

 トーマ、ミケーレ、雷蔵の三人が瞠目する。チャイナドレスの女性の機械化された右腕が、宙を舞っていた。トーマが眼帯をむしり取りながら叫ぶ。

「敵襲か!」

 トーマの右目。ユーリャと同じ機械化義眼の瞳孔が収縮、回転し、熱探知のモードに入った視界が熱源反応を捉える。女性と思しき輪郭を持つ襲撃者に向かって、トーマが左腕を突き出した。

 左前腕が一瞬で展開し、伸びた銃身が火を吹く。しかし、敵が目にも止まらぬ速度で飛び退き、掃射を躱した。

 チャイナドレスの女性も瞳孔を収縮、回転させる。熱源反応に向けて踏み込み、動体視力を振り切る速度の中段回し蹴りを放った。

 だが、敵が跳躍して蹴りを躱し、宙空で一回転、チャイナドレスの女性を頭上から強襲する。

 チャイナドレスの女性が敵の攻撃を際どく躱した。ドレスの表面に切れ目が走る。

 生身の目しか持たない雷蔵とミケーレには、敵の姿がほとんど見えていなかった。時折、空気が歪むような違和感を目視もくし出来るものの、敵の動きが余りにも速く、位置を捉えるには至らない。

 トーマが右腕を振りかぶった。前腕から飛び出るユーリャと同じ副椀。先端のカーボンブレードが敵に襲いかかるが、敵が異常な速度で回避しつつ、トーマに向かって踏み込んでくる。

 そのとき、トーマの背中からも二本の副椀が飛び出した。三つの刃が走ったとき、敵の両腕が踊った。

 敵の前腕から刃のようなものが飛び出ている。チャイナドレスの女性の右腕を寸断すんだんしたものの正体。トーマの副椀が次々と斬り飛ばされた。

 肉薄にくはくした敵の斬撃をトーマが避けるが、機械仕掛けの速度でも躱し切れず、右肩口を切り裂かれる。

 金属の体をバターのように寸断する敵の刃。そのとき、トーマとの攻防から大まかな敵の位置を捉えたミケーレが、グラスのワインを敵にぶちまけた。

 気付いた敵が飛び退くも、腰から右腿にかけて付着したワインが、敵の位置をあぶり出す。

 雷蔵が日本刀のつかに手をかけながら踏み込み、グラスを放り出したミケーレが、驚くほど滑らかな動きで二丁拳銃を引き抜いた。

 交錯する居合いと早撃ち。グラスが床に落ちて砕けるまでの、一瞬の出来事。

 敵は二人の奇襲を回避し切れず、右腿みぎももを深く斬られ、脇腹と肩口に被弾し、ほんの一瞬、動きが鈍った。

 生じた僅かな隙を突いて、チャイナドレスの女性が、滑るような動きで間合いを詰める。

 左の拳が敵の体に叩き込まれた瞬間、チャイナドレスの女性が床を踏みしめた。

 建物が揺れるほどの震脚しんきゃくが生み出した衝撃は、女性の身体運用によって拳に集約され、敵の体を吹き飛ばしていた。

 敵が壁に激突し、床に転倒する。砕けた壁の破片が、敵にばらばらと降り注いだ。

「やったか?」

 雷蔵が声を上げたとき、敵が、ゆらりと立ち上がった。

 何も無い空間から、敵の姿が滲み出してくる。

 一糸纏わぬ白い裸身。漂白したように真っ白な髪の女。

 白い肌には、銃創と刃傷から吹き出した鮮血が飛び散っていた。

 女の口許に、蠱惑的な笑みが浮かぶ。

 パキパキという音を立てて、女の肌が変質した。鎧のような白いからが一瞬で体表を覆い尽くす。

 ミケーレとトーマが同時に発砲した。しかし、女の殻が全ての銃弾を弾いてしまう。

 女が再び動き出した。トーマの掃射とミケーレの踊るような銃撃を、躱し、弾き、一瞬で間合いを詰めてくる。

 そのとき、部屋の入口から山茶花が飛び込んできた。

 振り向いた敵の視界から、山茶花の姿が消える。敵をさらに上回る速度で踏み込んだ山茶花が斬撃を繰り出した。

 しかし、敵が凄まじい反応を見せ、斬撃を皮一枚で躱す。

 回避から反撃へ、敵が移行しようとした一瞬の間隙かんげきを縫って、二つの銃弾が飛び込んで来た。

 ギャビーの銃撃。敵の両目を正確に撃ち抜く軌道。

 だが、敵が、咄嗟とっさに振りかざした両腕の殻によって銃弾をぎりぎりで弾く。

 生じた隙を突いて敵へ肉薄したユーリャが、右フックを強振した。

 敵が左腕を折り畳んでガードしたが、凄まじい衝撃で横殴りに吹き飛ばされ、壁に叩きつけられる。

 すぐさま体勢を立て直しかけた敵の懐へ、するりと傅が踏み込んでいた。

 傅が浸透勁を打ち込もうとした瞬間、ユーリャが「危ない!」と叫ぶ。

 声と風切り音と気配を同時に察した傅が、飛び退いて何かを躱した。

 女とは異なる方向から飛び込んできた不可視の斬撃。ユーリャが叫んだ

「気をつけて下さい! !」



 #5


 ジョーカーが円卓の間に突入したとき、少女は、廊下で待機していた。

 狭い空間を銃弾が飛び交う混戦が予想されたからである。

 心配そうな面持ちで廊下に立ち尽くしていた少女は、背後に足音を聞いた。

 振り向いた少女の目に、カーマインの酷薄こくはくな笑みと、拳銃の銃口が映る。

 少女が反応するより早くカーマインが引き金を引いた。

 少女の体が大きく跳ねる。

 床に倒れた少女は僅かに痙攣し、すぐに動かなくなった。

 黒いワンピースに、どす黒い血の染みが広がっていく。


 円卓の間に満ちる激しい喧噪けんそうの中で、廊下から響いた銃声を、ジョーカー全員が聞き取っていた。

 四人の顔に緊張が走る。山茶花が身をひるがえしたとき、風切り音が鳴った。

 ユーリャが飛び込み、山茶花へ走った不可視の刃を、敵の腕ごと跳ね上げる。

 そのとき、体表を殻で覆った女が、再び姿を消した。

 山茶花が足を止め、相手の音と気配に向かって刀を一閃する。

 刃が不可視の相手をかすめた。僅かに開いた間合いへ、トーマとチャイナドレスの女性が割って入る。

「行け!」

 トーマの叫びを受けて、廊下へ駆け出た山茶花が、目を見開いた。

 廊下に残る血だまり。血痕が、点々と廊下の先へ伸びている。

 山茶花の脳裏に、目の前で少女を撃ち殺されたときの記憶が浮かび上がった。

 そして、もう一つの記憶が重なっていく。

 血だまりに沈む家族の姿。変わり果てた姿の父と母。そして、涙を流したまま横たわる妹の、光を失った双眸そうぼう

 山茶花の顔に、鬼のような形相ぎょうそうが浮かび上がった。

「ぁああああ!!! 腐れ外道があああッ!!!!」

 山茶花が血痕を追って走り出す。しかし、血痕はエレベーターの中へ消え、階数表示は地階に到達しかけていた。

 ホテルの地下には駐車場がある。山茶花は、階段に向かって駆け出した。


 地下の駐車場に駆け込んだカーマインは、真っ赤なスポーツカーの後部座席に少女を放り込んだ。

 そのとき、駐車場にいた女の声が響く。

「ちょっと! その子……」

 舌打ちしたカーマインが運転席に飛び乗り、車を急発進させた。

 女の「待てっ!」という叫び声が聞こえたが、カーマインは構わず、駐車場のスロープを疾走し、道路へ飛び出す。

 目的地は、大岡川の河川上に設けられたゲートだった。白い女の仲間が乗ってきた船は、今もゲートの側に停泊している。船に少女を運び込めば、彼の仕事は終わりだった。

 十字路を左折し、大通りに出てスピードを上げたカーマインは、バックミラーを見て愕然とした表情になる。

 山茶花が追って来ていた。生身の足で走っているにもかかわらず、みるみる距離を詰めてきている。

「化け物が!」

 毒づいたカーマインが、進行方向に目を向け、凄惨な笑みを浮かべた。

「化け物には化け物だ! 地獄へ落ちろ、ジョーカーめ!」


 山茶花が向かう先に、一人の女が立っている。

 車が女の脇を通り過ぎ、ポニーテイルにした赤毛が風に騒いだ。

 引き締まった肢体のあちこちには、タトゥーが踊っている。

 女は、山茶花を見た途端、享楽的きょうらくてきな笑みを浮かべた。

 山茶花が刀の柄に手をかける。

「どけッ!!!」

 叫ぶと同時に女へ肉薄した山茶花が、斬撃を繰り出した。

 相手が跳躍して斬撃を躱す。驚くべき反応速度。しかし、山茶花はもう、相手を見ていなかった。相手の脇を駆け抜け、そのままカーマインの車を追う。

 しかし、赤毛の女がすぐに追い着いてきた。

「おいおいおいおい! そりゃ無えだろっ!」

 平地ならばジョーカー一の俊足を誇る山茶花に、赤毛の女が併走へいそうしてくる。

 山茶花は、流石に驚きながらも、走りながら斬撃を放った。

 そのとき、相手が奇妙な動きを見せる。屈み込んで斬撃を躱し、山茶花の足元へ頭から飛び込んでいく。

 山茶花の目が足元へ動いた瞬間、彼女の表情がこれまでに無いほど緊張した。

 目が足元に向いたことで生じた死角。顔の横から途轍とてつもない圧力を伴ったものが飛び込んでくる。

 山茶花は、全ての身体能力を動員して飛び退いた。

 鼻先を相手の拳が掠める。巨大なハンマーを思わせる圧力と共に、相手の拳がそのまま路面へ叩きつけられた。

 路面が爆発したように砕け散る。弾け飛んだ破片を山茶花が躱したとき、生じた隙を突いて赤毛の女が踏み込んできた。

 山茶花が素早く刀の切っ先を女に向ける。女が急停止して飛び退き、間合いが開いた。

 爆撃を受けたような拳の爆心地ばくしんちを挟んで、山茶花と赤毛の女が向かい合う。

 山茶花は、赤毛の女に対する認識を改めていた。

 自分の動きについてくる速度と、予測のつかない天衣無縫てんいむほうの動き。そして、攻撃の破壊力は、目の前の爆心地が雄弁に物語っている。

 単純な戦闘力で言えば、かつて戦った髪を操るキャリアより上かもしれなかった。

 赤毛の女が長い八重歯を見せて享楽的に笑う。

「凄えなアンタ! アタシの“スレッジハンマー”を外すなんてよ!」

 山茶花が奥歯を噛み締めた。遠ざかる少女の存在が山茶花の心を掻き乱している。

 そのとき、バイクのエンジン音が接近し、山茶花の耳に思わぬ声が届いた。

「山茶花! あの車でしょ! 任せて!」

 声の出所でどころを見た山茶花が、驚いた顔になる。

「ニカ!」

 山茶花の目には、バイクにまたがる藍染あいぞめニカの姿が映っていた。



 #6


 その日、ニカは仕事で街中を駆け巡っていた。

 インカムで倫太郎りんたろうと連絡を取り合いながら、パーツを手配し、医薬品を確保し、リハビリ中の患者を訪問する。最後にニカが回ったのは、特警の本部が入っているホテルだった。

 特警には、ガレージで彼女の世話になっている者が大勢いる。特に今は、先日の攻防戦で大量の故障者が出た直後であり、応急処置を施しただけで現場復帰している者が何人もいた。

 ニカは、皆の状態を調べ、今後の修理について、ざっと予定を立てていく。

 ようやく一仕事ひとしごと終えて、地下の駐車場に停めたバイクへ近付いたとき、ニカの視界に思わぬものが飛び込んできた。

 血まみれの少女を担いで、駐車場へ駆け込んでくる男の姿。

 少女を見たとき、ニカはすぐに、山茶花がガレージに連れてきた少女だと分かった。

 男が赤い車の後部座席へ少女を乱暴に放り込んだとき、ニカは思わず大声を上げていた。

「ちょっと! その子……」

 男が、構わず車を急発進させる。ニカは「待てっ!」と叫びながら、バイクに飛び乗っていた。

 ニカが道路へ出たとき、赤い車はかなり離れていたが、まだ目視出来る距離にいた。

 バイクを飛ばして車を追ったニカは、思わぬ光景を目に映す。

 弾け飛ぶ道路。赤毛の女と対峙たいじする山茶花の姿。

 ニカは、山茶花も赤い車を追っていたのだとすぐに合点がてんした。

 ニカが叫ぶ。

「山茶花! あの車でしょ! 任せて!」

 山茶花が驚いた顔で「ニカ!」と叫び返した。

 ニカが山茶花の脇を駆け抜け、さらにスピードを上げていく。



 #7


 不可視の敵との交戦は、円卓の間から廊下に舞台を変えながら続いていた。

 ギャビーとユーリャが連携して、敵を迎え撃っている

 傅は既に混戦を脱し、八階の窓から跳躍していた。

 次々と建物を飛び移っていた傅に、突然、黒いむちのようなものが襲いかかる。

 傅が雑居ビルの屋上に飛び降り、柵を蹴って襲ってきたものを躱す。黒いものが金属の柵を寸断した。

 傅が目を眇める。視線の先には、同じ屋上に立つ男の姿があった。

 黒い殻を全身にまとった男。黒い鞭のようなものは、男の背中から伸びていた。

 顔だけが殻に覆われておらず、端正な顔立ちが見えている。

 男は、朗々とした声で語りかけてきた。

「君は素晴らしい! ただの人間が、これほどの力を得ることが出来ようとは!」

 男が、自分の体を抱き締める。

「その力を手にするまでに、きっと君は驚くほどの時間を費やしたのだろうね。そんな君の血と汗と涙の結晶たる力を、これから無惨に蹂躙じゅうりん出来ると考えただけで……」

 男の顔に、恍惚こうこつとした表情が浮かび上がった。

「もう、私はどうにかなってしまいそうだ!!!」

 男が自分の体を抱き締めたまま、天にも昇りそうな顔になる。

 傅は、笑みが貼り付いたような顔のまま、飄々ひょうひょうと声を返した。

「君こそ、その力を手にするために沢山のものを犠牲にしてきたんじゃないのかな? セラフによって得られるキャリアの力。さしずめ、選ばれし者の力というところなんだろうけど、その力で、君は何をしようとしているんだい?」

 傅が、手持ちの情報を頼りにブラフをかませて、相手に探りを入れる。

 男が、うっとりした顔で傅を見返した。

「ああ……君は頭もよく回る。最高だよ……」

 男の背中から、さらに二本の黒いものが伸びた。

 傅は、鞭のようなものの動きを冷静に観察している。先ほど鉄柵を寸断したことから、刃のように変化することは分かっていた。

 動きは動体視力が追い着かないほど速いが、弾丸や山茶花の斬撃よりは遅い。

 傅が、すっと腰を落として構えた。

 伸ばした掌をゆっくりと返し、挑発するように手招きする。

 相手が、全身を震わせながら叫んだ。

「さあ見てせてくれ! 君の甘美なる絶望を!!!」

 三本の黒い刃の鞭が、弧を描いて傅に襲いかかった。



 #8


 円卓の間では、トーマが、階下の特警本部と通信していた。

 特警が街のカメラを手繰り、カーマインの車をモニターに映し出す。

 システムと同期した右目で映像を見たトーマは、車をニカが追っていることに気付いた。


 山茶花の顔には、焦燥しょうそうの色が浮かび上がっていた。

 守るべき存在の少女と、大切な存在のニカ。

 彼女にとって、とても大きな二つの存在に心が引っ張られ、山茶花は本来の実力を出し切れないまま、赤毛の女と戦っていた。

 間合いが開いたとき、赤毛の女が、異様なテンションに入り込む。

「速え速え! アンタ凄えよ! アタシもギアを上げていくぜえっ!!」

 女の全身に血管が浮かび上がった。

 山茶花は、ようやく理解する。赤毛の女がセラフから得ている能力は、この異様な速度そのものだと。

 女の速度が今よりもっと上がるとしたら、山茶花でも追い着くことは難しくなる。

 今こそ、冷静さを保つべき局面だったが、山茶花は未だ、集中を欠いていた。

「上げていこうぜ! もっと! もっと!! もっと!!!」

 赤毛の女が、さらにハイなテンションになり、踊るようにステップを踏む。

 対する山茶花の横顔には、冷たい汗が伝っていた。


 カーマインの車を追うニカは、着信に気付くと、インカムのスイッチを入れた。

 イヤホンからトーマの声が響く。

『藍染ニカだな? 円卓のトーマだ! すまないが、君に頼みが……』

「大丈夫! あの子は絶対助けます!」

 ニカの返答を聞いたトーマが叫んだ。

『無茶はするな! すぐに特警の応援が追い着く! それまで何とか追い続けて欲しい!』

「はい!」

 ニカの心中に、熱い想いが湧き上がる。

 自分が追っている少女は、山茶花の命を救ったと聞いていた。

 ニカが、自分へ言い聞かせるように叫ぶ。

「君は親友の命を助けてくれた! だから私も、君を絶対助けるから!」

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