ep.4 円卓

 #1


 ガレージの一室に置かれたベッドの上で、少女は静かに寝息を立てている。

 血に染まったぼろぼろの衣服は清潔な寝間着と取り替えられ、肌の汚れも綺麗に拭き取られていた。

 ベッドの傍らには、山茶花さざんかとユーリャが、並んで椅子に座っている。

 窓から午前の陽光が差し、部屋の空気を暖めていた。

 山茶花の瞼が重くなる。ユーリャが、労るような笑みを山茶花に向けた。

「少し寝て下さい、山茶花。私が起きていますから」

「ああ……いや……」

 山茶花が目を擦る。

 昨夜、戦いの場にいた彼女とは別人のように見える、子供のような仕草。

 ユーリャの笑みが、微笑ましげなものに変わる。

 山茶花が、眠る少女の横顔に目を向けた。

「起きているよ。この子が目を覚ましたら、お礼を言わなければ」

 山茶花の脳裏に、昨夜の出来事が去来する。

 首を落とされても死なない男。無数のナイフを操る男の頭髪。

「この子が何をしたのか、よくは分からないが……」

 男に向かって右手をかざす、死んだはずの少女。

「でも、この子が何かしたことで、私の相手は力を失い、私の力で倒せる存在に変わった。もし、この子の助けが無かったら、私は奴に押し切られていたかもしれない」

 ユーリャも、山茶花と戦った男のことは、既に説明を受けていた。

「未だに、上手く想像が出来ません。山茶花が苦戦するところも、相手の男が持っていたという、不思議な力のことも」

「無理もない。戦った当人の私にしても、まだ、夢でも見ていたような感じなんだ」

「あの二人は、こんな現実離れした出来事を、どのように円卓へ伝えるんでしょう?」

 山茶花が苦笑する。

フーとギャビーには、厄介な役回りを押しつけてしまったな」

 ユーリャも、ふふ、と笑みを零した。

 二人の言葉が、どちらからともなく途切れる。

 二人は、どちらからともなく、少女に目を向け直した。


 夜明けの頃、少女を抱えた山茶花たちがガレージを訪れたとき、藍染倫太郎あいぞめりんたろうとニカは、とても忙しそうにしていた。

 昨夜の戦いで機械化義肢を破損した特警の者たちが次々と搬送されており、対応に追われていたのである。

 封鎖区域内にも普通の医療を行える病院なら他にあるが、機械化義肢の絡んだ治療となると、ガレージ以外では扱える場所が無い。

 よって、昨夜のような大きな事件が起こり、機械化義肢を破損した者が大量に出ると、その度にガレージは目が回るような忙しさになるのである。

 それでも、倫太郎は少女を一通り診察し、ニカが山茶花の傷を手当てしてくれた。

 ひとまず、命に別状は無いと判断された少女が別室のベッドに運ばれ、倫太郎とニカは、他の患者への対応に戻っていった。

 その後、山茶花は、昨夜見たことの全てを、傅とギャビー、ユーリャに話した。

 一通りの説明を受けた傅とギャビーは、コーヒーを一杯飲んでから、円卓への説明に赴いた。

 また、あれほどの戦力に追われていた少女を一人にするのは問題がある、と傅が判断し、万が一、少女を狙う者がまた現れたときのために、山茶花とユーリャが残ることとなった。

 出かける際に、傅が、ユーリャへ声をかけた。

「この子が目覚めたら、速報を頼むよ」

 ギャビーも、軽く手を振りながら言う。

「じゃ、眠り姫のことは頼んだぜ」

「はい。こちらのことは任せて下さい」

 ユーリャが答えると、二人は頷いてみせた後、順番に山茶花の肩へ手を置いてから部屋を出ていった。



 #2


 傅とギャビーは、薄暗い部屋の中に並んで立っていた。

 彼らの前では、重厚な木製の円卓に、四人の人物がついている。

 傅とギャビーが昨夜の出来事を一通り説明し終えると、円卓の一人が声を上げた。

「山茶花を苦戦させたってえのは聞き捨てならんなあ」

 ただ声を発しただけで、虎が唸っているような空気を醸し出す男。

 顔に無数の傷跡がある和装の老人。

「俺の孫だからってんじゃねえが、あれが苦戦するところなんざ、想像も出来ねえや」

 山茶花の祖父。ジャパニーズ・マフィアの組長、桐嶋雷蔵きりしまらいぞう

 彼と向かい合った席にいる、洒落たスーツに身を包んだ壮年のイタリア人男性が、渋みのある声音を発した。

「君の孫娘の腕前は、我々も良く知っている。彼女と互角にやり合える手合いなど、そうそう居るもんじゃない。君たちだって、もし一対一という条件で彼女と向き合ったら、少々スリルがありすぎることになるんじゃないかね?」

 イタリアン・マフィアのドン、ミケーレ・ルチアーノが、傅とギャビーにウインクを飛ばす。

 傅が飄々と答えた。

「今の彼女が刀を持って僕の前に立っていたら、勝機は決して多くはないでしょう。素手ならば、また話は別ですが」

 ギャビーが、にやっという笑みを浮かべる。

「俺も、舞台がベッドの上なら、また話は別ですよ」

 ミケーレが愉快そうに笑い、雷蔵も豪放に笑った。

 円卓の一角から「じゃれ合ってる場合じゃなかろう」と、呆れたような声が上がる。

 見た目は十代前半に見える少女。

 彼女は、右目を覆う黒い眼帯を、とんとん、と指でつついた。

「特警のカメラに映った映像とユーリャの視覚情報には既に目を通した。桐嶋山茶花が相手をした男の特殊な能力が発現するところを彼女以外誰も見ていないのは残念だったが、敵の戦力、とりわけ例の化け物については実に興味深いものを見せてもらったよ。我々は、相手が何者で、何が目的なのか、速やかに知る必要があるぞ」

 よく切れるナイフを思わせる口調。

 全身を機械化し、少女の外見を装う年齢不詳の女性。

 ロシアン・マフィアの首領、トーマこと、タマラ・アレクサンドロヴナ・テレシコワ。

 彼女の正面に座る車椅子の老人が、右手を軽く上げる。

 傍らに立つ黒いチャイナドレスの女性が、老人の口許に耳を寄せ、傅に向かって老人の代わりに問いかけた。

「捕らえた敵と、少女から得られた情報は、どうか」

 女性の声音は、機械による合成音声である。傅が、老人と女性に向き直った。

「私と山茶花が相手をした二個分隊は、現在、特警の本部で拘留中です。彼らの素性については、遠くない内に答えが得られると思いますね。ただ、彼らが例の怪物や特殊能力を持った男のことをどこまで知っているかは怪しいところですが」

 ギャビーが、捕捉するように言葉を添える。

「まあ、奴らは十中八九、民間軍事会社あたりの雇われ部隊ですよ。怪物と例の男については、奴らの雇い主を特定してからが勝負なんじゃないですかね」

 傅が、さらに報告した。

「少女はガレージで保護していて、今はユーリャと山茶花がついています。体に異常は無いんですが、まだ目覚めていません」

 女性が、老人の口許に耳を寄せてから、二人に言う。

「少女は、一連の状況を読み解く鍵。目覚めのときまで、お前たちが守りなさい」

 合成音声が、二人に命令を下した。

 車椅子の老人が、微かに二人へ頷いてみせる。

 色の濃いサングラスをかけた盲目の老人。

 チャイニーズ・マフィアの龍頭、羅立文ロー・リーウェン

 トーマが、左目を鋭く光らせる。

「確かに鍵には違いないが、同時に火種でもある。扱いには気をつけろ」

 ミケーレが、落ち着いた声音で言った。

「少女が何らかの力で山茶花嬢を助けた、という話を忘れちゃいけない。その娘は、山茶花嬢の手を煩わせた男のような者が再び現れたとき、切り札になる存在かもしれない。何より、うら若き女性だ。小さくてもレディとして扱いたまえ」

 雷蔵が、豪放さと気楽さの入り交じった、にっと笑みを浮かべる。

「さっきの話の通りなら、その子は孫娘の命の恩人だ。恩義にゃ報いなきゃあならん。客分として、丁重に扱ってやってくれ」

 傅とギャビーが深々と一礼し、部屋を出た。



 #3


 円卓を後にした傅とギャビーは、ガレージに向かって、並んで歩いていた。

 ギャビーが、傅に言う。

「旦那のボスは、どうも得体の知れないところがあるな」

 傅が、笑みの貼り付いたような顔をギャビーに向けた。

「羅老師は、ちょっと変わった人でね」

「ちょっと変わった、なんて生易しい表現じゃ足りないと思うぜ」

 ギャビーが溜め息をつく。

「トーマさんと雷蔵さんは、ある意味実直だから分かり易いんだが、羅さんは何を考えてるのか分からないところがあってな。いつも素敵な声の女性を介して話すせいかもしれないが」

「選ぶ言葉が予言者みたいで大仰なせいかもしれない?」

「それもある。俺は、自分のボスがミケーレさんで良かったぜ」

 失礼ともとれる言葉を、ギャビーが平然と口にする。

 しかし、傅も気分を害した様子は無く、むしろ楽しんでいるような声音で言った。

「君のボスは確かに魅力的だね。策謀に長けた面と、遊び心が調和した傑物だと思ってるよ」

「俺の遊びの師匠でもあるからな。酒の呑み方と女の口説き方は、大体あの人に習ったようなもんだ」

 ギャビーが飄然と言い放ち、傅が、ふふ、と笑みを零した。

「ガン・ファイトの師匠は別にいるんだったかな?」

「まあそうだが、ミケーレさんも凄え腕だぜ。狙撃やら爆発物の扱いやらは別の師匠から習ったが、二丁拳銃の技はミケーレさんから盗んだもんだ。今でも、隙あらば鉄火場に立ちたがっててな。周りが必死に止めるんで、しぶしぶ我慢してるって話だ。前に呑んだとき、お前が羨ましいってえらくぼやかれたよ」

 傅が愉快そうに笑う。ギャビーも笑いながら、傅に問いかけた。

「羅さんも、旦那の師匠のまた師匠だったっんだろ? やっぱり、若い頃は相当鳴らした口じゃないのか?」

「羅老師は、元々は優れた暗殺者だったという話だよ。まあ、色々謎が多い人で、実際のところはよく分からないんだけどね」

「やっぱり得体が知れねえな」

「得体が知れない、と思われていることを利用している節もある」

「おっと、そうすると、俺も羅老師の術中ってわけだ。やっぱり、どうもあの人は苦手だぜ」

 ギャビーが肩を竦め、傅がまた笑う。

「君のボスとは違う意味で、色々と遊び好きな人間だとは思うけどね」

「どういう遊びが好きなのか、どうにも分かり難いのさ。まあ、美女を常に侍らせてるあたりは、いい趣味してると思うけどな」

 皮肉ともとれる物言いをしてから、ギャビーが口の端を歪めて、渋みのある笑みを浮かべた。

「いずれにしても、遊びは大事さ。遊ぶことを知らない奴は、どこかで人として歪なもんになっちまう」

「同感だね。遊びは心に余裕を生む。心に余裕の無い人間はつまらないからね」

 傅の笑みが、心持ち柔らかくなる。

「ユーリャは随分、良くなった」

「ああ、そうだな。今や、抗争の中で会ったときとは別人だ」

「そういえば、君はユーリャとやり合ったことがあったんだったね」

 傅が問いかけた途端、ギャビーが、苦虫を噛み潰したような顔になった。

「洒落にならなかったぜ。俺が手持ちの武器を総動員して仕留め切れねえ。無表情にどこまでも追ってくる。まるでホラー映画の主人公にでもなった気分さ」

「どうやって彼女を止めたんだい?」

「あらかじめトラップを山ほど仕込んだビルの中に誘い込んで、最後はビルごと爆破したんだよ。そこまでやって、ようやく逃げ切れた。後で、生きていたって聞いたときほどうんざりした気分になったことは無え。このホラー映画、続編があるのかよってな」

 傅が笑う。ギャビーが肩を竦めた。

「旦那だって、山茶花とやり合ったんだろ? そっちも相当、洒落にならないぜ」

 傅が溜め息をつく。

「その頃の山茶花は、例の事件から幾らも経っていない頃だったからね」

 何処か、ずっと遠くにある過去を見つめるようにして、傅が言った。

「凄い目をしていたよ。憎悪と虚無が高い純度で入り交じった目だった。あんなに痛々しい女の子を見たのは、後にも先にも始めてだったね」

 ギャビーが、傅の横顔に目を向ける。

 傅の表情は、相変わらず笑みが貼り付いているように見えたが、ギャビーは、笑みの向こうから漏れる真摯さを見抜いて、ひょいと目を逸らしながら言った。

「なら、山茶花も随分良くなってきてるんじゃないのか」

 傅が、ギャビーに目を向ける。ギャビーが、にやっと笑った。

「昨日、見ただろ。泣いてるところ」

「ああ、そうだね」

 傅が笑みを大きくする。

「今度は間に合った、って思ったのかもしれないね。双子の妹が、亡くなったとき、ちょうどあの子ぐらいの歳だったはずだから」

「まだちょっと危なっかしいけどな。剣の腕はともかく、人間として」

「遊べるくらいの余裕が欲しいところだね」

 傅が、さらりと言う。ギャビーが、口の端を歪めて、笑みを浮かべた。

 二人は、ガレージの手前で正午が近いことに気付き、ベーカリーで五人分の昼食を買った。

 並んで歩きながら、ギャビーが、ふと思いついたように言う。

「ところで、遊びは大事って話の続きなんだが」

「何だい?」

「確かに遊びは大事だ。ただ、ギャンブルに限っては、博才の無い人間は止めといた方がいいと思うんだがな」

「それは聞き捨てならないね」

 二人は、騒々しく口論しながらガレージに近付いていった。



 #4


 ユーリャは、眠る少女の横顔を見続けていた。

 年齢は、十二、三歳くらいに見える。短めの黒髪と、黄色人種としては、かなり色白の部類に入る肌の持ち主で、まだ幼さの残る顔立ちは、あと五年もすれば、美しい女性に成長するであろうことを予想させるものだった。

 どんな服が似合うだろうかと考えて、少し楽しい気分になって微笑んだユーリャの表情が、すぐに真摯なものへと変わる。

 彼女は、この少女が、たった一人で壁を越え、封鎖区域に逃げ込んできたことの意味に思い当たっていた。

 何年も続いた激しい抗争の結果、政府が壁を作り、国家から切り離した封鎖区域は、外の世界から見れば、暴力の支配する恐ろしい場所という印象のはずである。

 そんな場所を逃げ込む先に選んだこの少女は、一体どんな酷い状況から逃げてきたのか。

 そして、心臓を撃ち抜かれながらも復活し、山茶花を助けた少女の不思議な力。

 彼女は、小さな体に、一体どれほどの事情を抱えているのか。

 そのとき、固くなっていたユーリャの表情から、不意に力が抜ける。

 左肩から、山茶花の重みと体温が伝わってきていた。

 ユーリャが、ちらりと目を向けると、山茶花がユーリャにもたれ、寝息を漏らしている。

 ユーリャが微笑ましげな顔になった。無理もない、と彼女は考える。

 主に夜が戦いの舞台となる彼女たちにとって、午前中はいつも寝ている時間だった。

 ユーリャ自身は、体の大部分を機械化している関係から、普通の人間ほど睡眠を必要としないが、山茶花は生身の人間である。

 また、あれほどの戦いの後でもある。緊張が途切れたせいもあるのだろうと、ユーリャは考えた。

 今、部屋の中は、緊張が途切れても仕方が無いほどの平穏に満ちている。

 午前中の終わり。窓から差し込む陽光によって、部屋の中はますます温かくなってきていた。

 遠くから聞こえてくる街の喧騒や診療中の物音が、静けさをほどよくほぐしてくれている。

 鳥のさえずる声を聞いたユーリャが、窓へ向けようとした目を、大きく見開いた。

 少女が身を起こし、窓から差し込む陽光に目を細めていたのである。

 ユーリャの顔に、嬉しそうな笑みが広がった。彼女が、山茶花をそっとゆする。

「うん……あっ、す、すまない。寝てしまっ……」

 山茶花の声音が、途中で途切れた。

 彼女も、起き上がった少女を見て、目を見開いている。

 ぽかんとした顔の少女が、山茶花とユーリャに目を向けた。

 ユーリャが、少女に微笑みかける。

「おはようございます。気分はいかがですか?」

 山茶花も何か言おうとしたとき、少女が「ここは……」と声を発した。

 山茶花が答えようとしたとき、部屋の扉が開いて、ニカが姿を現した。

「ほったらかしでごめんねー! やっと一息ついたから!」と言ったニカが、少女を目に留め「あ! 目を覚ましたんだね!」と声を上げ、少女に近付く。

「いきなり知らないところで目覚めて、知らない大人に囲まれてびっくりしちゃうよね。でも大丈夫! ここにいる人たちは、みんな君の味方だから!」

 ニカの手が少女の手に重なる。目を見開いている少女に、にっこり微笑んでから、ニカが山茶花とユーリャを振り返った。

「じゃ、ちょっとじいちゃん呼んでくるから」

 ニカが少女から離れ、部屋を出て行きかけて、不意に振り返る。

「色々詳しく検査もしないとだけど、その前に、お腹減ってない?」

 ニカに問われて、少女が自分の腹を見下ろしたとき、ちょうど部屋の入口に、ベーカリーの紙袋を抱えた傅とギャビーが現れた。

「おっ、グッドタイミング。メシが到着したみたいだよ」と、部屋の中の三人に声をかけたニカが、傅とギャビーに「ちょうど目が覚めたみたいだから、じいちゃん呼んでくるけど、お腹減ってるなら先に食べてて!」と声をかけ、ばたばたと部屋から出ていく。

 かと思うと、部屋に入ろうとした傅とギャビーに、「何か飲み物いるー?」と問いかけ、傅が「そうだ、飲み物を買い忘れた」と言うや、「じゃ、適当に持ってくるから!」と返して、足音が遠ざかっていった。

 ニカを目で追ってから、傅とギャビーが部屋に入ると、少女はぽかんとした顔になっていて、あらゆる機先を制され、未だ一言も少女と話していない山茶花が、とても煮え切らない表情を浮かべている。

 ユーリャが、傅とギャビーに「おかえりなさい」と声をかけてから、にこにこと微笑みながら言った。

「ニカさんは凄いコミュニケーション能力をお持ちですね」

 ギャビーが「ありゃ達人の域だ」と、声を返した。



 #5


 飲み物のボトルやコップをトレイに乗せたニカに連れられて、一度、部屋へ顔を見せた倫太郎は、少女に、前に食事を摂ったのはいつか聞いた。

 少女が最後に食事をしたのは、昨日の朝だった。倫太郎は、消化のためにゆっくり食べるよう伝えると、ジョーカーたちに、食べ終わって一休みしたら、もう一度きちんと検査をする旨を告げて、ニカと共に部屋を出ていった。

「じゃ、まずは食事だ。さ、リトル・レディ、好きなやつを選んでくれ」

 ギャビーが、少女に紙袋を渡す。袋を覗き込んだ少女の目は、どうしたら良いか分からない、というように、袋の中とギャビーの顔を何度か往復し、やがて、パンの一つを両手で持ち、口許に運んだ。

 途端に、少女の目が輝いた。

 彼女の顔を注視していた四人全員が、おお、と声を漏らす。

 ユーリャが、にこにこと微笑みながらギャビーに言った。

「ここのベーカリー、とても美味しいですよね。私もよく買いに行きます」

 体の大部分を機械化しているユーリャも、生体部分を維持するために、普通の人間と同じ食事を摂る。そして、彼女の味覚は、残された生体部分の一つだった。

 ギャビーが、にやっと笑う。

「俺もだ。ああいう店には、末永く生き残って欲しいもんさ」

 山茶花が、自分の手にしたパンを見つめた。

「そんなに美味いのか?」

 ユーリャとギャビーが、驚いた顔で山茶花を見る。ギャビーが言った。

「この味を知らないとはな。やっぱり、サムライは団子しか食わないのかい?」

「いつの時代の話だ」

 山茶花が呆れた顔になる。ユーリャが、微笑みながら言った。

「では、山茶花も食べてみて下さい。美味しいですよ」

 山茶花もパンを口許へ運ぶ。

 途端に、山茶花の目が輝いた。

 山茶花の顔を注視していた三人から、おお、という声が漏れる。

 一口目を食べ終えた山茶花が、もぐもぐとパンを咀嚼している少女に目を向けた。

 少女も山茶花を見返す。山茶花が、自然と笑みを零しながら、言った。

「美味いな」

 少女が、こくりと頷く。やり取りを見ていたユーリャが、目尻を下げて笑みを大きくした。

 傅とギャビーが目を合わせる。

 二人の顔には、どこか安堵するような笑みが浮かんでいた。



 #6


 食事を摂りながら、ジョーカーたちは少女に様々なことを説明していった。

 封鎖区域はマフィアが自治する世界であること。自分たちもマフィアの一員であること。ガレージのこと。倫太郎とニカのこと。ここは安全な場所であること。

 食事を終えたとき、山茶花が傅に問いかけた。

「この子はどこで保護するんだ? 円卓の判断は?」

「具体的な指示はまだ出ていないよ。ただ、円卓もこの子のことは重要視してるから、悪いようにはしないだろう。羅老師は、目覚めるまで僕らが守るようにと言っていたからね」

 傅が答えると、ギャビーが、にやっと笑う。

「雷蔵さんも、客分として丁重に扱えって言ってたぜ。孫娘の、命の恩人だからだってな」

 山茶花が「そうだ」と声を漏らして、少女に言った。

「昨夜はありがとう。私は、君に救われた。礼が遅くなってすまない」

 少女が、きょとんとした顔になる。やがて、彼女は、ゆっくりと首を振った。

「助けてもらったのは、私の方。あのときも、今も」

「いや」

 山茶花が、真摯な顔で言う。

「あのとき、君が何かしたように見えた。そのお陰で、私はあの男を倒すことが出来たんだ」

 少女は、ようやく理解した、という顔になって、山茶花に言った。

「あなたが、助けに来てくれたから。私を追ってきた人たちから、私を守ろうとしてくれたから。だから、何か、私に出来ることは無いかと思って……」

 そのとき、山茶花は、男が最後に漏らした言葉を思い出していた。

「そうだ。あの男は、俺のセラフに干渉した、と言っていたな」

 傅が、丸眼鏡の奥で目を眇める。

「そのセラフと呼ばれるものが、山茶花を追い詰めた力の源なのかもしれないね」

 傅が、少女に問いかけた。

「そして、君は、セラフと呼ばれるものへ何らかの影響を与えることが出来る。そういう解釈でいいかな?」

 少女が、こくりと頷く。ギャビーが、少女の前に屈み込み、視線を同じ高さに合わせた。

「なあ、リトル・レディ。良ければ教えてほしいんだが、昨日の男の他にも、そのセラフってやつを扱える人間はいるのかい?」

 ユーリャが、少女を安心させるように笑みを浮かべる。

「私たちが、あなたを守ります。そのために、もし知っていることがあったら、教えてほしいんです」

 そのとき、少女が、とても不思議そうな顔で問いを返した。

「あたなたちは、どうして、私を守ってくれるの?」

 傅も、ギャビーも、ユーリャも、咄嗟に言葉を返せなかった。

 そのとき、山茶花が、何の躊躇も無く答えた。

「君は私の命の恩人だ。恩義には報いなくてはならない」

 少女が、山茶花を見つめる。

「……あなたは、どうして、私を助けに来てくれたの?」

 山茶花が、少女の目を真っ直ぐ見つめ返しながら答えた。

「年端もいかない少女を、銃を持った男たちと怪物が追い回していたんだ。どちらが守るべき者かなど、迷うようなことではない。強きを挫き、弱きを助ける。それが、侠客の生き様だ」

 山茶花が迷い無く言い切る。

 傅が目を瞑って笑みを大きくし、ギャビーが小気味良さげに口の端を歪めた。

 ユーリャの優しげな風貌に、力強い笑みが浮かぶ。

 少女は、息を呑みながら山茶花を見つめ返している。

 やがて、少女の目から、ぽろぽろと涙が零れ始めた。

「ど、どうした?」

 山茶花が慌てた顔になる。

「……安心……して……」

 少女が震える声で答えた。山茶花が、ふっと笑みを漏らす。

 そのとき、山茶花の懐から着信音が鳴り始めた。

 同時に、傅とギャビーの懐からも着信音が響く。

 三人がそれぞれ携帯電話を耳に当て、ユーリャも頭の中に送られてきた通信を受け取っていた。

 やがて、山茶花が「えっ」と声を漏らした。

 ユーリャが「まあ」と声を上げる。

 ギャビーが「ハッ」と笑い、傅が「そう来ますか」と言った。

 山茶花の耳には、雷蔵の声が響いている。

『だから、当面の間は、お前ら四人でその子を守れ。お前らと一緒にいるより安全な場所なんぞ、どこにもありゃしねえだろうが』

 ユーリャの脳裏で、トーマの声が早口に捲し立てる。

『野毛に五人分の部屋がある住居を用意した。ガレージでの検査が終わったら速やかに新たな拠点へ移れ。落ち着いたら明日の日中に少女を円卓へ連れてこい。今後の詳細はそのとき説明する』

 ギャビーの耳には、ミケーレの、どこか楽しんでいるような声音が聞こえている。

『要するに、君たち四人で一つ屋根の下に住み、幼きレディを守って欲しいということだ。因みに、野毛の治安維持にも、今まで通り貢献してもらうことになる。実に心躍る舞台だと思わないかね。全く君が羨ましいよ』

 傅の耳には、羅の傍らに侍る女性の合成音声が届いていた。

『少女が何者で、この地に何を運んで来たのか。全てが明らかになる日まで、お前たち四人で、少女を守り通しなさい』

 四人がそれぞれ通話を終え、顔を見合わせた。

 そして、四人が、一斉に少女へ目を向ける。

 まだ目に涙を浮かべたままの少女が、きょとんとした顔で、首を傾げた。

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