二年生

八話「邂逅」

 季節は巡る。また春が来て、俺は二年生になった。

 もっとも、一年たっても何も変わらない。ただただ同じ日々を繰り返す。強いて言うなら、身長が若干伸びたこと、勉強が多少難しくなったことくらい。部活生でも無い限り後輩と関わることもない。

 退屈で、暇で、何もない日々。俺は、この世界に閉じ込められている。勉強を強いられ、競争をさせられる。競争の果てに就職しても、そこでも競争が待っている。そして老いて退職し、気付けば死ぬ。何の自由もない。人々は常識や世間体に囚われ、法律に束縛される。この世界は、牢獄と変わりはない。

 つまらない。それ以外に何が言えるだろうか。独りでは寂しいと言う人はいるだろう。けれど、俺は一年生の時ずっと独りで過ごしたが、そうは思えなかった。いや、寂しくないのではなく、独りでないとして二人だと寂しくないと言うのだろうか。大して違わないだろうに。

「おお、黒野、ちょうどいいとこに来たな」

 授業も終わり、教員室に提出物を出しに行った時、そう教師に声をかけられる。

「プリント半分もって行ってくれんか?」

「ええ、いいですよ」

「この前の模試だが、かなり良かったな。特に国語と数学はクラスで一番だったじゃないか」

「いえ」

「志望校をあげたらどうだ? 東大も目指せるかもしれんぞ」

「さすがにそこまで頭良くありませんよ。これまでこの学校から東大に合格した人だっていないんでしょう?」

 さすがに一年も猫をかぶっていれば、無駄に教師の信頼を集めていた。ただそれだけの日々だ。


「みんな進級おめでとー。まぁ、何人かは残念なことになってるみたいだけど……」

 最初の美術の時間、相変わらずの丹波の教師らしからぬ台詞が響き渡る。

「春休みどうだったかな? 先生は花粉症でずっと涙目だったよぉ」

 そう言いながら、口につけたマスクに手で触れる。

 何人かの生徒はそれに食いついて話が多くなる。それだけで十分は潰れただろう。

「あっ!」

 そんな空気を打ち破ったのは、丹波自身の奇声だった。

「そうだそうだ。うっかり忘れてたけど、一年生の時の課題をいくつか返してなったね。まぁ最初の授業だし、クラスの生徒の入れ替わりもあったし、この時間はまったり雑談で仲を深めちゃってー」

 名前を呼び、課題の描かれた画用紙を返却する丹波。その際に、丁寧にアドバイスも口で添えながら。

「黒野君ー」

 最後に俺の名前が呼ばれる。毎回最初に出していたものだから一番下になっていたのだろう。

「うん、相変わらず上手いと思うよー。それに、一年でさらに成長してるねっ!」

 グッジョブ! という言葉を付け加えながら、丹波は俺に向かって親指を立てた拳をつきだした。

「いえ、大したことはないですよ」

「後はもう、今まで通りに描きまくることだねっ!」

「はい」

 席に戻る途中。画用紙に書かれた名前に目がいった。

 それは俺の名前で、何の変哲もなかった。だが何か違和感を覚えた。

 たしかこれは、一年生の時に夏休みの課題で描いた奴だった。鉛筆や消しゴムといった、小物を適当に選んで描いたものだ。なんでそんな単純なものを描いたのか、まったく覚えていない。

 違和感の元は、その絵に描いた名前の下だ。

「授業終わるまでは捨てないでよー?」

 そんな言葉で丹波と生徒は話を盛り上がる中、俺は画用紙をそっとなぞる。何かが書かれたような筆跡。丁寧に消してあるが、へこんだ画用紙は元には戻っていなかった。

 鉛筆でその上を薄く塗りつぶしていく。

 平仮名で「ちび」と言う文字が浮かんできた。

 俺はため息をつきながら、塗りつぶした部分を消しもせず、俺は既に放置を決め込んだ。


 誰かの悪戯か? ため息まじりでそう呆れつつ、わざわざこんなことをこっそり書くとはよほど器の小さな人間なのだろう――と、そんな嫌味も思いながら。



 一年があっという間なら、一学期もあっという間に過ぎていく。桜はとうに散り終え、緑の葉をこれでもかとまとっていた。

 ちらほらと聞こえてくるのは蝉の断末魔。春の陽気になったり、夏の熱気になったする不安定な時期だ。

「おや、黒野君、授業はいいのかい?」

 突然の教師の出張とやらで、俺のいるクラスは午後が完全に自習になっていた。年に数回あるかないかのサプライズに大人しく自習なんてする輩はあまりいない。うるさいのもあって、俺はこっそりと美術室に来た。

「自習なんで」

「そうかそうか」

 どうやら、授業はあってないようだ。

 そうだ――と、また何かを思いついた様子で俺に声をかけてくる。

「今からグラウンドのほうにスケッチに行くんだが、一緒に行くかい?」

 スケッチか。悪くない。その日の照りつける太陽は雲の配分によってまだ心地いいものだった。俺はグランド横の芝生でスケッチをして時間をつぶすことにした。


「いやー最近やっと花粉症が完全になくなって心地いいよー」

 丹波はキャンバスを持ちながら伸びを何度か繰り返す。

「黒野君は花粉症じゃなかったよね?」

「違いますよ」

「いいなぁいいなぁ、羨ましいなぁ」

 まるで子供のような言動をしている。俺は呆れた視線を送っておくが、まるで気付く様子はなかった。

「スケッチは同じとこで描くかい?」

「どっちでもいいですよ」

「じゃあ、別れよう!」

 まったく持って根拠が分からないけれど、特に否定する要素はなかった。

「僕は校門近くで描くかなぁ」

「それじゃ、俺はグラウンドの階段の近くにいます」

 グラウンドは、少し高さが低いところに作られている。と言うよりは、校舎が盛り上がった丘の上にできているのだけれど。体育や部活でグラウンドを使用するときは、設置された階段を降りる必要がある。俺はそこの近くで描こうと思った。

 そこに着いたとき、すでに先客が座っていた。体育座りをして、顔をうずめていた。その女子は、病気か怪我か、体操服を忘れたかで見学しているようだった。

「横空いてる?」

 ほかの場所を探すのも面倒だったのもある。丹波にここにいると言っておいて他のところに行くと、行き違いになるかもしれないと思ったのもある。だからそう声をかけた。

「え? あ、はっ、はい」

 突然後ろから声をかけられて戸惑いを見せながらも、彼女は同意した。

 俺は少し横にキャンバスを立て、そこに画用紙を置いて描き始めた。描くのはグラウンドで野球をする男子と、待遇の違いに不満を募らせながらもマラソンをする女子の姿だ。

 かすかにささやくそよ風に、髪がわずかに揺れる。草も木も、日陰も生徒も、何一つ止まっているものはない。常に何かに影響されて動き、姿を変えていく。それを俺は一枚の紙に、動かない絵として描いていく。それでも、その絵は今にも動き出しそうな、そんな雰囲気を織り交ぜることを目指しながら。

「何を、描いているのですか?」

 途中、見学をしていた女子がそう声をかけてくる。退屈なのだろう。

「全て」

「すべて?」

「ここから見える、全て」

 俺は、素っ気なくそう答えた。

 彼女にとって暇つぶしになると思ったのだろうが、一瞬で会話が終わってしまってがっかりしたのかもしれない。それだけで声はかけてこない。

 耳につくのは、風と、風になびかれて囁く草木の音。そして生徒の話し声と、野球の音だけだった。昔は絵を描くことよりも野球の方が好きだったな……。そんな事をふと思っていると、バットの金属音はよく聞こえてくる。それは、金属バットをボールに当てたが捉えきれなかった音だった。しかし、その後に続くのは、焦った声がいくつか聞こえてくる。野球ボールが一直線にこちらに向かってきていた。

 ボールは弧をえがきながらこっちに向かってくる。若干それていた為、俺には当たりそうにない――そう思っていると、ボールは隣の少女の方へ吸い込まれるように飛んでいたことに気付いた。

 とっさの行動だった。

 俺は腕を伸ばし、彼女の服の後ろ、その首もとをつかんで引き寄せた。

 幸いにして、当たらなかった。

 彼女はただ途方にくれていた。今も尚、状況がよく分かっていないようだった。

「な、なんですかっ!?」

「野球ボールが飛んで来て当たりそうだったからな。危なかったぞ?」

 そう言うと後方で何度もバウンドする、過ぎ去ったボールに気付いたらしい。女子ははじめて事の次第がわかったようで、あわてて頭を下げた。

「あ、ありがとうございます」

 俺はため息をひとつつく。それは、安堵から出るものか、呆れて出るものかは定かではないけれど。ただ、彼女の体型が小柄だったから間に合ったのは確かだろう。

「大丈夫ー?」

 階段の下から心配そうに女子が声をかけてくる。

「あ、はいっ! なんとか……」

 授業の終わる五分前になると、生徒は片付けに入る。それに見学していた生徒も加わる。

 チャイムが鳴ると、生徒はわいわい騒ぎながら教室に戻っていく。さっきの女子生徒は、俺から目線をそらしながら通り過ぎていった。



 闇色を宿した瞳を描く。それでいて生き生きとした瞳。かつて妹がしていた目だ。

 いつの頃からだろう。この瞳を描くようになったのは。もう忘れた。

 俺の自室。部屋の中にばら撒かれている画用紙。その数はここ一年で結構増えた。部屋の隅には乱雑に山積みにされ、壁紙はほとんど隠れてしまうほどに貼り付けられ、天井も同様に埋め尽くされている。足の踏み場などほとんどない。

 電気もつけずに暗い部屋の中で、月明かりを頼りに俺はただただ描き続けた。



 朝。昇降口を過ぎ。下駄箱に靴をおさめる時、声をかけられた。

「あのっ」

 それは、昨日の小柄な女子生徒だった。

 身長は百四十センチ前後。顔も幼さを十分に残している。小学生でも通るかもしれないような容姿だった。髪の毛は長髪。重力に反発しようする髪はとても長い。

「その、昨日はありがとうございました」

 そう言いながら彼女は恥ずかしそうに髪の毛を指でいじっている。

「別に大したことじゃないよ」

 そう言って俺は教室に向かう。

「あ、あの、ちょっと話……いいですか?」

 その言葉に、俺は立ち止まる。

「何?」

「えっと……」

 目を泳がせている。困惑しているのだろうか。

「私のこと、覚えてませんか? 相沢……相沢澪です」

 訳の分からないことを言う奴だと、俺は思った。

 まったく記憶にない。念のために、小学校まで記憶の糸をたぐってみたが、その氏名にもこの容姿にも見覚えはなかった。

「人違いじゃない? じゃあね、相沢さん」

 そう言って俺は再び歩き始める。

 もう、相沢と言う女子に呼び止められることはなかった。

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