七話「違和感」

 気付けば、二学期の始業式の日になっていた。

 結局、夏休みはお盆と悪天候な時以外は学校で過ごした記憶しかない。夏休みに学校に来ていたこともあって、二学期が始まってからもそれまでとなんら変わらない。澪がドジをして、怒ったり落ち込んだり、騒がしい日々の中で、お互いに笑ったり、楽しんだりした。それは、ごくごく普通の学校生活と呼べたのかもしれない。

 澪は、描くより描かれる方が性に合っているようだった。だから俺も澪をモデルにして絵を描くことは珍しくない。描いた絵は、ほとんど美術室に置いてある。ただ、少なくともかつて澪が描いていたノート、これだけは俺が部屋に置いている。あの時の思い出を忘れないために。

「先生、一枚足りません」

 二学期になってから、席替えもあった。俺と澪がつるんでいるのは周知の事実なので、勝手に同じ列にされてしまう。

「ああ、悪い」

 後ろの方の生徒の声に反応して、教師が澪にプリントを渡す。澪は背が小さいものだから、一番前に据えられていた。俺はその後ろ。

 何やってるんだか――等と教師に対して思いながら過ごす日々は、澪と出会う前とあまり変わらない。



 十月も末に入ると、木々が紅葉をし、既に散り始めていた。気温も結構下がってきた。朝はもうだいぶ冷える。季節は秋に、そうして冬を迎える準備をしていた。

「先生! また一枚足りませんよ!」

 そう後ろの生徒が声を張り上げる。またか――とうなだれながらも、俺は教師からプリントを受け取り後ろに回す。

 最近、どうもこの列は何かと一枚足りない。教師に嫌いな生徒でもいるのだろうが、こっちは結構迷惑な話だ。もっとも、それが俺ではないと言う保証はないのだけれど。

「翔君――」

 振り向きながら澪が声をかけてくる。その声は、どことなく弱かった。

「どうした?」

「い、いえ、なんでもないです」

 そういえば、最近澪の様子もおかしい。風邪気味ではないようだが、目に生気が感じられなくなってきた。最初は最近の寒さのせいだと思っていたが、どうも腑に落ちない。


「おや、今日も残るのかい?」

 放課後、美術室に行くと、丹波に声をかけられる。

「ええ」

「一人でよく頑張るね」

 澪がいるのに、そう言う丹波は軽くからかっているのだろうか。

「あまり冗談が過ぎると、澪が泣き出しますよ」

「あ、ああ、悪い悪い」

 いつもなら、今までなら、澪が突っ込んでいただろう。けれど澪は、怒りもせず笑ったりもしなくなっていった。


 別の日。昼休みに二人で売店に向かった。この日もあまり元気はない。ふらふらとした足取りで進んでいく。

 途中、廊下で男子が数人固まって話しながら歩いていた。廊下の半分を使っていたが、普通に避けられるスペースはあった。

 俺は少し横に避けたが、澪は男子生徒気付きもしないでまっすぐに進んでいた。俺が気付いた時には、男子生徒ににぶつかって澪は転んでしまう。こういう状況では、澪も悪いところはある。だが、その生徒がそのまま何事もなかったかのように歩き続けるものだから、文句のひとつでも言おうとした。

「翔君、いいの。私がぶつかったんだから」

 そんな俺を見て、力なく澪はそう言う。その表情はとても辛そうで、とても悲しそうだった。ぶつかった生徒は、そのまま歩いていき、見えなくなった。


 その日の放課後、誰もいなくなった教室で、俺は聞いた。

「気分悪いのか?」

 何日か前にも聞いた。同じ事を。

「大丈夫」

 何度聞いても、答えも同じだった。半ば強引に保健室に連れて行ったこともあった。でも、そこでも何かしら病気という事はなさそうだった。

「何かあったのか?」

 そうなると、後は学校以外で何かあったのだろうか。俺のいないところで、何か。

「何もないですよ?」

 そう答える澪に、力強さも説得力もまったくない。

 ふと気付く。生気のない目。その瞳はかつて見たことがあった。深い闇に沈んだ瞳。悲しみで押しつぶされそうになっている、あの目。それでも、あの時はまだ生き生きとしていた。でも今は……まるで死んだ魚のような目をしている。

「何かあったのなら言ってくれ」

 元気のない澪は、見ていて辛かった。

 その目は見たくない。そう切に願った。悪夢が脳裏をよぎる。あの時も、同じ目をしていたんだ。あいつも。

「本当に、何もないですよ」

 嘘だと思った。けど俺には、抱えているものを教えてはくれない。どんなに強引に詰め寄っても、それは分かっていた。だからこそ俺は何も出来なかった。何もしないよりした方がいいと言う人がいる。でも、何かすることですべてがこぼれ落ちるかもしれない。そんな賭けに、俺は踏み出せなかった。


 教師からプリントを受け取り、後ろに回す。

 今日はさすがにきちんと枚数は足りているようだった。

 俺は前から二番目に座っているが、一番前の席はみんな嫌がって誰も座ろうとしない。この列は生徒が一人少ない。だから、一番前の席が必然的に無人になっていた。だから俺は、わざわざ体を乗り出して手を伸ばさなくてはいけない。毎回、面倒なことこの上ない。


「澪、今日も残るか?」

 放課後になって、俺はいつものように澪を誘う。

「うん――」

 元気なく返事をしながらついてきた。ずっと、何も出来ない日々が続いていた。澪が苦しんでいる。けど、俺にはどうすることもできなくて、何をしても反応は薄かった。

 美術室には、今日は誰も残っていない。確か丹波は急用か何かで帰ったんだったか。だから今日はそんなに残れないな。

 俺は、澪の隣で絵を描く。澪は、俺にもたれかかったままその様子を見ている。


 時刻は六時になろうとしていた。特に変わったこともないまま、今日の絵は描き終える。頑張っている運動部の声も、もう聞こえなくなっていた。

 俺も、今日はそろそろ帰ることにした。丹波もいないので、これ以上一人でいても仕方がない。今日は、特に残る日でもない。どうして理由もなく残ったのか、自分自身でも良く分からなかった。

 俺は教室を後にする。誰もいない美術室。その扉を、閉ざした。

 俺以外には誰もいない。独りで、ずっとやってきた。でも、なんだか物足りない気がどこかでしている。そんな馬鹿げた感覚を捨てながら、俺は帰路に就いた。


「よーし、課題回収するよー」

 丹波の号令が美術室に響き渡る。

 各々が丹波の所に絵を持っていく中に俺も含まれている。

「ああ、黒野君」

「はい?」

 提出するとき、呼び止められる。

「毎回悪いね、君だけ一人で」

「今更ですか? 問題ないですよ。この一年間ずっと一人でしたので」

 何も変わらない。ただ退屈で、同じ日々の繰り返し。その中で、絵を描くことが唯一の気晴らしなのだから。むしろ、誰かと組まなくてやりやすかったと思えるくらいだ。

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