五話

 あれから一週間ほど経った。


 最近はずっと昼休みや放課後につき合わされている。


 いや、付き合ってもらっていると言うべきかもしれない。


 相沢は、いつも楽しそうで、いつもドジをしている。子供のように無邪気ながら、時折見せる大人びた雰囲気のギャップが印象的だ。







 なんだか最近口数が少しずつ増えてきた気がする。


「ありがとうございますっ」


 昼休みに相沢の分のパンも買い中庭で渡すと、嬉しそうに感謝を口にする。


「そういえば、いつも買ってくれるけどお金は大丈夫? いつも買ってくれなくても大丈夫だよ?」


「いいよ。無理してる訳じゃないし」


「なら良かった~! でも貰いっぱなしは申し訳ないから何かお返ししたいかな。何か私にして欲しいこと事ある?」


「別にいいよ。今すぐ思いつかないし」


「じゃあ絵のモデルになってあげよう!」


「いつもと変わらないかな」


「確かにっ!」


 慣れとは恐ろしいもので、たったの一週間一緒にいただけなのにそれが当たり前になりつつある。


「そうだ、少し聞いてもいい?」


「ん?」


「翔君って時々口調が変わるけど、あれってどっちが素なの?」


 俺の顔を覗き込みながら、興味深そうに聞く。


「丁寧な言葉遣いの時もあれば、結構ぶっきらぼうな時があるよね」


 さてどうしたものかと考える。


 普段なら猫を被っておく方が無難なのだが、最近希に素が出てしまう事がある。


 このまま猫を被り続けてもいいが、相沢に対しては別にその必要がないのではないかと考える自分がいた。


「後者だよ」


 口元を緩めながらそんな事を言うなんて、一週間前には考えられなかったことだ。












「おはようございますっ」


「おはよう」


 時間の流れは速いもので、あれから一ヶ月以上が経った。


 期末考査も無事に終え……。いや、相沢は赤点ギリギリの科目があったが。


「早いねー。もう終業式だなんて」


 ただ少なくとも、追試もなくこの日を迎えた。


 年を取ると体感時間が短くなると言う話を聞いたことがあったが、相沢と関わっているとその時間がさらに加速している気がする。


「そうだな」


 そんなこんなで終業式の行われる体育館に移動し、体感時間の非常に長い終業式が始まる。




「うー……校長先生の話し長すぎ……。なんで今の校長はああなのかな……。もっとこう、聞く身にもなって話して欲しいよまったく」


 終業式が終わり教室に戻ると、相沢は机の上にとけたアイスのようにうなだれる。


「その髪だと重いし蒸れるし大変そうだな」


「まったくそれだよそれ~」


 男子はいいなーと言いつつ、切るつもりはない様子だ。




 担任が夏休みの間の注意事項を、必要以上に事細かに説明する。


 そのどれもが、小学校で言われるのと大差なく、何か問題が起こったときに自分たちは指導していたと予防線を張っているようだった。




「そういえば翔君!」


 一学期最後のホームルームも終わり、生徒は歓喜の元に夏休みに突入した。そんな最中に相沢は声をかけてくる。


「夏休みはどこかに旅行とか行くのですか?」


 目が輝いている。お土産でもねだるつもりか?


「特に予定はない。だからお土産もなしだな」


「くっ! なぜばれてるのですかっ!」


 本当だったとは――と肩をすくめ呆れを表す。


「そういう相沢さんは、どこか行くの?」


 仕返しに、お土産を要求しようかと俺はそう尋ねる。


「え? わ、私は……」


 相沢は都合が悪いのか、目が泳ぎ言葉を濁した。


「ま、いいや」


 不意に丹波の言葉が頭をよぎった。


 ――適当にペアで共通のものでも描いてきてね! と言っていた。


 一番テキトーなのは丹波自身であろう事と、ペアによっては夏休み中に会えない事を考慮していないテキトーさがツッコミどころだ。


「そういえば、美術の宿題だけど、どうする?」


 別にサボっても俺は問題ないだろうが……相沢はそうもいかないだろう。なにせ期末考査の美術の点数もかなりギリギリだったはずだ。内申点に響くような事は避けておいた方が無難だ。


「あっ、確かに! どうしましょ?」


「こっちは特に予定ないから、そっちに合わせるよ」


 それに、この時期はあまり自室にもいたくない。夏祭りの準備で母屋の出入りが多くなる。それならば相沢と一緒の方が遙かに有意義だ。


「いや~……それは、あの……」


 何か都合の悪いことでも聞いたのか、もじもじと体を動かしている。


「夏休みは……その、まったく予定はないのですが……その――」


「何だ。同じか」


 思わず口に出して突っ込んでしまった。


「え? 翔君も?」


 聞いていなかったと言わんばかりのきょとんとした顔が帰ってくる。


「今その話をしてた記憶があるんだが、この記憶は偽物か?」


「で、でも迷惑ではないですか? 私のためにわざわざ――」


 気を使っているのだろうか。そんな事を考えながら、俺は答える。


「それはつまり、俺に宿題をさせない魂胆か?」


 冗談だと分かるように、少し意地悪な笑みと共に投げかけると、口をとがらせ地団駄を踏む。


「も~! 違いますよ!」


「じゃあ気にしなくていいよ」


「む~……。じゃあ、場所は私が決めてもいいですか?」


「ああ」


「じゃあ……学校でもいいですかっ?」


 その提案は想定外だったが、特に問題があるわけではない。


 加えて相沢の表情の変化から、追求しない方が良さそうな雰囲気を感じた。


「分かった」


 なので二つ返事で同意する。


「助かりますっ! じゃあ何日頃が空いてます?」


「それはいつでもいいの?」


「はいっ」


 少し間を空け「じゃあ」と切り出す。


「明日からで」


「ええっ!?」


 素っ頓狂な声を上げつつ、その表情は綻んでいる。


「ダメだったか?」


「い、いえ! 大丈夫ですけど、翔君の方こそ大丈夫なんですか?」


「明日からの暇をどうしようかと思ってたところだから大丈夫」


 その返答に、相沢は露骨に表情が緩んだ。


「じゃあ集合は校門でいいですか?」


「ああ。じゃ、明日九時に校門で」






 夜。その日はなかなか寝付けなかった。


 よく分からないが、俺は家族に包まれながら布団の中で朝が来るのを待った。






 勢いよく校舎の方からこちらに走ってくる人影がひとつ。


 時刻は十時を回ろうとしていた。


 その小さな体格にひけをとらない長髪を煌びやかに揺らしながら駆け寄ってくる。


 非常に焦った表情をしながら。


「はぁはぁ――す、すみませんっ!」


 ――なぜ校舎から?


 などと相沢の姿を視認して思う。


 一応記憶違いがないか聞いてみる。


「九時に校門であってたっけ?」


「そ、そう、だけど、中庭で、時間をつぶそうと思ったら、寝てしまって――」


 これまで何度か見た光景だな――と思い出しつつ、それ以上責めるつもりはないので校舎の方へ歩き出す。


「まぁ別にいいよ。次からは中庭のほうも確認するようにするよ」


「あうっ……すみませんっ!」


 そそっかしい相沢を知っていながらそこまで考えが至らなかった自分の責任だと内心で結論づけた。


 夏休み期間中といっても、グラウンドや体育館からは運動部の声が響いている。美術部員はどれだけいるのかは知らないが、よく混ざっているので問題はないだろうと思い、まずは向かう。


「誰もいないのかよ」


 美術室の扉を開けると、そこは静寂が支配していた。


 丹波の緩い性格が繁栄されているのは想像に難くない。


 イーゼル等の数が減っていないことを鑑みるに、外に絵が気に入っている訳では無さそうだ。


 まぁ昨日施錠を忘れていたなんて事はないだろうから、美術室の鍵を開けていると言うことはすなわち使っていいのだろうと判断する。


 日頃から「いい生徒」とし振る舞っているのだから、こういう時の弁に活用できるだろう――と思いながら。


 それから十三時まで課題をしていた。課題は、学校で配られたA3サイズの画用紙一枚に、ペアで描くというものだった。本当は一人一枚のはずだったんだが、丹波の手違いで、画用紙の数が足りず、ペアで一枚という事態に今回はなっている。


 しかし……。


「相沢さん?」


「んー?」


「……何というか、変わらないね」


 そんな言葉にムスッとしながら、適当選んだ品々を相沢は凝視する。


 相沢が描けるように簡単な小物を何個か選んだ。鉛筆や消しゴム程度の小物であれば難度は低く、先に自分の描いた手本があるわけだから。


 しかし、その考えは非常に甘かった。


 相沢の描き出す絵は相変わらずの象形文字に見える。




「そういえば翔君」


「ん?」


「いつまでも、『さん』付けなんだね」


 また唐突だな。そんなことを最初に思った。


 相沢を呼ぶときのことか。俺は誰に対しても無難にそう呼ぶから、あまり気にしたことはなかった。


「さん付けない方がいい?」


「んー……翔君がそれがいいなら構わないけど、出来れば違うほうがいいかな~って」


 相沢、と呼び捨ての方が確かに呼びやすい。けれど、それはあまりにも馴れ馴れしいだろうか。


 だとすると、ちゃん付けとだろうか。相沢ちゃん。……ないな。下の名前は確か澪だったっけ。女の子はそちらの方がいいのだろうか。ただ今まで苗字ばかりだったから少し慣れない。


「澪ちゃん?」


「うんっ!」


 少し満足げだったけれど――


「ちゃん付けだとさらに子供っぽく――」


 ボソッとそんな言葉を漏らすと、例のごとく口を尖らせてほほを膨らませる。


「なっ! 失敬なっ!」


 憤慨するので別の案を考える。


 だが他に何か選択肢があるだろうか?


 思案を巡らせた結果呼び捨てが唯一残ったが、馴れ馴れしいだろうか?


「相沢?」


「んー……それなら下の名前の方が良いですっ」


「澪」


 端的に呟くと、少し目を丸くして口元をほころばせる。


「今までのが一番良いんじゃないか?」


 慣れたのもありそう提案するが、返事はなかなか返ってこない。


「どうした?」


「――かい」


「ん?」


 少し間を置いて、ボソッと口を開く。


「最後の、もう一回!」


「澪……?」


 再び間が空いた。うつむいているから、髪の毛で表情が分からない。


「いいねっ!」


 親指を立てながら、勢いよく腕を伸ばす。


 世界が歪んだ気がした。


 一瞬の出来事で何が起こったかすぐには分からなかった。


「だっ、大丈夫ですかっ?」


 どうやら、拳が顎を貫いたようだった。





 昼食は売店でいつものようにパンを買った。品数はかなり減るが、部活生の為に営業している。


 いつもの中庭のベンチでは流石にこの時期は暑いので、美術室に戻ってパンの袋を開ける。


「そういえば――」


 と、今度は自分から口を開く。


「俺のことは君付けだけどそっちは変えなくていいのか?」


 すでに食べ始めていたパンを飲み込み、澪は「ん~」と頭をひねる。


「なんか翔君は翔君って感じがしますっ」


「いや、いまいち意味が分からない」


「なんて言うんですかね? 語感? 語調? なんか君も名前の一部みたいな」


「……そうか?」


「そうですっ! 『将軍』みたいな雰囲気ふいんきですっ」


 まるで意味が分からなかったが、まぁ澪がそれがいいというならそれでいいだろうと結論づける。


 少し考える素振りを見せていると、澪が「嫌でしたか?」と心配そうに問いかけてくる。


「いや、そういう細かい所を気にするから身長が伸びないんじゃないかと思って」


「む~っ! それとこれとは関係ありませんっ!」


 ――そうか?


 と、先ほど宿題で描いた画用紙を手元に引き寄せる。


「ん? 何してるんですか?」


「いや、名前を書き忘れてたと思って」


 そう言いながら目の前で画用紙の右下に二人分の名前を書く。




 まず「黒野翔」と。


 次に「ちび」と。


「も~~!! 翔君は酷いですっ!」


 そう叫ぶとパンを口にくわえ、画用紙を強奪する。


「翔君! 2Hで書いたでしょ! 跡が消えないんだけどっ!」


「悪い」


 そんな謝罪は笑みを浮かべながらだったので、反省の色が全く見られない事は澪にも通じた様子だ。


「かくなるうえは……とう!」


 椅子の上に立ち上がると、画用紙を高く掲げ、いかにも「今から破りますよ」と言いたげな持ち方をしている。


「それ宿題のやつ」


「うっ……」


 幸い、実力行使の直前で事なきを得た。


「かくなるうえは!」


 と言葉を繰り返し、澪はパンを片手に指を指してくる。


「意地悪された償いをしてもらわなくてはなるまいて!」


 フッフッフ――と、悪そうな表情を浮かべ、パンを口に運ぶ。


「何をして欲しいんだ?」


「私が満足するまでッ! 私をモデルに絵を描いてもらおうじゃないか!」


 いったいどんな無茶ぶりをしてくるのかと思ったら――と、思わず口元が緩む。


「ああ」


 そして、承諾を口にした俺の表情は、かつてないほど綻んでいた。






 日が傾き、夕焼け空にカラスの鳴き声が同居する。


「じゃあ、明日も同じでいいか?」


 校門で立ち止まり別れの挨拶をする。


「うんっ」


「校門前に九時で間違いないよな?」


「ううっ――がんばるっ」


 そんな困り顔をされると、どうも責める気が起きなくなる。


 と考えていると、澪の方から「じゃあ、また明日」と挨拶を口にする。


「――本当にここでいいのか?」


「うん、ここでいいのっ」


 そうやって過ごした夏休み初日は、今までで一番短かった気がする。


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