五話「予定」

 一週間ほど経った。最近はずっと昼休みと放課後につき合わされている。相沢は、いつも楽しそうで、いつもドジをしている。子供のように無邪気で、でも時々大人びている。

 なんだか最近口数が少しずつ増えてきた気がする。こいつといるのは、嫌ではない。どことなく、あいつに似ている気がするからだろうか。もしくは気まぐれか気の迷いか。

「少し聞いてもいいですか?」

「ん?」

 帰り際、美術室で相沢は尋ねてきた。

「翔君って時々口調変わるよね? あれってどっちが本当なの?」

 俺の顔を覗き込みながら、興味深そうに聞く。

「丁寧な言葉遣いの時もあれば、淡泊な時があるよね」

 俺は押し黙る。こいつは、こういうことを平気で聞いてくる。だからこそ、俺は時々素が出てしまう。

「後者だよ」

 最近は特に猫をかぶることをしないことが確かにあった。特に相沢以外に人がいない時にふと口から漏れていたのだろう。最近は特に気にしていなかったが、この際なので吐露しておく。

「むっ! 酷い人がいる」

「じゃあ、相沢さんは出来の悪い人だよ」

 意地悪にそう返す。

「うーっ!」

 事実、画力は一向に変わらない。絵は、一日二日で急にうまくなったりはしないけれど、相沢は要領があまりよくない。いや、悪い。絵以外でもそうだが、同じ失敗を何度もしてしまったり、忘れていたり。本当に出来が悪いのか、絵を教えてもらうのは単なる口実なのかは分からないが。

「じゃあ。また明日」

 いつものように、俺はここで相沢に別れを言う。ずっとそうだった。残って練習してるのかは知らない。ただ少なくとも、一緒に下校はしたことはなかった。



 手入れの行き届いていない門をくぐる。

 玄関前を通るとき、運悪く戸が開き中から出てきた人と目が合う。そこから出てきた中年オヤジはこちらに気づくと、ふんと鼻を鳴らして入れ違いに出て行き消えていく。

 離れの狭く暗い部屋。

 足の踏み場のない床には、画用紙が散らばっている。ここに来るとよく思い出せる。それで嫌悪に陥る。何をしているのか疑問に思えてくる。俺の居場所はここだけで、ここしか俺には残されていない。

 それでも、俺は相沢が嫌いにはなれなかった。教師も生徒も、大人も子供も、男も女も、自分自身すらも嫌っていた俺が。好きではない。けれど、嫌いではない……そんな感情を抱いていた。

 ……無邪気な笑顔は、やはりどこかあいつに似ていて――俺が奪ったあの笑顔を、もう一度見ている気がした。



「おはようございますっ」

「おはよう」

 何気ない朝。何回、何十回繰り返しただろうか。時が流れるのは早いものだ。俺たちが知り合って一ヶ月以上の時間が流れていた。

「早いねー。もう終業式だなんて」

 相沢は、俺の気持ちを察したのか、そう語りかけてきた。

「まるで、昔から仲良かったような感覚ですっ」

 似合わないことを言うものだから、俺は先に終業式の行われる体育館へ向かう。

「もう! 人がせっかくちょっといい事言ったのにっ!」

 後ろから怒りの声が聞こえてきたとき、俺は思わず口元が緩んでいた。


「うー……校長先生の話長すぎだよ。今の校長はどうしてああなのかな。もうちょっと聞く身にもなって話して欲しいよー」

 相沢がうなだれながら教室に戻る。

「相沢さんは人のことあまり言えないけどね」

「むーっ!」


 担任が夏休みの間の注意事項を、必要もないのに事細かに知らせてくれる。そのどれもが、小学校で言われるのと大差はない。

「そういえば翔君!」

 一学期最後のホームルームも終わり、生徒は歓喜の元に夏休みに突入した。そんな最中に相沢は声をかけてくる。

「夏休みはどこかに旅行とか行くのですか?」

 目が輝いている。お土産でもねだるつもりか?

「特に予定はない。だからお土産もなしだ」

「くっ! なぜばれてるのですかっ!」

 本当だったとは……。そう半ば呆れながら、ため息とともに俺は思った。

「そういう相沢さんは、どこかいくの?」

 仕返しに、お土産を要求しようかと俺はそう尋ねる。

「え? わ、私は……」

 相沢は言葉を濁した。目が泳いでいる。それは、彼女にとって聞かれたくないことなのだろう。

「ま、いいさ」

 不意に丹波の言葉が頭をよぎった。

 ――適当にペアで共通のものでも描いてきてね! とか言ってたな。一番テキトーなのは丹波自身であろう事を指摘すべきか悩ましい。

「そういえば、美術の宿題どうする?」

 別にサボっても俺は問題ないだろうが……こいつはそうもいかないだろう。

「俺は予定ないから、そっちに合わせるよ」

 それに、この時期はあまり自室にもいたくない。夏祭りの準備で母屋の出入りが多くなるこの時期は。それならば絶対に相沢といた方がマシだ。

「あ、あの……」

 もじもじと体を動かしている。

「夏休みは……」

「ん?」

「その、まったく予定はないのですが……その――」

「何だ。同じか」

 思わず口に出して突っ込んでしまった。

「え? 翔君も?」

 聞いてないと言わんばかりの顔をするな。

「さっき言ったはずだが」

 なぜそこでほっとしながらも目を輝かせるのかが分からない。同類でも見つけて喜んでいる、ってところなのだろうか。

 でも、その輝いた瞳はすぐに色あせてしまう。

「でも、迷惑です。私のためにわざわざ――」

 気を使っているのだろうか。そんな事を考えながら、俺は答える。

「それはつまり、俺に宿題を出来なくさせて、嫌がらせでもしようってか?」

 冗談交じりにそういうと、相沢はさらに慌てふためいている。

「い、いい、いえっ! そんなつもりはないですよ!」

「じゃあ、いいだろ」

 その言葉に、相沢は目線を落とす。

「じゃあ――」

 少し待った後、相沢が口を開いた。

「場所は私が決めていいですか?」

「ああ」

「じゃ、じゃあ……」

 再びためらいを見せる相沢。

「学校でいいですかっ?」

 少し間を空けながら、相沢は力強く言いつつ俺に顔を近づける。

 なぜ学校か。その理由は聞かないほうがよさそうだと、相沢の顔に圧倒されながら思った。きっとそれは、相沢の事情だろうから。

「分かった」

「私はいつでもいいです。時間のある日はいつですか?」

 毎日予定が入ってないからな。特に暇な日というのもなければ、忙しい日というのもない。

「じゃあ、明日から」

「えぇっ?」

「冗談だよ」

 過剰反応するのは、目に見えていた。少し苦笑しながら、俺は何時が良いか考える。

「いいですよ」

 その最中、そう相沢は小さく言った。

「明日、全然大丈夫ですっ」

 特に問題はないが、言葉が本気でなかっただけに、少々戸惑ってしまう。

「あ、やっぱりダメでしたか?」

 不安そうに覗き込まれる。

「いや、いいよ」

 ま、俺としてもその方が好都合だったわけで。ダメだと答える要素は微塵もなかった。

 その答えに、無邪気に喜んでいるのはいつもの相沢だ。

「校門でいいですか?」

「じゃ、明日の九時に校門で」



 夜。その日はなかなか寝付けなかった。

 よく分からないが、俺は家族に包まれながら布団の中で朝が来るのを待った。

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