三話「無関心」

 翌朝、昇降口を過ぎ、下駄箱に靴を収める。ふと、中庭で目がとまった。そこには、木の周りに設置された丸いベンチでうたた寝をしている相沢の姿があった。周りには小さな鳥たちが興味深そうに集まっている。

 存外、一度認識したものは目に留まるらしい。朝から面倒なものを見てしまったな――そう思いながら、俺は教室に向かう。


 今日も変わらず授業が始まった。

 だが――

 今まではまったく気にしていなかった相沢という女子がよく目に留まる。

 そのうえ、こちらが彼女を視界に入れている時に限って、向こうも俺の方を向いていることが多い。俺の座席の方が後ろなので視界内に入るのはしかたないとしても、あちらは意図して俺の方を向いているようだ。

 ――面倒だな。

 そんなことを思いながら、俺は教科書に視線を落とす。


 数学Ⅰ、数学Aと、立て続けの憂鬱な授業が終わった昼休み。売店に昼飯を買いに行く。

 この学校では、マンガやドラマのような争奪戦は見られない。だから俺は、やすやすと好みのパンを買っていく。

 俺の特等席は中庭のベンチで、端っこに植えられた木に設置された所だ。

 教科書ばかり見ていたせいか、目の奥が疲れている。無意識に目を瞑り目頭を指で押さえていると、不意にゴツンと音がした。

「いたたたたたた――」

 音のした方を見てみると、余所見をしながら歩いていたのか女子が――相沢が目の前でたれた枝に頭をぶつけていた。

「うぅっ」

 そして唸っていた。

「何してるの?」

 素っ気なく、俺は声をかける。その声に、彼女はビクッと体を反応させた。

「あわわわっ」

 忙しい人だ。そんなことを思いながら、俺はパンを口に運ぶ。

「す、すみませんっ! お食事中邪魔をしてっ」

「いや、別に構わないけど」

 ただこちらを見つめてきた。立ち去ればいいものを、なぜか無言のままこちらを見ている。教室の時と同じ目だった。

「そ、それじゃ、これで」

 だが、それもつかの間のことで、相沢はすぐに立ち去った。

 彼女に対する印象が、人の言うことを聞かない――に加え、面倒くさい奴――の二つとなっているのが自分でもよくわかる。

 ……しかし、どうしてだろう。

 どうしてか、彼女が視線を俺からそらしたその瞬間、悲しい表情をしていた気がした。



 絵を、描いていた。

 画用紙に鉛筆を走らせる。キャンバスを部屋の真ん中を陣取って。

 夜がふけるのにも気づかず、ただ一心不乱に。

 絵を、描き続けた。



「まだ終わらない?」

「も、もう少しっ!」

 キャンバスにかじりついて俺を描く。持ってきた本も読み終わり、退屈この上ない時間。

 あと少し。そう言いながらも、絵は一向に完成の姿が見えてこない。乱雑に引かれた線はとてもデッサンと呼べる代物とは思えなかった。輪郭は歪み、鼻はつぶれ、眼は奇妙に傾き、口は腫れ上がっている。線を重ね合わせ、面を表現するものなのに、その絵に面と呼べるものは見当たらない。

「結局来週も続きか……」

 二コマ目の美術の終わりを告げるチャイムが響き渡る中、俺はそう呟く。

「うっ……」

 別に責めようと思って言ったつもりはなかった。しかし、相沢は申し訳なさそうに下を向いていた。


 放課後、空がわずかに赤みを帯びはじめている。

 今日はまだ家に帰らない。帰りたくない。行く当てなどなく、帰る場所はない。だから今いる場所に留まっている。

「んー、もうちょっと濃淡を出したほうがいいような気がするよ?」

 時々、こうやって丹波と放課後に残るときがある。丹波は美術部の顧問だが、俺は部活に入っているわけではない。ただ、暇をつぶす。そのために付き合っていた。

 美術部員がちらほらと帰り始めていた。丹波が顧問ということもあり、いつはじめるのも、いつ帰るのも自由という結構ルーズな部活だ。

「あまり濃くすると、立体感が出すぎませんか?」

「そうだね……僕はその立体感が好きなんだけどねー。マンガとか見慣れてる現代っ子には違和感があるのかな?」

「どうでしょう」

 意見をもらいながら、鉛筆を走らせる。

「それじゃ丹波先生、お先に失礼します」

 最後まで残っていた美術部員が出て行くと、俺と丹波だけが残された。

「今日もまだ残るのかい?」

「ええ。――もう施錠の時間ですか?」

「まだ全然大丈夫だよ!」

 俺が残るときにはよくあるやり取りだ。丹波は毎回飽きもせずに、親指を立てながら力強くそう言う。

 いつも丹波は完全下校時間のぎりぎりまで残ってくれる。

 校舎から、徐々に物音が消えていく。教師も生徒も、帰路に就き始めていた。運動部の声がなくなるころには、太陽は紅く空と雲、そして街を染め、次第に藍色が浸食していた。

 途中、トイレに立った時も、誰一人としてすれ違わない。教員室の明かりはついていたが、生徒の気配は欠片も感じられなかった。手洗いを済ませ、美術室に戻る。

「うん、全然構わないよ」

 丹波が誰かと話しているようだった。この静けさもあって、扉の外まで声が聞こえていた。

「お、噂をすれば帰ってきたみたいだね」

 他の先生が見回りか何かでいるのだろう――とだけ思い、そのまま扉を開けた。すると間髪をいれずに丹波がそう言い、こちらに視線を投げかけていた。

 丹波と一緒にいたのは先生ではなかった。あんな背の小さい先生はいない。そして俺の知っている生徒に、目の前にいる生徒の身長で知ってるものは他にいない。

「相沢さん……?」

 驚きの感情というよりは、けだるい感情を覚えた。

「まだ残ってたんだ。てっきり、他にはもう帰ったのかと」

 感情を隠しながら普通にそう声をかけた。しかし一番驚いていたのは俺ではなく相沢の方らしく、あたふたと眼を泳がせていた。

 入部希望? と美術部員ではないのに問いかけると、丹波が残念そうに首を横に振っていた。

「授業中にもっと早く上手に描けるように教えてほしいって。いやーきっと黒野君に迷惑かけまいとこうやってくるなんて、健気でいい子じゃないか」

 何を考えているかは知らないが、丹波は少しにやけながら腕組みをし、何度もうなずいていた。

 つまりは、俺とペアになったことがプレッシャーになったという事らしい。それで、こっそり教えてもらうつもりが、今日は俺が残っていて驚き、その現状を理解できずにあたふたしている、と。

「あ、あのっ」

 困惑した表情のまま、相沢は俺に声をかける。

「い、いつも、残ってるのですか?」

 少しでも現状を把握しようと必死の様子だった。

「いつもじゃないよ。時々ね」

 俺は感情もなく説明した。そうしながらキャンバスに戻る。

「じゃあ、黒野君に教えてもらうといい」

 あまりにも唐突な丹波の言葉に、俺は描き始めようとしていた腕を止め、相沢は口を半開きにしながら彼を見る。

 また変なこと言い出したな――俺は呆れと共に手を動かし始める。だが相沢は硬直したままらしい。

「大丈夫、分からないところは教えるからっ! それに二人はペアなんだから。そっちの方が次の時間のときのほうが役に立つでしょ!」

 クネクネとしたタコのような妙なジェスチャーを織り交ぜながら、丹波は楽しそうに提案していた。

 あみだくじで決まったペアに何を期待しているのだろうか。だが、いちいち反論するのもけだるかった。

「お好きにどうぞ」

 そう返事を返すと、一番困っているのは相沢だった。

 気付かれないようにこんな時間に丹波のところに来たのに、一番居心地が悪いであろう俺はいる上に、その俺に教えてもらえと先生は提案し、ほぼ合意の返事をしてしまった。相沢は、今にも両耳からエンストした煙が出るのではないかと思うほどに困惑した表情をしていた。

 相沢の思考が停止して数分。相沢は俺の隣に座った。

「じゃ、先生はちょっと鍵を取ってくるよ」

 丹波の無駄な気遣いのせいで、俺と相沢だけが教室に取り残されてしまう。

 俺はただ手を動かしていた。しかし相沢は、そわそわとして落ち着く気配は全然ない。

「あ、あの……すみません」

「何が?」

 手を止めることも、振り向くこともせずに返事をする。

「下手、ですよね」

「……」

「迷惑、かけてますよね」

「どうだろう」

 重苦しい空気が流れた。けだるさからか、このときは猫を被る気にはならなかった。

「私とペアになって、嫌ですか?」

 嫌、ではない。そういう感情とは違う。

 ――どうでもいい。

 それが本音。

「別に」

 だから、適当にあしらう。

 更に藍色が強くなる空に比例し住宅街からの光が徐々に色味を増してくる。


 どれだけ時間が経っただろうか。少なくとも、太陽は地平線の下にもぐってしまっている。トラブルか意図してなのかは分からないが、丹波は戻ってこない。

 相沢。こいつもこいつだ。こんなところにいる必要もないのに、何故か未だここにいる。

「なんで――」

 気付けば俺の方から口を開く。

「なんで俺なんかに構うんだ? 他にクラスメイトがいるだろ?」

 これ以上関わるのはけだるかった。だから猫を被ることもせず、避けるようにそう言った。俺の悪い癖だということは自覚している。故に友達と呼べる人種はいない。だが自覚してなお、気だるさが上回る。

 俺の言葉に対する彼女からの返答はない。代わりに息を飲む音がした。その言葉は、相沢にとってどれだけの意味を持つかは知らない。だが、次の相沢の言葉に、俺はわずかながら興味を抱いたのかもしれない。

「他に、知ってる人がいませんから」

 鉛筆を走らせていた腕が止まった。

「……なぜ」

「みんな、興味がないんです」

 慌しくも無邪気な口調ではなかった。ひどく低く、それでいて冷たい口調。

「……何に」

「自分たち以外に。関係のない事に」

 冷たく沈んだ瞳。目を細めていた。それを強調するような無表情。そこに、無邪気な雰囲気などどこにもない。


 俺は、校舎を後にする。

 校門まで来て振り返った。美術室の電気はまだついている。相沢がいるかどうかは定かではない。

 ――俺は何をしてるんだ。

 そんなことを自分に問いかける。

 ただただ、あの場から逃げ出したくなった。衝動的に。

 なぜだか、自分でもよく分からない。

 そのまま俺は帰路につく。



 鉛筆が動かない。違う、手が思うように動かない。いや頭が回らない。集中できない。

 自分だけの空間。自分だけのアトリエ。家の自室にこもれば、外の世界を忘れられる。嫌なことも、憂鬱なことも、何もかも。なのに今日は出来ない。どうして。なぜ。

 ――他に、知ってる人がいませんから。

 そんな声がさっきから勝手に頭の中で繰り返し流れる。

 ――みんな、興味がないんです。自分たち以外に。関係のない事に。

「何なんだあいつは……分かったようなことばかり言いやがって」

 顔をキャンバスに伏せながら、俺はそればかりつぶやく。

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