三話

 放課後になり、美術室に向かった。


 丹波のアドバイスを受けられるのはありがたいが、やはり部活生として活動するのはちょっと――と断ろうと思っての事だ。


「じゃあ美術部員としてではなくて、普通に絵を描きに来てもらっていいよ」


 丹波からの再度の提案は、そんないいかげんな代物だった。


「だって黒野君は絵を描くのが好きでしょ?」


「まぁ、そうですが……」


「だったら放課後に美術室で描いててもいいと思うよ、備品もいろいろあるし。だから来たいときに来て、帰りたいときに帰るくらいのノリで!」


「……いいんですか?」


「他の先生はダメと思うけど、僕のところでは構わないよー」


 どうしてそこまで勧誘するのか分からなかったが、それでも自分にとってありがたい話だった。


「そういうことであれば――」


 承諾すると、丹波は年甲斐もない子供のような無邪気な笑顔を浮かべた。




 放課後、空がわずかに赤みを帯びはじめている。


 そろそろ完全下校時間が迫ってきているが、俺は未だに美術室にいた。


「んー、もうちょっと濃淡を出したほうがいいような気がするかな」


「あまり濃くすると、立体感が出すぎませんか?」


「そうだね……僕はその立体感が好きなんだけどねー。マンガとか見慣れてる現代っ子には違和感があるのかな?」


「……どうでしょう」


 意見をもらいながら、鉛筆を走らせる。


「それじゃ丹波先生、お先に失礼します」


「失礼しまーす」


「気を付けて帰るんだよー」


 最後まで残っていた美術部員が出て行くと、俺と丹波だけが残された。


「今日はまだ残るのかい?」


「――もう施錠の時間ですか?」


「まだ全然大丈夫だよ!」


 


 校舎から、徐々に物音が消えていく。教師も生徒も、帰路に就き始めていた。


 運動部の声がなくなるころには、太陽は紅く空と雲、そして街を染め、次第に藍色が浸食していた。




 そろそろ片付けに入ろう――そう思って、先に一度トイレに立つ。


 廊下に出ても誰一人としてすれ違わない。教員室の明かりはついていたが、生徒はもうほとんど帰った様相だ。


 手洗いを済ませ、美術室に戻る途中、静寂からか廊下にまで丹波の声が聞こえてくる。


「うん、全然構わないよ」


 他の教師が来たのかと思ったが、その口調は生徒に対してのそれだった。


「お、噂をすれば帰ってきたみたいだね」


 扉を開けて美術室に戻ると、すぐに丹波の声がこちらへ向けられる。


 何のことかと視線を向けると、一人の生徒が丹波の横にいた。


 背が低く、特徴的な金髪ロング――その人物がすぐに記憶から引っ張り出される。


「相沢さん……?」


 驚きよりも疑問の方が強かった。


 相沢はこちらに気付くと目を丸くし驚いた様な顔をしている。


 入部希望者だろうか――無意識にそう推察していると、丹波が笑みをこちらへ向けてくる。


「授業中にもっと上手く描けるようになりたいんだって」


 その笑みが何を意味するのか理解できないでいると、さらに言葉を続ける。


「そうだ、黒野君が教えてあげたらどうだい?」


「……どう言う意味ですか?」


「もちろん僕も教えるけど、黒野君も教えてみると面白いかなって」


「面白くはないと思いますが」


「ああ、面白いってのは滑稽こっけいだって意味じゃないよ。そういう試みも黒野君の画力アップの一助になると思ってね」


「どういうことですか?」


「なんとなく描くってのは五割程度の理解……いや三割くらい分かってればなんとなくできるもんだよ。けど、人に教えようと思ったら漠然とやっていることを言語化しなくちゃいけない。それには十割近く理解してないとできないから勉強になる。そして教えるのは自分の整理に繋がるし、整理ができたら新しい要素を入れ込むことができる。だから、教えるってのは凄く効率のいい勉強法だと思うんだよね。絵に限らずだけど」


 確かに理にかなっているだろう。


 だが自分でいいのだろうか。そう考えずにはいられなかった。


 けど――と口を開く前に、丹波が何かを思い出したように立ち上がる。


「そろそろ施錠の時間だね。職員室に鍵を忘れてきたからちょっと取ってくるよ。その間に話し進めてみてね。無理そうなら僕が教えるからっ」


 矢継ぎ早に言い残し、丹波は美術室から出て行った。


 何なんだ――と思いつつも「まぁ丹波はああいう教師らしからぬ性格なのは入学したときからそうだが」と内心でぼやきため息を漏らす。




「あのっ」


 気まずい空気を感じていると、相沢の方から口を開いた。


「すみません」


 絵を教わる話を進めるのか、断るのか言うのかと思ったら、なぜか彼女は謝罪を口にした。


「……何かあったっけ?」


 特に謝られるような事をされた覚えはない。


「その……不快でしたか?」


 素で分からないでいると、たじろぎながら相沢は口にする。


「あんな下手な似顔絵を描いてしまったので……」


 なるほど、その事を気にしていたのか――相沢の言いたいことを理解し、肩すかしを食らった気分だ。


「大丈夫。なんとも思ってないよ」


 下手な絵を描いたために罪悪感を抱き、こっそり丹波に教えてもらおうと思っていたのだろう。それを俺が下校するのを待ってから相談するつもりだった。けれど、トイレに立ったのを下校と勘違いした。


 というのが顛末てんまつだと推測できた。


「翔君は凄いです。あんなに綺麗な絵を描けて」


「凄いかどうかは分からないけど、他の人より少し早く始めただけだと思う。別にその事を気にする必要ないし、無理して描く必要はないと思うよ」


「そう……ですよね」


 彼女の表情を見て、絵を教える必要は無さそうだと結論づける。




 イーゼルや椅子を片付け、丹波を待つ。


 今回初めて放課後に美術室を使った。今回描いた絵は未完成で、準備室に保管しておいてくれると丹波から聞いている。だが準備室のどこに保管しているか知らない上、勝手に入って後から問題になるのは面倒だ。


 そのため丹波が戻ってくるのを待っていたが、なかなか戻ってこない。


「……帰らなくていいの?」


 窓辺で黄昏れる相沢を見て、思わずそう声をかける。


「待ってる必要はないと思うよ。断りなら俺が伝えておく」


「……いえ、大丈夫です」


 振り向きざまに答える相沢の表情は、夕暮れも相まってどこか物寂しさを感じる。


 丹波が戻ってくるまでやることが見当たらず、沈黙に耐えかねて口を開いた。


「ひとつ、聞いてもいいかな?」


「はい」


 その肯定はどこか寂しさが減り、うれしさが入り交じった様に感じた。


「聞いていいのか分からないけど……その髪の毛の色は――」


 彼女は、やっぱり――とでも言いたげな苦笑を浮かべる。


「気になりますよね。染めてないのになぜかこんな色なんですよ。毎回学校に説明するのが大変で困ったものです」


「聞かない方が良かったなら、すまない」


「いえ、構いませんっ! 身長が伸びないことに比べたら些細な問題です!」


 自虐的な笑みを浮かべ、彼女はおちゃらけてみせる。


「それでその……」


 再び言葉が途切れ、静寂が美術室を支配したことに、今度は相沢の方が耐えかねた様子で口を開く。


「もしよければ、絵の描き方を、教えてもらえませんか?」


「……それは、なぜ? 絵を描きたいだけなら美術部に入ればいいし、楽しみたいだけなら他の友達と遊んだ方が楽しいと思うよ」


 俺の指摘に、相沢は苦笑いを浮かべたかと思えば背を向け、窓際から外を見下ろす。


 少しの沈黙を経て、静かに口を開いた。


「まだ友達がいないので」


「それは――」


 腑に落ちなかった。今でこそしんみりとした口調だが、授業中は活発で元気な女の子と言った印象を受けていた。それこそ、友達なんてたくさん作れるだろう。


 だがこちらが口を開くよりも先に、相沢は身を翻すと軽快な足取りで近づき、そして見上げてきた。


「だから、お友達になりませんか? 友達のやっていることに興味をもってチャレンジしてみたいと思うのは、とても自然な流れだと思うんですっ」


 やはり腑に落ちなかった。そんな言葉を面と向かって投げかけられるならば、友達などいくらでもできるだろう。なのになぜ――


「なんで俺なんだ……?」


「それは簡単ですよ! 別にいじめられているわけでも、嫌われているわけでもないけど、それでも翔君にも『友達』と呼べる人はいませんっ」


「たとえそうだとしても……」


「余り物には福がありますっ! 余り物同士、ですけどっ! だから、友達になりませんか? そしてぜひ、絵の描き方を教えて欲しいんです。お願いしますっ!」


 彼女の身長の低さから、上目遣いの印象を受ける。加えてその仕草は、天真爛漫な女の子の可憐さが同居していた、


 そんな相沢妙な親近感を覚えた。


 ――と同時。


 別人の影が相沢に重なり、俺は思わず目を逸らし一歩退いてしまった。


 そんな折り丹波が戻ってきたので、俺は描きかけの絵を預け、そそくさとその場を後にした。






 校舎を後にする。


 校門まで来て振り返った。


 美術室の電気はまだついている。相沢がいるかどうかは定かではない。


 ――俺は、何をしているんだ。


 そんなことを自分に問いかける。


 ただただ、あの場から逃げ出したくなった。


 容姿こそまったく違うが、その仕草や雰囲気がどことなく、妹に似ていたからだ。


 長い吐息をこぼしながら、頭から先ほどの光景を排斥する。


 そして俺はそのまま帰路についた。


 翌日。教室に相沢の姿はなかった。


 担任教師も欠席の連絡を受けていない様子だが、気にしている者はほとんどいなかった。


 ――まだ友達がいないので。


 そんな相沢の言葉を思い出す。




 昼休みに入り、購買でパンを買い、いつもの中庭のベンチを確保する。


 また一匹だけ時期を間違えた蝉が鳴いているな――と思っていると、不意に声をかけられる。


「隣、空いてますか?」


 それが相沢の声である事はすぐに理解できたが、視線を向けるのをためらった。


 視線を逸らしたまま同意すると、柔らかい動作で腰を下ろす。


 時期を同じくして、セミの断末魔が耳をつくと、パタリと鳴き声が止んだ。


 辺りには他生徒の雑踏と、そよ風が木々を揺らす音が流れる。


「昨日は、ごめんなさい」


 先に口を開いたのは相沢だった。


「友達がいないとか言って、いい心象は受けないですよね」


「いや……俺の方も、急に帰ったりして悪かった」


「いえ。私は大丈夫ですっ」


 相沢は言うが、どう返答するべきか分からずにいた。


 少し間をおき、再び相沢が口を開く。


「友達を作るのは、嫌ですか?」


 嫌というのとは違う。ただ同じ年頃の学生と馬が合わない。あるいは感性が合わないというのが正しいだろう。


 男子は下ネタを中心として意味もなくウェーイと盛り上がりを見せ、あるいはアイドルやアニメを追いかけ、もしくはゲームの話題ばかりだ。


 女子はいくつかの仲良しグループに分かれ、そのコミュニティは閉じている。仮にそのグループに入ったところで、合うとは到底思えないし、合わせたいとも思わない。


「相沢さんこそ、他の友達を作らなくていいの?」


「そうですね。翔君が友達になってくれないなら、他を探したいと思います」


 あくまで俺が優先的だと言っているように感じ、脳裏には疑問符しか過ぎらなかった。


「どうしてそこまで――」


「類友――ってやつですかね」


「類友……?」


「なんとなく親近感を覚えたんです。親しくならなければ、失ったときの痛みを味わわずに済む――。そんな風に見えたので」


 パンを手にしていた指に、無意識に力が加わる。


 そのように受け取られる言動はしていないはずだが――そう思うものの、すぐに否定を口にしなかったのは図星の部分を自覚したからだ。


 その間に相沢は腰を上げ目の前に来ると、かがみ込んで穏やかな口調で語りかける。


「だから別に友達からでなくてもいいですよ。知り合いでも、顔見知り程度でもいいので、そこから始めていければと思うんです」


 率直な感想としては、「なんだこいつは」だ。


 何も知らないくせに、分かったような口を叩いてくる。


 ――だがなぜだろうか?


 不思議と不快さがない。


 相沢の言動が天真爛漫だからだろうか――嫌味を感じない。


「嫌でしたか?」


 微笑みと心配と気づかいの同居した表情と、穏やかなそよ風にきらびやかな髪をなびかせ相沢は俺の返事を待つ。


「……別に――」


 ――嫌というわけではないが、そこまでしてもらう必要はない。


 そう返そうと思っていたが、相沢は間髪入れずにパンを持っていない方の俺の手を取ると満面の笑みを浮かべる。


「よかったっ! 断られたらどうしようかと思ってましたっ! これからよろしくお願いしますっ!」


 仰々しく握手した手を上下に振ったかと思うと、不意に手放し「じゃあまた後でっ!」と、全身で大きく手を振りながら去って行った。


「……何なんだあいつは」


 勢いに気圧されたまましばらく呆然として、そしてようやく我に返ると無意識にそう呟いていた。


 めんどくさい奴に絡まれた――と思いながらも妙に不快に感じないのは、そんな言動がどことなく妹に似ていて、親近感を覚えてしまったからかもしれない。


 






 夜。


 いつものように自室で鉛筆を握る。


 だがその手は停滞したままだ。


 脳裏に過ぎるのは、相沢という不可解な存在だ。


 なぜあんなことを言ってくるのか理解ができない。


 相沢からみたら、これと言ってメリットがないように感じる。


 そのまま、今夜は作業は捗らないまま更けていった。


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