二話「ペア組」

 その日も、移動教室の時間になると生徒たちはそそくさと移動を始める。駄弁りながら、不平不満を口にながら、それでも機械のように一様に移動する、

「やぁやぁ黒野君! 調子はどうかね?」

 美術室に入るやいなや、先生に絡まれる。丹波と言う美術の先生だ。ワカメの様になった寝ぐせをそのままにした三十ほどの教師だ。

「まあまあ、です」

 相変わらず猫をかぶりはにかみながら無難に答える。そんな俺の返答はお構いなしに自分の話を進める。

「ちょっと見てくれ、君の感想が聞いてみたい」

 丹波は変わっている。この学校の教師には似つかわしくない。どこか抜けているというか、頼りないというか。おそらく、ダメ教師の部類だろうと思っている。

 しかし困るのは、入学して以来丹波にずっと目をつけられている。

 最初の美術の授業の時、「どんな絵を描けるか見てみたい」と丹波は授業で思い思いに絵を描かせたことがあった。どうやらそれが原因らしい。

「別に、いいと思います。少なくとも自分なんか口出すレベルじゃないくらいに」

「いやいや、お世辞はいいよ~」

 言葉とは反対に非常にうれしそうな口調で丹波はさらなる感想を催促する。それはキャンバスに止められた画用紙いっぱいに描かれた木炭画だった。描かれているのは学校の教室で、まだ真ん中が白く描かれておらず途中のようだった。

「じゃあ黒野君が今画廊に来てるとしてだよ? 数ある作品の中からこの作品の時に足を止めると思うかい?」

 どう答えるのが波風立てないか考えていると、丹波からそうたとえ話を持ち出される、

「どうでしょう……まず画廊に行ったことないですから」

「まぁまぁ、こういうのは深く考えず直感に従って良いんだよ?」

 これは答えるか授業が始まる三分後まで解放してくれそうにないな――そう観念しできるだけ荒波を立てないよう気をつけながら言葉を選ぶ。

「値段にもよりますが……何万とかは出したりしないと思います。書店で画集として並んでたら買うかもしれません」

 なるほど――と呟くと、丹波の視線は教室の外、遙か彼方を泳いでいた。

「じゃあ黒野君なら、どう描き直すかい?」

 視線と意識がこちらに戻ってくると、そう無茶ぶりを続けられる。

「……強いて言うなら、少しこの机とその机、不規則な並びを意識しすぎて逆に違和感を少し覚えます。放課後の教室は直前に掃除がありますから。この学校だけかもしれませんが。あと、この絵が夕暮れ時であってるなら、ですが」

 丹波が意見をほしいと言ったのは教室を描いた絵だった。木炭での絵はよく分からないが、教室に並ぶ机の傾きが極端に感じたので素直にそう言った。

「なるほどなるほど」

 丹波は言いながら描かれた絵をキャンバスから手に取り、間髪入れずに破いた。

「あの、俺の感想なんかで……」

「いや、黒野君の意見を聞いて僕もそう思っただけだよ。なに、僕の技量が及ばなかっただけであって、君が気に病むことはない」

 変わった先生だと思う。良いか悪いかは定かではないが、この学校の教諭の中では異質に感じている。

「黒野君は描けると良いね」

 破かれた画用紙を片付けるように机の下に忍ばせる丹波を見て、自分の席に戻ろうと思い背を向けた。その時、丹波がそう小さく口にする。

「本当に描きたいものってのは簡単には見つからないね。絵画も、将来も。でもはじめからあきらめたらキャンバスは白のままだと思うんだよね」

 嫌いなのとは違う。ただ、どれだけ猫をかぶってもどれだけ演じても、その眠気眼の虚ろな瞳は心の奥底を見透かしているのではないか――そんな荒唐無稽な事を思われるほどの異質な空気を持っている。

 そんな会話のうちに、授業のチャイムが響いてくる。

「よし、始めるよー。 ほらほら、話してもいいけど席には着いてね~」

 丹波がそう大声で言いながら教壇に向かう。

 おとなしく自席へ戻ると、丹波は授業を始める。学級委員が号令をかけ全員が着席するのを確認して話し始める。

「さて、先週までは球体のデッサンだったわけだが……正直つまらないだろう!?」

 周りはざわざわと小言が飛び交い始める。規律に口うるさい教諭の授業ならば誰も彼も沈黙したままだろうが、丹波の緩い授業では私語をしてもどやされないと生徒はすでに学習しているようだ。

「で、先生は思うんだ。やはりデッサンでも、スケッチでも、油絵でも、楽しまないと面白くないだろう。だから、いろいろ考えてきた」

 紙を高らかと掲げた。

 辺りはいっそうざわめきが増していた。

「ペアになってもらおうと思う」

 ざわざわとした教室は気づけばがやがやとした声で溢れていた。

「ペアはあみだくじで決めようと思う。今からまわすから、好きなところに名前を書いて何本か線を引いてくれー」

 何のひねりもない――とは思ったが、自主的にペアを組ませた方がもっと面倒だろう事は明白だった。回ってきた紙に無頓着に自分の名前を書く。

 黒野翔

 と。


 十分後。ようやく紙が回り終える。

「ん? 誰か名前書いてない人はいるかい? ひとつ余ってるけれど……このクラスは四十人だよね……?」

 一つ一つ数え始めたとき、生徒の手が挙がった。

「あのっ……多分書いてないです」

「んと、相沢さん。余ってるところでいいかい?」

「あ、はい」

 丹波のことだ、もし嫌だって言ったらもう一回やり始めたに違いない。しかし幸いにしてそういった事態にはならなかった。サボりたい生徒側としては残念ながら、かもしれないが。

 丹波があみだくじに苦戦する中、教室は私語に包まれる。まったく関係ない話もちらほら。しかし、「誰々と一緒になりたい」という話が俺の周りはしていた。下心丸見えの男子がそこらじゅうにあふれているわけだ。かつ、彼らにとっては面倒な主要教科の間の休憩気分と言ったところだろう。

「はいはーい、静かにねー」

 丹波がそう声をかけると、一応私語が減り、視線が教壇に集中する。


 順々にペアが発表されていく。

 好まない人とあたった人は小声で友達に嘆き救いを求め、友人とあたった人は喜び合い、かわいい女子とペアになった男子は発狂しそうな勢いだ。

「で、次が……黒野君と相沢さん。最後に――」

 俺は特に反応を見せることなく、目線だけを相沢という女の子に向けた。さっき名前を書き忘れた子だったためにすぐに場所がわかった。

 先生の号令とともに、ペアごとに席替えをし始める。俺も席を立とうとした。しかし、彼女はすでにこちらに椅子ごと到着していた。

「あー相沢さん。わざわざ椅子は持ってかなくてもいいよ?」

 丹波の言葉で、何人かの目線が彼女に注がれた。何人かの笑い声が漏れ聞こえる中、こそこそと椅子を戻しに行く相沢は、どこか恥ずかしそうに身を縮めて椅子をしっかり抱きしめていた。するとそれが災いし、足を絡めてバランスを崩していた。そこには、ヘッドスライディングでも決めたような体勢の相沢と、その拍子に手から離れた椅子が床にぶつかって大きな音を発生させていた。そのことが原因で、大勢の目線が注がれる。相沢の恥ずかしさと痛さで顔をさすっているその姿に、だ。

 さすがに椅子を置いて戻ってくるときは何も起きなかった。しかし、その顔面はまだ赤さが残っている。

「あのっ、よろしくお願いします!」

 先ほどの出来事をなかったことにしたいのか、元気に声をかけてきた。椅子に彼女は腰を下ろす。ところが、下ろした腰は空を切り、再び転んでしまった。

 目と目が合った。俺が見下ろしている。そのことに気づいたのか、また赤面する。

 相沢は、すごく幼さを残す女子――と言った印象だった。身長は、百四十センチほどだろうか。身長もそうだが顔も幼さを十分に残している。ひとえに童顔だと形容できるほどに。下手をすると小学生でも通るかもしれない。髪の毛はつんつんとした硬そうな長髪。寝癖か癖毛なのかは定かではないが、重力に反発しようと頑張っていた。その長い髪は、童顔と並ぶ特徴の一つと言えるだろう。入学して一ヶ月以上経つが、彼女の記憶は曖昧だ。元々友好関係を広げようとしていなかったのが原因だろうが、非常に影が薄い、そんな女子なのだろう。下手に女子グループのボス猿と当たらなかった事に安堵している自分がいた。

 赤面を隠すように勢いよく立ちあがると、再びなかったことにしようと声を出してきた。

「相沢澪といいます! えーっと……黒野、なに君だっけ?」

「翔」

「じゃあ、翔君ですね!」

「――」

「今日はがんばりましょう!」

 このときの印象は、人の言うことを聞かない奴だと感じた。空気が薄いと言うよりは空回りして相手にされないタイプかもしれない。こういう輩は適当に話を合わせてやれば勝手に時間をつぶしてくれるだろう。などと思い、テキトーにはにかんでおく。

「せっかくペアになってもらったので、相応の課題を出したいと思いますよー」

 丹波がその場を収めようと手をたたきながら声をかける。

「ちょっと早いか悩んだけれど、今回はペアの人の顔を描いて見ましょー」

 丹波の言葉に、罵声や嘆きが教室に覆いつくす。その大半は、描き上がった絵をクラスに晒す羞恥心によるものだろう。

「文句言わないで。ほらほら始めーっ!」

 しかし生徒たちはぶつぶつ言いながらも、面倒な数学や英語よりはましな様子で手を動かし始める。もちろん口もたくさん動いているけれど。

「翔君! あまりきょろきょろしていては描きにくいですよ……」

 そう俺をしかりつけたのは先ほどまでに二度も転んだ相沢で、まさかこんな奴に注意されるとは思わなかった――そう思い、俺もさっさと終わらせようと鉛筆に手を伸ばす。


 数十分過ぎた頃、アタリを終え、すでに描きこみはじめる事ができた。鉛筆を動かしながら、線で面を表現していく。さらに十数分が経つと、徐々に顔だとわかる部分ができてくる。

 そんなときに、チャイムが鳴り響いた。

「休憩しなよー」

 次の時間も美術だったので、丹波は付け加えつつ終了の号令を促す。多くの生徒にとって、この授業自体が休憩みたいなものだろうけれど。

 腕で伸びを一回。そして座り続けて疲れた腰に刺激を与えるべく立ち上がる。その拍子に、俺は酷い代物が目にとまる。

「相沢さん……その絵は――」

「ん? 翔君だけど……」

 やっぱりか――。ため息とともに心で呟く。

「に、似てませんかっ!?」

 似ているとか以前だった。幼稚園児程度や象形文字と言うのが最も適切とすら思える程だ。

「いや、とってもユニークだね……」

 言った直後に、あまりにも苦々しく言い過ぎたかと後悔したが、彼女はそれをほめられたと思ったらしく笑顔になった。


「も、もう、出来たのですか?」

 次の授業が始まって三十分ほど。彼女は、驚いた様子でこちらを見つめていた。

「ああ」

 そう言葉を漏らしながら絵を見せる。

「う……うますぎです。は、反則でも遣ったんじゃないのですか?」

 彼女は目を点にしながらそうぼやいていた。正直、意味がわからない。

「もういい? 先生に出しに行く」

 それからはテキトーに過ごした。とはいっても、一応……描かれているのでその場を動くことは出来なかったけれど。


「疲れたな」

 下校時。そんな風につぶやく。丹波は嫌いではないが精神的に少し疲れる。そして、今日のペア組みでいっそう疲れた。ほとんどの生徒が終わらなかったから、来週もまた同じことをするらしい。少し、気が滅入る。



 ただいま。

 明かりの灯っていない家。正確には離れだがそこに俺は帰宅する。帰宅しても、そんな声は出てこない。

 おかえり。

 この家から、そんな声は聞こえるはずも無い。

 冷めた飯を食べる。温めもせず、俺はそれらを流し込む。

「ただいま」

 部屋の真ん中に乱雑に置かれた椅子に座り、か細くそう呟いた。

 俺は、手を伸ばした。ゆっくりと、優しく頭をなでる――。

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