三十一話

「四縁。入っても良いだろうか?」


 神社に到着した俺は、本殿の前でそう問いかける。


 だが返事はない。


「四縁にとって、供物はどれだけ力の回復に使えるんだ?」


 それでも返事はない。


人身御供ひとみごくうというので、あなたはどれくらいの――」


「小僧。それであの子が喜ぶと、本気で思っているのか?」


 ようやく四縁の声が聞こえてくる。


「思っていない。でも、俺は澪を助けたい。今の楔から、解き放ってあげたい」


「あの子は解放されれば黄泉へ向かうだろう。だが贄となった者の魂は神に取り込まれ、黄泉へ向かうことはなくなる。すなわち、死後においても永遠の別れとなるのだぞ」


「だとしても、俺が澪の記憶を失ったまま老衰で死んだとして、澪と巡り会えるとは思えない。だったら、澪を覚えている今ここで死んで、黄泉とやらで澪を待っていた方がまだ現実的だと思わないか?」


 どちらにしても捨てる命なら、澪の為に使う方が良い。


 そう考えていた。


 四縁からの返事はない。


 代わりに本殿の扉が開き、中へ入るよう促される。




 中に入ると、四縁はその姿を俺に見せる。


「まぁ座れ」


 俺が四縁の正面で腰を下ろすと、深い溜め息を零す。


「その考えは改めよ。それで誰よりも悲しむのはあの子だ」


「答えてくれ四縁。俺の体、あるいは魂、もしくはその双方を供物として捧げた場合、澪の楔を解き放つだけの力を取り戻せるか?」


「……それでも足りぬ」


「嘘だ」


 神と言ってもその感性は人に近い。


 共と呼ばれることを喜んでいる神だ。当然、人間的な感性を持っている。


 だからこそ、四縁の言葉が偽りであると理解できた。


「四縁。足りないならはじめからそう一蹴するべきだ。先に澪を案じた時点で、その可能性はゼロではないのだろう」


 それが図星だったらしく、四縁は視線を俺から逸らす。




 しばらく間を開け、観念したのか四縁は話を進める。


「人身御供だけでは意味がない。得た力がすぐに漏れ出してしまうからだ。しかし、それは『儂の体』と『楔』が密接に関係しているからだ。故に別の体を用意する必要がある」


「別の体?」


「この場に別の神が居らぬ以上、神降ろしが必要だ」


「――神降ろしとは?」


「神の神霊を人の子に入れ込む事だ。降霊や憑依と言うものもいる」


 具体的にどうなるかは分からなかったが、イタコやシャーマンのようなものを連想する。


「神降ろしを行えば、力の源たる神霊を、今の神体から別ける事ができる。さすれば、得た力を失うことはないだろう」


「では、その状態で長期的に力を取り戻すというのは?」


「信仰の対象――すなわち儂の神体は稲荷神の系譜。すなわち狐の姿こそ、儂である。故に人の子に神を降ろしたところで、力は元の神体の方へ流れる」


 信仰の象徴を変える必要があるが、そのような余裕はない。


「故に、おぬしの体に神を降ろし、同時におぬしの魂を供物として力を得れる。これであれば、一時的に力を取り戻しつつ、力の流出を防ぐことができるであろう」


「なら――」


 それで決まりだ。


 そう言いたかったが強い口調で遮られる。


「それは最悪の結末を迎えるぞ!」


 その威圧には嘘の要素は感じらなかった。


「……なぜ」


「あの子がどれだけお前に惚れ込んでいると思っている? 惚れた相手が自分のために命を投げ捨てて、あんのんを得られると思っているのか?」


「だが――」


「『だがあの子にとっては今よりも救われる』と? 笑わせるな! あの子は――澪は『こんなことになるなら自分が苦しみを我慢しておけば良かった』と、さらなる苦痛を抱えることになるのだぞ!?」


「――じゃあ、どうすればいい……。このまま何もできず別れの時を待てというのか!?」


「そうだ! それがいい。人身御供によって得られる力は、その魂の質に応じて雲泥の差がある。おぬしが己を犠牲にしたところで、助けられる保証はない」


 すぐに反論できなかった。


 荒い呼吸を整え、そして次の言葉を放つ。


「なら、神降ろしをした後の俺の体を、四縁――あなたが使ってくれ」


「小僧――貴様、儂に黒野翔の代わりを演じろと言うのか?」


「演じなくてもいい。ただ、澪の側にいてやってくれ。そうすれば澪の心も少しは――」


「あの子が、お前の容姿にだけ惚れているとでも思っているのか!?」


「思ってはいない! だが、このまま時間切れになるよりは……まだマシな結末だ――」


 そうだ、まだマシだ。


 このままよりはマシな結末だ。


「……おぬしはよほど、このまま相沢澪を忘れる事が嫌なようだな」


「ああ。嫌だ。この記憶を失ってまで生きている意味などない。そんな人生は、ここで身を捧げて死ぬよりも、はるかに惨めだ」


 その未来だけは避けたい。


 何もできなかったさんたんたる結末だけは、絶対に見たくない。


 四縁はしばらく言葉に詰まらせる。


 俺を説得するにはどうしたらよいか。


 そう考えているのかもしれない。


 あるいは、見限ろうとしているのかもしれない。


 それでも俺は自分の発言を撤回する気はなかった。




 さらに考え、四縁はようやく口を開く。


「良いだろう。貴様の体と魂を活用し、あの子を助ける小さな可能性に賭けてみよう。――ただし、条件がある」


 ホッと胸をなで下ろしたかったが、条件と聞いて未遂に終わった。


「条件、とは?」


「機会は一度だ。それで上手くいくかは、おそらく五分五分――いや、それは甘いか。だが少なくとも、一度しかない機会を試すのであれば、良い結末を引き寄せるために最大の好機を狙う必要がある」


「ああ。いつでもいい」


 その通りだ。闇雲に行う手ではない。


 だが四縁のその指定日は想定していなかった。


「今からだ」


「今――」


「そうだ、今この瞬間からだ。魂を贄とした力の取得は、その魂の質に大きく左右される。数万の魂より、一人の崇高な魂の方がより強い力を発揮することもある。そしてその魂の質は、非常に乱高下する」


 ――質が乱高下?


「そうだ。魂とは心と言い換えることもできる。すなわち、心理状態に非常に強い影響を受ける。『鉄は熱いうちに打て』と同じだ。相沢澪を救ううえで最も適しているのは、覚悟を決め押し入ったこの瞬間だ。今だ。今こそ最良の状態。魂の質が昂ぶった状態だ。やるなら、今以外の選択肢はあり得ない」


「今……すぐにか?」


「ああそうだ。別れの言葉も残せず、ここでおぬしは相沢澪と永遠の別れとなる」


 かすかに心が揺れた。


「質が下がったな――やめるなら、ここが境界線だ」


 四縁が煽るように言うのは、やめると言って欲しいからなのだと理解する。






 俺は無力だ。


 単なる一般人で、出自が良いわけでもなく、これまで神も幽霊も見たことがなかった。


 そんな俺が、初めてこれほどの覚悟を決めた。


 澪を助けるために。


 澪を助けたいがために。


 ここで引くわけにはいかない。


 この決断は俺の全てだ。


 ここで引けば俺はまた無力だと認めることとなる。


 そうすれば、もう二度と立ち上がることはできないだろう。


 それだけの覚悟を持ってここに来た。






「――やめない。俺は。俺はここで生まれてきたことの意味を得る」


 そうか――そう呟く四縁は、少し残念そうだった。


「では、たとえどのような結末になろうとも、それを受け入れると言うのだな?」


「ああ」











 俺はただ座っているだけだった。


 御幣ごへいがその四方を囲み、形代かたしろが円を描くようにその周りに配置されている。


 当初それは俺の周りに置かれているだけだったが、風のない室内にも関わらず御幣の紙垂しでがなびく。


 それからしばらくして床に置かれていた形代がひとりでに起き上がると、まるで、かごめかごめと言い出しそうな身振りで周囲を歩き出す。


 最後に差し出されたのは狐の面で、それをかぶると目元に穴はなく視界が遮られる。


 口元には小さな穴があり、呼吸自体に問題はないが、少し息苦しい。


 


 俺はただ座っていた。




 だがその心境は穏やかだった。


 何もできず無力にさいなまれるだけの人生よりも、はるかに心は穏やかに高揚していた。




 ――澪。




 君と出会えて良かった。




 記憶にあるだけの時間で言えば確かに短いけれど、魂は覚えているのだろう。




 君と過ごした日々を。






 だからどうか、俺の分まで幸せになってくれ。






 それが俺の幸せだ。






 次第に体の感覚がなくなっていく。




 まず、面の隙間から見えていたかすかな光が消えた。




 鼻が利かなくなった。




 息苦しさも感じなくなった。




 音も届かなくなった。




 そして、重力もなにも感じなく――




 暗く、ひたすらに暗く。








 そして暗いという感覚も、


 次第に、




 自覚、






 出来……




 なく――






 何も感じない。


 何も存在しない。


 何も分からない。




 何もない世界。






『――この結末で本当に良かったんだな?』






 混濁した意識の中で唯一、四縁の声が聞こえてくる。






























 ああ、これでいい――。












 そう返した俺の言葉は、






 声にはなからなかった。



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