三十話
「四縁、いるか? ――澪にあなたの話を伝えてきた」
夕暮れ時、神社の本殿前でそう呟くと、自然と扉が開いた。
導かれ中に入ると、そこに四縁の姿はなかったが、なんとなくだがそこにいる気がした。
「ひどい顔をしているな」
涙で充血した跡を見て、四縁は溜め息交じりに言葉を返してくる。
「――ああ。この年でこう何度も涙を流す日が来るとは思わなかった」
「この年か――小童が背伸びをするでないわ」
「……そうだな。俺は無力な子供で、一人では何もできない。今はそれを痛感している」
澪の前でまた泣いてしまった。
澪を護りたかった。助けたかった。
なのに、護られているのは自分の方で、慰められているのは自分の方で。
その現実を理解すると感情をせき止められなかった。
これまで拒絶によって心を護ってきた自分は、いざ魂を揺さぶられるとこんなにも脆い。
「小僧、お前の気持ちはな、人のみならず神ですらよく陥る。力のない自分が許せないものだ」
四縁も、同様の気持ちがあるのだろう。それが分かる物言いだった。
「――もう、どうしようもないのか?」
「ああ、現実的な選択肢はないだろうな。偶然にも儂がかつての力を取り戻せるような、神をも凌ぐ奇跡が起こらない限り」
「――四縁、あなたの力で、記憶を留めておくことは、できないのか? そうすれば、まだ手はある。俺がここの神職にでも宮司でも成って信仰を増やして――」
「現状の楔をどうにかせねば不可能だ」
「……じゃあ。……じゃあ他の神に助力を――」
「今のご時世、どこも自分たちの事で手一杯だろうて。神も物の怪も、生きづらい世の中になったからな」
「本当に……もう、本当に手立てはないのか?」
「……」
翌日、俺は澪を描く事にした。
自分に何もできない。
それを痛感し、それでも澪の為にできる事をしてあげたかった。
たとえこの記憶が失われようとも、俺が描いた澪の絵画は消えることはない。
澪の記憶から俺が消えることはなく、絵画も手元に残る。
それが、今の俺にできる唯一の事だった。
「やぁどうだい? 進んでるかい?」
放課後になり屋上で澪の絵を描いていると、丹波がやってくる。
「うん、良い感じだね! 僕は黒野君の描く相沢さんの絵はとても好きだなぁ。なんというか、生き生きしてるって言うか、魂が込められている感じが凄いするんだよね!」
丹波の褒め言葉に笑みを返す余裕が、俺にはなかった。
「そうなんですよ! 翔君の絵はやっぱり最高ですっ!」
そんな俺に気付いてか、澪がそう声を上げて近づいてくる。
「そうだ、丹波先生も描いてみませんかっ?」
そんな俺に配慮してくれたのか、澪は丹波の相手をしてくれる。
「ん? 僕がかい? 僕なんかが描いていいのかい?」
「もちろんですっ! いろんな人に絵を描いてもらえるのは、とても嬉しいですので!」
「じゃあせっかくだし描いてみよっか⌇⌇」
丹波は軽いノリで澪の提案を引き受ける。
澪は写真には残らない。
だから、絵画で残す必要がある。
他の人が描く澪の絵画も残った方が、澪にとってはいいだろう。
「黒野君も構わないかい?」
「……はい。ただ――」
「ん?」
「一つお願いしても良いですか?」
「なんだい?」
「調べごとをしたいので、先生のケイタイをお借りできたら助かります」
「いいよ⌇⌇! でも落として壊したりしないでね」
丹波は二つ返事で了承し、アイフォンを差し出してくれる。
「ここのサファリってアプリを押すと、色々調べられるから試してみて。文字入力は、慣れるしかないよ⌇⌇」
「ありがとうございます」
アイフォンを受け取った俺は屋上のフェンスに寄りかかり腰を下ろした。
その間に丹波は俺の筆記具と借りてきていた画板を準備する。
俺が操作を覚えている間、丹波は澪に対し何やら小言で話していた。
俺は借りた端末を使い、日本における信仰――神道や神社、これまでの歴史について検索する。
その情報の真偽は分からないが、それでも一読しておきたかった。
自分は澪のおかれている現状も、四縁のもつ力とやらについても、何も知らない。
無知で無力だった。
だからせめて、無知である事をなんとかしたかった。
それはおそらく現実逃避。
そうやって頑張っているという姿勢を自分自身に見せる事で、自分を諫めている。慰めている。
――何もやらなかった後悔はしちゃダメだよ。
昔に丹波が言っていた言葉が脳裏をよぎる。
確かにこのまま何もせずに時間だけが過ぎていったら、心が崩れ落ちてしまいそうだ。
だから、今は手を動かしたかった。
行動に移したかった。
何かしたかった。
澪の為に、何でも、できる事はしてあげたかった。
澪を救ってやりたかった。
せめて、澪だけでも――
ふと、
「神や仏、あるいは先祖や故人の霊など、信仰や崇拝の対象に捧げるものを指す言葉である」
「日本の神社や神棚に供える供物のこと。主に神事の際に、その土地の人々が神饌を捧げる。神饌は米に加え、海や山の幸、酒など多岐にわたる。儀式狩猟後に捧げた物を共に食する事により、神との一体感を持ち、加護と恩恵を得る場合もある」
「祭祀における犠牲の一形式。人間の命を神に捧げること。アニミズム文化圏の歴史に広く見られ、人間にとって最も重要な人身を供物として捧げる事は神への最上級の奉仕という考え方がある。日本においても各地に人柱の伝説があり、現在においても人身御供が行われていたことを示す祭式が残っている」
ジジッ――とセミが事切れる声が聞こえてくる。命が燃え尽きる間際に放った、最後の声だ。最後まで足掻き続けた、断末魔だ。
頭の中で、一つの考えが沸き出してくる。
――俺の命を捧げることで、四縁の力を一時的にでも取り戻す事はできないだろうか?
澪はそれを望まないだろう。
分かっている。
だがそれでも俺は澪を助けたい。
澪を解き放ってあげたい。
たとえ独りよがりであろうとも、このまま澪の記憶を失い、心が死んだまま肉体だけが生き続けるような未来に何の意味がある?
ならば、死んでいるのと同じだ。
ただ生きるだけなど、死んでいるのと同じだ。
ならば、あの蝉のように鳴ける間に足掻き続けるべきだ。
今ならまだ――
「うん! 描き込み量は少ないけど、我ながら良い感じに描けた気がする!」
丹波が画板から画用紙を取り出し、それを澪に渡す。
ふと気付けば、澪が隣で肩を並べていた。
そして丹波の描いた絵には、俺と澪が並んで描かれていた。
二人とも笑っている。
楽しそうに、嬉しそうに、幸福そうに。
――そうだ。この未来が欲しかったんだ。
季節が過ぎても、学校を卒業しても、こうやって共に歩む未来が――。
だが無力な俺ではどうすることもできない。
しかし。
だがしかし。
なればこそ、澪だけでも助けてあげたい。
どちらかしか残れないのなら、俺は、澪に幸せになってもらいたい。
「丹波先生」
「ん? どうだい? 良い感じに描けたと思うんだよね!」
「とても素晴らしい絵画を、ありがとうございます。それからこれも――」
そう笑顔を浮かべ、アイフォンを返却する。
「ただ、すみません。ちょっと行かなくてはならない所ができたので、今日はこれで」
俺は一方的にそう言い残し、学校を後にした。
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